■創造の室
■創造の室
あるのは途方もない自由。それ以外には何も無い。
思い描けば全てが現実。たったひとつを除いては。
全てを知らば不可能は無し。理想の泉に溺れゆく。
***
「やっほー。アタシの名前はミコ。あなたは?」
裂け目の扉から現れたミコと名乗る女性は、ニコニコと満面の笑みで虚太郎の前に立った。
水のような人。
対面する女性に対し、虚太郎が受けた印象だ。
ミコが纏っているのは、虚太郎が見たことのない白く長い羽織。彼女の動きに合わせてひるがえる裾が、波のように寄せて返す。
髪は顎先で切りそろえられているが、耳の横で一房だけが結わえられ、雫が落ちているかのよう。常盤の銀がかった白髪が静謐な厳粛さであるならば、ミコの淡水色は賑やかな水の戯れ。水面に反射で虹が映るように、淡く青みがかった薄い髪に光が反射して七色に輝いて見える。
彼女の周囲には、鮮やかな色の小さな魚が泳いでいる。おそらく彼女の式だろう。
「虚太郎です」
「虚太郎かぁ。これからよろしく!」
『こちらこそよろしくね! 僕は閻魔!』
「おぉ、黒い蜘蛛。よろしく! 虚太郎の式はしゃべるんだね』
閻魔をつつきながらにゃははと笑うミコは、とにかく明るく眩しい。式が心の一部であるならば、大気の海を華やかに踊る彼女の式は、まさしく似合いの姿と言えよう。
「虚太郎もこれからここで暮らすの? 部屋はもう創った?」
何かを考えるように黙ってふたりのやりとりをしばし見つめていた常盤が、ミコの問いに答えて前に出る。
「まだだ。丁度良い、お前が付いていろいろと教えてやってくれ」
「うわ。常盤ってば無責任。拾うだけ拾ってアタシに丸投げしちゃうんだ」
「違う。そうではない。わしとて必要なことがあれば助力は惜しまん。ただ、わしよりもお前が付いたほうが適任だと思っただけだ。頼んだぞ」
それだけを言い残し、常盤は何も無い空間に扉をつくりだすと、振り返ることなく扉のなかへ消えて行く。
常盤の居なくなった空間に向かい「へいへい」と返事をして、ミコは虚太郎へ向き直った。
「じゃあまぁとりあえず、虚太郎の部屋を創ろうか」
「分かりました。指示を頂ければ働きます。材料はどこでしょうか」
周囲には白しかない空間。どこかに出て木材の調達からであろうかと虚太郎が考えていると、
「あー、そんなのいらないいらない。ここは現世と同じじゃないから。大切なのは、強く想うこと。良い? 見ててね」
ミコは目を閉じて、静かに腕を前に出す。
すると、何もない空間に扉のような切れ目があらわれる。ミコが来たときと同じように。
そういえば先程は常盤も、何もないところに手をかざすだけで小石を生み出していた。
彼らは妖術のように、無から有を創り出す。
「できたよ。開けてみて、どうぞ」
ミコの目配せに頷いて、虚太郎は出現した扉に手をかける。
そのまま開くと、中に広がっていたのは窓も火も無いのに明るく照らされた部屋。
虚太郎にとって、そこはまた別の異界に感じられる場所だった。
途方もない空白が続く”観測者の地”とは変わって、部屋のなかはきちんと四方が壁に囲まれている。
壁際には長い机と、そのうえには四角い箱がいくつか並び、箱からは赤や緑の光が発せられていた。部屋の中央にも同じような高さの机や、足の高い椅子があり、また別の机には高価そうに見える硝子細工が使われたからくりのようなものや、精巧な刺繍が施された反物が広げられている。
どれも物珍しい品々だが、その並びはどこか整然とした機能美を感じさせた。
「ここ、私の研究室。どう? こうやって、好きなように部屋を創れて、好きなときに行き来できるんだよ」
「南蛮贔屓の大名屋敷よりも凄い……。これらの品は一体」
「あ、そこに驚いちゃった!? そっかなんか虚太郎って忍者っぽい感じだもんね。そのへんの時代の人なのか。未来の機械なんて見たことないよね。でも今言いたいのはそこじゃないんだよなー!」
「未来?」
「うんそう。百年とか二百年とか、もしかしたら千年とか。アタシは虚太郎よりもずっとながーい時間の先に生きてたの」
ミコは「そっかー」と額に手を打ち、
「感覚は昔の人なんだな。言葉が通じるから忘れてた。これもしかして翻訳切ると”拙者でござる”とか言ってるんだろうか……」と、何やら独り言を漏らしている。
勝手に入室しては無礼だろうと考え虚太郎が扉をとじると、扉はその場でスゥと上から消えてゆき、ふたりの周囲はまた何もない白い空間へと戻った。
「んーと、まぁまずはやってみるのが早いよね。とりあえず、虚太郎が身近に感じる場所……いつも眠っていた場所とか、生活を主にしていた場所を思い浮かべてごらんよ」
「わかりました」
言われるがまま、虚太郎は生前の生活を思い返す。一番よく夜を明かしたのは、やはりあの場所。自然の厳しさと豊かさ、夜の静寂が全てを包む、いくつもの命がただ生きるために生きる場所。
「思い浮かべた? じゃあ”そこへ行きたい”と強く願って、そこへ続く扉を想像してみて」
「はい」
あの場所の記憶は良いものばかりではない。殿様の命で潜伏していた関係上、安らぎとは程遠く。風雨にさらされようと、空腹に苛まれようと、緊張のままひたすら機を待つために過ごした場所。そんな場所でも、ときおり身体を触れ合わせる小さな命は愛おしかったと思い出す。
人生で一番長い時間を過ごし、身近だと感じるあの場所。
そこへもう一度、行く。
明確に意識すると、何かに導かれるような感覚がして、虚太郎の腕は無意識に前へ上がる。それだけで、常盤やミコがやったのと同じように、目の前に扉が現れた。
「上手い上手い。良いね。それじゃさっそく、虚太郎のお部屋拝け……ん!?」
意気揚々とミコが扉を開き、中を目にして、ピタリと動きを止めた。
扉の先の景色。そこは鬱蒼とした森であった。
湿った土と苔の混ざりあった地面は、平らな部分を探すのが困難な隆起であり、そこから生える草木は称賛に値するほど不規則。人の手が入れば必ずやどこかに規則性が生まれるものだが、その形跡が一切無い自然の森。周囲を見回しても獣道すら見つからない。
「屋外とは予想外だぁ」
「生活を主にした、身近に感じる場所ということだったので。以前はよくこういった山森に身を潜め、少し離れた街道や村の見張りをしていました。森は食料や水の確保もしやすく、身を隠す場所にも困りません。野草の隙間に伏せていると、ときおり小さな虫が這い登ってくるのがくすぐったいのですが」
ミコは額をおさえながらサッと手をあげ、虚太郎の説明を遮ると、
「あー、うん。わかった。そうなんだね。さすが忍者だ。サバイバルバンザイ! でもこれから毎日ここで生活するのはちょっとしんどいんじゃないかな? できれば、もっと雨風しのげる感じがいいと思うよ」
「わかりました。やり直します」
閉じられた扉が消え、また何もない白が広がって。虚太郎はふたたび扉を作り出す作業に集中する。
「できました」
「どれどれ今度は……洞窟だぁ!」
出来上がった扉を開き、ミコは大げさに声をあげた。
虚太郎が新たに作り出したのは、ゴツゴツとした土壁に囲まれた狭い空間。じめじめとまとわりつくような湿気が満ちて、天井から一定の間隔で滴り落ちる水の音が響く。壁に張り付く苔がかろうじて緑の差し色を作るも、暗茶色の薄暗さが憂鬱な空気を醸す。
「たしかに雨風はしのげるけど! 違うんだよ、そうじゃないんだよ。もう一回……もう一回やってみてもらえる? できれば次は屋内で頼むよ」
「わかりました。やってみます」
二度のやり直しにも折れることなく、虚太郎は指示通りに扉の創造に挑む。ほどなくして、新しい扉が現れる。
三度目の正直、今度こそ、とミコは扉を開く。
しかしてそこには。
「屋根裏だねぇ! しかも”明り取りの天窓と高めの天井で屋根裏も一部屋に。ロフト感覚で快適な住居空間”みたいなやつじゃなく! せっま。寝そべらないと入れないタイプの屋根裏! そのまんま板! むきだしの梁! 至近距離の棟木! 真顔でやるから真面目なのかボケなのか判断にこまるよ虚太郎~」
頭を抱えしゃがみこむミコ。
今度も駄目だったらしいと察した虚太郎は、「すみません」と再度のやり直しに向けて素早く扉を消した。
「あのさ、そんなに難しく考えなくてもいいんだよ。ちょっとゆっくり座ってお茶でも飲もうかな、なんて考えたときに、落ち着く感じの場所とかを軽くさ」
「そういう経験が無いので想像し難く」
「えっ、じゃあお休みの日とかどうしてたのさ」
「物心ついて殿に仕えたときより、暇は与えられた記憶がありません」
「ひえ~。じゃあ家とかほとんど帰ってなかったの?」
「そもそも家を持っていませんでした。時々、無人の小屋を拝借したり、山中に簡単な小屋をつくることはありましたが、それはあくまで一時的なもので」
特定の土地で農業でも営むのなら、日々帰る場所、定住する場所は必要であろう。
しかし、殿様の命にて各地を転々とする虚太郎には、決まった家が無くとも特別困った記憶は無い。
虚太郎は淡々と事情を口にする。
あくまで事実を述べるだけ。虚太郎にはさして私情など無かったが、聞いているミコにはそうでは無いらしい。
虚太郎が言葉を重ねるごとにミコの眉はみるみる下がってゆき、ついには涙ぐみはじめた。
「虚太郎、かわいそうじゃん! よし分かった。代わりにアタシが虚太郎の部屋創ってあげるよ。住心地の良さそうなやつをさ!」
「いえ、そこまでは」
「いーからいーから! 座って待て!」
「あっ、はい」
ミコの勢いに押され、虚太郎は黙って座り込んだ。
おとなしくしていた閻魔が肩口から這い出して、『役立たずだね虚太郎』と耳元で嘲笑う。
弁解の余地もないと情けなさに目を伏せれば、虚太郎の意識のなかに、ミコの呟きが入り込む。
「イメージ的にはやっぱり和室だよね。板張りのほうが馴染むかな? いや、でも畳のほうが落ち着くよね。電化製品は微妙かな? 家具は少なめで低めの机と木の棚くらいでいっか。あとはそうだ、座布団を置こう」
呟きからは、真剣に虚太郎の部屋を考えてくれていることがうかがえる。
三度も失敗を重ね、使えぬ、と切り捨てられても文句は言えないほどの失態を晒したというのに、怒るどころか助力をくれるというミコ。
『でも、嫌じゃないんでしょ。身の程知らず』
閻魔の言う通り。困惑はあれど拒否する気持ちにはならないことを、虚太郎は自覚する。以前の自分だったらどうしていただろうか、と思考しているうちに、ポンと肩を叩かれ、顔をあげれば扉が出来上がっていた。
「どうぞ。あけてみて」
「はい」
示された扉をゆっくりと開く。
まず目についたのは、静黙が心地よい真新しい畳。それから、深みのある色合いの桐箪笥。書き物もできるよう机も用意され、張りのある座布団が人の到来を待ち構えている。たるみのない障子戸からは明るく陽が差し込み、どこからか森のような緑の香りが漂い、鼻をくすぐった。
「どう? 気に入った? 今日からここが虚太郎の部屋だよ」
「素晴らしいです」
「うーんやっぱり真顔。でも気に入ってくれたみたいだね。良かった」
先ほど虚太郎が垣間見たミコの部屋は、見たこと無いものばかりの奇妙な部屋だった。一方で虚太郎のために創られたこの部屋には、馴染み深いものが揃えられている。それはミコが、虚太郎が過ごしやすいようあえてそのように創ったと見て良いだろう。
今日出会ったばかりの者に、どうしてここまで真剣に接することができるのか。これまで道具として使われるか厄災として厭われるかしてこなかった虚太郎は、常盤やミコのような対応をしてくれる相手に戸惑いを覚える。
「あの、この礼は必ず」
「いーっていーって。これから長い付き合いになるんだからね。それよりも」
ミコは笑顔で部屋のなかへ入り、虚太郎を手招きする。
「これを渡そうと思って」
箪笥のなかからミコが取り出したのは、片手で持てるほどの大きさの四角く平らな物体。硬い板が二枚組み合わさったそれは、書物のように開閉ができるようになっている。
ミコはそれを開いて虚太郎に手渡すと、「ここ電源、押してみて」と小さな突起を指した。
虚太郎が電源を軽い力で押し込むと、なんと上側の板が明るく光り、文字が浮き上がった。
「これはね、電子辞書。私の時代のもの。虚太郎が知らない言葉とか物とかいっぱい載ってるし、フルカラーで画像も出るよ。使い方はチュートリアルがついてるし、自動翻訳で読めるようになってるはずだから、興味があれば見てね」
「ミコさんの部屋にあった、光の出る箱と似たようなものでしょうか」
「パソコン? ああ、まぁそうかな? まったく同じものじゃないけど、電子機器という意味じゃあ同じくくりだね」
ミコは「いやしかし、忍者が電子辞書使ってんの絵面が面白いな」と一呼吸挟んでから、
「あのね、ここでは想像力が全て。だから物を知るのは良いことなの。ここでは思い描くだけでほとんどのものは創れるんだ。材料も道具も無しに、いきなり完成した料理だって出来ちゃう」
ほら、とミコが指を振れば、皿に盛られた一口大の焼き卵があらわれる。焼き立ての湯気まで立つそれは、香りまでもが素朴でかぐわしい。
ミコはそれを口に放り込み、「うん、おいしい」と飲み込んだ。
「だいたいなんでも創れる、とは言っても、ほんの一部だけ例外はあって。詳しく想像できないものや知らないもの、それと……」
パッと空き皿を消した流れでミコが掲げた手。その指先から、色とりどりのびいどろ玉が溢れ出す。コンコンと音をたてて足元に落ちてゆく七色。大小の玉が大波小並と並んだところに、ミコは二匹の魚をつくりだした。
七色の海で向かい合う魚と魚。片や、止まったまま透き通る飴細工の魚。片や、水を求めて泳ぎ出そうと跳ねる魚。
「新たな命は創れない」
ミコが言うと同時、ピチピチと跳ねていた魚が尾ひれのほうから崩れてゆく。
鮮やかな青い魚は、やがて砂のような細かな粒子となって消え去った。
「これだけは、どうしても駄目みたい。今はまだ、ね。でもそれ以外なら、ほとんどのものは知りさえすれば不可能は無い。だからその辞書、絶対役に立つと思う。この部屋も、慣れてきたら自分で好きに改造していいから」
「ありがとうございます」
「じゃあ私は戻るよ。何か困ったら呼んでね。さっき見た私の部屋を思い浮かべれば扉が繋がるから。あ、この飴あげる。食べていいよ」
はい、と残った飴細工の魚を拾い上げ虚太郎に手渡して、ミコはひらりと手を振り去ってゆく。
その後ろ姿を、虚太郎は頭を下げて見送った。
渡された親切を、手の中でもてあましたままで。