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■境界線の幻

■境界線の幻


 境界線を越えるなら、過去を置いて行きりゃんせ。

 振り返らずに後戻りせずに、未練を断ち切って生きりゃんせ。

 さもなくば未来が奪われて、朽ちもできずに檻の中。


***


 前方に伸びる道は村の中心を通って、幼き頃に駆け回った森へ続く。

 背後を振り返れば、村の入り口を表す簡素な木柵が佇んでいる。


 何の特徴もない田舎の農村。


 懐かしい故郷の景色を一通り見回したのち、

『ひたすらまっすぐにすすめ』

 という常盤の言いつけの通りに、虚太郎は前へと一歩を踏み出した。


 森へ続く畦道を進む。

 歩みとともに移りゆく景色は、記憶にある故郷と寸分違わぬ様子。

 泥臭い土の香りと、微かな日差し。少し痩せた田畑を耕す人々の姿。


 このために、生前の虚太郎は厄災となった。


 村の土地は肥天とは言い難く、作物が育ちづらい。

 森に囲まれた盆地は隠れ里のような場所に位置しており、街道から逸れているため商いも難しい。

 村は、とかく不便で貧しかった。


 そこで村人たちが生きるために選んだ方法は、人を売ること。一芸に秀でた者はその身と技術を。芸の無い者は労働力を。一時の出稼ぎのこともあれば、生涯全てを売りに出す者もいた。


 その報酬(みかえり)で、村は存続する。報酬はときに金銭、ときに食物、ときに技術や情報。その他、村にとって有益となるならば何でも良かった。


 そうして虚太郎もまた、物心ついた頃に村を出て、殿様のもとへ仕えることとなった。

 虚太郎が生涯をかけて得た報酬は、村の安全。

「忠義に厚く仕えれば、お前の故郷には攻め入らぬ」

 という、殿様の一言。 

 

 それ以来、虚太郎は厄災として生きた。

 自らの心を殺し、無辜の民を殺し、ときには同じ主人を持つ仲間をも殺す。

 殿様が発するあらゆる(めい)に従ったのは、全てこの景色を守らんがため。


 自分が生前にしたことは、業は深くとも決して無駄ではなかった。と、虚太郎の心に久しく無かった安堵という感情が芽生えようとしたその時。


「どうか、命だけは!」


 背後で悲鳴がし、振り返ると、村の入り口付近に人だかりができていた。 

 

 つい今の今まで静かだったはずなのに。

 村の様子が一瞬にして一変。


 いつの間にか方方(ほうぼう)に煙が立ったかと思うと、あっと言う間に火の手が上がりはじめた。

 炎は流星のように勢いを増す。そちらに目を止めているあいだに、村の入り口の人だかりも膨れ上がっている。

 

 まるで時間が虚太郎を置き去りにしているかのように、周囲の様子が目まぐるしく変化してゆく。

 状況を探る隙が無く混乱する思考。燃え広がる炎。大きくなる喧騒。増えてゆく人。馬の嘶き。


「虚太郎! 助けて!」

 ふいに、服の袖を掴まれた。視線を落とせば、見覚えのある顔。

 虚太郎が村を出る前、共に技を競い合った幼馴染の少年。


「殿様がこの村を焼きに来た! 虚太郎、なんとかして! 村の入り口まで戻って!」

「えっ」


 まさか、と、袖を引かれるままに虚太郎が駆け出そうとすると。


『待って!』

 

 虚太郎の足元に、素早く閻魔が飛び出した。


『戻っちゃだめ!』


 思わず閻魔を踏み潰してしまいそうになり、なんとかすんでのところで足を止める虚太郎。

 その袖を、幼馴染はお構いなしとさらに強く引く。


「はやく! 皆殺しにされてしまう。今ならまだなんとかなるよ。急いで戻って」

『戻っちゃだめだ。常盤の言いつけを破っちゃいけない!』


 閻魔の声と、袖を引く幼馴染。正反対の意見が虚太郎を挟み激しく飛び交う。

 どちらの指示を聞くべきか。迷う虚太郎に、幼馴染から届く決定打。


「全部虚太郎のせいだ。お前のせいでこの村が焼かれてしまう。見捨てるつもりか!?」


「それは」

 できない。と、虚太郎が来た道を戻りかけた刹那。


『だからだめだってば』


 突如、閻魔が膨れ上がり、幼馴染と虚太郎を分断して壁のように建ちはだかった。


『本当は気づいているんでしょ。これはまやかし。村を出てからどれだけ経ってる? 村に居た頃と変わらない幼馴染の姿は何さ? 成長してないのはおかしいよ。村の様子だって、記憶とまったく同じなのは不自然だ』


 閻魔の言うことも一理ある。虚太郎が村を出てから、もう幾年も経っている。

 子供だった虚太郎は成長し青年となり、そして死んだ。

 村を出てから死ぬそのときまで、虚太郎は一度も村へ帰ってはいない。にもかかわらず、まるで村を出た瞬間に時間が止まってしまったかのようなこの場所の様子には違和感を覚える。


 けれど。


「もし本物だったら、ここで見捨てては」


 人生が無駄になる。

 このために厄災となったのに、ここで全てが無に帰すのはあまりにも。


(おご)るなよ! きみは失敗した。現実じゃとっくに殿様に殺された。その時点で、いや、その前に約束は破られてる。自分の存在価値を、理由を、村に押し付けるな。”村を守ってる”なんてただの厄災の言い訳だ。ここで引きかえしても、村を逃げ道にして人殺しを繰り返した事実は変わらない』


 閻魔の言葉に、虚太郎はひとつの反証もできない。全て認めざるを得なかった。


『心配しなくても村はじゅうぶんに強い。きみの代わりはいくらでもいるし、新しい代表(ひとじち)を出すか抗うかしているよ。きみの役目はもう終わってる。村にこだわるのはやめるんだ』


 虚太郎が何も言えず立ち尽くしていると、すぐそばで、ふいに何かが蠢いた。

 最初は虫が這うように小さく。徐々に蠢きは程度を増し、土塊がボコボコと音をたて盛り上がってゆく。

 それはみるみるうちに人のかたちを取り、幼馴染の姿を形成すると、ふたたび虚太郎の袖を掴んだ。

 

「ねえ、助けてよ虚太郎、村が焼けちゃう!」


『逃げよう!』


 壁となっていた閻魔は瞬時に手のひらほどの大きさまで縮むと、虚太郎の目線の高さまで浮きあがり、森の方角へと飛ぶ。

 袖を掴む手を振り払い、虚太郎も後に続くべく、急ぎ強く地を蹴り駆け出した。


 逃げる虚太郎の背を、幻の幼馴染が追いかける。


「虚太郎、行くな。村を裏切るつもりか?」


 幻の幼馴染は、少年のような体格には不釣り合いに速い。虚太郎とて全速で走っているが、幻に少しずつ距離を詰められる。


「逃げるのならばせめて万華鏡を寄越せ。お前の心を置いていけ!」


 追手の声に、閻魔が反応した。


『なるほどね。ここは境界線。異界へ続く幻の道。常盤が言ってたとおり、やっぱり本物の故郷じゃない。奴の狙いは万華鏡。あの姿は罠だ。通る者が気にかける姿で足止めして、万華鏡を奪ってるんだ』


 心当たりがあるゆえに、閻魔の仮説に虚太郎は黙って頷いた。


 常盤によって復活してすぐ、虚太郎の脳裏をよぎったのは、”自分が死んだあと、もしや殿様は村を焼き払ってしまったのではないか?”という懸念。

 それを幻の追跡者に利用されたのだ。自分が厄災となることで村を守っているという自己欺瞞を、今の今、指摘されたばかり。そこに追い打ちされたようで、虚太郎は歯を食いしばる。


 視線を背後に向ければ、あと少しで触れられる距離まで、幻が迫っていた。

 

「置いていけ! 万華鏡を寄越せ!」


『追いつかれる!』


 虚太郎の身を絡め取ろうと、幻が手を伸ばす。

 いっそ戦うか、と虚太郎が振り返った瞬間。炎のような黒い影が虚太郎の足元から立ち昇り、刃物の様相を成す。


『呪い、良いじゃん!』


 虚太郎は呪いで創った刃物を掴み、迫る幻の腕を斬り落とした。腕は宙を舞い、土塊に戻って溶けてゆく。

 

『今のうちに走れ! 出口はもうすぐだ』


 先行していた閻魔に言われ森の方角を向けば、少し先に淡い光が見えた。

 ここへ来るときに常盤が地面に描いていた文様から出ていた光に似ている。あれがおそらく出口の扉。


 背後では再び土が盛り上がり、新しい幼馴染が生まれようとしている。


『分からないことは常盤に聞こう。ここを抜ければきっとまた会えるから』

「分かった」


 光に向かい、虚太郎はもう一度走り出す。あと少し。


「虚太郎! 村を捨てないで」

「虚太郎がいないと、僕らは」


 近づいては遠ざかる手招きのような声に追われながら、虚太郎は駆けた。ただただ前へ、道の先へ。


 やっとの思いで振り切り光の元へ到着すると、やはり地面に円と文様が描かれている。

 胸元に手をあてれば、軽い筒の存在。万華鏡は守りきった。


 来た道を振り返ると、あれほど間近に迫っていた幻はいつの間にやら消えていた。

 騒ぎのあった村の入り口付近の人だかりも無くなっている。


 ここにあるのは、静かで、懐かしい故郷。

 何者にも(虚太郎自身も)脅かされることなく(干渉できない)、記憶という止まった時間のなかにありつづける風景。


「さようなら」

 故郷に別れを告げて、虚太郎は光のなかへ足を踏み入れ目を閉じた。

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