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混乱極まりない思考回路が弾き出した優先事項は、どのような言葉遣いをするべきか、という事だった。
同じ公爵家の人間でも、エスキルは昔から庶民の暮らす下町にも入り浸っていたからか、気さくという言葉では言い表せない程目下の者にも楽に接するように求めてくれる。ルドヴィカに対しても、同じく学問を修める同志なのだからと、かしこまり過ぎた態度は不快だと話していた。
そんなエスキルに対し、カレルは病弱だという理由でずっと公爵家の敷地内にある屋敷にて自室で療養していると聞いた。カレルにとって領民とは、さほど近しい存在ではないだろう。
水晶玉をまじまじと見つめながら、そこまで考えて急に我に返る。
いや、何を無条件にこの水晶玉がカレルだと信じているんだ、しっかりしろ。
気を取り直して、ルドヴィカは再び水晶玉へと質問を始める。遠目から見ると間抜けな事この上ないだろうがしょうがない。
「証拠はあるんですか」
声の主が何かしらの呪法をかけた結果、この水晶玉を通じて話しかけてきている、という可能性も考えてみたものの、水晶玉の口振りでは自分の本体が水晶玉だと言っているように聞こえる。やはりこれが本体なのだろうか。
『証拠?』
「そうです。あなたがカレル様だと信じられる証拠をください。例えば……そうだ、カレル様は呪法の使い手だとお聞きします。何か見せていただけませんか」
カレルの情報は庶民には一切伏せられている。容姿や趣味、どのような学問を修めているかなどその全てを公爵家以外の人間は知らない。カレルに呪法の才能があるのも、今日初めて知った。
どんな理由か知らぬが、公爵家の人間の名を騙ってルドヴィカを謀ろうとしている悪党ならば、カレルに呪法の才能があるなんて知らない筈だ。咄嗟に呪法など扱えないと踏んだ。
そう考えた故の質問だったが、水晶玉はあっさりと答えた。
『それは無理だ』
「どうしてですか」
『僕は今、こんな身体だからだ』
そう言って水晶玉はぽん、とルドヴィカの手のひらの上で跳ねた。
『この姿では何も出来ないんだ。こんな事しか』
「うわあっ!」
そう水晶玉が話した瞬間、その姿が巨大化した。ルドヴィカの手のひらの上で跳ねたかと思うと、みるみる大きくなって反射的に遠のいたルドヴィカの傍に落下したそれは、馬程の大きさになっていた。
仰け反るようにしてルドヴィカは後ずさり、ぬかるみに尻餅をついた。
「でかく……なった……!?」
恐る恐る近付いて、巨大なオブジェに手を付くと再び声が聞こえた。
『大きくなったり、小さくなったりは出来る。後は先程見たと思うが、自力で動けるけどそれだけだ』
「あ……じゃあ、先刻急に消えたと思ったら、外にいたのって」
『これくらい小さくなって、鍵穴から出た』
話している間にも水晶玉は、今度はみるみるうちに縮んだかと思うと、ぬかるみに埋もれて見えなくなった。
唖然としながらも、納得のいく説明をされた事でひとつの疑問が解消された。消えたと思ったのは縮んだからで、外に現れたと思ったのは、鍵穴の小さな空間から外に飛び出したということか。
「でも、いや、それより」
この水晶玉の持つ能力についての説明でしかなく、これがカレルだという納得のいく証拠にはならない。
元はといえば、突然この水晶玉が祖父母の営む料理店に現れた事も疑問である。あの時間は客は一人もおらず、祖父母とルドヴィカしかいなかった。加えて、料理屋に現れるまで外では何の騒ぎも起こっていなかった事も踏まえるとこの水晶玉、店に入って初めて目視でわかる程巨大化したと思えた。
何よりこの水晶玉、ルドヴィカを呪われ子と呼んだのだ。突如現れた目的は、他ならぬルドヴィカにあるのは間違いない。
「カレル様なのかどうかは一回、置いときましょう。あなたの目的は何ですか?」
恐らく水晶玉が存在しているのだろうぬかるみに向かって、ルドヴィカ話しかけた。
「あれ?」
反応がない。
「あの、聞きたい事が沢山あります。答えては貰えませんか?」
やはり、返事がない。もしかして逃げた?カレルだと信じて貰えないから?
最初に大学に持ち込むべきだったか、と自分の行動に若干の後悔を滲ませながら立ち上がろうとして、再び透明な球体が視界の隅で跳ねたのを見て、飛び上がる程驚いた。
「うわっ」
天高く跳ねた水晶玉が、ルドヴィカの頭上でぽんと跳ねたかと思うと、その儘頭に乗った。
『すまない。僕がきみを探していた理由をまだ話していなかった』
「あ、聞いていたんですか」
『聞いていたし、答えているつもりだったんだ』
水晶玉というのは重たい筈なのだが、ルドヴィカには小さめのノート程度の重さしか感じない。どうやら、自身の重量を変える事も可能なようだ。
「あの、何で答えてくれなかったんですか。あと頭に乗られているのはちょっと嫌です」
『今の僕には口も耳もない。聴覚はないのに不思議ときみの声は聞こえるのだが、僕の言葉を聞いて貰う為には相手に触れていないと無理みたいなんだ。この状態か、きみの手に乗せてくれないか』
「はあ……」
言われてみると、料理屋で出会った時には確かに何か言葉を発するのを感じ取れなかった。手にとって触れるまで、喋るどころか生きているとすら思えなかったのは確かだ。
この水晶玉、どういう仕組みで動いたり大きくなったり、触れている相手にだけ届くようなことばを発する事が出来るのか。ますます大学の研究所に持ち込みたい気持ちが膨らむが、ぐっと堪えた。
「じゃあこの儘で大丈夫ですから、話を聞かせてください。あなたの目的は何ですか?わたしが呪われているって、どうして知ってるんですか」
『目的はひとつだ。僕にかけられたこの呪いを解いて欲しい』
息を呑んだ。彼は、カレルはルドヴィカが呪われているだけでなく、ルドヴィカに解呪の才能があるのを知っているのだ。