■鏡針のこと
■鏡針のこと
透き通る針を握ったならば、たった一突きすれば良い。
創造されるはもれなく虚像。
けれどたしかに愛しい幻。触れられなくとも、記憶は実像。
***
虚太郎と常磐とミコ。観測者の地で暮らす彼らの関係は、”三人で生活している”というより”たまたま同じ場所にいる個人と個人と個人”と呼ぶほうがふさわしい。
常磐は基本的に自室でアーキトルーペを覗いているばかりで部屋から出ることは稀であるし、ミコはミコで研究に没頭していて、時折息抜きに常磐か虚太郎のもとへ声をかけに赴く程度。残った虚太郎もふたりの邪魔にならぬよう部屋で書を漁るか、ひとり修行に精を出す。
それぞれふとした用件で顔を合わせることはあっても、一同に会することは意外と少ない。
そんな三人が本日は珍しく、共同作業に勤しんでいる。
彼らの目的は――大掃除。
平素より散らかり放題の常磐の部屋。
代々の天狗により書き溜められた帳をはじめ、アーキトルーペや天秤といった常磐の仕事道具、うず高く物々が積まれた木机に、もぐら人参の入っていた雑貨袋、どのくらい使われていないか見当もつかないほど埃の積もった箱。
乱雑極まるこの部屋をそろそろ整頓しよう。と常磐が思い立ったのは少し前のこと。直後、部屋を見回して、どこから手をつけたものかとすぐに途方に暮れた。珍しくやる気になってはみたものの、常磐はもともと整理整頓が得意ではない。
そこで、常磐は虚太郎を呼び出した。
「部屋の掃除と整頓を手伝ってくれんか?」
「はい」
実のところ虚太郎もとりたてて整頓が得意かと問われれば、否である。そもそも整頓が必要なほど物を持ったことがないゆえに、得手不得手を答えられるほどの経験が無い。
とはいえ、さすがに常磐ほど散らかす方でもない自覚はある。少しでも役に立てるのならばと、ふたつ返事で了承した。
それでは早速はじめるかと作業にとりかかろうとした刹那。
例によって部屋の中央に扉が現れ、
「やっほー常磐元気? あれ、虚太郎も一緒じゃん何してるの?」
――というわけで、今に至る。
「何これ?」
「おい、むやみに触るな」
「触らないと片付けられないじゃん!」
「お前には手伝いを頼んどらん!」
久しぶりに耳にする常磐とミコのやりとり。相変わらず会話がはずんでいるようで何より、と感心しながら、虚太郎は黙々と自身の周囲を整頓してゆく。
『常磐もミコも元気だねぇ』
虚太郎の肩のうえで、閻魔二号が呟いた。
「うん」
『それに比べて虚太郎は陰気だねぇ』
「掃除は陽気じゃなくとも出来る」
『たしかにね』
少し前にミコから賜った閻魔二号。学習する機械だという黒い蜘蛛は、本当に命を持たぬのかと疑わしくなるほど流暢に会話する。
本来の閻魔よりもわずかばかり言葉が辛辣に思えるのは、気の所為なのか学習の結果か。
『常磐とミコは全然すすんでないみたい』
閻魔に言われ振り返れば、彼らの周囲は作業が進んでいないどころか、作業前より散らかったようにすら見える。
小物がまとめられていた袋は解かれ、箱の蓋はほとんど開けられ、引き出しはひっくり返り、書の山は崩れ落ち。
『今、僕達が積んだばっかりの山だよね。あれ』
「また積めばいい」
片したところから崩されてゆく賽の河原。
次から次へと生み出される混沌。
「む。この袋の中身は何だったか。開けねば分からん」
「こっちの箱には何が入ってるのかな~?」
とめどなく拡大してゆく惨状の中心地。くすんだ木製の小箱の蓋をあけたミコが、ふと、手をとめた。
「ねえ常磐、これ何?」
彼女が箱からつまみ上げたのは、つややかに透き通る長い針。覗き込むように宙にかざして、「綺麗だね」と吐息を漏らす。
「それは鏡針と呼ぶものだ」
「ふーん。鏡っていうより水晶って感じがするけど。こんな箱に入れておいていいの? 割れない?」
「構わん。見た目よりも頑丈だ。割ろうとしたって割れん。それよりこっちの袋を手伝ってくれ。もしくは帰ってくれ」
「ちょっとー。選択肢がヒドイよ」
ミコはツンと口を尖らせる。それでも帰る気は無いらしい。
「まぁいいや。わかった。そっちの袋は何があるの?」
興味の対象を変えたミコは、蓋がひらいたままの小箱に向けてポイと針を放り投げる。
カロンと軽い音をたて、針は箱のなかへ舞い戻った。
『あーあ。またやりっぱなしにして』
「一旦、端へよけておく」
閻魔の言う通り、このままでは散らかる一方。
小物はとりあえず一箇所へかためて置こうと、虚太郎は開けっ放しの小箱を持ち上げた、が。
『あれ?』
箱はたしかに虚太郎の手にある。それと同時に、床の上にも箱がある。
つまるところ、箱が、ふたつに増えている。
「増えた」
『増えたね』
「何が増えたの……って、ん?」
ミコも振り返り、異変に気づいた。
ふたりと一匹の視線を集める、ふたつの小箱。
色やかたち、大きさはもとより、微かな汚れや小さな傷、木目にいたるまでそっくりそのまま。
右から見ても左から見ても寸分違わず。唯一の違いは、上から覗き込んだ際に片方にだけ針が入っていること。
「常磐! 箱が増えたんだけど!」
「ああ。そりゃあ増えるだろうな。お前、箱に戻すとき針先を下に向けたんじゃないか?」
「投げたから、そうなったかも。意図的にじゃないけど」
だから増えたのだ。と、常磐は作業の手を止め、虚太郎達のほうへ向き直った。
「鏡針とはそういうものなんだ」
鏡針は、針の先端で触れたものをその瞬間で留め置くことができる針。
物を突けば物が。人を突けば人が。突かれた時の姿そのまま、同じ場所に現れる。
「へえー。一体どういう原理なんだろ。って言ったって無駄なんだろうけど。観測者の地お得意の、物理法則を無視した不思議アイテムってことね」
ミコは感心しているが、片付けの邪魔にはかわりない。
「ふたつとも端へやりますよ」
針の入った箱を手にしたまま、虚太郎はもうひとつの箱へ手を伸ばす。
が、伸ばした手は箱を突き抜け、地面に触れた。
『わっ、手が箱に刺さってるみたい』
「鏡針が写し出すのは全て虚像だ。触れられん」
再度試しても結果は同じ。常磐の言葉の通り、床の上の箱を掴むことは叶わず。幾度手を抜き差ししようとも、虚像は歪みすらしない。
「立体映像みたいなものか。でもすごいね。見かけ上は実在してるみたいにリアルなのに」
「ですがこれでは作業が滞ります」
「それは困る。虚像なぞさっさと消してしまえ。針の裏側で触れれば消える」
「ほほう。どれどれ。試してみませう」
ミコが本物の箱から針を手に取り虚像を突けば、虚像の箱はまたたく間に薄くなり霧散した。
「手では無理なのに、針でなら触れられるんだね」
いちどは興味を失ったものの、新たな効果を目の当たりにして、ミコは再び針に興味津々の様子。
虚太郎の手のうえで箱を出しては消し、出しては消し。「えいえい」とふたつ出し、「そいやー」とまた消して。
「もう良いだろう。作業に戻れ」
「えー。もうちょっと遊ぼうよ。面白いじゃん、これ。何かに使えそう」
「何も面白いことは無い。ここがどこだか忘れたか? 虚像など増やしたところで意味がないだろう」
「たしかにそうですね」
虚太郎はうなずいた。
この観測者の地では、思い描くものがなんでも実像で創り出せる。わざわざ鏡針を使って、触れられもしない虚像をつくる必要は無い。という常磐の考えは合理的だ。
「じゃあこれ、しばらく貸してくれない? どうせ使わないなら良いでしょ?」
「駄目だと言っても持っていくんだろう? 失くすなよ」
「やった! そんじゃーはりきって片付けの続きをやろう!」
約束をとりつけて満足したらしいミコは針をいそいそとポケットにしまい、片付けの続きに取り掛かった。
『あのふたりが張り切っても余計散らかるだけに思えるけど』
「そのぶん俺が動けばいい」
その後もなんだかんだと言葉を交わしながら分担して作業は続き。体感で数時間ほど経過した頃、「そろそろ腰が痛いから帰るね」とミコが離脱。
残ったふたりで黙々と手を動かし続け、長らく。「すまんが後は任せた」と指示を残して常磐が眠り。
睡眠不要な虚太郎が指示通りに仕上げをし、やっと部屋の掃除と整頓がおおむね完了した。
『お疲れ様。これだけの物量が綺麗に並んでいるのは、見ていて気持ちが良いね』
虚太郎は閻魔とふたり、ゆっくりと部屋を見回してみる。
書架のなかにきちっと高さ別に収められた書。大きさごとに並べられた箱。中身の用途を意識してまとめられた袋。部屋の中央に設置されたアーキトルーペの周囲はまぶしいほどに磨き上げられ、側の机の上にはどこに何を収めたかを記した目録も用意した。
かつて足の踏み場も無かった部屋だとは、今となっては誰も思わないだろう。
「帰ろう」
『なんかちょっと満足気?』
「達成感のようなものはあるかもしれない」
眠っている常磐にそっと上掛けを添えて、最後にもういちど部屋を眺める。見落としが無いことを確認して、虚太郎は帰りの戸をつくり、引いた。
「あ、虚太郎。おかえりー」
部屋へ戻ると、畳の上でまるで自室かのようにくつろいだ様子のミコが居た。
膝の上のノートパソコンの蓋を閉じ、虚太郎を迎え入れる。
「はい」
「長かったねー。三日くらいかかったんじゃない?」
「いえ、俺の体感では丸一日程度です」
「いやそれでも長いよ! お疲れのとこ悪いんだけどさ、ちょっと私の部屋まで来てくれない?」
「良いですよ。呪いの身体に疲れはありませんので」
虚太郎が頷くと、ミコは「ありがと」と笑顔を返し、その場で扉をつくりだす。
「あの針の使い道を考えたんだけど」
開かれた扉を一歩跨げばすぐにミコの部屋。後ろ手に扉を閉めて、ミコは部屋の角を指さした。
「あそこへ立ってくれる?」
「はい」
指示された位置へ虚太郎が到着すると、ミコは少し後ろに下がって、両手の人差し指と親指を立て、四角く枠組みを作るように顔の前で組み合わせた。
何かを測るように片目を閉じて、指でつくった枠組みから虚太郎の立つ場所を覗いている。
「うん。良い感じ」
ひとつ頷いて指を解き、ミコは虚太郎の隣へ。
「虚太郎、ピースしてピース。人差し指と中指を立てるやつね」
「はい」
「ハイチーズ!」
掛け声とともに、ミコは鏡針で自らの身体と虚太郎を突く。
瞬時に生まれる、ふたりの虚像。
「出来た!」
身体に重なる虚像からぬるりと抜け出し、ミコは振り返って満足そうに虚像を眺めた。
虚太郎も隣で同じように観察してみる。
自分の姿をこうして外から客観的に、じっくりと見る機会は貴重かもしれない。鏡とは違い、本体がいくら動いても虚像は微動だにせず。まばたきひとつなく、ピースの姿でミコと寄り添うように静止している。どこからどう見ても、非の打ち所なく本物そっくり。非常によく出来た複製である。
「流石はミコさんです。俺はこういう使い方は思い浮かびませんでした」
「おっ、虚太郎にも分かった?」
「はい。またいつぞやのように敵が攻めてきたとき、後から身代わりをつくったのでは間に合わない。こうしてあらかじめ身代わりを用意しておき、敵を惑わせる戦法ですね」
「……違うけど?」
「え? ではなぜ自分の虚像を?」
ふたりは見合って数度のまばたき。
少しの沈黙のあと、
「これはね、想い出を残そうっていう話だよ」
ミコは困ったように力なく笑い、大げさに頭をかいた。
「虚太郎、生きてたときの記憶ってある? どんな感じだった?」
「はい。おおむね、人の死に様です。あとは修行とか」
「キッツ。まぁそういうのは覚えてなくて良いかもしんないけどさ」
「いえ、忘れられません。俺が殺した人達なので」
「うんまぁ……。その記憶のなかにさ、少しでも”楽しかったこと”って無いかな?」
楽しかったこと。
心を殺して生き、喜怒哀楽を失い死んだ虚太郎にとって、楽しさはおろかその他の感情すら記憶としては朧気だ。
しかし、まったく無いわけでは無かったはず。虚ろに堕ちた感情の沼を掘り起こせば、わずかに浮かぶのは生前の生活にあったささやかで柔らかな記憶。
「楽しい、というかは分かりませんが、お役目にて森の中に潜伏していたとき、近くで虫を見ていたのは良い記憶です。可愛いので」
「そう、それ! そういえば部屋創ったときにも言ってたっけ」
ミコは、「そういうものだよ!」と鋭く虚太郎を指さした。
「そういう楽しい想い出をさ、かたちとして残しておきたいワケよ。人って生き物は」
語るミコの表情は柔らかい。どこか遠くを眺めるような目をして、彼女は続ける。
「人間には、”忘れる”って機能が備わってる。悲しいことも、つらいことも、そのほとんどは時間とともに薄れてゆく。絶対に忘れられないと思ったとしても、ね。アタシは、それは良いことだと思う。そうしないと、きっと心が壊れちゃうから」
遠くにあったはずのミコの焦点が一瞬自分に向いた気がした。ただの気の所為、思い上がりだと、虚太郎は頭のなかで己に言い聞かせる。
「でもそれと同時に、楽しかったこともいつかは忘れちゃうの。記憶の領域は無限じゃない。だから人は、記憶をかたちにする。古くは絵とか。私の時代だと、写真とか、録画とか。普段は忘れていても、それを見れば思い出せるように」
慈しむような手付きで、ミコは触れられない虚像へ手を伸ばす。その慈しみは、虚像へ向けられたものか、はたまた”人間”に向けられたものか。
「アタシが永遠を求めているのは知ってるでしょ? でもそれは、辛く苦しい永遠じゃない。楽しい記憶に満ちた永遠。これまで生きてきた時間も、これから先に生きる時間も、楽しい記憶だけを残していきたい」
ミコが思いついたという鏡針の使い方。それは、敵から身を守るでもなく、利便性を求めるでもなく。
ただそこに人の想いを残すだけのもの。永遠という果てのない世界で、朽ちることなく残り続ける”かたちある記憶”。
そんなもの、何の意味も無い。と言い切ってしまえばそれまでのこと。
だがそこに意味を感じ取れたなら。
触れられない虚像が、少し輝いて見えた。
「それにしても、少し邪魔ではないですか?」
虚像を否定するつもりはない。とはいえ、広大とは言えない部屋のなか。人間ふたり分の像は存在感がありすぎる。
虚太郎が問うと、ミコはまったく気にしていない様子で、
「たしかにいきなり見るとびっくりするかもしれないけど。大丈夫。カーテンつけとけばいいよ」
と、虚像のまわりに衝立を出し、手早く布で覆った。
「これでいつでも見たいときだけ見れるから」
「なるほど」
こうして新たな価値を見出された鏡針は、ミコの管理下に置かれることとなった。
後日。
虚太郎はミコから、『常磐が不用意にカーテンをひらき、虚像に驚いて「ぎゃあ!」と奇声を発した』という話を聞いた。
その際、「ぎゃあ!」姿の常磐の虚像が、ピースで並ぶふたりの像と向き合うように生成されたという。




