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水晶玉は、真っ直ぐにルドヴィカ目掛けて降ってくる。あの大きさの水晶が直撃したら、ただでは済まないだろう事は想像はかんたんについた。
咄嗟に避ける事も出来ずに、ぎゅっと目を閉じる。覚悟も出来ていない衝撃に備えるしかない。
「ルシカ!」
祖母が呼ぶ声がした。目を閉じた儘、彼女の声とともに水晶玉がぶつかった、と思った。
「あいたっ?」
しかし、衝撃は驚く程に小さなものだった。痛い、と声に出たものの全く痛くない。お陰で驚く程間抜けな声が口から漏れた。それこそ、幼児が手遊びに使う小さなボール程度の衝撃しかない。痛みとすら言えない。
頭上で景気よくそれは跳ねた。目を見開いて凝視するも、やはりそれは水晶玉にしか見えない。
「水晶玉って、あんな跳ねるの?」
水晶なんて高い金をとって金持ち相手の商売をする占い師か、観賞用に貴族が取り寄せる程の高級品だ。ルドヴィカ自身、小さなものしか見た事がないので確かに本物の水晶玉なのかどうかは、確信はない。
「ルシカ、大丈夫?」
「駄目、来ないで!」
祖母が駆け寄ってくるが、咄嗟に大声を出して押し留める。今のふんわりあたった程度の力と重量を考えると、危害を加えられる事はないかもしれないが万が一という事もある。
天井近くに大きく跳ねた水晶玉が、再び降ってくる。受け止めようと両手を広げた。
「こい、こい……っよしっ」
勢い良く落下してきた水晶玉を受け止める。驚く程軽い。
「な、なに、え?」
例えるなら何も入っていない麻袋程度の軽さだ。拍子抜けしながら腕の中にある球体を見つめると水晶玉が蠢いていた。
「うえっな、なにっ?」
蠢くというか、明らかに動こうとしてる。意志を持った動物が人間から逃れようとするかの如きだ。思わず手を離した。
どういう構造なのだ。ルドヴィカだけでなく、アイラ、クルスの呆けた支線の先で水晶玉は再び跳ねた。そして、床を跳ねた。
呆気に取られてぽんぽんと軽快な音を立てて床を跳ねた。と思った瞬間更に目を疑う事態が起きた。
「消えたっ……?」
ドアの前で軽く、ルドヴィカの胸の下あたりで跳ねたと思った瞬間水晶玉は消えてしまった。
「わたし、探してくる!」
「え? え? でも、危なくないの? ルシカ」
「あんなの普通にある筈ない!何かの魔術か呪法かもしれない、見付けないと」
祖母の心配そうな声に叫び返し、ルドヴィカはドアを開いた。ドアをすり抜けて外に飛び出るなんてあるとは思えないが。
そうなると消滅したのか。頭の中にある魔術や法術による歴史的な事件を幾つか思い起こしながら飛び出た。
瞬間、視界に入ったものを見てルドヴィカは呻いた。
「うわ」
水晶玉は路上にある。どうやって閉まった扉から外に出たのか疑問だが、妙な違和感があった。先程と、はっきりと違う。
「……小さくなってる」
料理屋の中で発見した時は大人の顔程の大きさだったのが、今はルドヴィカの手のひらにも乗りそうな程縮んでいるのだ。水晶玉の大きさが一瞬で変わったりするだろうか、と真剣に考えかけて慌てて首を振った。それこそ、呪法にでもかかっていない限りあり得ない。
「ルシカ!」
「大丈夫!」
料理店から祖父が出てきて呼び掛けてきたが、むんずとそれを右手で掴むとルドヴィカは駆け出した。直ぐに左手も重ねる。もぞもぞする感触が手の中でして、ぞわぞわする。何か気持ち悪い。
自宅に戻ろうかと思ったが、こんなもの持っていたら何を言われるかわかったものではないので、人気のない場所を必死に考えながら町中を走り出した。
町外れに小さな民家が密集している場所があって、更に裏手に小さな湖がある。小さな湖だが、まわりが林のようになっているので人気のなさそうな少し奥まった場所なら、見つからないかもしれない。
両手を握り締めて全力疾走するドレス姿の女など、周囲から見ると好奇の的だ。すれ違う人々が、面白そうな顔をしている。
「あれ、大学の呪われっ子じゃない?」
「違うだろ。あんな上等な服着られないでしょ、あの子。庶民だよ」
そのような会話が後ろに聞こえる。多分大学の同期生なのだろうが、構っている暇はない。
もうドレスを汚すな、なんて言い付けを聞いていられる余裕はない。林の中を走り、慣れない靴でいい加減足が痛くて仕方ないが、足を必死に動かす。
「この辺なら、いっか……?」
呟いてルドヴィカは藪に腰を降ろした。足元の土は泥濘んでいる。この辺りは学生が魔術の練習に使ったりして、良くわからない状態になっている事が多い。
「てか。大学か神殿に持ち込めば良かった……」
人に見られたら大騒ぎになる。そのどさくさでどこかに逃がしたら大変な事態が起きるかも、などと考え一人でなんとかしようとしたが、そんな必要なかった気がする。
ドレスの裾は泥で汚れているし、袖や胸元も草木に引っかかったのかよれている。絶対怒られる。げんなりとしながら手を離した。
「……ある」
ルドヴィカの手の上でそれはころんと存在していた。日中の光が中々届かない林の中では、透明度がわからないが、玩具には見えない。
「よし」
ひとつ気合いを入れる為に声を出すと、その謎の球体に顔を近付けた。