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■成長する山

 ■成長する山


 はじめは、誰もが「気のせいだ」と思っていた。

 まさか、山が日毎に成長するなんて。

 いつからだろうか? 村の夜明けがこんなに遅くなったのは。


***


 ある田舎の村の近くに、山があった。

 村に差し込む陽の光を遮って、高く高くそびえたつ。


 村人は言った。

「ここ最近、急に山が大きくなって」


 本来、山というものは。

 人の命にすれば何世代、何十世代、それ以上の期間をかけてゆっくりと姿を変えてゆくものである。


 ところが。

 事実、この山は日毎に成長しているように感じた。実際に目に見えて大きさが変わったわけではない。が、なぜだか大きくなっているように思えてしまう。


 はじめは誰もが「気のせいだ」と笑い飛ばした。

 しかし、村は日増しに(かげ)り、作物までもが枯れはじめ。こうなってはもはや気のせいでは済まされない。村人のあいだには不安が募る。

 人々の心もささくれ立ち、村からはだんだんと笑顔が消えた。

 原因を探ろうと山に立ち入る者は、出てくる頃には気が触れて(おかしくなって)いる。


「あの山は、呪われている」

 

 人々は怯え、次第に誰も山には近づかなくなり。

 いつか、誰かが解決してくれるのをじっと待つより他なかった。




 そんなある日のこと。


 霧深く立ちこめる逢魔時。橙と紫が交じる空の下。

 人知れずひっそりと、山に踏み入る男がひとり。


 銀がかった白い長髪を頭頂後ろでひとつに結わい、金の瞳をした端正な顔立ち。修験者に似た装いで、一見して人のように見えるも、その実、人の常識でははかりきれない存在。


 何を隠そうこの男、天狗である。

 異界で暮らし、永く現世を観測し続ける者。そして現世に歪みを見つければ、正しい道に戻す。

 そのために、今日もはるばる異界からやって来た。


 周囲を見回して、天狗は眉間に皺を寄せる。

 山のなかは、ひどい有様。粘つく泥のような土が足を撫で、腐った匂いが鼻に絡みつく。

 黒い霧が地面から湧きあがり、奥へ向かうほど視界が悪くなる。


「げほっ。これは酷い。普通の人間では到底耐えられまい」


 足をすすめながら、天狗は思わず咳き込んだ。

 この黒い霧は、邪気と呼ばれる悪いもの。知らずのうちに吸い込めば、たちまち心身を弱らせる。

 周囲に漂う邪気は、法力で身を守っている天狗ですら、気を緩めれば精神が侵されそうなほどの濃さ。


 山が成長したように感じるのも、これが原因だ。

 邪気は普通の人間には見えないものだが、目に見えずとも影響はある。邪気が山を覆い尽くしているせいで、人々は、山がひとまわりもふたまわりも大きくなったように感じてしまう。


 しかし天狗がやって来たのは、この邪気のためではない。歪みを生んでいるのは、別のもの。


 しばらく進んで、山の奥深く。ひときわ邪気が濃密な場所。

 炎のような黒い影が立ちのぼる場所にたどり着き、天狗は足を止めた。

 足元には、ひどく汚れた骨が転がっている。まともに埋葬されず乱暴に打ち捨てられた、とある人間の骨。

 

「これだな」


 目的のものを発見し、天狗は手にした錫杖でトンと地面を叩く。

 なにかを呼ぶように、トン、トンと二度、三度。

 最後に一度、ドンと強く打ってから、天狗は静かに口を開いた。


「死者呼魂の術」


 死者呼魂の術。その名の通り、肉体が滅びたあとも魂だけの状態となって現世に留まっている者を呼び出す術。


 術が発動すると、骨の下の土がむくむくと膨れはじめ、ボコっと音を立て人間の手が生えてきた。そのまま頭、身体と続き、やがて全身が露わになる。


 そうして土の下から這い出てきたのは、忍び装束を着た男。

 魂だけの存在で呼び出されたゆえに、実体が無く透けている。


 少年と呼ぶには大きく、老年にはまだ遠く。年の頃、二十といくつかに見える青年。

 黒い髪、黒い瞳、黒い装束。手袋で手先まで黒く覆うなか、首元に巻かれた手ぬぐいだけが赤く、風も無いのにゆるやかになびいている。


 対面して、天狗は青年に違和感を覚えた。


 死者呼魂の術で呼び出した魂は、多くの場合、自我が強い。

 それもそのはず。

 魂だけが現世に残るには、強い想いが必須。いくら外見が透けていようと、内面には、現世に残り続けるだけの気持ちが必要になる。


 なのにこの青年からは、それがまったく感じられない。

 存在感があまりに希薄。


 闇間(やみま)硝子(ガラス)を見るような感覚を振り払うべく、天狗はひとつ咳払いをして、青年に問いかけた。


「お初にお目にかかる。わしの名は常磐(アイオン)。突然呼び出してすまないが、ひとつ聞きたいことがある」


「はい」


 青年が返すのは、たったの二文字の短い返事。

 その声色は、抑揚少なで無感情。


 そのうえ髪型のせいで、表情も読みにくい。

 なだらかに頬まで伸びた長い前髪が、まるで仮面を着けているが如く、顔の右半分を覆い隠す。

 (ひたい)の分け目から覗く左瞳は陰気に(かげ)り、向き合うと、虚無を相手にしているような感覚がする。


「単刀直入に言おう。お前はもう死んでいる。なぜ死を受け入れず、魂だけで残り続けている?」

「分かりません」


 ぼんやりとして、何も映していないような濁った青年の視線は、常盤の身を通り抜けてどこか遠く。

 要領を得ない返事に、常盤は低く唸る。


 どうしたものかと向かい合っているうち、ふと、常盤は邪気の流れが一定の動きをしていることに気がついた。

 黒い炎のような邪気は、近づいたり遠ざかったりしながらも、青年を囲って揺らめき続けている。


「青年。邪気、いわゆる呪いを引き寄せているようだが、心当たりはあるか?」

「はい」

「聞かせてくれ」


 青年は頷いて、すでに幕を閉じた人生について語る。

 呪われて当然の生涯だった、と。

 

 まだ身体を持っていたとき、青年はとある殿様に仕えていた。

 殿様に命じられるままに村を焼き、人を攫って売り飛ばし、抵抗できぬ者を斬り。数え切れないほどの命を奪ってきた。

 そして最期は因果応報と、仕えた(あるじ)にすらも疎まれ殺された。

 それが、青年の短い人生の全て。


「なるほど」


 青年の話を聞き、常盤は先程から感じていた違和感の正体、青年の存在が希薄な理由に思い当たった。


 青年には、心が無い。


 人生を過ごすうち、意志を、心を、感情を失ってしまったからっぽな人間(いれもの)

 この青年はおそらく、「愛している」も「死んでしまえ」も、同じ調子で言うだろう。


 それと同時に、本来ありえない現象、意志無き魂が現世に残り続ける理由も理解した。


「お前は自分の意志で残ったのではない、な。縛られているのか」


 魂だけの存在が世にとどまり続けると、それが現世の歪みとなる。

 よって常盤はこういう存在を見つけたとき、彼らの魂がきちんと死を受け入れられるよう導きにやって来る。


 しかし、死を受け入れるための心がなければ、魂を正しい死に導け(歪みを正せ)ない。

 

 常盤はふところから小さな金の天秤を出し、青年の足先に触れるように置いた。

 天秤はチリンとひとつ鈴のような音を鳴らすと、地面に着いてしまうかと思うほどの勢いで、ぐるんと大きく傾いた。


「やはりこのまま放ってはおけん。どうにかして正しい道に戻さねばならないが」


 常盤は天秤を丁寧に布で包んで収めてから、ゆっくりと周囲を見回した。


 青年は薄く揺らいでひどく曖昧。心の無い魂は、今にも崩れそうな空の器。


 一方、黒く燃え上がる炎は力強く渦巻いて、青年を取り囲み揺れている。

 その様子は、まるで牢獄。絶対に逃しはしないぞ、と言っているかのような、強い意志を持つ呪いの塊。


「器と、意志。使わない手は無い、か」


 常盤は「ふぅ」とひとつ息を吐き、青年に向き直る。

 

「青年、名前は?」

虚太郎(こたろう)です」


「では虚太郎。今からこの山を覆う呪いを、全てお前に移す。膨大な量の悪意、怒り、恨みつらみ。あらゆる怨嗟がお前の内に入りこむ。途方も無い苦痛をともなうことになるだろうが、耐えてくれ」

「わかりました」


 あまりにもあっさりと、虚太郎は承諾した。青年の瞳は、人であることを捨て、影と成りきってしまったもののそれ。

 苦痛を受けることにも、恨まれることにも、まるで躊躇のないこたえ。

 今までずっと、そうしてきたゆえに。魂だけになってもそれは変わらず、ただ黙って指示にしたがうことが染み付いてしまっている。

 

「はじめるぞ」


 常盤は厳粛に宣言し、錫杖を強く握り直した。

 精神を集中して経を唱えると、常盤の身体が淡く光を放ちはじめる。


 光に照らされた呪いの黒炎は、苦しげに揺らぎ狂い、逃げ場を求め、虚太郎の身体へ集まってゆく。


「ぐっ……」


 覚悟していたとはいえ、あまりに重い呪いを一度に受け虚太郎はその場に膝をついた。


 虚太郎の脳内に、生前の記憶が流れ込む。

 その人生のなかで見てきたものが、鮮明に、たった今目の前で起きていることのように強制的に浮かび上がる。


 呪詛を吐き叫ぶ女。泣いて震える子ども。怒り狂い向かってくる男。飛び散る鮮血。溢れる臓物。炎のなかで呻く声と、見開かれた苦悶の目。

 眠りのなかで消えていった者もあれば、激しくぶつかった者もあり、諦めた者もあれば、最後の最後まで抵抗し続けた者もいる。


 数十、数百、数千。

 これまで虚太郎がその手で奪ってきた、あらゆる活動と命のひとつひとつが。あらゆる恨みが。怒涛の勢いで虚太郎を責め立てる。決して忘れさせはしないと、心と身体に深く刻み込まれる怨嗟の声と眼差し。


 その記憶と同時、死の間際に受けた拷問の感覚にも襲われる。

 爪先からはじまり、皮膚が裂かれ、骨が砕かれ、臓器を弄ばれる息苦しさ。苦痛は四肢から体幹を伝い、最後は頭部にのぼって右眼。死の直前、(あるじ)に焼かれ感覚を失ったその場所が、ジリと再び熱を持つ。熱はだんだんと強く、激しさを増し。眼球からは炎が溢れ、身の内側を焼き焦がす。


 呪いを受け、だんだんと虚太郎の外見が変化してゆく。

 ぼんやりと透けて揺らいでいた身体がくっきりと輪郭を持ちはじめ、黒い髪と瞳が、上からじわりじわりと赤く染まる。



 影が――意志のないモノが、人としての実体を持ってゆく。

 (うつろ)(うつわ)が、満ちてゆく――。



 ひとつ夜を越えるほどの時間が経ち、経を唱える常盤の声が掠れ尽きる間際。

 やっと、山を覆う呪いの霧が全て晴れた。


「終わった。これで、山に広がっていた呪いは全てお前のなかに。一点に収まった」

「はい……」


 はぁはぁと息をつく虚太郎。

 その姿を見下ろす常盤にできることは、労いの言葉をかけるのみ。


「よくぞ耐えきった。外見が少々変わったが、いずれ慣れるはずだ」


 虚太郎は、近くの水たまりに映して自身の姿を確認する。

 そこにあるのは、見るたびに苦しみを思い出せ、と言うかのような呪いの姿。


 髪の色は蘇芳(すおう)に、左眼の色は朱殷(しゅあん)に。

 どちらも、光の当たらないところで見た血の色を思わせる赤。無念に殺された人達の苦痛を象徴するような、返り血の色。

 身体の周囲には黒い(もや)がただよい、朧に姿を滲ませる。

 そして右眼は、燃えたまま。火眼金睛(かがんきんせい)。炎を閉じ込めた眼球と金の光彩が、前髪に隠された奥で光る。


「厄災には似合いの姿です」

「いや、それは違う。お前の姿が変わったのは、責を受け止めた証。厄災と呼ばれるためではない」


 常盤の説得が虚太郎に届いた様子は見えず。心を殺し一生背負い続けた(とが)が、言葉ひとつで取り払えるわけがないのも道理。


 ならば、と常盤は虚太郎の腕を掴み、


「信じられぬなら、見せてやろう」


 その瞬間、バサリ、と大きな音をたて常盤の背中にあらわれたのは、大きな白い翼。

 掴んだ腕をしっかりと握りしめると、常盤は虚太郎を連れ、上空へと()んだ。


「見ろ、虚太郎」


 常盤が指すのは東の方角。

 そこにあるのは、煌々と輝く明けの空。

 呪いの霧に覆われた山からは、決して見えなかった光。


「どうだ、美しい光景だとは思わんか? それにな」


 続けて常盤は、薄い布をとりだし頭から被ると、虚太郎の腕をひいたまま山のふもとへと降りて行く。


 ふもとの村では、早朝にも関わらず、村人達が総出で空を眺めていた。


「おお! 見ろ、日の光だ! 奇跡がおこった!」

「山が小さくなったのか。また光が差すようになったんだ!」

「ありがたやありがたや。これでまた作物が育つようになる」


 常盤が被った布の効果で、ふたりの姿は村人達からは見えない。

 仮に見えたとして、ふたりに気を止める者がいたかどうか。

 皆の視線は、ただただ空へ。永く拝めなかった朝日に、喜びの声をあげながら。


 空を仰ぐ人々のなか、常盤と虚太郎のふたりだけがじっと人々を眺め立つ。 


「これが、今日のお前の行動の結果だ。厄災がこれほどの喜びを生み出せると思うか?」

「これは俺ではなく常盤さんが」

「いくらわしとて、あの呪いを全て身に受けるには器が足りん。普通の人間では(あふ)れ、壊れてしまうのだ。お前が(うつろ)だったからこそ、引き受けることができたものだ」

(うつろ)だったから?」


 ほんのわずか、虚太郎の眉間に皺が寄ったのを、常盤は見逃さなかった。

 表情の出現。感情の発露。それは、(うつろ)が満ちたしるし。


「お前はこれから人生の続きを歩まねばならない。だがこれからは、厄災としてではなく、だ」

「そういえば、もう透けてませんね」

「”人”は普通、透けてはおらんからな」

 山の呪いは解け、厄災は消えた。


 そのままふたりは、村に戻った活気を見て歩く。

 静かにゆっくりと、日が真上に昇る頃まで。

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