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#10「愛子達の密会」

 薔薇の花が描かれたソーサーに空のカップを置いた私は、静かに席を立つ。レイオス様との紅茶の時間はこれで終わり───、


 それでいいのかしらと、もう一人の自分が心の中で尋ねてくるけれど、これ以上今日は足掻きようがない。3ヶ月ほどの猶予を得ただけでも良しとしなくては。


(……その間に、心の整理をつけないとよね……)


「レイオス様。では、これで失礼します」


 ドレスの裾を摘んで持ち上げ、レイオス様に別れの挨拶を告げる。


「嗚呼……また……。いや、次は君の空いている時間に合わせよう」


「え……っ? でも、レイオス様は公爵のお仕事のお手伝いでお忙しいのでは……」


 思わぬ提案に、顔を上げてしまった。

 驚いた顔をしているのだろう私に、レイオス様は非常に居心地悪そうに苦笑しながら目の前で膝をついた。


「……理由も伝えず、無理を言っている自覚はある。せめて、本当にせめてそのくらいはさせて欲しいんだ……貴方に合わせてこちらのスケジュールを調整する」


 そう言ってレイオス様は私の手を取り———、甲に、わわわわわわ私の手の甲にレイオス様の唇がぁぁぁぁっっっっっ。


 触れたか触れないか分からないくらいに軽く、手の甲に柔らかな唇が落とされた直後、心拍が加速して手のひらがじんわりと汗ばんでくる。私は即座に手を胸元まで引っ込めた。バクバクと大きく動く心臓の音が、手の皮膚に伝ってくる。


「……レディのお手紙を、心待ちにしています」


「ひゃ、ひゃい……」


 頬が、いいえもう全身が熱い。

 このままだと、骨の髄まで燃やし尽くされてしまう気がする。そう危機感を覚えた私は慌てて後ずさった。


「わわ、わ、わかりました……次の面会日は私が決めさせていただきますし、お手紙も書きますからっ」


「嗚呼……、君からの手紙を楽しみにしている」


「っ……!」


(もう……そーいうところですよっ)


 安堵したような、少し子供っぽい笑顔を向けられてしまっては、私に勝ち目なんてない。

 撤退です、撤退、てったーーーいっ。


「そ……それでは、失礼します」


 もう一度レイオス様に挨拶をして、そそくさと部屋を出る。今度は特に何も言われなかったので、これで一安心かと思いきや、ティアナ様が部屋の外で私を待ち構えていた。


「…………へにゃぁぁぁあっ?!」


 思わず素っ頓狂な声をあげてしまって、私は直ぐに手で口を塞いだ。


 一難去ってまた一難だわ……!!


 メイドも付けずたった一人、冷たい廊下に座り込んでいたティアナ様。重たそうな瞼を擦りながら顔を上げるティアナ様の口の端には、ヨダレの跡が見受けられる。

 もしかして、もしかしなくとも廊下で待ち伏せをしている間に眠ってしまったらしい。


「おねーさん……お兄様とのお話は終わったぁ……?」


「は、はい。終わりました……」


(令嬢が、一人でこんなところに……。はっ!そ、その前に口元のヨダレを拭いて差し上げないと……)


 ハンカチを出してしゃがみ込み、ティアナ様の頬を傷つけないよう注意しながら柔らかな頬を拭った。


「……ありあとー……ふわぁ〜ねむ……」


「お、お一人ですか……? こんなところで眠っていたら風邪を引いてしまいますっ。……えぇと、誰か人を呼びますから……」


 ドレスをギュウっと掴まれる。


「えーやだぁー……おねーさんと一緒がいい……」


「やだぁ……っ!? ……そ、そう言われても……」


 困ってしまうわ。

 どう対応するべきか判断に迷ってしまう。


「……」


「………」


 くっきりとした二重瞼を重そうに持ち上げている紫色の双眸と見つめ合う。私と同じ、紫色の瞳。


「おねーさん……まだ時間、ある?」


「……えっ?」


 紫紺の瞳同士で見つめ合った末に、ティアナ様はそう言った。


「は、はぁ……。まだ時間はあります……ひゃあっ」


 そう返事をしたが最後。

 私は強引に手を引かれて、気が付けばいつもレイオス様とお茶をしていたガゼボでティアナ様とお茶をすることなっていた。



 ▼▼▼



「── あの……ティアナ様……」


「んー?」


 テーブルの上にはティーカップに、ミルクやお砂糖、蜂蜜の入った小瓶、鳥籠の形をしたケーキスタンドが置かれている。


 そしてテーブルの向こう側には、カップケーキ頬張るティアナ様が。大きく開いたお口でかぶり付いたせいで、口の端と鼻にカップケーキのクリームが付着していた。


 口の端は目溢しできても、べっとりと鼻先に乗ったクリームは見過ごせない。とはいえ、今はそれよりも気になることがある。


 一旦お鼻のクリームから目線を逸らして、私は手元のカップの中で揺れている紅茶の水面へ目を向けた。けれど、水面には、やや強張った表情をした私が映りこんでいて……、再び目を逸らした。


「……私は……その……、どうして呼ばれたんでしょうか」


「……んー……」


 ティアナ様はワイルドに親指の腹で鼻のクリームを拭い取ると、それをペロリと可愛らしい舌で舐めとる。


「お兄様が構ってくれなくて……、アンナも用事があって帰っちゃって……暇になっちゃったーから……?」


「──っ!?」


(暇に、なった……から!?)


「……そ、そう……ですか……」


 なんとか声を喉を絞り出したものの、口元が引き攣った自覚があった。


「……それに……もぐ……おふぁほふへふ、しりふぁいじゃないふぁと思ふて」


「 ───────── なんて……?」


「もぐ……ふぉはへふひぬへほ」


「 ……あの、何を言ってるか分からないので食べ終わってからお話してください……」


「んぅ!ほっほはってー」


「……態とやってま……げふんげふん!」


 懸念が積もって思わず正直に口に出してしまった。

 ああもう、やってしまったわ。

 慌てて咳払いをした私は、そそくさと紅茶を煽る。


(……それにしても……)


 紅茶のカップに口をつけながら、私は周囲に控える公爵家の使用人達を一瞥してみる。


 彼女たちは一様に、その場で静かに待機しているだけ。息と存在感を殺して背景に徹している。けれど紅茶を淹れてくれたり、配膳をしたりするなどといった一挙手一投足は、王宮で働く者達にも負けず劣らずの品と格式の高さが見受けられる。その洗練された動きは、使用人の(かがみ)のよう。


(……まさしく公爵家に相応しい……。さすがは公爵家……と、言いたいところだけれど……。どうして……)


 ──どうして、そんな使用人達はティアナ様の作法を誰も咎めないのかしら?


「……えー、そんなことないない。ちゃんと後で怒られてるよ」


 テーブルに肘をつけたティアナ様が、手の甲に小さな顎を乗せて楽しそうに微笑む。


「……っえ……」


 私は口を抑える。

 体から血の気が引いていく気がした。


(わ、私……無意識に口に出して……!? なんて失礼なことを……っ)


「んーん! おねーさんは何にも言ってないよ」


 何が面白おかしいのか、鈴を転がしたように小さく笑っているティアナ様の紫紺の双眸が怪しげに輝く。その瞳の様子に、私は今何が起きているのか理解した。

 スゥゥゥ……フゥゥゥっと深呼吸をし、声には出さずに目の前の少女に語りかける。


(ティアナ様の、能力……ですね……)


「そ。……せーかい」


 私たちは妖精に愛され過ぎているせいで、魔法は使えない。けれどその代わりに、何かしらの能力を使用する事ができる。心読む── これが、ティアナ様の能力なのだ。


( ──────ちょっと待って……?)


 はたと、思考が止まる。

 カチカチカチカチカチカチ、カチカチカチカチ。

 忙しなく脳内で時間が遡っていく。

 思い当たる節が多すぎる。

 なにって、それはもちろん──────、


「……う……ぅあ……ぁう……」


 顔が沸騰していき、じわじわと体が汗ばみ始める。

 口を無言で開閉する私に、小悪魔のような微笑みを浮かべたティアナ様が、私の首に鎌を振るうように告げた。


「おねーさん、お兄様のこと……そーーとう好きなんだよね?」


「ひぅっ………!!!」


 ガターーーンッッッッ。

 椅子が倒れる音が響き、カシャンと手元でカップが倒れ、ティアナ様が目を丸くした。


 そんなこと、今はどうだっていい。

 溢れ出した気持ちのままに勢いよく立ち上がった私は、そのままに口を開いた。


「ぴゃやあうわうあうひゃう………!!」


 動転しすぎて言語にならなかった。

 ──噛みすぎた。


「………」


「…………」


「「……………」」


 メイドさんが置き直してくれた椅子に、着席する。


「……し、失礼しました……」


「おねーさんが心の中以外で荒ぶるのは……初めてな気がする……」


「言わないでくだひゃいっっっ!」


 私は半泣きになった顔を手で覆った。

 もう消えたい……。


「……おねーさんは……お兄様のお嫁さんになるんだよね?お兄様のことが好きなんだよね?」


「お、おおおおおおおおよめさん……」


「そうだよね?ねっ??」


 動揺していたのだけれど、ティアナ様があまりにも真剣なお顔をしているので私も自然と背筋が伸びる。


「そ……そうですね……。なりたいです……なりたいと、思っています……。お慕い……してますから……」


「そっか、そっか、そっかー!」


 にっこにこー!

 ティアナ様は嬉々として声を弾ませる。嬉しそうなティアナ様の顔を通して、私は自分の気持ちを確信する。


(本当に私……レイオス様のことが、す……好き、なのね……)


 その事実に、恋をしているという実感に、私はどこか安堵していた。だって一目惚れだったから。だって、だって私は──────、


「……ねぇ、おねーさん……」


「は、はい……なんでしょうか……」


「お兄様のこと、どうか諦めないでね……!」


「……それ……は……、どういう……」


 ティアナ様が心を読めることから考えたら、レイオス様に嫌われているわけではないということなんだろうか。知りたい、レイオス様の気持ちを───、


「それはだめー!」


(また心を読まれた……!?)


「おねーさんの気持ちも、お兄様へ勝手に告げ口されたら嫌でしょー?」


「……う"……そう、ですね」


 昂った気持ちが、しょんぼりと萎れていく。


「おねーさん」


「なん、でしょうか……」


 しくしくと紅茶のお代わりを口を含む私を、ティアナ様は再度呼びかけてくる。もう、今度は一体なによー……って、心を読まれてるんだったわ。違います、違います違うんですーーーー!ちょっと情緒が乱れてしまっただけなんですー!


「おねーさんって楽しい人だよね!」


(どこがですかっっっ!?)


「そーいうところかなぁ……。そうそう、あのね、おねーさん」


 グッと拳を握り、ティアナ様は力強く宣言された。


「私も!婚約破棄の延期、手伝うからっ!」


「えっ!?あ、あの……どうしてそれを……って、心が読めるのでしたね」


「私、婚約破棄を考えてるお兄様に怒ってるから……。お腹の中炎で萎えたがってるからっっ」


「け、喧嘩でもされたんですか?」


「……うん、喧嘩してる……」


「そんな風には見えませんでしたよ……!?」


「と、に、か、く!あの馬鹿お兄様をふぎゃんぬって言わせてやろうね……!おねーさんの、魅力で……!!」


「ふぎゃんぬっ!?」


(み、み、みみみみみみ魅力とか、そんな……そんなものはないですぅぅぅぅぅっ)


「……ん、お兄様なんて押し倒す勢いで……!」


「押し倒……!?れ、れれれれ令嬢としてもっと慎みを……」


「あははっ!おねーさん顔真っ赤ー……♪」


「揶揄わないでくださいっっ!」


(……ほんとに、諦めなくてもいいのかしら……?)


「いいんだよ、おねーさん。寧ろ諦めたらだめだよ!」


 力強く力説するティアナ様に勇気を貰った私は「はい、頑張りますね」と返す。

 この日、私はとっても強力で、心強い仲間を獲得したのであった。

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