■泳ぐ時間とアーキトルーペ
■泳ぐ時間とアーキトルーペ
あらゆる時代、あらゆる場所。
無限を覗けば無力を知れる。
全てを見通す望遠鏡には、泳ぐ時間が付いている。
***
観測者の地は、ただただ白い世界。昼も夜もなく、天候も季節も変わらない。
虚太郎がここに来てからどれくらい経ったか。
体感では一月は経過したように思うが、はたしてそれが正しいかどうか、確かめる術が無い。
もうずいぶん長く常盤の顔を見ていない気がすると同時、つい先程初対面を果たしたばかりのような気さえする。
せめて食事や睡眠を規則正しくとることが出来れば日数の経過も計れようが、あいにく、今の虚太郎は味覚も無ければ疲労も無い。空腹も眠気も知らぬ呪いの身体。
一度試しに山菜を創って口に含んではみたが、うまくもなければ不味くもなく、口の中には無味が広がるだけ。
それでは寝てみるかと横になってみても、一向に意識が途絶えることは無かった。
それから今に至るまで、虚太郎はミコに渡された電子辞書の内容をひたすら頭に詰め込んだ。それでも項目数から推測するに、まだまだこの小さな箱のなかの情報量の一割にも満たない。
辞書の中身全てを見終えるのにどれほどの月日がかかるのか想像もつかないが、幸いにして他にすることも無く、時間は永劫にあるという。
常盤は虚太郎に「やりたいことを探せ」と言った。指示を受けるのではなく、自ら望むことを探せと。
何か糸口でも掴めれば、と虚太郎が黙々と辞書を読み進めていると、部屋の扉が大きな音をたて開かれた。
「虚太郎、”時間”を見なかった?」
やって来たミコは、ずいぶんと落ち着き無い様子。周囲を漂う式の魚も、右往左往と慌ただしい。
「時間、ですか?」
「そう。常盤のところから逃げ出したみたいで」
ミコはそのまま虚太郎の部屋へ踏み入ると、机の下や箪笥の引き出しなど、あちらこちらをを覗き込む。
「困ったなー。虚太郎も一緒に探してくれる?」
「それは構いませんが」
『時間が逃げるってどういうこと?』
「うーん。虚太郎がここに来て、どのくらい時間が経ったと思う?」
机の上で飛び跳ねる閻魔の問いに、ミコは押入れにしまわれた布団をめくりながら尋ね返した。
「はっきりとは分かりませんが、一月は」
「へえ。虚太郎的にはそんな感じなんだね。でもアタシのなかでは、虚太郎と会ったのは昨日のことだよ」
ミコ曰く。
この観測者の地では、時間も空間も曖昧。
想像するだけでどんな広さの部屋も際限なく創り出せることは、虚太郎も実際に目にした。
それに加え、時間すらも決まってすすむことはないらしい。
それが、”永遠の今”。万華鏡で時間を止めて、境界線で過去を断ち切った者だけがたどり着けるこの場所には、永遠に”今”しかない。それぞれが感じる”今”は曖昧で、速くも遅くもなるのだと。
「まぁ別にそれで困ることは少ないんだけどね。だって時間なんて意味ないから。でも常盤にとっては重要で……あっ」
ミコが目を見開いて指差した先。何かが動いたのを、虚太郎も感じ取った。
それは、あの日ミコが置いていった魚の形の飴細工。
食べても味が分からぬのでは意味が無いが、捨てる気にはなれない。と、なんとなく机の上に置いていたそれが、ふわりふわりと浮いている。
「いた! そこだ!」
ミコの気迫に驚いたのか、本来動くはずのない砂糖の塊は見つかった途端にビクリと尾びれを震わせた。
「逃げる! 虚太郎、捕まえて!」
「はい」
虚太郎は魚に向けて腕を伸ばす。それだけで、反射の速度で呪いが反応する。
瞬きよりも速く虚太郎の腕から飛び出す黒い影。影は網状となって飴細工の魚に覆い被さると、流れるような動作で檻のような形に変化し、獲物を捉えた。
「わっ、すごいね虚太郎。何それどうやったの? ハンドパワー?」
一瞬の捕獲劇を、ミコは拍手で賛す。
「いえ、捕獲したいと念じたら勝手に檻が」
「檻? どこに?」
『ミコには見えてないんだ』
閻魔の耳打ちに、虚太郎は「あ」と小さく声を上げた。
特殊な修行か特別な眼が必要という呪いの性質上、影や檻はミコには見えていないらしい。
ミコの目には、虚太郎が腕を伸ばして魚の動きを止めたように見えているのだろう。
「俺の身体は今、呪」
と、虚太郎が説明しようとしたところで、囚えた魚が暴れだした。檻を破ろうと四方八方に体当たりをしはじめ、飴細工の鱗がポロポロと崩れ出す。
「あっ、ヤバ。崩れてきてる。とりあえず先に常盤のとこ行こう。それ持って着いてきて」
「はい」
ミコはそのまま扉を創り出し、虚太郎は檻を抱えて後ろに立つ。
すぐに出来上がった扉が開かれて、到着したのは常磐の部屋。
そこで虚太郎が目にした常盤の姿は、まったく予想していなかったものだった。
はじめて訪れた常盤の部屋は、ミコの部屋とはまた違う印象。
物珍しい品々が並ぶ、という意味では同じであれど、理路整然としていたミコの部屋と比べて、常盤の部屋は乱雑と呼ぶほうが似合う。
四方の壁を埋め尽くすように並べられた書架。そのなかは、手書きで綴られたらしい帳面が数え切れないほどあり、歯抜け状態で立てられたり横積みされたりしている。抜けた部分に入っていたと思われる帳面はそのまま床に散らばり、書架の前には足の踏み場が無い。
棚か机か分からないほど物が積まれた台は、天板が見えず材質すら不明。足が木なのでおそらく木の台だと推測できる程度。
部屋の中央には三脚に乗った望遠鏡。その横には天球儀が床に直接置かれていて、気を抜くと蹴り飛ばしてしまいそうだ。
その他にも、見渡す限りのあらゆる場所に、物という物がうず高く積まれている。虚太郎がよく知ったものもあれば、電子辞書で見たばかりの物もあり、はたまた辞書にも乗っていなかった用途不明の物もある。
そんな部屋の隅で、常盤は途方に暮れたように座り込んでいた。
「見つけたよー」
「本当か! でかした!」
ミコが声をかけると常盤はハッとしたように立ち上がり、散らかった物の間を飛び石のように越えて来る。途中、常盤がやはり天球儀を蹴飛ばしたのを、虚太郎は見てみぬふりをした。
『なんだか意外だな。常盤さんってもっと落ち着いて動じない人かと思ってた』
「こんな顔して、結構抜けてるとこあるんだよね」
「顔は関係ないだろう」
探しものが見つかって安堵したのか、常盤の調子は戻ったようだ。閻魔とミコに対する常盤は、虚太郎が抱く印象通りの気難しそうな表情。
「普段から部屋をちゃんと片付けないからこーゆーことになるんだよ」
「いらん誤解を生みそうなことを言うでない。今はたまたま、アーキトルーペの調整中に時間が逃げ出したから散らかっているだけだ。普段はもう少しマシだろうが」
常盤は散乱する物をかき分けながら部屋の中央に檻を運ぶ。かろうじて出来た獣道のような足場を辿って、ミコと虚太郎も後に続く。
そうして常盤が足を止めたのは望遠鏡の前。”遠眼鏡”と生前の虚太郎が呼んでいたような手で掴めるようなものではなく、ここにあるのはもっと大きなもの。三脚の上に置かれたそれは、星空のような遠くを見るための”天体望遠鏡”と呼ぶものに似ている。
乱雑な部屋でも小物の手入れはしているようで、ちょうど整備中であったと思われる望遠鏡は、分解されていくつかの部品に分けられていた。
常盤はそのうちのひとつ、目盛りがついた歯車を手にとり魚を閉じ込めた檻の前へ。
「戻れ。お前の居場所はこれだろう」
さあ、と差し出される歯車。
しかし戻りたくないという意思表示か、飴細工の魚はぷいとそっぽをむいた。
「そう強情を張るな。その姿が気に入ったのか?」
「ねえ常盤、これって今なら食べられるよね? アタシこれ食べちゃ駄目かな? そしたらアタシも、永遠になれるかも」
ミコの表情は真剣そのもの。冗談ではない空気を読み取ってか、パキンと音を立て魚が固まる。
「馬鹿を言うな。まだそんなことを考えているのか。いい加減諦めて、お前は早く現世に戻れ」
「やだよ。アタシはここでやりたいことがあるんだもん」
常盤はやれやれとため息をつき、そっと檻を開けた。
「ほら。早く戻らんと、こいつに食われてしまうぞ」
魚は渋々と言った様子で檻から出ると常盤の手元まで泳ぎ、そのまま動きを止めた。泳ぐ軌道がミコを避けるように大きく迂回していたのは、きっと偶然ではない。
「ちぇ」
口を尖らせるミコを横目に、常盤は飴細工を見事な角度で落ちないように机に置いた。
騒動で少し欠けてしまった飴細工。虚太郎はそれを手に取り眺めてみたが、もう動く気配は無い。ここにあった”時間”は、無事に歯車のなかに戻ったということらしい。
ただの飴に戻った魚を、虚太郎は再び持ち帰るためそっと懐に招き入れた。
その隣で常盤は歯車を望遠鏡に組み込むと、満足気に覗き込み頷いた。
「これで良し。うむ、よく視える。ふたりとも、よくやってくれた」
「お手柄は虚太郎だよ」
「そうか。どちらにしても助かった。これが無いと、まったく仕事にならんからな」
「お役に立てたのなら、良かったです」
時間を捕獲できたのは、呪いの力があったから。もしもこれが無ければ、手を伸ばしても届いてはいなかった。
食事も眠りも出来ずとも、代わりに得たもので何かできることがあるならば。何かが掴めそうな気がして、虚太郎はじっと両手を見る。
「せっかく手伝ってくれたんだし、虚太郎にも見せてあげれば? ここから何が見えるのか、虚太郎も興味あるでしょ」
「え?」
ミコは考え込んで佇む虚太郎の腕を掴んで、常盤の前に突き出した。常盤もさして不快ではないようで、「構わんぞ」と虚太郎へと場所を譲る。
「分かりました。それでは」
望遠鏡が向く先は、さきほど常盤が蹴飛ばしていた天球儀。
外に向けて使うはずのものをあえて地に向け、一体何が見えるのか。
不思議に思いながらも望遠鏡を覗き込んだ虚太郎は、「あっ」と驚きの声を上げた。
「電車、だ」
そこにあったのは、ほんの数日前までは想像すらしていなかった物の数々。
立ち並ぶビル群。走り去る車。連なる電車と、溢れそうな人々。
鮮やかなネオンは地上の星空のようで、目を焼くような眩しさ。
学習をした今の虚太郎には理解できる。これは、ミコが居た時代の風景。
「電車、覚えたんだね虚太郎」
「はい。他にもいろいろと。あれはビル。あれは車。ミコさんと同じく白衣を着た人も歩いてますね」
虚太郎は望遠鏡を覗き込んだまま、あちらこちらを指差した。
同じ景色はほかのふたりには見えていない、ということに気がついて虚太郎が顔をあげれば、「言いたいことは分かるよ」とミコが隣で微笑んでいた。
「真面目で勉強熱心だね、虚太郎。辞書、使ってくれて嬉しいよ」
『不思議だなあ。この望遠鏡は、ミコさんの時代を視るものなの?』
顔をあげた虚太郎の代わりに望遠鏡を覗き込んでいた閻魔が尋ねると、「それだけではないぞ」と常盤が望遠鏡に近づいて、備え付けられた目盛りに触れる。
キリキリと音を立て回るのは、さきほど時間が宿った歯車。
調節が終わると、常盤はふたたび虚太郎へと場所を譲った。
「もう一度覗いてみると良い」
常盤に促され、虚太郎は望遠鏡を覗き込む。するとどうしたことだろう。望遠鏡の向きはまったく動いていないのに、先程とは違う景色が視える。
「これは、あの村」
「驚いたか」
「はい」
そこにあったのは、先程よりは馴染み深い風景。緑の田畑と、野良仕事をする人々。かすかに見覚えのある顔は、呪いで覆われていたあの山のふもとの人々のもの。
「この望遠鏡の名はアーキトルーペ。あらゆる時代、あらゆる場所を見通すことができる望遠鏡」
「すごいでしょ? これは私の時代にも無いものだよ。なんでも創造できるこの場所だからこそあるものなんだ」
このときばかりはおしゃべりな閻魔も言葉が出ないようで、虚太郎とふたり、顔を見合わせるだけ。
「これはわしの仕事に非常に重要なもの。調整は欠かさぬよう気をつけていたのだが、ほんの手違いで歯車が少し欠けてしまってな。そこから時間が逃げ出してしまった。あれが無いと、見る時代を定められず難儀する。ここには今しか無いゆえな。解決してくれて礼を言うぞ」
どういう原理になっているのか、虚太郎にはさっぱり分からない。そもそも蘇ってから何一つ、理解できたものなど無い。ただ「そういうもの」なのだと受け入れて、虚太郎は黙って頭を下げた。
「わしはこれを使って世界を観測し、理を歪める者を探し出しているのだ」
虚太郎が頷いたのを確認し、常盤は「ではわしは仕事に戻る」と、アーキトルーペを覗きはじめた。
常盤は顔を上げることなく、時間の歯車を細かく操作する。その流れるような所作はあまりにもよどみなく洗練され、身に染み付いたという表現そのものだ。どれだけのあいだ、どれだけの回数、同じことを繰り返してきたのか。虚太郎には計り知れない。
きっとこの先も、常盤はあらゆる時代、あらゆる場所を観測し、働き続けるのだろう。
自分も同じように、やりたいこと、やるべきことを見つけることができるだろうかと考えながら、虚太郎はしばらく常盤の姿を眺めていた。