■新たな
■新たな
新たな方法。新たな決意。新たな命。
新たな未来。新たな言葉。
新たな。
***
かつて、虚太郎は。
自らの心を殺し、無辜の民を殺し、ときには同じ主人を持つ仲間をも殺して生きてきた。
そして因果応報と殺された後、偶然手に入った続きの生。
そこにあったのは、誰も殺さずに生きる自由。
何がしたいか。何ができるか。
与えられたものはあまりに多く、返せるものなどほとんどない。
そのなかでやっと見つけた恩返し。
常磐とミコを、守って死ねるなら。
これ以上なく本望だ、と、幸運に感謝して命を使ったつもりだった……が。
「俺、もしかして失敗しましたか?」
虚太郎は戸惑いのなか、空狐との戦いの跡が残る部屋に立っている。
目の前には眉を下げて微笑む常磐と、もうひとり。
「びええん! 虚太郎!」
なぜか号泣しているミコが、虚太郎の胸へと飛び込んできた。
全体重を預けられ、虚太郎はよろめきそうになる足を踏ん張ってミコを支える。
「触れる! 声が聴こえる! びょええ」
「ミコさん落ち着いてください。何がどうなったんですか?」
涙と鼻水まみれの顔を虚太郎の胸元になすりつけながら、ミコはびいびいと泣くばかり。
困った虚太郎が常磐を見つめると常磐は「ふっ」と小さく笑い、
「わしから話そう。いろいろあったのだ」
「閻魔が居ませんが」
「それも含めて聞かせよう」
「お願いします」
そうして、虚太郎が不在の僅かな時間にあったことが語られる。
空狐のために呪いを使ってから、閻魔の犠牲で呼び戻されるところまで。それはおそらく、本当に短いあいだの出来事。
けれど話の中身は、あまりにも多くが含まれる。
全てが語り終えられたとき、虚太郎は、黙って頷くことしかできなかった。
何を言っても、意味をもたせられない気がしたからだ。
「つまりそういうわけでな。お前は今、新しい命として生まれたことになる。生前が第一の人生、蘇ってからはその延長であったが、今回は区切りがついている。しいて言うなら、前世の記憶を持って生まれた新生児の概念であるが……」
「待って。新しい、命?」
常磐が語るあいだずっと虚太郎の胸元でひくひくとしゃくりあげていたミコが、ふと顔をあげる。
「今、新しい命って言った?」
「ん、言っとらんぞ」
「いや、言ったでしょ!? 何しれっと嘘ついてるの!?」
常磐は「しまった」という表情で眉間に皺を寄せる。つい口が滑ったというのはこういうことを言うのだろう。
「新しい命、作れるんじゃん!」
「いや、作れるというか今回はたまたま条件が揃っていただけであって」
「そっか、式だ。命を伸ばすんじゃなく、新しく生まれるという概念なら実質は永遠に……クローン体の理論を魂に応用して……式の存在をバックアップにして記憶を繋ぎ……」
ミコの耳に、もう常磐の声は届いていないだろう。
求めた永遠にまた一歩近づいたと、即座に思考を組み立てはじめた。
ぶつぶつと呟きを漏らしながら、ミコは部屋を歩き回る。空狐との戦いで壊れたものを作り直しながら、部屋の角から角へ。
「あれはもう放っておこう。さて虚太郎、お前の今後についてだが、お前はもう、歪んだ存在ではない。心もきちんと持っている。ここに居続ける必要は無い」
もう、正しい生き方は分かるだろう? という常磐の問いに、虚太郎はしっかと頷いた。
心は戻った。どう生きればいいか、どんな生き方をすればいいか。人から命じられるでなく、自分で考えることができると知った。
今回の生は、理を歪めることは無いだろう。
「うむ。ならば現世に戻って普通の人間として人生を歩むのが良いと思うが」
「それはだめだよ!」
「えっ?」
常磐の話を遮ったのはミコの声。
夢中で部屋を歩きまわっていたはずだが、しっかりと二人の会話は耳にしていたようで。
「虚太郎の万華鏡はもう無いんだもん。現世へ行ったら、もうここへは戻ってこれない」
「何か問題でも?」
「問題はあるよ。新しい命がやっと作れそうなんだよ。虚太郎に手伝ってほしいことがあるんだから。別に、すぐに現世へ戻らなくても、理は歪まないでしょ?」
「それは、まぁ……」
常磐は曖昧に言葉を濁す。
虚太郎が観測者の地に居続けることで世の理が歪むかと言われれば、そうではない。
となれば、常磐に拒否する権利はない。全ては虚太郎の心持ち次第。
「虚太郎に任せよう」
「俺、は……」
虚太郎は覗き込むように見つめてくるミコを見下ろした。
虚太郎やミコのように、意図せず世の理を歪めてしまう人間は、これから先も出るだろう。
そのときに。
新たな命を作る方法ができていれば、多くの人を救えるような気がする。
世の理が歪まなければ、常磐の仕事も楽になる。
答えが決まりかけた虚太郎の装束の袖を、ミコが優しく引いた。返答を後押しするように、そっと耳打ちされる言葉。
「アタシね、新しい命が作れるようになったら、他にもやりたいことがあるの。うまくいけば常磐を永遠から開放してあげられるかもしれないよ。喰む者だって、救えるかもしれない。虚太郎にはそれを手伝ってほしいんだ」
ミコはきっと全てをやってのける。短い付き合いのなかで、虚太郎はミコの強さを知った。
やり遂げるまで諦めない。水色の瞳が見ているのは、常により良い未来。
その一助になれるなら。
犠牲になった閻魔も、きっとそれを望んでいる。
なぜなら閻魔は虚太郎の心。虚太郎の望みは、閻魔の望み。
胸に手をあてれば、『そうだよ』と言うように、トクンと鼓動がひとつ。
「俺も、もうしばらく、ここに居させてください」
「やった!」
「分かった。好きにすると良い」
「ありがとうございます」
「良い方向に”伝染”するかもしれんしな」
そんな常磐の呟きが、小さく虚太郎の耳に届いた。
「それじゃあ、とりあえずまずは虚太郎のおかえりパーティだ!」
ミコは飛び跳ねながら両手を振り上げ、大きなテーブルを部屋の中央に作り出す。続けて華やかな紙の輪が四方の壁にかかり、部屋中に紙吹雪が舞う。
それから、テーブルの上に出来上がってゆく料理の数々。
「まぁ、今日くらいは付き合ってやらんこともない」
と、常磐がテーブルについて
「俺、味覚はありませんが」
と、虚太郎が正面に座り、
「雰囲気を楽しめばいいんだよ!」
と、ミコが笑って。
三人でテーブルを囲み、ミコが手にしたクラッカーが鳴ったらば。
「おかえり、虚太郎!」
二人分の拍手に迎えられ、虚太郎は膝に乗せた拳を握りしめる。
おそらく求められているのは、任務のあとの”ただいま戻りました”の報告ではなく。
それよりももっと親しい、帰還の言葉。
大きく息を吸って、呼吸を整えて。
言い慣れたはずの単語をはじめての気持ちで、精一杯おぼつかないように。
一語一語、虚太郎はゆっくりと発音した。
「た、ただいま」