82.燻る火種
(今回はレーベン視点です)
《《《物語の時間軸は、少し前に遡る》》》
王立図書館、閉架書庫。
その最奥、限られた者しか立ち入ることはできない狭くて暗い部屋。
ここには決して民の目に触れてはいけない書物が、読まれてはならぬという使命を果たす為だけにひっそりと息をしている。
入室するにも目立つのは避ける為に、今日は騎士団の制服ではなく、珍しく白シャツに合わせてロング丈のスカートを穿いてきた。遠目から見れば、私が誰だか判らないだろう。
紙を守る最適な温度と湿度で管理された室内で、古びた椅子に座り数時間。
ようやく求めていた内容を発見して読みふけっていたところ。
こん、こん。
ここでノック音がするのはありえないことだ。
しかし私には叩き方のくせでそれが誰か判った。
読みかけの部分に栞をはさみ、ゆっくりと立ちあがる。
木製扉を慎重に引くと、表情のない青年がいた。
薄茶色の柔らかな髪と、深すぎる紅色の瞳の持ち主。我が幼なじみは基本的に笑みを絶やさないのに、気の置けない相手を前にすると時々こうやって奥深いものを隠そうとしない。
「……君がこんなに頻繁に王都へ戻ってくるなんてね、ラン」
「先日の夏期休暇中のことも指しているのかな? だとしたら用件は同一だから、頻繁とは呼べないだろうに」
幼なじみ殿は王都の空気を好まない。
だというのに、私が騎士団の夏期研修から戻ってくるのにも同行していた。そのときは半日足らずでまた離島へと戻って行ったが、こうやって彼のフットワークを軽くさせる存在を私はひとりしか知らない。
狭い室内に長身がふたり入ると狭く感じる。
しかし完全防音なので都合はいい故、しかたない。
「シュトラール君、だったかな。キルシェ島出身の魔法科学生に会った」
記憶を辿る。
オレンジがかった金髪の青年。たしか、私と同じ水魔法の使い手だった筈だ。彼は水よりも氷寄りの力が強かったと記憶している。
「あぁ。私の同期入学の」
「プロポーズしたそうだ」
相手は、言わない。
ランは静かに頭を垂れた。深く長い溜息を吐き出し動かない。
なんとも厄介な思考回路の持ち主だ。
「誓約書を交わした君がなにを落ち込む?」
執着しないと断言していた己は一体どこへ行ったのか思い出させてやる為に、ほんの少し加虐心を振りかけてみる。
すると力なく顔を上げて、なんとも情けなさそうに笑ってみせるのだった。
「嗚呼。困った話だ。こんなに入れ込む予定ではなかったのに」
「ランのことだ。だからこそ彼女を傷つけてしまうかもしれないという恐怖があるんだろう? 誓約書は正しい選択だったと思うよ」
「……よくお見通しで」
「大昔に君が言ったんじゃないか。降り積もった一面の雪を見たら、真っ先に足跡をつけたくなる。泥のついた靴で汚したくなるって」
ランは私の顔を見ると、にやり、と口角を上げてみせた。
皮肉めいた笑いは彼の基本表情。調子が戻ってきたようだ。
「洞窟で彼女が取った行動はすばらしかった。故に、君がとっさに庇った選択肢は正しかったと思うよ。この先の人生で辛くなることがあればあのときの温もりを思い出すといい」
「……レイ嬢は、僕を励ましたいのか貶めたいのかどちらなんだい?」
「両方。そして今日ここに来たのは、洞窟の話の続きだろう?」
机に置いておいた読みかけの調査報告書を手に取る。
過去に起きた、おそろしい事件の顛末が記されているものだ。
「ヴァイセベルト教。ほぼ間違いないだろう」
「やはり」
「その表情は確信を強める証拠が増えた様子だね?」
先日わざわざ彼が私と共に王都に戻ってきたのは、【透明な音色の洞窟】で発生した不可解な地震の報告と、閉架書庫の利用許可を得る為だった。そして今日が、閉架書庫の利用を許可された日である。
「ヴァイセベルト教は、魔王ドゥンケルハイトが封印された後に執行猶予として神殿から解放されたことを何らかの形で知った。神殿内にスパイでも紛れているんだろう。神殿の奴らは気位が高いから決して認めないだろうが」
最後に皮肉を込める辺り、いつもの調子が戻ってきたようだ。
「そして、どこにいるか、そのネットワークで探し回っている」
「そのひとつが発動した結果が」
「「あの地震」」
【透明な音色の洞窟】にて起きた、不可解な地震。
あれが人工的に引き起こされたものであり、トリガーだとしたら。
「実に厄介な話だ」
私たちの生まれる前の、世界の混沌。厄災。
再びそれが引き起こされるというなら、事前に食い止めるのが先達から学ぶべきことだろう。
「進言せねばならないだろう。魔王の完全な封印が先か、ヴァイセベルト教の殲滅が先か」
誇りにかけて。
私の信じたい、誇り。
それを確かめる為に。
静かに拳を握りしめる。これは密かな、私だけの決意。
「君は?」
そして、問いかけた。
「君は、何を最優先事項にするんだい?」
幼なじみ殿は無言で、私のことを見つめてきた。
……困ったことに解ってしまう。
彼の言いたくても、言えない本音が。
思わず、微笑みを向けた。
彼にはこの意味は分からないだろう。
しかしそれでいい。
——君の感情が動くことを、私は嬉しく思うよ。




