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「まあまあ座んなさいよ」
カウンター席を勧められ、ルドヴィカは背の高い椅子に腰掛けた。十六歳にしては小柄な為に、未だにこの店の椅子はルドヴィカにとって背伸びしないと腰掛けられない。
やっと席に付いたルドヴィカの顔をにこにこと覗き込みながら、何か食べる?とアイラに訊いてくる。
「そういやお腹空いたかも」
そこで初めてルドヴィカは食欲を思い出した。朝食をとってから何も食べてなかったが、緊張やら感情がぐるぐると乱高下やらした所為で空腹を感じる余裕もなかった。
「ああ……でも、服に万が一何かこぼしたら不味いし」
「そんなもん拭きゃいいだろ」
口を挟んだのは祖父、クルスだった。
六十歳を過ぎた祖父は細い身体と、腰の具合いも悪いらしいがルドヴィカには矍鑠として、歳を感じさせない。
これまで夜用の肉を鍋でひたすら煮込んでいた祖父は、ルドヴィカ達が大きな声で話していても何の反応も示さなかったのに突然口を開いたので、全員がそちらを見る。こちらを一切見ない祖父だったが、一応ルドヴィカは答える。
「汚したら母さんが怒るって言うから」
「娘が飢えるより服が大事な母親など、あり得ん。俺が殴っておく」
いや殴らなくても良いよ。とルドヴィカが返すよりも先に祖母が厳つい表情で鍋を睨む夫の肩をぽんぽんと叩いた。
「駄目よ。娘を殴ったらわたしがあなたを埋めますからね」
もの言いたげにクルスがアイラを一瞥したが、彼女は気にした様子はない。
祖父母の馴れ初めは周囲のお膳立てで、互いに良く知らない儘結婚したのだと聞くが、よくもまあこの二人は孫が大きくなるまで円満であるな、と何時も感心する。喧嘩したところを母も見た事がないと聞く。
祖父は急に鍋を火にかけた儘、厨房の奥に向かうとパンと野菜を刻み煮込んだ料理を持ってきて、無言でルドヴィカの前に置くと、また鍋を見る作業に戻った。
「こぼしちゃ駄目よ」
にっこりと祖母が笑って釘を差してくる。祖父ももう何も言わなかった。
まあ良いか、と思いルドヴィカは食器を持ってきてくれたアイラに礼を言って、食事を始めた。
祖父の料理は大味で量が多く、力仕事の多い男衆に大変人気だ。しかも金額も安いので、遊びたい盛りの若者もやってきて、食費を節約して腹を満たそうととする。
「ねえ、今日もしかしてあれだったんじゃないの?公爵家の方々との面談」
「うん。そう」
「どうだったの?リアノルがずっとはしゃいでたから心配だったのよ。ルシカよりあの子がうっかり粗相をして、あちらの方々に不興を買いそうで」
よく煮てくたくたになった野菜を噛みちぎる。苦みのある食感が、甘いソースに良いスパイスになっている。
ゆっくりと咀嚼する。なんと答えるべきか。正直に答えるしかないが、やはり思い起こすのも口にするのも気が重い。
「駄目だった」
「あああ。やっぱりリアノルがやっちゃった?お辞儀しようとしてすっ転んだりした?」
「母さんは普通。不興というか、ずっと緊張してた」
意外そうな祖母の顔を見て、自分の母はどんだけ信用がないのかと呆れつつ、ルドヴィカは続けた。
「母さんの所為じゃない。わたし」
「ん?ルシカ、何かあった?」
私の所為、と言いかけたものの本当にそうか? と考えて口ごもる。しかし直ぐに思い直した。
「公爵家の……エスキル様はわたしと結婚したいんじゃなかったんだ」
「どういう事?」
解呪の力について口止めされていたにも関わらず、エスキルに話したのがそもそもこの婚姻騒動のきっかけなのだ。
エスキル……恐らく弟であるカレルも、ルドヴィカを本音では妻に迎えたいなどとは考えていない筈だ。それなら彼らにとって必要な力など、知らせるべきではなかった。
「ちょっと、やっぱり公爵家の方々に何かしてしまったんじゃないの?」
先程までのんびり構えていた祖母の心配そうな様子に、やや深刻さを帯びているのに気が付いて罪悪感が今更ながらじわじわと胸のうちを侵食していくのを感じた。
公爵家にルドヴィカの隠していた才能がばれていた理由について、両親にも話していなかったのを今更ながら思い出して尚更気が重い。
彼らは大学側から話がいってしまったと思っているかもしれない。ややこしい事態に陥るより前に、叱られる覚悟で両親にも話さなければならないだろう。と考えるとそれだけで頭が痛い。