三話
校舎を出て、家に向かって歩きはじめる。
学校から家まで約15分。短い距離だ。
もっと、長い道なら良かったのに。そんな事を思う。
家ほど憂鬱なところはないだろう。
「ただいま。」
歩きはじめて15分。やっぱり距離も時間も縮めぬまま、家路についた。
家に入って、聞こえてきたのは怒声だった。
「俺の言うことも少しは聞けっ!」
「うるさいわねっ。私の勝手でしょ!?」
夫婦喧嘩。これがはじまったのは、中学に上がる前だった。
理由は母さんの浮気。
離婚。この言葉は、何度も上がったけど、父さんは認めなかった。自分の名誉のために。
”政治家”父さんの職業は、この仕事だった。私は国民の幸せを一番に考えます。そんな事を威張ってる。
嘘つき。国の為、国民の為?ありえない。
金の為、名誉のため、なのより自分の為。それだけのためにこの仕事についている。
ばっかみたい。
「ただいま。」
いまだに続いている夫婦喧嘩。その会場となっているリビングのドアを、空気を読まずに開けた。
あからさまに怪訝な顔をした二人に、もう一度、
「ただいま。」
あいかわらず気持ち悪い嘘の笑顔で言った。
「お、おかえり。」
急いで母さんも笑顔をつくる。二人は、この喧嘩が私にばれてないと思ってるみたいだ。
残念ながら、この家はそこまで広くない。どこにいても、あれだけ大きな声で喧嘩されちゃ、気付かないわけないのに。
「私、勉強してくるね」
「ええ、頑張ってきなさい。」
お互いに、嘘の笑みを浮かべる。普通の家族なら、こんなに気持ち悪く笑うことはないだろう。
あいにく、愛情を注がれてもいないのに、貴女を母親とは思えないわ。
一度冷蔵庫を開けて、お気に入りのチョコと紅茶をもって、リビングを出た。
階段をのぼり、部屋に入った。
必要以上のものがない、殺風景の寂しい部屋。私の心みたいに、冷めた部屋。
部屋の隅にあるソファーに腰掛けた。ソファーの前の机に紅茶を置いて、チョコを口にした。
「おいしっ。」
思わず出た言葉。甘くない、苦いチョコの味が口の中に広がる。
素直においしいと思う。口の中で溶けて広がって。おいしい。
このチョコは、昔の親友が好きだったチョコだ。
これを食べると、思い出す。
「世界は薄い、」
この言葉を。
私がそう思い始めたのは、小6の時だった。
小6の、ある日。
――――――――――・・・・・
「渚ちゃん、」
「なに?」
その日、あの子は学校に来ていなかった。
「あのね、七海ちゃんが死んじゃったんだって。」
「え?」
長谷部七海。当時の私の親友。
桔梗には劣るけど、信用できる友達だった。
明るくて、元気で、可愛らしくて。
いつも笑ってた、そんな子が、シンダ?
「なんで?」
「私も、よくわかんないんだ。」
よくわからない?どうして?
いまでは名前も曖昧な友人の言葉が、頭の奥底で廻っていた。
辛くて、信じられなくて、切なくて。それでも涙は出なかった。
ただただ、心が空っぽになった。そんな気がした。
なにも考えられないまま、一日が終わって、夜。
私の家に、人が訪ねてきた。七海の母だった。
「夜遅くにごめんなさい。」
「大丈夫ですよ。それで用件は?」
「お嬢さんに、これを渡していただけませんか?」
「手紙、ですか?わかりました。」
「宜しくお願いします」
「ええ。お気をつけて。」
お母さんが丁寧な口調で対応して、七海の母は一礼して帰って行った。
そのあとすぐに私の部屋にきた母さんは、面倒くさそうな顔をしていた。
「七海ちゃん?・・・・だっけ?の、お母さんからよ」
私はそれを受け取ったのを確認してから、母さんは下に降りて行った。
「七海から・・・・だよね?」
”渚ちゃんへ”
小学六年生の字で、七海らしいかわいい封筒の上に、私の名前が書いてあった。
小学六年生の、まぎれもない七海の字。
丁寧に封を開け、手紙を取り出す。
手紙にぎっしりと書かれた七海の字。綺麗でも汚くもない、でも読みやすい、見慣れたあの子の字。
ゆっくりと、でも確実に読み進める。
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渚ちゃんへ
急にこんなことになっちゃってごめんね。
私、耐えられなくなっちゃった。
何に耐えられ寝くなったかっていうと、色々だよ。
まずね、私昔から、渚ちゃんのことが大嫌いだった。
なんで嫌ってたのかっていうと、渚ちゃん、感情を普通に表に出してたでしょ?
私、笑うのが使命みたいなものだったから、なんか、普通に笑ってる渚ちゃんが憎かった。
それで、渚ちゃんの知らないところで陰口も言ってた。
でもね、渚ちゃんの事嫌ってたのは、私だけだったみたい。
渚ちゃんが好きな皆は、私のことをいじめはじめた。勿論、渚ちゃんにばれないように。
そんな環境に、耐えられなくて・・・・。
ついに、死んじゃった。
苛められた事に、自分勝手な理由で渚ちゃんを嫌った自分に、耐えられなくなっちゃって。
でもね、人を嫌った、人に嫌われた。そんな人生一生かけて味わうようなことを、二つ一気に味わえたことで、なんだろう。凄く、大人になれた気がした。
ごめんね。普通に笑ってる子なんて、他にいっぱいいるのに、渚ちゃんでごめん。
ごめんなさい。何度言っても足りないの。だって、私はきっと、これからもずっと渚ちゃんが大嫌いだから。それなのに、一度だけのごめんなさいで足りるはずない。
でも、これだけは言わせて。
どれだけ嫌っていても、例え何も知らなかったとしても、いつまでも友達でいてくれてありがとう。
嬉しかったよ。
大嫌いだけど、最高の友達だった。
それじゃあ、バイバイ。
七海より 最後の手紙
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七海の字の上に、黒いしみがいくつもできた。これを読んで、初めて涙が流れた。
七海が死んで悲しい。
涙の理由の、100%のうち20%がそれだった。あとの80%は、世界の薄さ・・・・・。
いや、人と人の関係の薄さに、死ぬほど苦しくなった。だから、涙が流れた。
――――――――――・・・・・
あの日から私は、世界が薄いと思うようになった。
私が七海を傷つけた。
七海が私を傷つけた。
皆が七海を傷つけた。
仲のいい二人だった。
仲のいいクラスだった。
一生の絆を誓った仲間だった。
いとも簡単に、崩れて行った。
二人の絆、クラスの絆、一生の絆。
全部全部、崩れて行った。
こんなにも簡単に、こんなにも脆くなった。
私一人のせいで、七海一人のせいで、他の関係ない皆のせいで、崩れて行った。
こんなにも薄い関係だったのかと、全てを恨んだ。
人間の絆がこんなに薄いから、きっと世界というものも、とてつもなく薄いものだろうと、勝手に決め付けた。それでも世界は大きかった。
それがとてつもなく辛かった。
そして、三年前に決めたものは、三年たった今でも、忘れることはなかった。
いつしか私は、心まで薄っぺらくなっていた。
唯一の助けが、桔梗だった。環境も、思いも同じ。
七海以上に、信頼できて大好きなんだ。
大好きというのは友達としてですよ。
あっちの好きではありませんよ。←