#7「先客との遭遇」
エスコートされながら歩いている間、私は公爵家の使用人たちに微笑ましいものを見るような温かな眼差しを感じでいた。いくら教育が行き届いた公爵家の使用人達といえど、無感情ではないのだから、面に全く出ていないつもりでも、視線や所作には内面が微かに滲み出るものだ。
温かな空気に晒されて、私はとても恥ずかしかった。それと同時に、公爵家はとても心優しい方が集まっているのだと思った。
(……この空気に、慣れてはだめよ……)
私はそう自身を戒める。
「……ルナフィエ嬢?」
「あ、はい。申し訳ありません、少し考え事をしていて……何かお話されていましたか?」
「いや……なんでもない。ここが応接室だ、どうぞ中へ」
「あ、ありがとうございます……」
レイオス様が開けてくれたドアから応接室へと足を踏み入れた私は思わず固まってしまった。
(……えっ?だれか、いる?)
てっきりレイオス様と二人きりだと思っていたから、まさか応接室に他の人がいるなんて。驚きに残念な気持ちも混ざった状態で呆けていると、ソファーに腰掛けていた少女が振り向いた。こちらを向いた可憐な少女の紫色の双眸が宝石のように輝きを放った。
「——— あっ! おねーさんっ……やっほー!」
ティアナ様が興奮気味に肘置きから身を乗り出してくる。ソファーに行儀悪く膝を乗せているらしかった。そんなティアナ様がソファーの上で軽く飛び跳ねると黒い長髪が揺れる。レイオス様と同じ濡烏のような綺麗な黒髪だ。部屋の灯りを反射させて、まるで夜景のように心を惹きつける。
(ご兄妹揃って……ま、眩しいわ……)
居心地の悪さにスカートを軽く握りしめてもじもじしてしまっていると、ティアナ様が小首を傾げた。
「あれー……? 今日、おねーさんが来る日だった……?」
「あ……えっと……今日は……」
婚約破棄の事をどこまで知っているのか分からないティアナ様への返事に戸惑ってしまったので、レイオス様へと視線を向ける。私の視線を受けたレイオス様は微笑みを浮かべると小さく頷いてくださった。
ティアナ様の方へ一歩踏み出した背中に安堵していたのも束の間。
「こら! いい加減にしないか。ルナフィエ嬢に失礼だろう?きちんと挨拶しなさい」
「えっ!?」
急にティアナ様を叱り始めてしまった。あ、嗚呼……っ!ティアナ様を叱って欲しいとか、そういうことではなかったのに。案の定、ティアナ様は不貞腐れたようにほっぺを膨らませてしまった。
「えー……」
「えー……じゃない。礼儀はちゃんと……」
「あ、あの。レイオス様……私は大丈夫ですから……」
「いえ、申し訳ありません。はぁ……こういう時でもないと、叱るタイミングもないので」
「………ご、ご苦労されているのですね……??」
「……おねーさんが味方してくれなーーい……」
ティアナ様のほっぺがますます膨れ上がってしまった。兄であるレイオス様は頭が痛そうな顔をしてため息をこぼす。私は側から苦笑を浮かべることしかできなかった。
「はぁ……いい加減にしろティアナ」
「……はいはーい。ちょっと間違えちゃっただけー……」
ふ………っと、一瞬にして纏う空気が変わる───。ご令嬢モードになって落ち着きを取り戻したティアナ様は、ソファーから立ち上がりドレスの両裾を持ち上げて挨拶してくれる。先ほどまでの砕けた態度はどこへやら、国一番の歴史を持つ公爵家の令嬢の気品と、お手本のような仕草だ。どこかで、しゃららーーんっと鈴が鳴り響いた気がした。
「ミリィーアお姉様、ようこそいらっしゃいました」
完璧な高位貴族のレディーへ、私も礼を返す。
「歓迎感謝します。ご機嫌よう、ティアナ様」
「……んふふ……」
何故かご満悦そうなティアナ様は、私たちに一つのソファーに座るように手を指した。そのソファーは三人用の大きなものだ。つまりレイオス様と並んで座ることになるわけで……。レイオス様が隣に座っているのを想像するだけで、耳がカッと熱くなる。
「えぇ……!?と、隣同士に……。そ、そんな恐れ多いです」
「あ、えぇと……では、一人用のものに俺たちは向かい合って座ろうか……」
「そ、そうですね!」
レイオス様と共に目線をテーブルを挟んだもう一つソファーへ向けると………、そこにはもう一人の美麗な少女が姿勢を正して腰掛けていた。
「「──────へっ?」」
私たちの拍子抜けした声が重なる。
優雅な仕草でティーカップに口をつけている桃髪の少女は、視線を集めたことに気がつくと桜色の唇からカップを離してこちらを見つめた。
その少女を認めた時、私も、そして隣にいたレイオス様もサッと体温が引いていくのがわかった。
「ようやく、わたくしに気が付きましたか。待ちきれなくなってしまうところでしたわ」
優美な微笑みを浮かべているが、心は確実に笑っていない。もはや何の意味もない気がするけれど、私は慌ててドレスの両端を摘み上げ、腰を深く落として最高礼を行う。
「んぐ……王女殿下。 いつの間に当家に……?」
「少し前にです。まぁ?貴方は婚約者に現を抜かしていたようですけれど……。ところで、そろそろ顔を上げてよくてよルナフィエ嬢」
「は……はひゃいっ。恐れ入りますアンナレーテ王女殿下……」
「畏まった挨拶は不要ですわ。顔色も悪いようですし、お座りになって?」
違います、失態に悶えているだけなんですぅぅ。
「は、……はい……」
促されるままソファーに腰掛けると、何故か向かいにある一人掛けのソファーに座っていたティアナ様までやってきた。そして私とレイオス様の間に腰掛ける。
「……まぁ……」
時計でいえば12時の方角で一人掛けソファーに座っている王女の緑眼がスッと細められた。
「……3人でそちらに座られると、まるでわたくしが退け者のようですわね。レイオスかティーアのどちらかはそちらのソファーに座るべきではなくて?」
王女が3時方向にある三人掛けソファーを指差す。さっきまでティアナ様が座っていたソファーだ。戻りなさいと言っているようにも聞こえる台詞に気が付いているのかいないのか、ティアナ様は「ふーん」っと受け止めて言った。
「……寂しいんだ……アンナ。一人でそっちのソファー座っていて」
(ティアナ様!?王女にそんな態度……大丈夫なのかしら……)
「そ、そんな事ありませんっ!そちらが単に窮屈そうに見えただけですわ。変な事を言わないでちょうだいティーア」
「……はーい……」
全く悪びれもしないティアナ様が、間延びした返事をする。それもあろうことか王女殿下の前で、王女殿下に対して。お二人の仲が良いことは明白だけれど、ますます不機嫌になる王女の様子に私は心労が絶えない。汗をかき始めた手を握りしめて、鼓動の速い胸元へ乗せた。
チラリとレイオス様を盗み見れば───、
(あ、あああっ……レイオス様の眉間に深い皺が……)
「はぁ……ティアナ……。王女殿下の前だぞ……?」
「あら、別にわたくしは構いませんけど。というかレイオスもいつまで他人行儀に話してますの? いくら婚約者の前だからって、ここに居る方々は親戚も同然なのですから、砕けた態度を取っても怒ったり……しませんわよ……」
王女殿下は桃色の髪をクルクル指で絡め取り、不快感を隠さない。そこで私はピンと来てしまった───!!
(………も、もももももしかして、レイオス様が婚約したい方って王女殿下!? そんなのもう……太刀打ちできませんーーーーー)
「……ミリィーアお姉様も、アンナに砕けた態度、とっていーってことだよ……?」
「………ふぇ……?」
全く話が分からないまま顔を上げれば、頬を赤く染めて恥ずかしそうに髪を弄る王女殿下が「ふ、ふんっ」と、そっぽを向いて仰せになった。
「ティーアの言う通りです。貴方も、一応レイオスの婚約者ですし……? 今後わたくしの親戚になるでしょうし……? ど、どーしてもというなら、わたくしのお話し相手に任命してあげなくもないですわ。だ、だから……お話相手なら、くだけた態度くらいとることもあるでしょう?」
(ごめんなさい、今は婚約破棄される一歩手前ですぅぅぅぅっ)
私は、とてつもない罪悪感に見舞われた。
胃がキリキリする。
みぞおちに手を置く私に何か勘違いをしたのか、ティアナ様が愉快そうに覗き込んできた。
「おねーさん……今がお買い得……! 今が王女殿下に砕けた態度を取れるチャンスッ☆」
「ちゃ……チャンスと言われましても……お、おおお恐れ多いと言いますか……」
困ってしまった私は、レイオス様を盗み見る。私の視線に気がついたレイオス様は、申し訳なそうに眉を下げながら私の肩に手を置いた。
「……大丈夫だ。親戚の話云々は関係なく、アンナは令嬢と仲良くしたいんだよ。とってもわかりにくいんだけど」
「ちょっとレイオス、貴方さっきまでの態度は何処に行きましたの!?」
「アンナが堅苦しいのは嫌だと言ったんだろう……」
「捨てるのが早すぎますっ。……まぁ……いいですわ……」
「ふはっ、いじけてるじゃないか」
「もう!軽すぎですわっ」
(…………………、あ…………………………………)
胸に棘が刺さったのか、チクリと痛む。
親戚同士ということもあってか、王女殿下とレイオス様は気軽な雰囲気だった。兄妹でもない、友達とか他人同士の気軽さ。でも、親友のように固い絆があるような……割り込めない関係性があるように見えた。
「はいはい、王女殿下のお望みのままに〜」
「ちょっと、レイオス!?先ほどから貴方もティーアのことを叱れなくてよ?」
「ははっ、悪い」
(………いや……だ、なぁ……)
見たくなかった。こんな光景、今の私の情緒には毒でしかない。ああ、やっぱり王女殿下との関係に私が邪魔だったんだろうか。後ろ向きな考えしか巡らない。
(あれ……でも、王女殿下は私たちの婚約破棄とかについて知らない様子だし……レイオス様はお話になっていないのかしら……?)
待てよ……と、私の思考は止まって、ぐるぐると逆の円を描き始め───、そして一つの結論を導き出してしまった。そう思うと、そうとしか思えない結論に至ってしまう。
(も、もしかしてレイオス様の片思いぃぃぃ……!?)
——— 三角関係……ッッッッ!?
いいや、この場合はお互いに一方通行なので、三角の形になっていない。私→レイオス様→王女の図式なので、つまりは直線上関係……なのかしら。それとも水平線関係?どう呼んだら正解なのか、私は分からなくなってしまった。
あーでもない、こーでもないと、悩む私を見かねたらしい王女殿下は、レイオス様とのやり取りを切り上げて拗ねたようなお声で仰せになる。
「……わたくしと仲良くするのは、そんなに、嫌だったのかしら……?」
「はっ!!い、いいい嫌じゃないですっ 光栄です! よろしくお願いします王女殿下」
王女殿下は笑いを噛み殺すように唇を震わせながら、指に巻き付けていた髪を背後へと払った。
「そうですか。ならば良いのです」
私は無理やり笑顔を顔に浮かべる他、なかった。
ツンとした声で王女様は言葉を続ける。
「……それで、貴方の事は皆なんと呼んでいるのです? もちろんわたくしの事はアンナと呼んで良くてよ」
「私のこと……ですか……。父はミリィーアと」
「なら、レイオスはなんと?」
「……ルナフィエ嬢……ですね」
「そ、それならティーアはなんと?」
「おねーさん……?」
「———— なさい……」
私は王女の言葉が聞き取れず、「え?」と聞き返してしまった。
「だからっっっ」
「ひっ」
カッと目を見開いた王女が、声を張った。
「——— ティーアにレイオスは、わたくしの前になおりなさいっっ」
「ぴぃぃっ! ごめんなさいっごめんなさいっっ」
すぐ近くに落ちた落雷が怖くて、私は頭を抱えて身を縮めた。
▼▼▼
「——— はぁ……少しは落ち着きまして……?」
温かな紅茶の湯気に、口に広がる甘い蜂味とミルクの味に心がホッと和らいでいく。
「は、はい……申し訳ございません……」
ミルクが混ざり合った紅茶の水面に私の目線は落ち、冷えた指先を温めるようとカップの側面に触れてしまっていた。王女様から溢れる嘆息に、ますます私は肩を窄めてしまう。
「どうして貴女が謝っているのですか。わたくしは貴女に怒っているわけではなく、二人に怒っているのです」
「……自分が呼べそうな愛称が、なかったからって……八つ当たりはダメだと思う……」
「ティーア? 何か言いまして?」
「ふもごごごご……」
「おいいいいやめろっ、これ以上アンナを刺激するなっっっ」
何かとても喋りたそうなティアナ様の口を、必死に押さえるレイオス様。お二人の本当に仲が良さげな空気間は、いくらで見れてしまうほど微笑ましいものだった。ティアナ様といる今のレイオス様は自然体で柔らかく、年相応の青年のように見える。先ほどはしっかりした兄そのものだったのに。
(……いいなぁ……)
眩しい。
「……こっほん。良いことを思い付きましたわ!!」
気恥ずかしそうに咳払いをされた王女は、優雅に微笑み私をご覧になる。
萎縮しかけた私に王女はこう仰った。
「愛称がなければ、作ればよいのです……!」
「………そ………そうですねっ」
会議の末、私の愛称はミリィ、と決定した。
それは私とっては初めての愛称で、胸が何処かフワフワ浮くような気持ちになってしまう。でも、素直な感情を表に出し過ぎるのは淑女として恥ずかしい気がするので、私は心の中で喜ぶことにした。
(わーい、わーい、やったわ!)
「それでは、よろしくお願いしますわミリィ。近々わたしくの離宮で開催するお茶会にもきっと招待しますから」
「こ、光栄です!」
踊る心のままに言葉を返すと──────、
「………」
「…………」
「……………」
なぜか私以外の全員が固まった。
「あ、あの……?みなさま?」
「っ……ぷ、ふ……ふふふ……うふふふふっ!」
私、何かしてしまったかしら。そう不安になっていると、王女がぷはっと吹き出した。何かが吹っ切れたようなカラッとした笑い声をお上品にあげて、レイオス様に視線を向ける。何やら揶揄いたそうな目線だ。
「ふふふ、まぁまぁ…頑張ってくださいませ?」
「……なんの話だ……」
苦虫を噛み潰したような顔でレイオス様は王女を睨むけれど、アンナレーテ王女殿下は余計に愉しそうになるばかり。肩をすくめ、「さぁー?」とすっとぼけてしまった。
「……ふふ、さて……わたくしはそろそろお暇しますわ。ここにいても邪魔になってしまうだけだもの。ミリィ、お会いできてよかったわ……」
「こ、こちらこそです……王女殿下」
たおやかに王女が近づいて来られたので、私も慌てて席を立ち上がる。最後に挨拶をしようと思ったのだけれど、なぜか抱きしめられてしまいました。
「……あの……王女殿下……?」
戸惑っていると、耳打ちされる。ひっそりと、こっそりと、囁かれる。
「……だめよ……わたくし、恋敵ですのよ?」
「───え……っ?」
思わず王女殿下から離れようとした私は、ソファーに膝裏がぶつかって座り込んでしまった。愕然とした気持ちで見上げれば、そこには唇に人差し指を付け片目を瞑った王女殿下の悪戯げな姿がある。
「ふふふっ、仲良くしましょうねミリィ」
「っ………!っっっっっ〜〜〜〜!?!?」
(──────王女殿下も、レイオス様のことが好きだなんて……!一体、私はどうしたらいいのよ……!!)




