90.栗の渋皮煮を買う
「へぇ、これも初めて見る。し、ぶ、か、わ、に?」
ランさんが興味深そうに前に屈んで栗の渋皮煮の瓶詰めを見た。
「マロングラッセとはまったく違うもののようだね」
「うーん、そうですね」
マロングラッセ。
果肉がしまっていて、粘り気の少ない栗で作る糖衣がけ。
渋皮も剥いた栗にあまーいシロップを染みこませては冷まし、砂糖を加える工程をひたすらに繰り返す。数日かけてその工程を繰り返し、最後に乾燥させる。
すると砂糖の結晶が表面に膜を張って、ざらっとした見た目になる。
渋皮煮。
大きく、甘みの少ない栗で作る。
最大の注意点は、外の鬼皮を剥くときに、渋皮に傷がつかないように気をつけること。
ひたすらに重曹入りの水でゆで溢す。ひたすらに、ひたすらに。そしてあくが抜けたところでようやく砂糖水で煮込む。
最終的に、黒く艶々とした見た目になる。
どちらも砂糖をたっぷり使うし、栗が割れないようにことことと煮詰めていく根気とか作業の丁寧さが求められるのは同じなんだけど、風味や食感は別物だ。
……ということをランさんへかいつまんで説明する。
マロングラッセは食べるとぶわーっと砂糖、栗、ブランデーの風味が口のなかに広がるイメージ。大人の食べ物というか、なんというか。
でも、渋皮煮は、個人的にはやわらかな栗の食感と優しい甘さを味わうイメージ。
この優しい感じを、デニッシュペストリーに活かしてみたい!
「閃いたみたいだね」
「はい!」
大きく頷くと、ひょい、とランさんが渋皮煮の瓶を手に取った。
ちょ、ちょっと待ってください。
「駄目ですよ、ランさん!? わたしが支払いますからね?!」
「ちぇっ」
慌てて奪い取るように渡してもらう。
両手でぎりぎり包み込めるくらいのサイズの、ずっしりと重たい瓶。
店主に声をかける。
「すみません、これをください」
「3000イェンです」
おぉぅ……。値札を見ていなかったけれど、手間暇かかるものだけあってなかなかのお値段だ。
隣でランさんの瞳が〈だから買ってあげるのに〉と訴えているけれどスルーする。
お札を渡すと、店主は壁に備えつけの棚の引き出しから何かを取り出した。
受け取ったのは小さな小さな茶色い包み。振ると、かさかさと音がする。
「ただいま3000イェン以上お買い求めの方には、緑茶を差し上げておりますので、どうぞ」
「緑茶!?」
「紅茶の葉を発酵させず作ったものです。爽やかな風味の、名前の通り緑色に透きとおったお茶です。ぬるめの熱湯で淹れてください」
「ありがとうございます。いただきます」
変な声を出してしまったけれど、この世界で生きて20年で初めて目にした緑茶。
内心、すごーーーくテンションが上がっている。
ランさんにも店主にも怪しまれないように無理やり話題を変えた。
「あの、ちなみに、渋皮煮用の栗ってどこで買えますか?」
「隣の米屋で、もうすぐ販売されますよ」
「ありがとうございます」
デニッシュペストリーを試作してみていけそうなら、最終的には、自分で渋皮煮を作るぞー!
「とりあえず渋皮煮を手に入れたので満足しました。お昼ご飯にしますか? それとも軽くお茶にしましょうか」
「そうだね、がっつり食べたいというほどではないかな」
「では、近くにホットケーキの美味しいお店があるんですがいかがでしょう」
「テルーのおすすめなら、是非とも」
最初に小豆を買ったとき、利用した喫茶店に入る。照明の薄暗い、純喫茶と呼ばれる類の店内には、この前は気づかなかったけれどピアノの曲が流れていた。
ボックス席に案内されるとわたしたちは向かい合って座った。
温かなおしぼりで手を拭いて、出された水を口にした。一気に爽やかなレモンの香りが体に染み渡る。
「ホットケーキとアイスティーをください」
「僕はホットケーキとホットコーヒーで」
「ふと思い出したんですが、島の歓迎会でランさんが弾いていたピアノ、すっごくすてきでした。一度聴いただけであんな風に再現できるなんてすごいです」
「ありがとう。ピアノ演奏は、のんびり暮らすという夢には必要不可欠だからね」
のんびりしながらピアノを演奏する生活……。
ランさんには似合っている、というか似合いすぎる。
「しかし最近はあまり練習していなくて腕が鈍っているのを感じたから、これを機にもうすこし触る機会を増やそうと思う」
練習とのんびりはあまり結びつかないけれど、夢に対して忠実なのは分かる。
「ピアノ以外にも演奏できる楽器はありますか?」
「そうだね。それこそ全然練習していないものの、ヴァイオリンも嗜んではいるよ」
「すっごくランさんらしいです……」
「ふふ。ありがとう」
ランさんがすっと目を細めた。
「あのとき、ピアノを弾くつもりは全然なかったんだ。でも、手品少年が悲しそうにしていたから、つい……ね?」
「さりげなくて、かっこよかったです」
「ありがとう。惚れ直してくれたかい?」
「惚れてはいませんが、ランさんのことは優しいひとだと思っていますよ」
そうでなきゃあんな場で行動を起こすことなんてできないだろう。
激励会というお祭りの場で、手品を失敗した少年。やじを飛ばす酔っ払い。
一瞬いやな空気が流れたのに、ランさんは、あっという間に楽しい時間に戻してみせたのだ。
わたしからしてみれば尊敬の念しか抱けない。
「洞窟でも助けてくださいました。ランさんがわたしを抱きかかえて飛んでくれなかったら、今ここにいなかったと思いますし」
「お待たせいたしました」
ホットケーキと飲み物が運ばれてくる。
ほかほかと食欲をそそる香りの湯気。二段重ねの分厚いホットケーキ。
メープルシロップと、ちょこんと乗っかる小さなバター。
「最初は意地悪だと思ったし、いつもふわふわしているように見えるけれど、ランさんって、さりげなく他人を気遣える、真面目な方なんだなと分かるようになってきました」
湯気越しのランさんがきょとんとした表情になる。
あれ? なにかまずいことでも言っただろうか? 最初は意地悪、とかふわふわ、とか。
「……そんなことはないさ。僕はとても、利己的な人間だよ」
……ランさんはにっこりと微笑んでみせるのだった。
うーん。そこは頑なに認めようとしないんだなぁ。
「さぁ、冷めないうちにいただこうか」
「はい。いただきます」
アイスティーはアールグレイ。ベルガモットの香りが華やかで心地いい。
ホットケーキもメープルシロップが染みこんでいて、しっとりとしている。
どうしてホットケーキって食べるだけで穏やかな気持ちになれるんだろう……。
「ここはマスターが1杯ずつコーヒーを淹れる店なんだね。実にフルーティーで、厭味のない味だ」
カウンターでは渋めの男店主がコーヒーに細く湯を注いでいた。
彼の後ろにはコレクションのようにずらりと並んだカップとソーサー。客の雰囲気に合わせて出すカップを選んでいるようだ。
ランさんに出されたコーヒーカップは、縁取りが金で地が黒く、大きく薔薇の絵が描かれている。
まさしくランさんの優雅さそのものだ。
「マスターは、きっとランさんをこんな感じの人だって思っているんですよ」
わたしはコーヒーカップを指差した。
「華やかだけど、どこか、翳りがある。でも、隠せない輝きもある」
またもやランさんはきょとんとした表情になって、今度は少し眉を下げて笑ってみせた。




