#8「冷たくなった紅茶」
帰らなくてはいけなかった王女様は、お見送り係のティアナ様とともに応接室を離れていった。なので現在、応接室は、私とレイオス様の二人っきり。先ほどまでの穏やかさとは打って変わって、壁にかけてある時計の音が聞こえるほどに静まり返っていた。
「…………」
「………(き、気まずいわ)」
(……王女殿下も、レイオス様のことが……。レイオス様も、王女殿下のことが……??そうよね、お二人は幼馴染、私……もしかして邪魔者、演劇でいう悪役令嬢なのかしら……)
レイオス様の方を見たい、けれど見れない。二人きりになってからずっと、お互いに目も合わせず声も発しない状況が続いていた。目の前に置かれた紅茶も、既にぬるい温度になってしまっている。
このままではいけない、そう思った私は膝の上で拳を握りしめて声を振り絞った。視線は相変わらず紅茶のカップを見つめたままではあったけれど。
「……あ、あの……私は先日の件で呼ばれたのですよね……?」
「嗚呼……もう一度、貴方と話し合いをしたくて……」
「……貴族の結婚は……時に感情を伴わずとも、互いの利益の為に合意しなくてはいけないことが、あるといいます……」
「……? あ、嗚呼そうだな……」
レイオス様の言葉が聞こえるだけで、耳も頬も熱くなっていく。
頑張るのよっっっ私。
ギュゥぅぅぅぅッと爪が食い込むほどに拳を握る。
「その……それは……時に、想いあっていた者達を切り裂くこともあると……いいます……」
「……? そういうことも、あるかもな」
「で………ですから………っ」
私、頑張りなさいッッッッ!!
ガバッと面を上げて、私は叫ぶように発言した。してみせた。
「——— レイオス様は、王女殿下のことを恋愛的に想ってらっしゃるのですかっっっっ!?」
「———————————— は?」
「お、お二人は幼馴染ですし、想いが育まれる時間もたくさんあったことでしょうし……。けれど、それならそうと……。私、私……」
「ま、待ってくれ……!」
「は、はいっ」
口に手を当てて私は一度黙る。
あら……?なんだかレイオス様が固まっています。
「すまない、誰が誰を想っていると……?」
「レイオス様が……王女殿下を……です」
驚愕の表情を浮かべたレイオス様が、脱力してソファーの背にもたれかかる。
「………はぁ……少し待ってくれ……どうしてそんな発想になるんだ……」
目を覆った手で眉間を揉んだレイオス様が、難解な問題を解答するかのように言う。
「……たしかに王女殿下とはただの幼馴染で、まぁ昔は互いに婚約をといったような話もあったが……、それならこちらから貴家へ婚約の話は出していないし、それに王族を迎え入れるメリットも当家にはない。むしろ王族へ婿入りすると、ただでさえ敵対視する貴族も多いというのに……」
段々と早口になっていくレイオス様。
「よほど侯爵家の貴方の方が……いや、別に貴方との婚約は利益のためではなくて……」
早口で捲し立てていたレイオス様は、ふと私を見つめると口を閉ざし頬を赤らめていく。
「……では、なくて……ぐぅ……」
「………で、ではなくて??」
見つめられて、私の頬もじわじわと熱くなっていく。
「……いや、すまない。少し冷静さを欠いた……」
「いえ……こ、こちらこそ申し訳ございません」
一旦紅茶を一口含んで互いに休憩をとる。
先にティーカップをソーサーに置いたのは、レイオス様だった。
「……何か、誤解させてしまっていたみたいだな……。すまない……」
私はレイオス様へどう言葉を返したら良いのか戸惑ってしまう。「誤解」とは、どこからどこまでの話を指しているのだろうか。
いいえ、分かってる。
レイオス様が王女殿下を慕っているという事についてだ。それ故に婚約破棄がされるのではないかという、暴走した私の想像についてだ。
ティーカップから唇を離し、微かに首を左右に振ってみせた。
外の天気は快晴で、涼しい風が吹いているからか暑過ぎず寒過ぎず、過ごしやすい気候だ。なのに……、なのに雨の日のような、このやるせ無さはなんなのだろう。
心にぽっかり穴が空いたみたいに虚しかった。
それでいてその大きな穴を、不穏な黒風が通り抜けていき、私の心を荒らす。
怖い。
——— 私は、どんな理由で婚約破棄をされるの?
——— レイオス様は、私をどう思っているのかしら。
「……誤解なのでしたら、……どうして婚約破棄なんて……」
「———— すまない」
レイオス様は固く口元を結んで俯き、私は自責の念が滲む声で謝罪される。違います、聞きたいのは謝罪ではないんですレイオス様。
(嗚呼───、きっと私、この方の特別には……一番には、なれないのね)
「あ、あの……レイオス様のお気持ちは、もう固まっているの、ですよね……?」
「……嗚呼……」
レイオス様からの短い返事に、胸がチクリと痛み、鼻の奥がツンとして、目の奥が熱くなってくる。奥歯をグッと噛んで気持ちを身体の奥へ奥へと閉じ込める。
「……申し訳、ございません。その……レイオス様のお考えは分かりました。でも、その……もう少しだけ心の整理をする時間をもらえませんか……?」
「——— 分かった。安心してくれ、貴方の気持ちが固まるまでは父上達に直談判したりはしないつもりだ。ただ、そろそろ婚約式の準備が始まる。俺は、両家の顔合わせの日程が決まる前に伝えたいと思っている」
婚約式の準備を始める前の顔合わせは約半年後だけれど、日程を決め始めるのは恐らく3ヶ月後。
「……3ヶ月後……までに、このお話を固めたいということですね?」
「嗚呼……急かしてしまうが……」
(タイムリミットは……残り3ヶ月……)
「レイオス様は……」
私のことを好いてくれる可能性はありませんか……?───未練がましくも、そう聞きたかった。けれど、喉に声がこびりついて剥がれようとしてくれない。
はくはくと口を開閉する私を、レイオス様が不思議そうに見つめてくる。
もう分かったのに、分かっているけど、否定して欲しくて。ほんの少しでも望みが欲しくて。
けれど、レイオス様の口から好きになる可能性なんてないと言われたら私はどうしたらいいのだろう。諦められるのだろうか、いいえ、分かっているのに今それができていないのだから、きっと直ぐには諦めるなんてできない。
(……それでも……好き、なんです。レイオス様……)
選ばれたい。
好きになってもらいたい。
貴方の世界の一番になりたい。
婚約破棄なんて言わないで欲しい───!
(みっともない……かしら……。見苦しい、かしら……)
───せめて3ヶ月だけは、まだお慕いしていていいですか?
「いえ、なんでもありません。分かりました……ありがとうございます、レイオス様」
「そう、か?……いや、すまない。貴方がそう言うのなら……。馬車まで送っていこう」
「い、いいえっ!大丈夫です」
これ以上側にいると余計なことを口走る気がするので、レイオス様とは此処でお別れしたい。
(でも、もう少し一緒にも居たい……!)
少しの間葛藤した私は、紅茶を飲んでから離席すらことを決めた。
「……紅茶を飲み終えたら退席いたします」
「もちろんだ。ゆっくり飲んでもらって構わないよ」
「……はい……」
ぬるくなった紅茶を飲み込んでも、胸は冷えていくばかりだった。




