■命の天秤
■命の天秤
ひとつとひとつで、等価交換。
どこかでひとつが消え去れば、どこかでひとつが生まれゆく。
消えないものが有るならば、代わりに生まれるものは無い。
***
虚太郎が目を開けると、またしても見知らぬ場所に居た。
どこまでも続く白い地と、白い空。上下の景色の境目が見えず、この空間が無限に広がるかのような錯覚を引き起こす。
『どこだろうね、ここ』
虚太郎と閻魔が周囲を見回していると、いつのまにか眼前に常盤が立っていた。つい先程別れたばかりのはずなのに、なぜか懐かしさを覚える。
今はもう、常盤の背中に大きな翼は無い。虚太郎の呪いと同じく、出し入れが自由なものなのだろう。
「よく来た、虚太郎。万華鏡は守りきったな?」
「はい」
虚太郎は頷いて懐に手をやり、万華鏡の無事を示す。
「幻のようなものに、執拗に狙われました。ああまでして彼らが欲しがるこの万華鏡というのは、何なんですか?」
「それを知るには、まずは世の理を知らねばならん」
そう言って常盤が取り出したのは、鈴の音が鳴る金の天秤。
これには虚太郎も見覚えがある。
呪いを身に受ける直前にも、常盤が使っていたものだ。
「これは命の天秤。この釣り合いを取ることが、わしの仕事だ。と言っても何ぞ報酬が出るわけでもないがな。理を歪める者があれば正しい道へ導いて、世の理を守っている」
常盤は天秤をそっと持ち上げ、自分と虚太郎の間に置いた。
足元の天秤は、ピクリとも揺れることなく、糊で固めたかのように平行を保っている。
「これが正しい状態だ。正しい状態であれば、秤が傾くことは無い。どれだけ重りを乗せようとも」
常盤は手に持っていた錫杖の先を天秤の上に乗せる。錫杖はそれなりの重さをしていそうに見えるが、秤は平行を保ったまま少しも動く気配が無い。
『ほんとだ。動かないね』
「だが、こうすると」
と、常盤は天秤を虚太郎の足先まで移動させた。すると、天秤がチリンとひとつ鈴の音を響かせて、ガクンと大きく片側に傾いた。あの山のなかで、虚太郎の前に置かれたときと同じように。
「この天秤は、命の重さを測るもの」
――この世界では。
命の総量が決まっているという。
ひとつ命が失われれば、同時に新しい命がひとつ生まれる。
かならずふたつが対になり、消失と誕生は同時に起こる。
命の重さは全てが同じ。語り継がれる偉人が死んで、一匹の虫が生まれたとしても、重さは平等に一つ分。それが常盤の言う、世の理。
ところが。
時折、この理を歪める者があらわれる。
「それが、お前のような者だ」
「すみません」
「気にするな。お前は知らずにそうなってしまっただけだろう。責めるつもりはない。もっとたちの悪い……歪みを知っても諦めない者もおるからな」
どこかに心当たりがあるのだろう。常盤は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「俺はなぜ理を歪めてしまったのでしょうか」
「お前は死を、何と心得る?」
「心の臓が止まることでは?」
常盤は静かに、首を横に振る。
「いや、違う。死、とは。肉体の停止と、その魂の消失をもって成されること」
「魂の消失」
「ああ」
殿様に殺された時、虚太郎は死んだはずだった。
だが常盤に言わせれば、それはあくまで肉体が停止したに過ぎない。虚太郎の魂は呪いによって現世に囚われ続け、正しい死を迎えていなかった。
するとどうなるか。
次の命が、生まれないのだ。
「わかりやすく教えてやろう」
常盤はサッと地面に手のひらをかざす。瞬間、その場にいくつかの小石があらわれた。
『えっ、その石どこから出したの?』
「それは後で分かること。今は黙って聞け」
常盤は石を行列のように並べ置く。
列は二列。それぞれに並ぶ石の数は同じ。
一方は死の列、もう一方は誕生の列。
「命は順番に巡る。ひとつ命が失われると、その魂は、次の命を得る順番待ちの列に並ぶ」
常盤は死の列からひとつ石をつまみあげ、誕生の列の最後尾に移す。誕生の列からは最前にある石をつまむと、今度は死の列の最後尾へ。”∞”の字を描くように、石はくるくると巡るも、左右の列にある石の数は常に同じ。
誕生と死は、こうして均衡を保ちながら巡ってゆく。
「ところが。完全な死を迎えぬ命があると、死と誕生の釣り合いが取れなくなる」
常盤はまたひとつ死の列から石を取り、ふたつの列のどちらでもない場所へ無造作にはじいた。
『死の列の石がひとつ無くなったら、誕生の列の石がひとつ多くなるね』
「うむ。だからこちらからもひとつ命を抜かねばならない」
常盤はうなずくと、誕生の列からもひとつ石を抜き出し、死の列からはじいた石の隣へ。石同士がぶつかると同時、並んだふたつの石がゆっくりと溶けだし融合する。
石は二つが合わさった大きさになり、赤く染まって変化を終えた。
『呪いの色だ。これが虚太郎ってこと?』
「ああ。正しい死を迎えねば、次に生まれるはずであった命が消え、死ぬはずであった命に取り込まれてしまう。命の重さが、変わるのだ。こんなことが頻繁におこってしまえば、いずれ生命が誕生しなくなり現世は滅びを迎えるだろう。だからわしは、この列の均衡を保つために働いている」
『常盤さんはつまり、世界を守っているの?』
閻魔が無邪気に問いかけるも、常盤は憂い気に目を伏せた。
「そこまで大仰な言い方をするつもりはない。ただの暇つぶしだ」
虚太郎の足先で傾く天秤。それが表すのは、虚太郎が持つ命ふたつぶんの重さ。
虚太郎は赤く染まってしまった石に視線を落とす。
ふたつの石が合体してしまった、少し大きな石。
虚太郎はその石を拾い上げると、呪いを使って半分に割り、死の列と誕生の列、それぞれの列へ戻した。
「俺が正しい死というのを迎えれば、同時に生まれるはずだった命も一緒に正しい道に戻れる、ということですか」
「そうだ。あったはずの命を刈り取ってしまうことがないようにな」
まるで戒めのような厳しい口調で告げる常盤。その言葉は、虚太郎以外の者に向けられたともとれそうな響きを持っていた。