■桃源郷ネクロマンシー
■桃源郷ネクロマンシー
起きながら見る夢景色。
死を超越した新世界。
桃源郷ネクロマンシー、実在するまがい物。
***
「虚太郎、現世行こうよ」
唐突にミコに誘われ、虚太郎は、
「え?」
と素っ頓狂な声を上げた。
歪みを正すために、常盤が時折現世へ行っているのは虚太郎も知っている。しかし他の人間も現世と行き来できるとは考えておらず、ずっと観測者の地で過ごすものだと思っていた。
『現世、行けるの?』
「行けるよ。行きは扉をつくればすぐに。帰りはもう一回境界線を越えなきゃいけないけど、アタシと一緒なら大丈夫」
大船に乗ったつもりで来なよ、と反り返り胸を叩くミコ。特に断る理由も無いので、虚太郎は素直に頷いた。
「あ、でもその服は今日はちょっと目立つから、これに着替えて」
「はい。髪や目の色は大丈夫ですか」
「うん、アタシの時代じゃそういう人はたまにいるから。バンドマンっぽくて逆に普通! コスプレっぽいから服だけ着替えて」
渡されたのは、ミコの時代の服。黒いコートに赤いマフラー。普段の忍び装束と印象は似たものになる。虚太郎が落ち着いて着られるようにミコが選んだものだろう。
「オッケー、じゃあ行こう。扉をくぐれば、すぐに現世だよ! せーの」
『すごい。本当に一瞬で着いた』
現世で驚きの第一声を発したのは、虚太郎の肩口でマフラーに隠れた閻魔。
ふたりが立っているのは、ミコの時代。虚太郎からすると遥か先の、人や物に溢れる場所。
式はさすがにミコの時代にも居ないらしく、見つからないようにと念を押された。
普段はふわふわとミコの周囲を泳いでいる式の魚も、今日は服の影に隠れてじっとしている。
「アーキトルーペでちょっと見ただろうけど、実際に来るのはやっぱり感じが違うでしょ」
「そうですね。音が、多いです」
アーキトルーペで覗いた時もずいぶんと人や色の多さに関心したものだが、その場に立ってみると思っていた以上に情報が氾濫している。目で見える範囲のみならず、三百六十度あらゆる方面から気配を感じる。
さすがのミコはこの環境に慣れているようで、「じゃ、行こっか」と颯爽と歩きはじめた。
『どこへ行くの?』
「んー、まずは映画でも見に行こうかな」
「動く絵草紙のことですか?」
「うんまぁそんな感じ。もうなんでも知ってるね、虚太郎は」
「いえ、なんでもではないですが。娯楽の一種だと存じています」
「真面目だなあー」
何気ない会話をしながら歩く。
道行く人のなかに時々、うっすらと黒い靄を纏っている人物を見かけるが、ミコや周囲の人間が何も反応していないのを見るに、おそらく呪いに憑かれている人物なのだろう。
すれ違いざまにそっと呪いを吸い取りながら歩き、映画館に着いて。
ミコに言われるがまま指定の椅子に座り、映画を鑑賞。
初めて見る映画は”動く絵草紙”どころの騒ぎではなく、虚太郎の理解の及ぶところを大きく超越していた。
まずそもそも、絵ではなく人がいる。画面の向こうに本当に居はしないのだと言われても信じられないほどに存在感がある。しかし話し声や物音は画面からではない場所から聞こえてくる。その時点ですでに感覚がすれ違っているというのに、どこかから楽器の演奏のような音まで聴こえてくる。
周囲は暗く、椅子に深く腰掛けることも強要されるため襲われたときに咄嗟に動きづらい。感覚を狂わされた挙げ句、動きも制限された場所に長い時間拘束される。これのどこが娯楽だろうか。
最初はそのように警戒し気を張っていた虚太郎だったが、隣に座るミコに何度も「安全だってば」とたしなめられ、周囲の人間もおおよそ同じように寛いでいる様子を確認し、その場に溶け込めるよう努めた。
そうして最後にはきちんと、画面の向こうで起こる出来事に集中できるようになっていた。
画面の向こうで人が襲われる場面では思わず呪いを飛ばしかけたものの、すんでのところで抑えることもでき、まずまずの態度だったと言えよう。
映画館を出た二人はまたミコの先導で雑貨屋や服屋を見て回り、書店で少し買い物をしてから、帰る前に休憩、ということで喫茶店へ。
虚太郎は何を食べても味が無いので、ミコだけがパフェを注文して向かい合う。
「はー。いっぱい遊んだなー。楽しかったー。虚太郎はどうだった?」
「珍しいものをたくさん見られたと思います。とくに、映画は凄いですね。あのゾンビというのは蘇った人ですよね。俺のように呪いか何かでつなぎとめている魂ですか? 俺もこの時代だとゾンビと呼ばれますか? ゾンビは歪みを生まないのでしょうか?」
「そういう感想になるんだ。あれは作り物だから、歪みは生まないんじゃないかな」
ミコは「あはは」と笑いながらパフェをつつく。
ゾンビが歪みを生むとしたら常盤が大変だとか、肉体が完全に腐り落ちて骨だけになってもゾンビと呼ぶのだろうかとか、作り物のなかにひとりくらい本物が混じっていたりはしないのかとか。
そんな話を一通りし終え、会話が途切れた時に、ふと。
虚太郎はこの日ずっと疑問に思っていたことを、ミコにぶつけた。
「観測者の地ならなんでも創れますよね? なのになぜ、わざわざ現世へ来る必要があるんですか?」
ミコは「ん?」と、パフェをすくう手を止め、きょとんと虚太郎を見返した。
「だって息抜きは必要でしょ?」
「息抜き?」
「あー。虚太郎は息抜きしたことないんだったね。休む家すら無かったんだもんな。んーと、普通の人間ってゆーのは、ずっと気を張ってると疲れちゃうんだよ。虚太郎みたいに、心と身体にムチ打って寝ても覚めても働いてばっかりだと、気持ちが破裂しちゃうんだよ」
いかに心身が疲労していようが殿様の命を最優先としてきた虚太郎には実感は沸かないが、ときどきゆっくり眠ったり楽しいことをしたりおいしいものを食べたりして休む。というのが、俗に言う息抜きというもの。
一日中歩きまわっては、休息どころか疲労するのでは。と虚太郎は考えたが、身体は疲れても心のほうはこれで調子が戻るのだとミコは言う。
「それにずっとひとりで考えてると、行き詰まっちゃうんだよね。観測者の地で創れるものって、知ってるものだけでしょう。個々の思想や発想に依存するもの……例えば映画や本、音楽。そういうものは、創れたとしても自分が考えたものだけ。自分の中にないもの、思いつかないものは創れないじゃん。だからアタシはそういうものを見るためにたまにこうして現世に来るの。虚太郎と話をするのも良い刺激になってるよ」
ミコは、「常盤はアタシの聞きたいことには答えてくれないからね」と視線を落とす。スプーンをパフェの器に差し込むも、それを口に運ぶことは無く。
虚太郎が観測者の地で”やりたいことを見つける”という目的があるように。常盤が”歪みを正す”ために働いているように。ミコもまた、何らかの目的を持ってあの場所にいるのだろう。
その目的が何なのか。余計な詮索はすべきでないと虚太郎があえて黙り込んだところで、代わりに閻魔が割り込んだ。
『ミコさんは観測者の地で何をしてるの?』
「アタシ? アタシはねぇ」
ミコの表情から、普段の笑顔が消える。
そしていつにもまして真剣な顔をして、ミコは言った。
「アタシは、命を創ろうとしてる」
――この世界では。
命の総量が決まっているという。
ところが。
時折、この理を歪める者があらわれる。
いつか聞いた常盤の声が、虚太郎の脳裏をよぎった。