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■雪の降る日はモグラ人参

■雪の降る日はモグラ人参


 コンコンと、雪が降る。

 心の距離が近いほど、咳き込むごとに降り積もる。

 見舞いに持つのはモグラ人参。食べれば広がる土の味。


***



 観測者の地に、雪が降った。


 ”観測者の地は、昼も夜もなく、季節も天候も変わらない”。

 そう聞いていた虚太郎と閻魔は、視界にちらついた白い結晶に揃って首をかしげる。

  

『雪だ。しかも室内に』


 奇妙な現象に上を向いてみれば、間違いなく自室の天井付近から雪が落ちてきている。雪雲も無く湧いて出る雪は、一体どこから来ているのか。

 外で降ったものが天井を突き抜けて室内に入って来ているのかと思い部屋を出てみると、不可解なことに、外に雪は降っていなかった。外の景色は、昼も夜も季節も天候も変わらないという言葉通り。いつもと同じく真っ白な空間が広がるだけ。

 扉を境に、外と中で、雪の降る降らぬが明確に区分されているようだ。


『常盤さんかミコさんが何かやってるのかな。様子を見に行ってみよう』

 閻魔の提案に虚太郎は頷き、まずは常盤の部屋へ続く扉を創り出した。




 扉を開くと、不機嫌そうな顔をしてアーキトルーペを覗く常盤の姿があった。


「常盤さん、この雪は何ですか?」


 常盤の部屋のなかは、虚太郎の部屋よりも雪の降る量が多いようだ。コンコンと際限なく降り続ける雪は、膝丈ほどまで積もっている。


「ん。ああ、よく来た。そうか、お前のところにも降ったか」


 虚太郎の来訪に気づいた常盤はアーキトルーペから顔をあげ、手招きしながら近くの物の山から大きな袋をひっぱり出した。


「どうやらミコが風邪をひいたらしい。お前が猫風邪を患ったから、不調が伝染したんだろう」

『ミコさんに伝染っちゃったの? 猫風邪の呪いはちゃんと吸ったのに?』

「猫風邪そのものは消えている。ミコが患ったのは別の風邪だ。ここは現世とは物事の起こり方が違う。同じ病が伝染することがない代わりに、”不調”という大きなものが伝染することがある」

『不調以外も伝染する?』

「そうだな。いろいろと」


 説明しながら、常盤は何かを探して袋を漁る。袋はしゃがみ込んだ常盤の身体の幅よりも大きい。探し物を見つけるのには時間がかかりそうだ。


『ミコさんの風邪は雪が降るんだね。膝の裏に猫が出来るようなところだから、今更驚きは少ないけど』

「常盤さんの部屋は、俺の部屋よりたくさん降ってますね」

「付き合いが長い分、それなりにな。しかし、少しだろうとお前のところにも降ったのなら、最初にお前の世話をミコに任せて正解だったというものだ」


 待っている間にも雪は遠慮なく降り続ける。

 常盤の頬に落ちる小さな結晶は、静かに水滴となり消える。

 一方で体温の無い虚太郎の身体は、かかった雪が溶けることなく貼り付いて、緩やかに白く染まってゆく。

 幸いにして、寒さや冷たさは感じない。呪いの身体で感じることのできる温度は、内側から燃える右眼の熱さだけ。


 虚太郎の肩に一寸ほど雪が積もったところで、常盤はやっと目当てのものを発見し、「あったあった」と声をあげた。


「虚太郎、これを持ってミコのところへ見舞いへ行ってこい」


 袋から引き抜かれた常盤の手に握られていたのは、茶色い皮に覆われところどころに毛の生えた根菜のようなもの。


「これは何ですか?」

「モグラ人参だ。食わせれば風邪に効く」


『常盤さんが持っていくほうが良いんじゃない? 僕達、呪いのことをミコさんに話しちゃったから、嫌われているかもしれない』

「嫌われとったら雪は降らんさ」


 常盤はモグラ人参を手渡すと、さあ早く行けと言わんばかりに虚太郎の背を押した。「もう少し待って雪が止まなければ、わしが行こうと思っておったが」とは言いながらも、あまり気乗りはしていなかったのだろう。

 ついでに扉まで創り出し、有無を言わさず虚太郎を部屋から放り出した。


「これの使い方を聞きそびれた」

『食わせればって言ってたし、煎じるとかすり潰すとかするんじゃないかな。ミコさんが知ってるかもしれないし、とりあえず行くだけ行ってみよう。呪いの害が出る前に、渡してすぐに帰ればいいよ』

「うん」


 呪いの身体であることを打ち明けた日以降、ミコとの接触は無い。

 観測者の地では、体感時間が人により違う。ミコにとってあの日からどれだけ経っているか不明とはいえ、扉を創る手は少し緊張する。


 それでも、彼女が体調を崩していて、薬がこの手にあるのであれば。行かぬわけにはいくまいと、虚太郎は覚悟を決めてミコの部屋への扉を開いた。




「虚太郎、来てくれたんだ! ありがとう」


 顔を見た瞬間に追い返されることすらも想像していた虚太郎は、扉をあけてすぐに届いた親しげな挨拶にやや拍子抜けした。


 とはいえ、ミコの様子はやはり少し弱っているように見える。心なしか、ミコの式の魚も泳ぐ姿に覇気が無い。


 部屋のなかは以前見た時とは違い、いくつかの机が無くなっている。その代わり、部屋の中央には布団が敷かれていた。

 ミコはその上で休んでいたようだ。いつも着ている白衣ではなく、あたたかそうな寝間着(パジャマ)姿で虚太郎を出迎えた。


 虚太郎が部屋に足を踏み入れると、ミコは膝の上で操作していたノートパソコンを退け、虚太郎が座るための座布団を出す。


「どうぞ。座って」

「お構いなく。長居するつもりはありません。常盤さんからこれを預かってきたので、渡すだけで」


 虚太郎がモグラ人参を見せると、ミコはまるで毒を食った犬のような顔をして、


「げえーっ! モグラ人参! アタシが風邪ひくと常盤ってばいつもこれ食べさせようとするんだよ。最悪!」


 と、布団に顔を埋めて拒絶の意をあらわした。


 虚太郎はしゃがみ込み、うずくまるミコのそばに人参をそっと置く。


「風邪に効くと聞きました。食べたほうが良いのでは」

「無理無理無理無理。虚太郎が食べなよ」


 ミコは勢いよく顔をあげモグラ人参をほんの少し折り取ると、無理やり口へねじ込もうと虚太郎の膝に乗りかかった。


「俺は風邪をひいていないので」

「どんだけ不味いか試しに一口かじるだけでも! そうすればアタシの気持ちが分かるから!」

「乗らないでください。危ないです」

「食べれば退くよ」


 向かい合い、膝の上での攻防戦。転ばないようミコの腰を抱きとめながらも、このままでは埒があかぬと、虚太郎は観念してモグラ人参の欠片を口に含んだ。


「どうよこれぇ」

「すみません。無味です」

『呪いの身体は味覚が無いんだよ』

「えーっ! ずるいよ虚太郎」


 対面のまま膝の上で暴れるミコを、虚太郎はやっとの思いで布団に押し戻す。

 

 騒いでしまったせいか、布団に戻されたミコはコンコンと咳き込んだ。


「早く食べたほうがいいですよ」

「うぅ……。普通の風邪なら風邪薬が創れるのに。ここの風邪には効かないんだもんなあ。あーやだなあ、モグラ人参」

『そんなに嫌がるなんて、どんな味なのかちょっと気になってきたな』


「簡単に言えば土の味だよ。一口含んだ瞬間に口内が全て土に支配されるのだ。食道も胃も土で埋められたみたいな感じ。しかもちょっとした土とかじゃなくて、そりゃーもう強烈な土なんだよ。馬糞が混じったような土の味だよ。馬糞食べたことないからイメージだけど。とにかく味が茶色い。そんでちょっとドブ臭い。でも微妙に後味がミントというかハーブ系。かつ、ピリリと辛い刺激があるうえに、すり潰しても粉にしても風味が主張して消えないの」


 ミコは涙ながらにモグラ人参の味の酷さを訴えかける。

 このまま置いて帰っても、ミコは人参を食べないだろう。

 ミコの風邪が長引けば、虚太郎と常盤の部屋に雪が降り続けることになる。


 どうしたものかと虚太郎が頭を捻っていると。

 コンコン、コンコン。またミコが咳き込んだ。

 咳に合わせて、虚太郎の周りに雪が降る。


「わぁ、ごめん。そっか、虚太郎にも降っちゃうようになったんだ。最近虚太郎のことをよく考えてたから、余計に意識がそっちへ向いちゃったのかもしれない」

「この部屋には雪は積もってませんね。なぜ俺と常盤さんのところにだけ雪が降るんでしょうか」

「ごめんね。アタシがここでひく風邪は、そういう風邪なの。心の距離が影響しちゃう。アタシ本人のところじゃなくて、アタシが”親しい”とか”好ましい”とか、好意的に感じる人のところに、雪が降る」


 ミコはまたコンコンと咳をしながら、「常盤のところにも今またきっと雪が降ってるよ」と悪戯をする子供のような顔で笑う。


『好意的? 嫌いになっていないの? 僕達呪いだよ』

「呪いは人に害を成す。だから早く人参を食べてください。じゃないと部屋へ戻れない。あまり長く居ると、呪いがミコさんに悪影響を及ぼすかもしれません」


 虚太郎は出来る限り遠い距離から、人参をミコへと押しやった。

 しかしミコは人参を受け取りはせず、「大丈夫だよ」と一言。


「虚太郎はアタシに害を与えたいと思うの?」

「いいえ」

「それじゃあ大丈夫だよ。呪いが人に害を成すのは、”そうしたい”っていう思念だから。猫風邪は人に恨みを持った思念でしょ。虚太郎が話してくれた山の呪いもそう。虚太郎への強い恨みがあって、周囲への影響はそのついでみたいなものだったんだと思うよ」


 ミコはそっと虚太郎に近づいて、黒い手袋に包まれた両手をすくい上げた。目の高さまで掲げられた虚太郎の両の手は、しっかりとミコに握られている。呪いの身体を恐れてはいないと、暗に示すように。


「だから虚太郎は大丈夫。身体が呪いになっていても、その中心にあるのは……呪いを使っているのは、人の心を持った虚太郎だもん」


 コンコン。コンコン。咳と同時に降る雪が、虚太郎を白く染めてゆく。

 頭に雪を乗せたまま、虚太郎が「そういうものですか」と小さく問えば、「そういうものだよ」と返ってくる。


「それにね、そんなに危険なら、常盤は虚太郎をアタシに任せない。ちょっと打算が透けて見えるけど、あの人の言うことは信用できるよ。だから大丈夫。虚太郎は呪いだけど、人に害を成したりしない」


 呪いは意志で操れる。その本当の意味を、虚太郎はやっと理解した。思うように動かし、形作れるだけでなく。その効果すら、御せるものなのだと。


『こうなったらひとつ、良い呪いを目指してみるのも一興ってやつかな』


 虚太郎の肩に降り積もる雪に埋もれないよう、八本の足で細かく払い落としながら、閻魔がピンと触肢を立てた。


『人の心を持って使えば呪いが害にならないっていうのを、証明してみようよ』

「わかった」


 虚太郎と閻魔のやりとりに、「良かったね」とミコは呟いて、

「でも悔しいな。常盤の思い通りになってそうだ」

 と、小さく頭を掻いた。


「思い通り?」

「うん。雪が降るってことは、アタシと虚太郎の心の距離が近づいちゃってるってことだから。常盤は最初からそのつもりだったんだと思う」


 ミコの言う”最初”とは、ふたりが初対面を果たした時。虚太郎が観測者の地に来た日のこと。


「あの時虚太郎は心を無くしてすぐだったから、自分の望みで部屋を創れないだろうって常盤は予測した。それでアタシが代わりに手を出すところまで見越してたんじゃないかな」


 創造の室は想像力の空間。創られるものは心象風景。

 虚太郎の部屋をミコの心で創ることで、二人の距離は初めから近くなっていた。

 

 なぜ常盤はそんなことを。

 疑問を虚太郎が口にしかけたと同時、ミコがまたコンコンと咳き込んだので、虚太郎はそっと口をつぐんだ。

 まずは何よりも、ミコの風邪が治るのを待つのが先決。虚太郎の不調が伝染ってしまったものならなおさら責任は重い。


 ミコは「はあー」と大きくため息をつくと、「なんか疲れたー」と、人参を虚太郎に渡し、


「じゃ、そういうことで。これは持って帰ってもろて」

「いえ、むしろ懸念が消えたので、今すぐ食べてもらいます」

「そんな馬鹿な! まさか常盤、こうなることまで予測済みで!?」


 慌てて逃げ出そうとするミコに、虚太郎は呪いの影を伸ばす。害する意志がなければ呪いは無害。それを証明するために。

 呪いはムチのようにしなりながら、ミコの身体を捕捉した。


「う、動けない! 見えない何かに、縛られているっ!」


 呪いでミコを拘束しながら虚太郎はすり鉢、鍋、包丁を創り出し、

 

「すり潰しますか、煎じますか、細かく刻みますか」

「どれも、嫌だーーー! やっぱり呪いは害だ!」

「体調不良を治すのは害では無いですよ。良い呪いの行動です」

「真顔で言われると怖いよー!」




 少しして、無事に常盤と虚太郎の部屋の雪は止んだ。

 しかしその代わりだとでも言うように、それからしばらくの間、ミコと顔をあわせるたび愚痴の雨が降り注いだのだった。


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