蘇りし妃の
わたくしはメーデイア。
クライデ大陸一の大魔法使いで御座います。
ミカドが天を舞う竜ならば、わたくしは地を這う蛇。不倶戴天の敵では御座いますが、それも今は昔のおとぎ話。――ええ、そうですとも。
あの忌々しい、わたくしの故郷を滅ぼした初代ミカドは、時と共に姿と名を変えて、いまだにミカドの座に君臨しておられる。現在は『アスタロト』を名乗っておりますわ。
彼の操る魔動機構は、いわば魔力の詰まった〝器〟で御座います。初代のミカドは、自らの肉体の滅びを以てその人生を終えるのではなく、内在する魂を新たな〝器〟に入れ替えて生き永らえておるのです。今のお顔は、大層お気に入りのようですわ。あれだけ自らのご尊顔を後世へと残したがらなかった初代が、肖像画を造らせて飾るなんて、時の流れは人を、否、ドラゴンを変えますのね。
わたくしの憶測では御座いますが、竜帝こと明日が〝羽化〟したのちに王位継承権を持つ者たちの眠る他の〝修練の繭〟を破壊してしまったのは、竜帝が儀式に向かう前にアスタロトが細工を施したので御座いましょう。
クライデ大陸の支配者たるミカドという立場であったとて、この〝修練の繭〟たちが眠るカタコンベの正確な位置は教えられません。
アスタロトにとっては、自らの地位を脅かす者で御座います。最愛の小娘――あの男の女の趣味は大昔から変わらぬのですね。日本人女性を好んでおられる。ゆえに、自身も日本語を学び、また、クライデ大陸の公用語を日本語と定めた――神崎灯との間に授かった子であったとしても、例外では御座いません。
本来、誰かが〝羽化〟しようものならば、即座にミカドへと即位するのですから。
なんて可哀想な子なのでしょう! 人々から疎まれる〝混血種〟として、知らず知らずのうちに『いずれ破裂する爆弾』を抱えて生まれてきたミライ。
わたくしは、ミライを愛おしく思うのです。愚かで、憐れで、無知なミライ。憎き敵の子であれど、愛おしく思うのです。
現代日本でその『爆弾』を作動させて、クライデ大陸に帰還し、(アスタロトの描いたシナリオ通りに)カタコンベで大暴れ。
長男坊の帰還を祈っていた王族たちや、儀式を支持する貴族たちの怒りと失望たるや、かつて存在していた都市国家の滅びの様にも似ておりました。
彼らはミライを強く非難し、即位など認められぬ、と主張し、極刑を求めました。ネルザへの追放程度で済んだのは、ミライの母、灯の嘆願あってのこと。元の世界ではどうだったかは、わたくしが知る由もありませんが、灯はクライデ大陸では偉人として崇められております。母が子を庇う、のではなく、偉業を成し遂げた女傑が極悪人の減刑を望んだものとして、アスタロトはネルザへの追放で手打ちとしました。……最終的な決定権はミカドにありますので、何もおかしな話では御座いません。
ミライへは『竜帝』の名を送ることで、次期のミカドの座を約束するものとしました。貴族の中には伝統に縛られて頭が固い連中も多いもので、あれだけのことをしでかしたにもかかわらず、ミライをミカドに推す声も御座います。
ネルザで蘇生魔法を用いてキサキを蘇らせ、第一夫人とした今もなお。
「せんせぇー! ミライに怒られたー!」
キサキはわたくしを『先生』と呼びます。わたくしはそう呼べと言った覚えは御座いませんが、竜帝がわたくしを『先生』と呼ぶので、竜帝に倣っておるのでしょう。わたくしはキサキには魔法を教えませんし。教えられませんもの。あの竜帝からの「キサキに魔法を使わせるな」の厳命を受けておりましてね。
過去にキサキが『ちんちくりんで出るべきところの出ていない真っ平な胸』の(※これはわたくしではなく、竜帝がキサキの体型をそう呼ぶのです。わたくしも体格の良いほうでは御座いませんが、竜帝とキサキは背丈が同程度ですので、竜帝がキサキを悪く言う資格はありませんでしょう)体型を気に病んで、クライデ大陸の通称若返り魔法、正しくは補正魔法のうちのひとつを試した結果、その、胸部が異常に発達してしまった、という顛末が影響しております。当然といえば当然で御座います。
「此度は何を?」
わたくしの胸に飛び込んできたキサキの、サラサラのショートボブなブロンドヘアーをなでてやると「昇竜軒に行きたいって、言っただけなのに」とワガママの内容を教えてくれました。黄色い瞳には、うっすらと涙の膜が見えます。
「しょーりゅーけん?」
「とっても美味しい、天津飯っていうごはんを出してくれるお店でー」
「てん、しん、はん」
「ごはんに、焼いたたまごが乗ってて、甘酸っぱいタレがかかっててー」
「ほう」
異世界にある食堂へ行きたがったのですね。あちらの世界へは、初代ミカドの魔力を以てしても、月に一度しか行けませんのに。その一度で神崎灯を見つけ、次の機会でクライデ大陸に連れてきたという。
その、天津飯、とやらがいいのなら、腕利きのシェフにでも作らせればよいのですが。
「明日がねえ、こわい夢を見ているみたいなんだ」
「あら」
次期ミカドの『種』を欲しがる貴族がたくさんおりまして、ゆえに竜帝は引く手数多で御座いますが、夜を共に過ごすのは第一夫人のみ。どうしてもとすがる者に魔動機構を押し付けるのだから、心はただ一人に向いておられるのでしょう。
「美味しいものを食べたら、こわい夢もどっか行っちゃうと思ってー」
「キサキは心配しているのに、怒られたと」
意図が正しく伝わっていないのですね。しかし、意地っ張りで見栄を張るミライのことですから、言葉で伝えたとて顔を真っ赤にして否定するのでしょうね。
「そう! ミライってば、ほんとは泣き虫さんなんだよ!」
「泣き虫?」
「泣いてたでしょー、って言うと『泣いてねぇし』って言うんだよー」
「ふぅん……?」
わたくしから見て、キサキが『飛び抜けて可憐な美少女』という客観的な評価はできます。
ですが、斯様にワガママな娘を、どうして竜帝は愛しておられるのでしょう?
「なんだか疲れちゃった。先生、ひざまくらしてー」
「ひざまくら……」
「お昼寝するとき、ねえさんにしてもらってたのを思い出すから、なんだか安心するー」
次期ミカドの口約束と、ほんの少しの手持ち金と、ネルザの古城を与えられたばかりの頃の竜帝は、わたくしという大魔法使いを呼びつけて、こうおっしゃいました。
「どんな手段でもいい。どれだけの犠牲を払っても構わない。オレに蘇生魔法を教えてくれ」
ははあ。わたくしはこの舌をチロチロと動かして、考えを巡らせます。この子は本当に愚かだと。初代ミカドの血を継ぐ子でありながら、このわたくしに全てを曝け出す。
わたくしは微笑んで「いいでしょう。クライデ大陸一の大魔法使いの、本領をお見せします」と引き受けたので御座います。
そして、竜帝の名で、なるべく活きのいい、魔力の総量が多い娘を、時間をかけて――早急に集めるのでは、ミカドから勘付かれる可能性が御座いました。急いては事を仕損じる――各地から集め、彼女らの魔力を吸い上げて、冥界にあったキサキの魂を呼び寄せ、魔動機構の中に封じ込める。これにて蘇生魔法は完遂で御座います。
魔動機構に魂を込めるのは、初代ミカドの十八番でありますゆえ、これは意趣返しともなりましたでしょう。
わたくしはいずれドラゴンを超えるため、竜帝の威を借りて、毎月選ばれし生け贄を食らっております。そうでもなければ、わたくしは竜帝にお仕えできぬでしょう。わたくしもおいぼれですので。
早く新鮮なドラゴンの肉を食べたい。静止魔法をかけて、ウロコを剥いで、腹の肉を削ぎ落とし、治癒魔法をかけてから、人間の姿に戻して、縛り上げる。あの愛おしい顔が苦痛で歪むか、はたまた恐怖で固まってしまうか。
想像するだけでゾクゾクする話でしょう?
「おなかすいたなー」
「竜帝のことですから、今ごろその昇竜軒に向かっていることでしょう」
「無理って言ってたよー?」