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ルドヴィカは物心付いた頃から解呪という特殊な能力を持つ自覚があった。
今のように専門的に呪いや魔法について学ぶ機会などはなかった為、自分に出来る事がはっきりと呪いを解く力であると言語化は出来なかったが、自分の能力の意味は生まれて数年で理解していたと思う。
原因不明の病に苦しむ人間や、幾ら建て直しても一分だけすぐに朽ちる病院。それらの原因が、自分にだけわかる。
見えるからだ。
ルドヴィカには呪いが見える。
呪われている生き物や物体に、文字が刻まれているように見える。その文字が自分以外の人間には見えない事すら、ルドヴィカは最初気付かなかった。
成長するにつれて、それが存在し、どのような作用を及ぼすのか、そして自分だけが理解出来るという奇異な事実に気付いた。
目を凝らす。暗い林の木々に阻まれた中を線のように降る光を助けに、それを凝視した。
水晶玉が呪われているのならば、水晶玉に文字が浮かんで見える筈だ。
『呪われ子とはきみの事か?』
「えっ?」
思わず水晶玉を取り落とした。誰かに跡を付けられたのかと思い、きょろきょろとあたりを見渡してみる。
何もいない。暫く待つも、声もしない。木々の中に埋もれた鳥や虫の声に、かさかさと風に撫でられた葉の揺れる音しかルドヴィカには届かない。
「……呪われ子って言ってた」
自分がそのように影で日向で嘲られているのを知っている。ルドヴィカにかけられたのは、地味でかつ日常的に不便などはさほどない呪いだが、全くのびない髪の毛は誰の目にも不自然だとわかるからだ。
呪法についての知識と、若い娘が不揃いな髪の長さをその儘にする不自然さから、直ぐにルドヴィカの呪いは周囲にばれてしまう。
それゆえに、そのような名で呼ばれるのは、この町で自分だけしかいないと思う。声の主は、間違いなくルドヴィカに用がある筈だ。
「誰か、いるの」
勇気を出して呼びかけてみたが返事はない。人気のない林の中、一方的に見られている事を恐ろしく思い、身を起こしかける。
ころんと、ルドヴィカの靴に何かがぶつかった。ぎょっとして見下ろしてから、ああと安堵の息を吐く。
足元にあったのは例の水晶玉だった。驚いてルドヴィカが落とした後、このぬかるんだ土をどうやってかルドヴィカの靴の傍まで転がってきたようだ。
そこで疑問に思う。この水晶玉、ルドヴィカから逃げようとしていなかったか。
「逃げない、の?」
思わず問う。が、反応はない。
料理屋の中ではあんなに跳ねて、ルドヴィカの腕の中でも離せとばかりに蠢いた水晶玉が、ルドヴィカの靴に寄り添うように転がった儘動かない。
「……そりゃ、生きてる訳ないけど」
ひとりごちる。どこからどう見ても、生命を持つ存在には見えない。
「でも、先刻は逃げたようにしか見えなかった」
一人言を続けながら、可能性を考える。ありそうな線としては、この水晶玉には呪法が使用されていて、実は水晶玉以上の機能が与えられている可能性だろうか。例えば人が馬や犬を使役するように、この水晶玉は使命を与えられると動き出すとか。
「こんな高価なものを呪いの道具にするなんて、おかしい気もするけど……」
水晶玉を使った呪いというものがあると聞いた事はあるが、どちらかというと呪法師の使う職人の呪法ではなく、占い師が独自のシステムと儀式めいた手順で行うものらしい。呪法師からすると、胡散臭い事この上ない。
「もう一回見てみるか」
一先ずあの声は無視して、水晶玉の正体を追及する事とする。
ルドヴィカは再び手のひらサイズとなった水晶玉を拾い上げ、自分にしか見えない文字はないか、と目を凝らそうとして。
その瞬間、またも聞き覚えのない声が話しかけてきた。
『落とさないでくれないか』
「ぎゃあっ………!!?」
またも至近距離から話しかけられて驚き慌て、水晶玉を手にした儘、全身が無様な動きで跳ね上がった。再びあちこちに視線を向けたが、何もない。
その筈なのに。
「まさか」
驚愕の眼差しを向けた先。球体の、薄暗い中でも艷やかな美しさが見て取れる、それ。
『頼む。僕の話を聞いてくれ』
「き、聞いてくれって、どこにいるかもわからないのに」
得体のしれない何かに観察され、一方的に話しかけられている。命を握られているような不安さが心の底に溜まっていく。
声はごく近くから聞こえてくるというのに、ルドヴィカの周りにはやはり人らしき姿はない。
無意味に虚空を睨み付けながら、ルドヴィカは問う。
「姿も見せずに話を聞いてくれとは、失礼とか、信用がないとか思わないんですか?」
『姿ならここにある』
また声が響く。あまりにも近い、と漸く気付く。面と向かって話をするくらいの声量だ。
「まさ、か……」
手のひらにころんと乗った、今はとてもちいさな水晶玉。ルドヴィカの手のひらの上でそれは、勝手に左右にころころと転がっては、元の位置に戻る。
嘘だ。そんな事ある筈がない。これが、これが話しかけてくる、なんて。これは水晶玉だ。そんな筈は。
理解の追いつかない現象に汗が頬を伝い、髪を濡らして背中を流れた。
『まさか、ではない。きみに話しかけているのは僕だ。おかしな格好で失礼だとは承知している。しかし、話を聞いて欲しい。僕はカレルという。ヴェルン公爵家の次男だ』
目眩がした。今自分が倒れていないのが奇跡だと思う。
「そ、そんな事、を、仰られまして、も……っ」
このころころした水晶玉が、エスキルの弟だなんてある筈ない、そんな筈はない。そう必死に自分に言い聞かせながらも、嫌な裏付けがあった。
「今のカレルは呪われていて、彼の呪法の才能を発揮するどころか、まともに会話する事も難しい状態なの」
公爵夫人の言葉が頭の中でぐるぐると渦巻いている。そんな筈は、と思い込みたいのに、水晶玉を乗せた手のひらが震えている。