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プロローグ

 赤い薔薇、白い薔薇、桃色の薔薇、様々な色合いの薔薇が咲き誇る香り豊かな庭園を、あたたかな太陽の光が包み込んでいた。

 庭園には優美な白鳥のようなガゼボがあり、現在はその屋根の下で二人の美男美女がテーブルを挟んで対面していた。


 テーブルの上には紅茶の入ったティーカップとポットの他に、軽食から菓子まで取り揃えたケーキスタンドも置かれているが、手をつけられた形跡はない。


 黒髪の青年レイオスは、黙って紅茶を口に含める。

 対して銀髪の少女は————、


「………」


 レイオスは紅茶を飲みながら、赤い双眸を目の前の少女へと向けた。何度か瞬きを繰り返すと、ゆっくりとカップを置いてその取っ手を指でなぞる。その静寂を極めた優美な動作に、時折カタカタという小さな雑音が入り込んでいた。


「……こほん……ルナフィエ侯爵令嬢、その……当家の紅茶は気に入らなかっただろうか?」


「い、いえっ!! 美味しいでしゅっっっ!」


「そう……かッッッ!?」


 レイオスの対面にいる真っ青な顔をした少女が彼の声に肩を揺らしたかと思うと、震える両手でカップを持って一気に紅茶を呷った。案の定というか、熱い紅茶の液体が食道を通り、暑さにむせ返る。


「げほ、げほげほげほ!!」


「おい、大丈夫か……!? 人を呼ぼう!!」


「けほけほけほっ!! だ、大丈夫です……」


 席を立ち上がったレイオスを、銀色の髪の少女——ミリィーア・ルナフィエは引き留めた。

 自身の奇行で戸惑っている様子のレイオスには悪いが、ミリィーアには一つの想像ができていた。侍従にこんな事を知られたら腹を抱えて笑われるに決まっている。


 激しく頭を左右に振っていると、「わかった」そう言って青年が再び席に着く。

 そのことにミリィーアは、小さく安堵する。


「けほっ……す、すみません……。お……お騒がせしました……」


「いや……こちらも取り乱してしまってすまない……」


「い、いえ……」


 身を萎縮させたミリィーアは下を向く。

 舌がヒリヒリするよりも、目が回りそうだった。


 恥ずかしい、消えたい。

 穴があったら入りたい。

 馬がいたら走り去りたい。

 よりにもよって————、


 ミリィーアが伺うように、宝石(アメジスト)のような紫紺色の双眸をレイオスに向ける。


「やはり人を呼ぶか?」


「いえ……!! 問題ありません……」


 心配そうな顔をしたレイオスが、小首を傾げてくれる。そんな仕草ですら眼福で有難くて、少し可愛らしく思えて、粟を食うように取り乱した少女は、益々顔を赤くしてしまった。


「そうか……。では今日はこれでお開きにするとしよう。そろそろ時間だ」


「は、はい……」


 さりげないエスコートに、ミリィーアは小さく頷いてレイオスの手に自分の手を重ねた。


 嗚呼、本当に逃げ出したい。


(———よりよって、こんな淑女らしくない姿を、レイオス様に見られてしまうなんてぇぇぇぇっっっっ!!)


 ショボーンッと肩を落として足取り重く歩くミリィーアは、ふと、隣を歩くレイオスの足が止まったことに気がついて顔を上げた。


「レイオス、様……? あの……」


「……. ルナフィエ嬢……今日はもう少しだけ話してもいいだろうか?」


(は、はな、はなし……!? レイオス様が私に!)


 突然のことに、声が出ない。

 赤い色の瞳に真っ直ぐ見つめられて、胸が高鳴る。胸がぎゅうぎゅうになって苦しい。

 胸元を握りしめたミリィーアは、代わりに頷いてみせた。


「……その、……貴方に言い出すのに、二年もかけてしまったが……聞いて欲しい。俺は、この婚約を破棄したいと……そう思っている」


「え——————っ?」


 甘い気持ちが、冷水をかけられた気分だ。投げられた言葉が、冷えてじわじわと体温を奪っていく。


 ──────○○○○?


 理解が追いつかない。

 今、何を言われたんだろうか?


「あ、あの……?」


「俺が公爵を説得出来なかったせいで、貴方にも好きではない男と婚約するなんて苦痛を与えてしまったこと、今でも申し訳なく思っている」


「え……あ……あぅ……??」


 好きじゃない?

 誰が、誰のことを……?


「公爵家と侯爵家当主同士の婚約ゆえに、簡単な事ではないのも分かっているつもりだ。でも心配はしないで欲しい。俺から公爵にも侯爵にも話をするつもりだ」


「そう……ではなくて……あの……」


 何を話せばいいんだろう。


「待って……待ってください……」


「……貴方には何も非はない。これは、俺の問題なんだ……本当にすまない」


「ですから、あの……えっと……その……」


 頭を下げているレイオスから、ミリィーアは少しずつ遠ざかる。足が一歩ずつ後退していく。


 顔を上げたレイオスは、もう一度言った。


「ルナフィエ嬢。……俺との婚約を、破棄してもらいたい」


「婚約……破棄……?」


 ミリィーアは、目の前が真っ暗になった。

『婚約破棄』、その言葉だけが、暗い思考の中を反芻して逆巻いていた。

 ───婚約破棄?

 婚約破棄、婚約破棄、婚約破棄、婚約……破棄??


「突然のことで驚かせてすまな……ルナフィエ嬢?」


 ミリィーアの耳には、レイオスの言葉は届いていない。頭の中は婚約破棄の言葉でいっぱいになっている。困惑して狼狽えて、咄嗟にその二文字を口にした。


「———え……延期で!」


「は?」


「その婚約破棄は、また今度に延期してくださいーーーーーーっっ」


「ルナフィエ嬢……!?」


 言うだけ言って、ミリィーアは走って逃亡するという令嬢らしからぬ行動で、自分の屋敷へ逃げ帰ってしまった。


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