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■膝裏の猫


■膝裏の猫


 膝の裏には猫がいる。

 ひかがみと呼ばれるその部位に、ある時浮かんだ猫の顔。

 膝を折れば「にゃあ」と鳴き、接したもも裏に噛み付いてくる。


***



 虚太郎が常盤の仕事を見学してからしばらく。

 時間の感覚は曖昧ながら、数日は経過した気がするある時のこと。


 今日も今日とて、自分のやりたいことを考えながら電子辞書に目を通していた虚太郎の耳に、


「にゃあ」


 と、どこかから猫の鳴き声が届いた。

 連続してにゃあにゃあと続く声はかなり近いところから聴こえるが、周囲に視線を巡らせても、猫の姿は見当たらない。

 耳をすませて発生源を探ると、どう聴いても足元から声がする。

 布越しに鳴いているようなその声に、もしや、と着物を捲ってみれば。


 なんと、膝の裏に、子猫の顔がついていた。


「猫だ」

『猫だね。でも膝の裏に猫が出来るなんて聞いたことないや。とりあえず常盤さんに相談してみよう』


 閻魔に同意し、虚太郎は早速、常盤の部屋への扉を創り出した。



 常盤の部屋へ入ってすぐ。


「膝の裏に猫が出来たのですが」


 虚太郎がきりだすと、常盤はなんでもないという風にアーキトルーペを覗き続けながら、


「猫風邪だな」


 と、あっさり言った。


「猫風邪、ですか」


 虚太郎は、「はじめて聞きました」と、黒い忍び装束のうえから膝裏を撫でる。膝裏に突然浮き上がってきた猫の顔。どうやらこれは風邪の一種らしい。


「たいしたものではない。お前の力なら簡単に吸って消してしまえる。それの本質は呪い。お前の領分だ」


 常盤はアーキトルーペから視線を外さない。

 その様子から察するに、本当にたいしたことではないのだろう。


 虚太郎はあらためて猫を見る。膝の裏に寄生する猫は、頭だけしかない。それでも撫でれば目を細めて気持ちよさそうな顔をする。

 本当にこれが呪いの一種なのか疑わしいほどに、本物の猫にそっくりだ。しかし試しに燃える右眼を閉じてみれば、猫の姿は消えたように視えなくなる。

 どうやら本当に、猫のような呪いで間違いないらしい。


『消すの? こんなに可愛いのに?』

「視えるのか?」

『まぁね。同じ呪いだから』


 ゴロゴロと喉を鳴らす猫のまわりを、閻魔が飛び跳ねる。閻魔もこの猫を気に入ったようだ。


「たしかにかわいい」

『いつでも消せるのならさ、しばらくこのままでもいいんじゃない? きみってさ、虫とか動物とか好きだよね』

「……うん。でも」


 呪いの猫を飼うのは、理を歪めるのではないか。

 気になった虚太郎が顔をあげ常盤を見ると、


「問題無い。それは命ではなく、呪い。猫風邪に限らず、呪いというのは多くの場合、ただ人に害をなすだけのもの。思念だけが存在し、魂も肉体も持たないゆえに、呪い自体が歪みを生むことはない」


 と、常盤からはやはりアーキトルーペを覗いたままでの返事。


「では、このまま飼っても良いですか」

「好きにしていい。面倒を起こさぬよう気をつけてな」

「ありがとうございます」


 こうして虚太郎は、膝の裏で猫を飼うことに。


「猫風邪について知りたければ、そこの書に詳しく書いてある。持っていけ。上から三冊目だ」

「ありがとうございます」


 虚太郎は乱雑に積まれた書のなかから目的の一冊を抜き出し、常盤の部屋をあとにした。


 自室へ戻ってすぐ。

 常盤の部屋から持ってきた書を開き猫風邪について調べてみると、猫風邪は、虐待や交通事故など、人の所業で命を落とした猫の怨念が呪いとなって人の身体にあらわれるものらしい。


 最初は、膝を折ると痛みが走る、くらいの少し迷惑程度のもの。しかし呪いは目に見えず、治療法も無いゆえに、そのまま放っておくしかない。そうすると、憑かれた人間の身体は次第に衰弱してゆくことになる。猫風邪が、宿主の精気を養分として吸い取って成長するからだ。


 最初は顔だけの猫が、養分を吸ううちにだんだんと大きくなってゆく。腕が出て、胴が生え、しっぽの先まで飛び出して完全に分離する時、人は精気を吸われ尽くし命を落とす。

 分離した猫は自由に動けるようになり、その後は別の宿主を見つけてまた取り憑き、精気を吸う。


 それが、猫風邪と呼ばれる呪い。


『こんなに可愛くても、やることはしっかり呪いだね。呪いは人に害をなすだけのものだって常盤が言ってたのは本当なんだ。僕はこの猫が好きだけどさ』

 

 何気ない閻魔の言葉は、虚太郎自身にもあてはまる。

 身も心も呪いによって繋がれている今の虚太郎は、呪いそのもの。やはり厄災は厄災のまま、人になるのは難しいのか。


 没頭しかけた思考は、しかし、「にゃあ」という声で引き上げられた。


『可愛いな。害が無ければきっと愛されるのに』

「それなら、俺が適任だ」


 猫風邪と虚太郎との相性は非常に良かった。

 虚太郎は偶然にも、猫風邪における人間側の弱点を全て打ち消す特性を持つ。


 一度死んだ虚太郎の身に精気は通っておらず、よって養分を吸われ尽くして死ぬことは無い。

 噛みつかれようが食いちぎられようが痛覚の無い肉体は痛みを感じず、呪いの再生能力によってすぐに癒える。

 精気の代わりに猫が吸うのは、虚太郎が持つ呪いの力。

 吸われたところで虚太郎が力を失うことは無く、好きなだけ餌をやることができる。


 猫は、虚太郎に非常によく懐いた。

 虚太郎が歩く時には、猫はぶら下がって邪魔にならぬよう両前足でぎゅっと虚太郎のふくらはぎにしがみつく。遊んでほしいときには膝の裏を甘噛みし、「にゃあ」と控えめに鳴き主張した。賢く、おとなしい猫である。

 

 虚太郎もまた、猫をたいそう可愛がった。

 座るときは猫を潰さないよう正座ではなく立て膝を心がけ、辞書を読むときは空いたほうの手で猫を撫で、暇があれば手のひらから細く呪いの影を出し、猫をじゃらして遊んでやる。


 虚太郎が猫に構えぬときには、猫が暇をしないよう閻魔がかわりに飛び跳ねて興味をひいておいてやった。



 食いたいだけ食わせているせいか猫はみるみるうちに大きくなり、あっと言う間に尻の先が見えるほどまで成長した。

 この成長速度なら、そんなに待たずとも分離がはじまる。

 

 猫が分離したときのために、虚太郎は部屋のなかに小屋と遊具を作って設置。遊具は電子辞書で調べ、あらゆる種類を作っておいた。


 音の鳴る玉。走り回る木のネズミ。壁で震える紐。穴から飛び出す羽。紙の袋。


 分離して自由に動けるようになったら、たくさん走り回らせてやりたい。

 身体が離れたら、手から餌を与えてみたい。

 やわらかい腹に顔を埋めてみるというのも一興。


 そんな想像を巡らせ、”楽しみ”だと感じた虚太郎はぽつりと漏らす。


「俺、やりたいことを見つけたかもしれない」

『こんなことで正しく死ねる?』

「わからない。けどこいつを飼えるのは俺だけだ」

『要は相性ってことね』


 物心ついて以降、”楽しさ”を覚えたことがあったかどうか。”楽しそう”だと感じる心すら、きっと失っていた。今、それが戻っているのは、またひとつ”人”に近づいた証に違いない。

 虚太郎が探していたのは、呪いの身体を持つ自分にも出来ること。自分やこの猫が人に害を成すしかできないなら、害を成さない同士で”楽しく”生きられれば、未練を残して歪みを生むこともないはず。


 あとは死ぬだけだ。


 虚太郎がひとり納得しかけた、その時。

 


「おーい、虚太郎! 猫風邪にかかったんだって?」

 部屋に扉があらわれて、ミコが顔を出した。


 ミコは勝手知ったるという様子で、大股で部屋の中央まで移動する。


「大変だよね。今すぐ治してあげるよ!」

「いや、治さなくて良……」


 虚太郎の制止虚しく。

 ミコは、ザッと、虚太郎に頭から塩をかけた。


「清めのお塩だよ! これでもう大丈夫!」

「……ありがとうございます」


 俯く虚太郎に見えるのは、溶け落ちて畳に染みる猫型の影。

 猫風邪が、消えて(死んで)しまった。


 猫の形の黒い染み。

 どんなに可愛い形でも、こうなってしまってはただの呪い。もう撫でることは叶わず、思念も無い。吸い取ってしまおうと、虚太郎は、溶けた呪いに手を伸ばす。

 呪いを畳から浮かせると、最期に一度だけ、「にゃあ」と鳴き声が聞こえた気がした。


『あーあ。猫、消えちゃった。でも仕方ないよね。ミコさんは良かれと思ってやってくれたんだから』

「わかってる」


 虚太郎の心はまた凪いでゆく。しかし一時でも感情を自覚できたのは前進だ。

 ミコのおかげで、上がってからまた戻る、という変化を感じることも出来た。猫風邪にかかったと聞いて駆けつけてくれた親切もありがたい。

 猫が消えて残念な気持ちはあれど、ミコに対して怒りの感情は湧いてはこなかった。


「塩だらけになっちゃってごめんね。でも猫風邪には、早めのお塩が一番効くんだよ。手遅れになっちゃう前にと思ってね」

『心配ありがとう。まぁ、実を言うともうすぐ分離間近だったんだけどね。虚太郎には呪いは効かないから』


「え? どういうこと?」

「実は、俺の身体は呪いで出来ていて」


 呪いというのは多くの場合、ただ人に害をなすだけのもの。

 そう聞いてしまっては、黙ったままではいられない。


 法力を身に着けている常盤はともかく、ミコは普通の人間に見える。呪いに近づいては悪影響を受けるかもしれない。同じように親切に接してくれる二人だが、ミコのほうが虚太郎に対して距離が近い。

 ミコの親切をありがたく思うからこそ、呪いの害を与えたくない。


 ゆえに、虚太郎は打ち明けることにした。自身がまだ理解出来ていないことを含め、この場所に来るまでの経緯と、常盤から聞いた説明の全てを。


 一度死んだ身であること。その身を呪いで繋ぎ、呪いそのものとなったこと。ゆえに人の機能を失い、呪いの機能を得たこと。身体が呪いでも、心があれば人として生きられるらしいこと。しかしその心すらも一度失っていて、今はまた呪いのおかげで一部だけが戻っているらしいこと。完全に心を戻すために、ここに来たこと。そして正しい死を迎えようとしていること。


 話す間、ミコは黙って聞いていた。

 

 最後に、「呪いは人に害を成すしかないものらしい」と告げて虚太郎が全ての話を終えると、ミコは

「なるほど。そういう方法もあるわけだ。ありがとう。すごく有意義な話を聞けたよ。アタシちょっと考えることが出来たから、今はいったん戻るね!」

 と、慌てたように立ち上がり、そのまま部屋を出て行った。


『呪いだって聞いて、嫌われたかな?』

「それも仕方ない」

『ちょっと”寂しい”ね』

「……仕方ない」


 ミコの扉が消えたあと、虚太郎は静かに電子辞書をひらく。新たにやりたいことを探すために。

 身体にかかった塩は、なぜだかすぐに消す気にはなれず、しばらくのあいだ被ったままで辞書を読んだ。


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