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■魂を喰う狐(2)



『この人も外れ』


 裏町にある賭場の屋根裏。

 虚太郎は閻魔とともに天井板の隙間から下を覗き込んでいる。


 目印をつけた人物はこれで四人目。

 どの人物も高潔とは言い難い行動をとってはいるものの、空狐だと確信できる行動は見られない。


「次へ行く」


 渡された縁の糸は残り僅か。

 新たな糸を切って地に置き、虚太郎は次の人物へ向かう。


 糸が向かった先は、色街の奥にある飯処だった。

 目的の人物は小柄で細身の女。派手な化粧をした装いと場所柄から察するに、遊女らしい。


 女は町人風の男と一緒に食事をしているところだった。

 会話を盗み聞くに、このふたりはたった今見知ったばかり。ほぼ初対面であるにもかかわらず、気心しれた仲のように親密な距離感に見える。


 空狐は人の心を読み、相手が最も望む言葉、甘言をささやきながら人に近づく。適当な獲物に声をかけて連れ出すくらいはお手の物だろう。

 しかし女は遊女。仕事のために親密な態度を装っているという可能性も棄てきれない。


 空孤か、否か。


 虚太郎は闇に紛れ足音を立てないよう注意して、店を出るふたりの後をつける。


 ミコの時代のように、夜でも明るく道を照らす灯など無い時代。

 女の持つ提灯の明かりだけがチラチラと淡く、狐火を思わせる。


 男女は長屋通りまで歩き、角を曲がったところで、ふと。

 提灯の明かりが消えた。


 小さく話し合う声と、乾いた衣擦れの音が続く。

 情事を致すだけならば何の問題もなく、ここも外れと次へ向かうだけであったが、その刹那。


「ヒィッ!」


 男の上ずった叫びのようなものが届き、虚太郎は物陰から飛び出した。


『あ、狐だ』


 虚太郎の眼に映るもの。

 それは、七つの尻尾を持つ狐と、宙に浮く男。

 見えない力に持ち上げられた男は、ジタバタと苦しそうに空中で手足を泳がせもがいている。


『常盤に知らせないと』


 狐から目を離さぬよう、虚太郎は縁の糸を切って捨てた。これですぐに常盤が援護に来るはずだ。


 狐の身体からは、暗闇のなかでもはっきりと視認できるほど一際黒い靄が漏れ出している。


 虚太郎と閻魔の出現を意に介した様子もなく、狐は男の胸元に手をあて、今にも魂を引き抜こうかというところ。

 あわやという状況。このままでは男が喰われてしまう。虚太郎は警戒しつつも狐に走り寄った。


「待て。お前が空狐か?」

「そうだが、お前は何だ? ん? お前、なんか変な匂いがするな」


 空狐はクンクンと鼻をひくつかせ、虚太郎のまわりを嗅ぎ回る。

 拘束から開放されたらしい男は、その場でどさりと尻もちをついた。そのまま「化け狐が出た」と甲高く悲鳴を上げながら、四つん這いで逃げてゆく。


 その場に残ったのは空狐と虚太郎。

 餌が逃げたにもかかわらず、空狐は特に惜しそうにする気配はなく、虚太郎に興味を奪われている。


「おかしな匂いだ。美味そうなような、不味そうなような……こんな匂いは嗅いだことがない」


 空狐がぶつぶつと呟きながら虚太郎の匂いを嗅ぐ。

 男が遠くに逃げるためと常盤が来るまでの時間稼ぎのために、虚太郎はじっと動きを止めていた。


 そのまま常盤の到着まで何事もなく進めば良かったが、そうそう都合の良いように事態が進むわけはなく。


「まぁ喰ってみればいいか」


 言うが早いか、空狐の尻尾の毛が逆立ち、大きく膨れ上がった。


『何か来る』


 巻き込まれないよう、慌てて閻魔がその場から飛んで逃げる。


 虚太郎は呪いの影に収納していた妖刃(ナイフ)を取り出し、応戦の構え。


「呪い使いか。変な匂いの元はそれか? いや、それだけじゃないな。他に何がある?」


 空狐は訝しみながら尻尾を揺らす。

 ふわりとした緩やかな動きのはずが、そこから飛んでくる風圧は嵐のような強さ。

 

 虚太郎はとっさに呪いで盾を作り防御しようとしたが、空狐は「ふん」と鼻で笑い尻尾を一振り。呪いの盾は耐えきれずに揺らぎ、霧となって消える。

 ならばと虚太郎は呪いを一点に集中。強固な槍の形に整え、突破口を開く。

 漆黒の槍は風を切り裂き空狐に迫る。


「甘い」


 ガキン、と。

 何かに刃を阻まれた。


 周囲に響くのは目眩を起こしそうな高音。

 槍が阻まれた部分に白い亀裂が走り、透明な壁のようなものがあったのだと虚太郎は知る。


 だが、手応えはあった。

 そのまま槍を押し込んで亀裂を広げてゆけば。


 壁と槍が同時に砕け散り、刹那。


「甘くは無い」

 槍の後ろまで迫っていた虚太郎が、妖刃(ナイフ)で空狐へと斬りかかった。


「人間にしてはなかなかやる」

 間一髪で空狐は後ろへ宙返り。

 虚太郎の刃はあと一歩のところで闇夜を斬る。


『しくじった! でも、時間はじゅうぶん。こっちの勝ち』


 遠く離れたところで閻魔の声がして、空狐と虚太郎が揃って視線を向けるその先に。



 身体から淡い光を放つ常盤が立っていた。


「すまん。遅くなった」

「お待ちしてました」


 常盤は静かにうなずくと、懐から細長い紙の束を取り出し、ふぅと息を吹きかけた。

 紙束は常盤の身体と同じように淡い光を帯びて上空へ。

 天高くでくるくると円状に舞う、光る紙束。


 夜空に咲き誇る火花のようなそれは、その場にある全ての視線を集め時を止める。

 比喩、ではなく。


 空を見上げたままピクリとも動かない虚太郎と閻魔、それと空狐。

 そよぐ風すら無い静止した空間で、唯一動くのは常盤ひとり。


 悠々と空狐の前へ進み立ち、錫杖を握りなおして経を唱えれば。

 常盤の身体が放つ光が徐々に強くなってゆき、空狐の周りの地面から黒い炎のような影が湧いて出た。


 影は逃げ場を求めるように空狐を取り囲み、内に入り込もうとするも、妖術で守られた体内には潜り込めず。

 これらの影は現世のいたるところに散らばる、空狐に恨みを持つ呪いの一部。どうあっても空狐から離れはしまいと空狐の周囲で編まれるように重なってゆき、呪いの束はやがて真っ黒い箱形の檻となり固まった。


 これで空狐の封印が完了。常盤が錫杖をドンと強く地面に打ち付けると、上空で円を描いていた紙の束が一斉に重力に引かれ落ちてくる。

 時間が、動き出す。



「常盤さん、あれは何……あれ?」


 虚太郎が確認出来たのは、常磐が紙束を吹き上げるところまで。

 そこにすでに何もなくなっていることに気付いて周囲を見回せば、さきほどまで上空にあった紙束は地面に散らばり、常盤の居場所が変わっており、空狐が消えて、その場所に黒く四角い箱がある。


『何が起きたの?』

 閻魔が虚太郎の肩口に駆け戻りながら、常盤へと尋ねた。閻魔も何が起こったのか理解ができていない様子。


「この場の時間を少々止めていたのだ。その隙に空狐は無事に封じたぞ。足止めしておいてくれて助かった」

「いえ、俺は何も」


 何もしていない。いや、出来なかったと言うほうが正しい。

 謙遜でも何でもなく、虚太郎の心からの言葉。


 虚太郎は空狐に傷ひとつつけることすら叶わなかった。

 ”良い呪いとして人の役に立つ”など、思い上がりも甚だしい。呪いの力が使えたところで、この体たらくではどこへも顔向けできそうにない。


『空孤ってすごく強かったよ。一瞬で封印しちゃうなんて、常盤って凄いや』


 踊るように飛び跳ねながら、閻魔が素直に常盤を称えるも、常盤は浮かない表情。


「そこが不可解だ。この空狐は尻尾が七本。まだ完全体ではない。アーキトルーペで観測した歪みはもっと大きなものだったと思ったが。見間違えたか?」


「完全体というのは?」

「完全な空狐は尻尾が九本あるのだ」


 常盤が言うには、完全な空狐は今戦ったものよりも力が強く、常盤でもひとりで封印できるかどうか怪しい。

 そのため、今日は対策として貴重な札を持参していたのだという。


 刃をかすらせることすらできなかった相手に、さらに上がいると聞き、虚太郎はますます己の無力を痛感する。


 虚太郎のそんな心中を知ってか知らずか、常盤は空狐を封じた呪いの箱を厳重に布で包むと、さっと帰り支度を整えた。


「すまんが、わしは一足先に観測者の地へ戻る。帰ってしっかり確認せんと気が済まん。お前は森へ戻って、境界線を越えて来い」

「はい」


 そう言うと、常盤は白く大きな翼を背中に広げ、夜空へ飛び立った。

 万華鏡を持たない常盤は、境界線が越えられない。その代わり、天狗にしか通れない天狗道という道を使って、観測者の地と現世を行き来しているのだという。


『僕達も帰ろうか』

「うん」


 境界線の扉がある森に向かって、虚太郎も静かに歩き出す。


『何もできなかったね』

「まったく」


 呪いとしての能力を買われて任務を与えられたというのに、たいした役に立てず。

 事前に意気込んでいただけに、余計に口惜しい。


『良い呪いとして人の役に立つって具体的に何をすればいいんだろう』

「自由は、難易度が高い」


 ”何をしてもいい”と与えられた自由。やりたいことを見つけたと思ったら、その先にはまた無数に枝分かれした自由が広がっている。

 今の虚太郎が何をすれば人のためになるか。最適解が見つからない。


 心は今、どれくらい戻っているのだろうか。

 答えの見えない問いばかりが脳内をぐるぐると回り騒ぎたてる。


『それでも先へ進むしか道は無いんだけどね』


 一歩一歩確実に。


 揺らぐ想いを抱えながら境界線の文様へとたどり着き、虚太郎は足を踏み入れ目を閉じる。


 ……が。


「あれ?」


 目を開いても、そこはまだ森のなか。


『戻れない?』

「なぜ」


 何度、目を開閉しても。文様に出入りしても。

 一向に世界が変わる気配が無い。


『万華鏡は?』

「たしかにここに」


 懐に閉まったはずの万華鏡(通行証)

 存在を確かめようと取り出して見れば。


『えっ』


 万華鏡が、泥水のようにどろりと溶けて消え落ちた。



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