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73.従者、試食するの巻




 大きく膨らんできたパン生地。発酵が順調に完了したみたいだ。

 小麦粉を右人差し指につけて、穴を開けてみる。これで穴がきちんと残っていたら発酵完了の合図。少しパン生地を指先で押さえて、ガス抜きをしてあげる。

 それからパン生地の分割だ。

 今日は、8個にしてみよう。


 すぱ。すぱ。


 カードでパン生地を思いきりよく切っていく。


「おわっ」


 切ったらとうもろこしの実が出てくるのは当たり前なんだけど、触れば触るほど表に出てきてしまう。

 焦がしたくないのでなんとかパン生地のなかに押し込みつつ、とうもろこしの水分で生地がべたべたしているところは指先に小麦粉をつけてなんとか丸め直す。


 ふー。

 とうもろこしの実、入れすぎちゃったかな?

 でもたくさん入っている方が美味しいもんね。


 パン生地を少し寝かせたら、もう一度つぶしてから表面を張らせて丸め直していく。

 8個のパン生地をすべて天板の上に置いたら、2回目の発酵だ。


 やっぱりパン生地をさわるのはとっても楽しいなぁ。

 べたべたからこんなにつるんとまとまって、ほわほわっとした触り心地もいいんだもん。

 うまく言えないんだけど、自分の手で育てているような感じ。

 そして食べたら美味しい。

 わたしにとっては一石二鳥なのである。


 さて。オーブンの予熱が完了して、パン生地もひとまわりふっくらとしてきた。

 パン生地の表面に、粉ふるいを使って小麦粉を振る。

 それから手に持つのはお店で使っているクープナイフではなくてふつうのペティナイフだ。


 しゃっ! しゃっ!


 表面にすぱすぱと1本のクープ、切り込みを入れていく。


 ぽと。


 クープの上にバターひとかけを載せたら、オーブンに投入。

 さぁ、どんな感じに焼き上がるかな?


「おぉー!」


 ほどなくして、オーブンからパンの焼けるいい香りが漂ってきた。ほのかなバター風味がさらに食欲をそそってくる。

 オーブンを覗きこむと、クープの上で溶けたバターがいい具合にパンの表面に染みこんできらきら瞬いていた。

 こんがりと焼き上がったら、コーンパンの完成だ!


 ほかほか。


「うんうん、いい出来!」


 我ながら自画自賛である。

 まぁるいコーンパン。

 表面はバターでこんがりと焼き色がついて、開いたクープからはとうもろこしの実がちらっと覗いている。

 湯気もほのかにとうもろこしの香りを含んでいる。


「あちち」


 ひとつ手に取って、バターで手をべたべたにしつつ真ん中から割ってみる。


 ほわぁ……。


 中の湯気は完全に美味しいとうもろこしだ。

 がんばって具だくさんにした甲斐があって、まんべんなくとうもろこしの実が入っている。


「いただきます」


 はむっ。


 もぐもぐ。


 うんうん!

 クラストはぱりっとじゅわっとバター風味。

 クラムはほわっと。

 パンが甘さ控えめなので、とうもろこしの甘みがよーく効いている。


「……よし」


 両親の分を残して、コーンパンを籐かごに詰めた。

 レイさんはもうツィトローネへ帰ってしまったけれど、ランさんとハイトさんにはひとつずつ食べてもらおう。【透明な音色の洞窟】でお世話になったお礼みたいなもんだ。

 残りはヴィアベル壮行会の準備をしているトゥルペたちに食べてもらって、明日もこれでいいか確認するのだ。


 今日の恰好は紺色の綿麻ワンピースと黄色のサンダル。

 それから、忘れずに麦わら帽子。


 店先の両親へ声をかける。


「ちょっと出かけてくるね。コーンパンがあるから、軽食にしてちょうだい」

「おぉっ! ありがとう。楽しみだな」

「気をつけて行ってらっしゃい」

「うん。行ってきます」


 本日もキルシェ島は快晴だ。大きな入道雲が浮かんでいて、まさに、夏真っ盛り。

 目の前に広がる海はきらきらと陽射しを受けて輝き、はっきりとした水平線がどこまでも伸びている。

 反対側にはくっきりとした稜線を描く山。


 潮を含んだ風が心地よく、暑いけれど不快指数は高くない。


「ランさんは山の上のホテルだったよね、たしか」


 騎士団の研修施設は知らなかったものの山の上の高級ホテルなら知っている。

 とりあえず向かってみよう。

 もしかしたらわたしが近づいていることに気づいて現れてくれるかもしれないし。


「奴なら、勇者の娘と共に王都へ行った」


 突然後ろから声がして振り返るとハイトさんとシュバルツが立っていた。


「ハイトさん! と、シュバルツ。なんだかシュバルツに会うのが久しぶりのような気がしますね……」

「あなたは! わたくしを軽んじすぎなのです!」

「な、なに。どうしたのいきなり」

「わたくしだってパンが食べたいのです。パーンー! パーンー!」


 シュバルツはわたしに迫って瞳をぎらぎらさせた。こ、こわい。


「ど、どうぞ。焼きたてコーンパンです」

「分かればよいのです。分かれば」


 ほわ。


 コーンパンを受け取ったシュバルツは勢いよくパンをふたつに割り、片方を一気に口へ入れた。


「そうそう、これです……。バター香るパリッとした表面、ほわっとした中身。あぁ、このとうもろこしの甘みと食感のよさ……。残念ですがパンはやはりあなたのつくったものに高評価を与えざるを得ません」

「残念ってどういうこと、残念って」


 まったく、もう。

 もぐもぐ満足そうにしているシュバルツはさておき。


「あの。ランさんはツィトローネへ行かれたのですか?」

「調べたいことがあるといい、今朝方向かった。晩には戻ってくるとのたまっていた。戻ってこずともいいものを」

「えーと? ハイトさん?」


 ハイトさんとランさんがわたしの知らぬ間に会話をしていたのも意外な上、なんだかさらに風当たりがきつくなっていませんか?


 ……あ。


「もしかして、【透明な音色の洞窟】で起きた地震について、だったりしますか……?」


 ランさんは言っていた。


 ひとつの仮説。

 王都への報告が必要になるかもしれない。

 そして、それはハイトさんに関係しているようでしていない、と。


 ハイトさんは答えない。

 だけどなんとなくその空気で、肯定を察してしまった。


 わたしだけが知らない話のひとつということか。


「貴様が気にする必要はない」

「……ですけれども」


 一緒に冒険もした仲なのに、とちょっと気落ちしてしまうのだ。


「テルー! もうひとつ寄越しなさい!」


 あっという間に平らげたシュバルツが叫ぶ。

 この空気を読んでいるんだか読んでいないんだか分からない自由さよ。

 うん。でも今はちょっと助かったかな。


「はいはい。分かりました。ハイトさんも、是非どうぞ。道端で申し訳ありませんが」

「……座るか?」


 ハイトさんは道の脇にある防波堤を指差した。


「あっ、はい。座りましょうか」


 提案されるとは意外だった。

 海に向かって防波堤に腰かける。

 わたし、ハイトさん、シュバルツの並び。


「いい眺めですね」

「うむ」

「もぐもぐ」


 ざ、ざ……ん。


 波しぶきと、波の音。

 水平線。

 海と違う色の、青い空。

 なんて清々しい色なんだろう。


 そしてハイトさんはいつも通り、無言でコーンパンを食べてくれたのだった。

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