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「エスキル様に振られたの?それともルシカが振ったの?」
「違うって。それ以前の問題。エスキル様は、わたしと結婚したいわけじゃなかった」
「なあに?どういう事よ」
カウンター席にまわってきて、祖母はルドヴィカの隣の椅子に跳ねるように座ると、顔を覗き込んでくる。
「公子様といえども、孫娘を泣かせたらわたしどもは黙ってないのよ?良いから、話して」
そうは言っても、容易くカレルの呪い云々までは話すのはよろしくない。公爵夫人の様子を思い返すと、多分他言したらとんでもない事になる。
悩みに悩んだが、ルドヴィカは結局ざっくりと説明をする事にした。
「わたしの解呪の才能が珍しいから、公爵家の一員として働いて欲しかったみたい。だけど、公爵家に輿入れするのって、それだけじゃやっぱり足りないから無理だって」
あんまりにもいい加減な説明ではあるが、祖母は信じてくれたらしい。まあ!と両手で頬を覆うと大袈裟に嘆きの声をあげる。
「そんな!ルシカはこんなに可愛いのに!」
可愛さだけではどうにもならないという話だし、それにルドヴィカは取り立てて美女でも可愛くもない。
「しょうがない。だってわたし、貴族様の作法とか全然わからないし。何の教養もないのに公爵夫人になれると思ったのが間違いなんだ」
「婚約までいってそんなの言うのは卑怯よ、ひどいわね!」
アイラは憤りがおさまらないらしく、暫く不敬罪と引っ立てられない程度に不満を口にしている。
祖父母が解呪の力をルドヴィカが持っているのを知っているのは、勿論ルドヴィカ自身が以前に話していたからである。
とりたてて言い触らしたりもしないが、家族やある程度信頼のある人間はルドヴィカのこの力を知っている。大学進学の際に初めて、大学側に大事な能力である事。おいそれと他人に話すべきではないと初めて指摘された。
「それにしても、解呪ってそんなに重要なの?」
「珍しい能力ではあるよ」
そうはいっても呪ったり呪われたり、なんてごく普通の生活を送っている限り縁はない事態だ。祖母にはぴんときていないらしい。
「だけど呪いをかけるのは……うん。余程の才能がなければ勉強する身分とかでない限り無理だから。あんまり、そのへんにはいないよ。呪法師は」
その言葉を聞いて祖母が表情を曇らせる。ルドヴィカは苦く笑った。
「まあ、そういう事だから仕方がない。最初から釣り合ってなかったと思うよ」
何も悪くない祖母の悲しげな表情に罪悪感が刺激されて、ルドヴィカは無理に笑って見せる。
その瞬間だった。
「何だあれ」
低い声が客のいないこじんまりとした料理店の、染み付いた油の匂いのする空間に響いた。
声を発したのは無言で鍋をかき混ぜていた祖父、クルスだった。視線を向けるとクルスは眉を顰め、料理屋の入口を凝視している。
「何か……ボールか?」
「ボール?」
「ボールって何よ?」
ルドヴィカとアイラもそちらを見て、やはり揃って眉を顰めた。
ドアの入口で何かが跳ねている。軽い調子だ。確かに子供が遊びに使ったり、運動をする目的で蹴ったりする球体によく似ている。あれも確か、動物の皮を球体にして、呪法を組み込むことで良く跳ねるように作られているそうだ。呪いとは他者や物に負担をかけて苦痛を与える用途しかないと思われがちだが、実はいろんな場面で使用されている。
「でもお客いないでしょ。どっから入ったの」
ルドヴィカは椅子から降りて、ボールに近付きかけてふと気付く。風もない室内で何故跳ねているのだ。
おかしい。これはただ跳ねやすいように呪法をかけられただけのボールではない。
「ばあちゃん、じいさんこっち来ないで」
そう二人に告げて慎重に近付いた。
何かしらの呪いがかけられた呪いのボールであるなら、解呪のヒントがある筈である。薄暗い店内で目を凝らすルドヴィカは、二歩くらいの間を空けて足を止めた。
瞬間、ボールが勢い良く跳ねた。
「はっ……!?」
ルドヴィカの身長より遥かに高く跳ねたそれ、祖父母の驚愕の声がルドヴィカの耳に届く。
それは、狙い澄ましたかのようにルドヴィカの頭上目掛けて降ってきた。段々間近に迫るそれ。近くにきて、ルドヴィカはそれの正体を把握する。
「あれ、ボールじゃない……っ」
それはボールではなかった。
うっすらと文字が刻まれているのが、なんとなくわかった。
それは人の顔の大きさもある、つるんとした光沢が目の錯覚を誘う、透明な水晶玉だったのだ。