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劫波異相見聞録(かるぱいそうけんぶんろく)  作者: あっきコタロウ
外伝

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25/26

■夢見のコハク

■夢見のコハク


 ねえ助けて。怖い(げんじつ)を見るんだ。

 何かに襲われるようなものじゃなくて、ただ日常を過ごすことに不安を感じる。

 そんな白昼夢を。


 ***


 その日。ミコの部屋へ訪れた虚太郎は、戸を開けた瞬間、鼻についた匂いに一瞬動きをとめた。

 

 嗅ぎ慣れた匂いがする。

 血と、臓物の匂いだ。


 なぜ、ミコの部屋でこんな匂いが?


「ミコさん」


 虚太郎は訝しみ、背を向けて立つミコに声をかけた。

 ミコは返事も振り返りもせず。部屋の中央にある台に向かって、何かの作業を続けている。


「ミコさん」

『おーい、ミコ?』


 閻魔とふたりで呼びかけながら、ゆっくりと距離を詰めてゆく。

 よほど集中しているのか、やはり反応は無い。


 近づくにつれ、作業台の周囲に赤黒い色が散っているのが見えてきた。呪われた虚太郎の髪色とよく似た赤。何かを解体しているようだ。

 

 もしかしてミコは、料理に興味が出たのかもしれない。

 願うだけで何でも創り出せる観測者の地。いくらでも調理済みの食料が出せるとはいえ、途中の工程を自分で試すのも経験になる。彼女は今、料理という体験に没頭しているのだ。

 台の大きさから推測するに、食材はうさぎや鳥では無さそうだ。何らかの大型動物。牛か、馬か、羊を食べる文化もあるという。

 

 ”そんなわけが無いだろう”と囁きかける思考を振り切り、あえて楽観した考えでミコの隣にたどり着き。

 白い細腕が解体するものを確認し、虚太郎はゆるやかなまばたきをひとつ。


 やはり人だ。


 台のうえに横たえられた身体には大きな布が被せられていて、詳細は視認できない。とはいえ、動物のもので無いのは確かだった。

 布の一部、ちょうど全体の真ん中あたりに大きな穴が開いており、そこからはみ出す臓物は嫌というほど見慣れた形状。人間の物で間違いない。


「ミコさん、何をしているんですか?」


 真横から声をかけても、頭が上がることはなく。作業の手も止まらない。

 虚太郎は仕方なく、動き続ける腕へソッと手を伸ばす。


「ミコさ……」

「邪魔しないで!」

『わっ』


 途端、強い反発。

 伸ばした手が素早く振り払われ、その衝撃で台を覆っていた布の一部が落ちた。

 遺体の顔が顕になり、虚太郎は息をのむ。


 台のうえに横たえられ、腹を裂かれているのは――ミコだ。


「え……?」


 ミコが、ミコを解体している。

 これは夢か幻か。異様な状況が戦場のような香りと相まって、思考は混乱の渦を巻く。

 

「ミコさん、どういうことですか? ミコさん。ミコさん?」


 何度呼びかけても反応は得られない。虚太郎がほとほと困り果てて立ち尽くすと、閻魔が肩から飛び降りた。 

『これじゃ埒が明かないよ。とにかく動きを止めないと。虚太郎がやらないなら僕がやる』

 言うが早いか、閻魔はミコの足元から器用に身体を這い登り、首筋までたどり着くと、小さな刃物がついた鋏角でガブリ。

 

「痛っ!」

 流石に攻撃を加えられてはたまらないと見える。まとわりつく八本足を払いのけようと、ミコは作業の手を止めた。


「ちょっと、何すんの!?」

「ミコさんこそ何をしているんですか?」

「見て分からない!? 解剖だよ、解剖!」

「なるほど」


『じゃないでしょ!』


 鬼気迫る返答に気圧され頷く虚太郎の肩口まで這い戻り、小生意気な蜘蛛が後を継ぐ。


『なんで解剖してるの? この人、ミコと同じ顔してるのはどうして? どこから持ってきたの?』

「もー! うるさいなあ! いいからほっといてよ! 帰って!」


 おおげさな動作で台に両手を叩きつけるミコ。大きく開かれた手は小刻みに震え、ギリと齒を食いしばる音が漏れ聞こえる。

 あまりに余裕が無さすぎる。普段の彼女からは想像もできない様子に、一人と一匹は顔を見合わせた。


「邪魔してすみません」


 震える白衣には、取り付く島が無い。やむを得ず虚太郎はそのまま後ずさって戸をつくり、後ろ手に引いて部屋を出た。

 

 戸をつなげた先は自室、ではなく。

 あらゆる事象に詳しい天狗の元。

 豹変したミコとは対極、常と変わらぬ面持ちでアーキトルーペに張り付く姿に、虚太郎はかすかに安堵する。常磐なら、何か知ってるかもしれない。


「常磐さん」

「ん。どうした?」

「ミコさんの様子がおかしいです」

「あいつはいつもおかしいだろう」

『そういう感じじゃないんだよ』


 虚太郎と閻魔は代わる代わる、先だってミコの部屋で起こった事の仔細を報告する。

 声をかけても反応が無く、やや強引に会話を試みても相手にされず。苛立っているような強い語気と乱暴な動作。それと、解体されている人物の容姿について。


 最初こそアーキトルーペを覗いたままだった常磐だが、話がすすむにつれ不審な表情を浮かべはじめ、説明が終わる頃にはすっかり難しい面持ちに。


『普段のミコはもうちょっと愛嬌があると思うんだけど』

「まるで人が変わったような」


「ふむ……。ひとつ、心当たりがある」


 常磐はおもむろに部屋の角へと向かい、床に置かれた道具袋に手をかけ何かを探し始めた。

 何に使うのか皆目検討もつかない不思議な道具が次々に取り出され、床に広げられてゆく。ひとつひ、ひとつ、またひとつ。なかなか探しものは見つからない様子のまま、袋の中身だけが減ってゆき。


「やはり無いな」

 最終的に空になった袋をひっくり返して、常磐は眉間の皺を一層深くした。


「様子を見に行く。ついてこい」


 立ち上がると同時につくりだされる扉。


『この前片付けたばかりなのに。また散らかっちゃったねー』


 茶々を入れる相棒をたしなめ、そのまま放り出された袋と道具を横目に、虚太郎はあとを追う。



 ミコの部屋への一歩をくぐると、先程と変わらず部屋の中央で作業台へ向かう人影があった。

 常磐の到着にもやはり反応は無く。気づいていないのか、あえて無視を決め込んでいるのか。

 姿勢や服装が先程よりも少しくたびれて見え、後ろ姿からだけでも疲れが窺える。もしかしたら、彼女の体感では自分達よりも長く時間が経過しているのかもしれない。


 さてどうしたものか。

 虚太郎が常磐を窺い見れば、常磐は躊躇なくミコへ向かって行き。

 

「おい」

「何よ、邪魔しない……」


 ”で”。

 最後の一音が出る前に。


 常磐はミコの肩を掴んで強引に振り向かせ、腹部に掌底を打ち込んだ。 


「げほっ」

 

 鳩尾に強い一撃を食らったミコは、腹を抱えてうずくまる。その背後へ素早くまわった常磐が、垂れた頭を抑えつけ、うなじの辺りをトントンと軽く叩くと。

「けほ……。う、オエッ!」

 苦しげなえづきに続いて、ミコの口から人差し指ほどの大きさの黄味がかった石が飛び出した。

 

「やはりこれか」

 転がる石を拾い上げ、常磐は不快そうに口角を歪ませる。


「あれ、アタシ……」

 まだ少しぼんやりとした様子だが、ミコはやや正気を取り戻したらしい。


 異様な雰囲気が薄まり、緊張を解いたのもつかの間。

 ふらふらと立ち上がろうとするミコの頭に、突如、ごつん! と。

 手加減を感じられない速度で、げんこつが落とされた。


「あいたっ!」

 ミコは頭をおさえてふたたびしゃがみこむ。うらめしげに拳の主を見上げる瞳に、うっすら涙を浮かばせて。

 

「おい、馬鹿者。これに見覚えはあるな? というか、食ったな?」


 常磐は威圧的な視線で見下ろしながら、吐き出された石を彼女の眼前に突きつける。ミコは気まずそうに目線をそらしながらも「あー、うん」と小さく肯定。


「わしの部屋にあるものにむやみに触るなと言っておるだろう! 一歩間違えれば命を失うこともあるのだぞ。そんな死に方をすれば、間違いなく理が歪む」

「いや~ごめんね。飴かな~って思ったんだよ。ほら、そういう飴あるでしょ。知らない? べっこう飴ってやつ」

『たしかに外見は似てるね』


 虚太郎の肩から飛び降りた閻魔が割って入り、尻から青白い光を出して常磐の手の石を照らす。

 

『でも僕の解析結果だと、これは樹脂の化石だよ。琥珀の成分にとても良く似てる。でも完全な琥珀じゃないね。僕のデータに無い、未知の成分が混ざってる』


 この地にある物は、虚太郎の常識では測れないものばかり。閻魔の言う”未知の成分”こそが、ミコをおかしくした原因だろう。


「この石は一体何ですか?」

「これは、”夢見のコハク”」

「へぇ~」


 自身の身体に異常をもたらした石を、ミコは興味深そうにマジマジと覗き込む。

 

「本当に琥珀なんだ。でも普通の琥珀じゃないんだよね?」

「あぁ。閻魔の言う通り、成分はほとんど普通の琥珀と違わぬ。植物の樹液が化石化したものだ。だがこの琥珀を採取できるのは、”夢見の樹”からのみ」

「夢見の樹?」

「お前達が生きていた世界とは違う世界に存在する樹だ」


 天狗の定めは、”世界”の観測と記録。

 あらゆる場所のあらゆる時間。

 虚太郎が生きた時代。戦が絶えぬ場所。ミコが生きた時代。多くの知恵と技術が集められる場所。常磐が過去を過ごした時代。人と人でないものが交わる場所。

 数多の思想、現象、事象。それぞれに特有の理を持って構成され、不安定に均衡を保つ時空間。

 それこそが、”世界”。

 

「世界……」


 虚太郎が生きた世界とミコが生きた世界は、時間軸の差こそあれど、構造は比較的近しいもの。しかし、根本から成り立ちの違う世界も存在する。

 例えばひとつは、人間ではない生物が地上を支配する世界。また別のひとつは、大地が存在せず水と空だけがどこまでも続く世界。さらには、命が絶えてしまった静寂の世界。


 そんな無数に存在する世界のうちのひとつに、”夢見の樹”があるという。


「夢見のコハクは、人の見た夢を封じる。ミコ。お前はこれを口にした日、何か夢を見たはずだ」

「そういえば……見たよ」


 ミコが目指した”命の創造”が実現し、世界の理を歪ませることなく全ての人間が自由に好きなだけ生きられる夢。

 寿命という時間的制限から開放された人々は皆、あくせくと生き急ぐことなく穏やかに、ゆったりとした日々を過ごす。


 それはミコの願い。夢にまで見る、安寧の(ねがい)


「その夢が、コハクの中に閉じ込められた。本来は夢魔に取り憑かれた者から悪夢を取り除くために使うものだが、健康なお前が口にしたことで別のものが取り去られた。安寧という感情が封じられ、お前の中に広がったのは」

「焦燥……」


 いつか叶えたい夢。

 ゆっくりと時間をかければ、いずれは達成できる夢。そう信じていた気持ちが消え去り、ミコのなかに焦りが現れた。


 沸かないアイデア。失敗する実験の数々。停滞するもどかしさ。

 自らが自らに課す責務と重圧にのしかかられ、前進しないまま何もない日々をただ過ごすことに対する罪悪感が纏わりついて離れない。

 観測者の地にあるのは偽物の永遠だ。いつか崩れてしまわないとは限らない。その前に、早く早く。一歩でも。確かなかたちを捕まえて。


「つまりあのミコさんは」

『なりふりかまわなくなったミコ?』


 ひとりと一匹が問えば、「そういうことだろう」と、常磐は頷きに代えて目を閉じた。


「なりふり構わなくなったら、ミコさんは人を斬るようになるのですか?」


 虚太郎の脳裏に浮かぶのは、まるで戦場さながらに血肉飛び散る光景。そのなかで刃を振るうミコを視界にとらえたときは、思わず我が目を疑った。


「それは違うよ! アタシの名誉のために言っておくけど、むしろ逆。どれだけ焦りがあったって、アタシは他人を傷つけるようなことはしない。むしろ今回のことでそれが分かったでしょ?」

「あのまま放っておけばどうなったかは分からんがな」


 常磐は「はぁ」と大きく息をつき薬研(やげん)を創り出すと、コハクを投入し力強く砕きはじめた。

 手際よく粉砕されるコハクを横目に「茶化さないで」と頬を膨らまし、ミコは虚太郎へと向き直る。


「アタシがやろうとしていたのは、あくまで”命の創造”。その理由と目的は、わかってくれるよね?」


 はい。と虚太郎はそっと頷く。

 共に過ごした時間のなかで、幾度も他者への気遣いを垣間見た。ミコは、自身を含めた多くの”生命”の幸福を願っている。


「信じてくれてありがと。それでさ、まぁ、アタシはここに来てから結構長いあいだ、いろんな方法で命を創ろうとしてるわけだけど。まだうまくはいってない。だから焦りが増幅されたとき、一度原点に帰ろうとしたわけよ」


 命は、どこからどこまでが命なのか。


 ミコは、それを知ろうとした。

 内臓ひとつは、ただの肉。ひと揃いしても、まだ肉塊。人のかたちに整えて、心臓を動かして、思考できるように脳を入れて……。


 どの段階で命となって消えてしまうのか。命はどこに宿るのか。

 試行を繰り返し、ひとつずつニンゲンを創り上げてみる。


「”命”になると、砂になって消えちゃうでしょ? だから、消える前にひとつずつパーツを取り除く。どこがあれば命で、どこが無ければただのモノなのか。アタシはそれが知りたかった」


 つまりは実験だよ、と。決して邪な気持ちではないと、真剣な表情が物語る。


「誰かを傷つけたいだとか、焦りをぶつけるために人間のカタチをしたものを切り刻んでるわけじゃない。その証拠に、見たでしょう? アタシが斬ってたものを」

「はい」


 虚太郎は、はっきりと見た。

 ミコが斬っていた人物は、他の誰でもないミコ本人。


「実験は研究のためには避けては通れない。アタシだって、現世にいたころは医化学のために他人の身体を斬ったことももちろんある。でもさ、いくら本人の意思で提供された身体であっても、すでに亡くなった人のものでも……他人を傷つけるのはやっぱり怖いよ。人を斬るなんて、できればしたくない」


 微かに声を震わせて、ミコは自身の身体を抱きしめた。が、すぐにハッと顔をあげ、


「あ、ごめん。虚太郎は……」

「いえ。いいんです。事実ですから」


 虚太郎が多くの人間の命を奪い、呪われているのは事実。戦火のなかに生きていた虚太郎ですら、好き好んで殺生を繰り返したわけではなく。

 身近に戦火が無かった環境に生きたならばなおさら、ミコの意見はまっとうなものに思える。


『他人じゃなくて自分なら斬り放題だと思ったから、自分で自分を切り刻んだ?』

「そういうこと。見ず知らずの人間を用意するよりも、罪悪感は少ないから」


「趣味の悪いことを考えたものだ」

 薬研を動かす音と共に溜め息が届いたが、虚太郎はそれには同意せず、「ミコさんらしいですね」と呟いた。

 他の誰でもない自分自身を実験台にした結果、ミコは劫波へ来ることになったのだから。

 

「ねえ、アタシ、もしかしてまだ治ってない? いつ治るの? なんか話してないと気持ち悪いっていうか、口数が増えちゃうっていうか。話しても余計なこと口走っちゃうし……落ち着かないよ」

「まぁ待て。もう少し」


 最悪の状態は脱したとはいえ、ミコは未だ万全ではない様子。そわそわと視線をさまよわせ、不安気だ。会話の途切れ目にも早口でひとりごとを呟き、その場に立っているのももどかしそうにしている。


 ぶつぶつと小さく漏れ聞こえる声と、ゴリゴリと石を砕く音が束の間混じり合い、やがて。


「よし」

 手を止めた常磐は、生成された粉を取り出し湯呑へ入れた。

「できたぞ。これを飲め」


 差し出された湯呑に入っているのは、コハクを砕いて湯に溶いたらしい液体。透き通る飴色がぼんやりと光り、立ち上る湯気は夜のホタルに似ている。


「コハクに封印されていたお前の安堵だ。これで元に戻る」

「ありがとう」


 小さな湯呑を受け取り、口に含んでミコは一言。

 

「まっず!」


『モグラ人参とどっちがまずい?』

「それはさすがにモグラ人参。んん。こういうのは一気にいっちゃうしかない」


 べ、と舌を出し不快感をあらわにしながらも、ミコは意を決したようにごくりごくりと飲み干して。

 湯呑が空になったあと。

 ふわりとした光が彼女の身体を包み、夢幻のように一瞬で消えた。


「あ……」


 微かな吐息と同時、周囲の空気が変わった。

 戻ったのか? と聞かずとも分かる。どこかピリピリとした緊迫感は霧散し、張り詰めていた表情も穏やかに。

 

「これに凝りたら二度とわしの部屋のものを勝手に漁るんじゃないぞ」

「ん~。それはどうかなぁ」


 てへ、と反省の色無く笑うミコを常磐は睥睨し、


「……どうやらまだ万全では無さそうだな。焦りが残っているのではないか?」

「え、いやもう全ぜ」

「気を紛らわせるのを手伝ってやるぞ。さあ、肩を揉め。茶を用意しろ。美味い飯を出せ」


 畳み掛けるような意趣返し。


「虚太郎、お前も何か雑用を言いつけてやれ」

「特に頼みたいことは無いのですが」

「遠慮するな。それがミコの治療に繋がるのだ」

「わかりました。えっと……では、閻魔の調整をお願いします」


 有無を言わせぬ常磐の雰囲気に虚太郎がなんとか要件をひねり出すと、閻魔もそれに乗っかって。


『あ、良いねぇ。頼むよミコ』

「もう、治ったってばー!」


 とは言いつつも、騒がせた自覚はあるのだろう。


 そっと差し出された閻魔を、ミコは両手で優しく受け取ったのだった。


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