王国の為に咲くはずだったその花は、自分の幸せを求める毒花になった。
「なんだ。エリーヌ。文句あるのか?」
「いいえ、文句なんてありませんわ。ただ、わたくし、貴方とお昼を一緒に取りたくて」
「このマリリアと一緒なら、仕方がない。一緒に取っても構わぬぞ」
「有難うございます。ボイド王太子殿下」
貴族が通う王立学園の廊下で見かけた自分の兄と共にいる美しいエリーヌ・アレクトス公爵令嬢。
銀の髪を持つ、美しいその令嬢を見ていると、ファディウス第二王子はイライラする。
なんであの女は兄上の浮気にああ甘い顔をしているんだ?
何で?どうして?
このプリド王国では王族だって、側妃を持つことをあまり推奨されていない。
王妃に子が出来なかった時に、仕方なく王族の血を残す為に側妃や妾妃を、王宮に入れるのだ。
それなのに、兄上はアレクトス公爵令嬢と結婚する前から、側妃や、愛妾を持つ気満々で。
アレクトス公爵令嬢も何で兄上の横暴を許しているんだ。
いつもいつも甘い顔をして。
なんだかとてもイライラする。
いつも違う令嬢を隣に侍らせているボイド王太子。それなりに整った顔をしているボイド王太子は、口も上手くて令嬢達にとてもモテる。
だが、最近はマリリア・レイド男爵令嬢がお気に入りで、傍に置いて所かまわずイチャイチャしていた。
とりわけ優秀と言う訳でもないが、ボイド王太子は正妃の息子なので、王太子として幼い頃から認定されていた。
それに比べてファディウス第二王子である自分は、美男という訳でもなく、勉学もいまいち、苦手で。剣技だけは兄に負ける気はしないけれども。
なかなか子が出来ない国王が気まぐれで手をつけた下位貴族のメイドから生まれたファディウス第二王子。
国内の実力者アレクトス公爵家と王家が結ばれる為に、用意されたエリーヌ・アレクトス公爵令嬢。
自分は婚約者もまだいないのに、恵まれた兄が羨ましかった。
あまりにもイライラしたので、ファディウス第二王子はエリーヌ・アレクトス公爵令嬢に注意することにした。
「アレクトス公爵令嬢。ちょっと話をしたいのだが」
「これはファディウス第二王子殿下。わたくしに何用でしょう」
「兄上を貴方は甘やかしすぎだ。結婚後、すぐに側妃や妾妃を王宮に入れるぞ。それでいいのか?子が出来ぬ時に仕方なく、他の女に子を求める。それは仕方ない事だ。だが、兄上は……結婚前からあんな感じで。いいのか?」
「有難うございます。ご心配して頂けるその心が嬉しいですわ。大丈夫です。わたくしは王妃になるのです。ですから、広い心で国王陛下になるボイド王太子殿下を支えないと」
「兄上は増長する」
「いえ、あの方も国王陛下になるのですから、きっと、行いを改めますわ。人は変わるといいます。わたくしはボイド王太子殿下を信じていますわ」
ファディウス第二王子は思った。
広い心?それは相手を甘やかすことにはならないか?
兄上が反省する?絶対にあり得ない。弟である自分を見下して、暴言ばかり吐いて来る兄上。
アレクトス公爵令嬢に対しても馬鹿にしているのではないのか?
だが、自分はアレクトス公爵令嬢の婚約者ではない。
これ以上、関わる事は、不貞を疑われる。
胸が痛む。
これは恋……
エリーヌ・アレクトス公爵令嬢に自分は恋をしているんだ。
彼女は誰にでも優しくて、派閥の令嬢達の相談にもよく乗ってあげている。
令嬢達はアレクトス公爵令嬢の事を慕っているようで。
いつも令嬢達に囲まれているアレクトス公爵令嬢。
楽し気に優しく微笑んでいるその姿を見るにつけて、胸が高鳴って、その笑顔を自分に向けて欲しいといつも思う。
叶わぬ夢……
そんなアレクトス公爵令嬢に対して、ボイド王太子は今日も怒鳴り散らしていた。
「なんだ。そんな辛気臭い顔をして。笑え。私の婚約者だろう?私の前で笑うがいい」
「微笑んでおりますわ。わたくし」
「もっと楽しそうに笑え。ほら、傍にいるマリリア・レイド男爵令嬢はよく笑って可愛いぞ」
最近のお気に入り、マリリアという男爵令嬢と共にいることが多くなったボイド王太子。
男に媚びるその姿、胸ばかり大きくて、品が無くて。
ファディウス第二王子はそんな女が大嫌いだった。
「ボイド様ぁ。私と結婚してくれるんでしょ」
「ああ、お前を側妃にしてやるぞ。残念ながら正妃は無理だ。アレクトス公爵家と結びつくのは大事だからな。仕方がなくエリーヌを正妃にするしかないんだ。解ってくれ。仕方なくだ。王太子は辛いんだよ」
「贅沢をさせてくれるなら構わないわー」
そんな事を言われても、にこやかに微笑んでいるアレクトス公爵令嬢。
ファディウス第二王子は思う。
いいのか?そんな男と結婚して。
アレクトス公爵令嬢、エリーヌ、貴方は?
耐えきれなくなって、とある日の夜、王都の公爵家の屋敷に忍んでいった。
簡単に公爵家の庭に入れるわけはない。
だから、警備の兵を買収した。こっそり手引きされて、庭に忍び込むファディウス第二王子。
エリーヌを……もう一度、説得するんだ。
あの男と結婚したら不幸になる。
不幸な未来になる位なら……何もかも捨てて……いっその事……
エリーヌ・アレクトス公爵令嬢は、窓を開け放ち、テラスに出て空を見上げていた。
ファディウス第二王子が近づくと、
「あら、ファディウス様。何用ですの?こんな夜中に。困りますわ。わたくし、不貞を疑われてしまいます」
テラスに上がり込んで、説得をする。
「君が不幸になるのを見ていられない。どうか、私と一緒に逃げよう。隣国へ。駆け落ちしよう」
「馬鹿ではなくて」
「え?」
凛とした、たたずまいで、こちらをまっすぐ見つめてくるエリーヌ・アレクトス公爵令嬢。
エリーヌははっきり言ったのだ。
「馬鹿と言ったのよ。わたくしは王妃になるの。あの方の子種を貰って、この王国の未来の国王陛下を必ず産んで見せる。もし、産めなかったら側妃から子を取り上げて、わたくしの子として育てるわ。わたくしが王妃にならなくて、この王国はどうなるというの?無能な国王。今の国王陛下はとても優秀よ。でも、ボイド王太子殿下は無能。だからこそ、わたくしが必要なの。無能に王国を任せたら、隣国に攻め滅ぼされてしまうわ。大勢の人が死ぬ。だから、わたくしはこの王国の為にボイド王太子殿下と結婚するの。邪魔しないで頂戴」
「だが、兄上を甘やかして増長させるのはよくない」
「では、わたくしがボイド王太子殿下を諫めるというの。困るのよね。あの方、わたくしの言う事なんて聞く人ではないわ。わたくしはあの人に嫌われる訳にはいかない。邪魔だと思ったら婚約破棄されて、下手したら冤罪を押し付けられて、殺されるかもしれないわ。わたくしはそんなの嫌。だから、理解ある女を演じているの。本当はね。わたくしだって、女として幸せな結婚をしたい。でも、わたくしは公爵令嬢。許される事ではないわ」
ファディウス第二王子はエリーヌの前で跪いて、
「覚悟が足りなかった。アレクトス公爵令嬢。君の邪魔をして申し訳ない。君は王妃になりたいのだね。この王国から逃げ出して、俺と過ごすより、王妃となって、この王国の為に生きたいのだね」
「ええ。そうよ。だから、二度と、わたくしの邪魔はしないで頂戴」
「申し訳なかった」
頭を下げて、立ち上がり、庭からファディウス第二王子は去る事にした。
エリーヌがそこまで覚悟をして兄上に嫁ぐというのなら、エリーヌの事は諦めよう。
そして、自分は王国の為にエリーヌの力に出来るだけなろう。
そう、覚悟を決めた。
そんなとある日、エリーヌの兄であるベルド・アレクトス公爵令息から剣技の指導を受ける機会があった。
王立学園の卒業生であるベルドは時々、生徒達に剣技を教えに来てくれる程、腕の立つ男である。
そのベルドから、とある日、囁かれた。
「俺は妹が不幸になるのを見ていられない。そして、我がアレクトス公爵家は現王妃の実家ルディス公爵家とは険悪だ。だから……ボイド王太子殿下を亡き者にしたい。その後は、君が王太子になるんだ。我が公爵家が後押ししよう」
兄上が羨ましかった。でも、どんな酷い男でも、どんなにアレクトス公爵令嬢に憧れて恋心を持っていたとしても、兄を殺してまで手に入れたい王太子の位ではない。
ただ、ただ、アレクトス公爵令嬢を心配するだけで。
ただただ、度胸もなく、先行きの見通しもなく、隣国へ駆け落ちしようと愚かにもアレクトス公爵令嬢を誘った自分。
そんな自分が嫌だったから、エリーヌの事を諦めようとしたのに。
悪魔の囁き。兄を殺して、王太子になる?
ベルドは更に囁いて来る。
「妹も君との結婚を望んでいるよ」
ああ……エリーヌ。エリーヌ。エリーヌ。
君が手に入ったらどんなに幸せか。
だから私は、兄上を殺して、王太子になる。
この王国の為に。エリーヌ。君を手に入れる為に。
ベルドにボイド王太子の殺害を依頼するファディウス第二王子であった。
ボイド王太子は馬車の事故で、マリリア・レイド男爵令嬢と共に亡くなった。
いきなり馬が暴れ出して、川に馬車ごと落ちたのだ。
二人とも溺れて助からなかった。
国王の子はボイド王太子の他に、ファディウス第二王子だけである。
ファディウスが王太子に任命された。
そして、アレクトス公爵令嬢エリーヌは、ファディウス王太子の婚約者になった。
エリーヌはファディウス王太子と顔を会わせると、にこやかに笑って、
「わたくし、貴方となら女の幸せも味わえると思っておりますの。わたくしの事を心配してくれて嬉しかったですわ。有難うございます」
手を伸ばしてきたエリーヌの手を優しくエスコートして、
「よろしく頼むよ。私の力になってくれ。エリーヌ」
「ええ、承知しましたわ。ファディウス様」
耳元に赤い唇を寄せて、エリーヌが囁いた。
「女は、自分の幸せの為なら毒の花になるのよ。わたくしは王国の為に、自分の幸せを諦めた。王国の為にひたすら生きる。そう決意していたのに、それを貴方は、わたくしの心に火をつけたの。わたくしを毒の花にしたのだわ。
わたくしは自分の幸せの為なら、沢山の屍を築いていくことでしょう。貴方はついて来てくれるわね。愛しいファディウス様。もし、裏切った時は、わたくし以外を愛した時は……」
王国の為に咲くはずだったその花は、自分の幸せを求める毒花になった。
ファディウスは、それでもいいと思った。
ボイド王太子は酷い男だった。あんなのに王国を任せる訳にはいかない。
そして、愛しいエリーヌも。
君が毒の花なら、自分は毒の蛇になろう。
君の幸せを邪魔する奴は、皆殺しにしてやろう。
だから、エリーヌ。
私だけを一生愛しておくれ。私も君だけに愛を捧げよう。