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4.パン屋、さらに忙しくなる予感




 パン窯には、わたしの起こした火を入れ直した。

 魔王はともかく器用貧乏な従者のおかげでパン生地の仕込みも間に合った。

 ガラスケースにはたくさんのパンがぎっしりと並んでいる。

 店内には焼きたてパンのいい香りが満ち満ちている。うん、最高!


 パン屋【一番星】。

 2年前、わたしが18歳のときにオープンさせた、小さな小さなお店だ。


 王都からは離れた商業都市、エアトベーレは、山と海に囲まれたのどかな街。

 その街で二番目に大きい商店街の端っこに【一番星】はある。


 道路に面した壁は白く塗られた煉瓦造りで、外から店内がよく見えるように大きなガラス窓をはめこんである。

 お客さんが3人も入ればいっぱいになってしまう小さなお店だ。ガラスケースにパンを並べてあって、わたしが取るというスタイルにしている。

 パンはだいたい10種類くらいを用意しているけれど、ほとんどハード系。


 この世界でパンといえば、『フランスパン』みたいなかたいものが一般的だ。『日本』でよく食べていたようなやわらかいパンはあまり見たことがない。

 わたしのお店でもいちばん人気なのはころんと小さなクッペというかたいパン。

 ちなみにクッペも『フランスパン』の一種。上に1本切り込みが入っているのが特徴だ。


 クッペはそのまま食べるとふんわり花の香りを奥に感じる。

 サンドイッチにしたり、スライスしてたっぷりディップを塗って食べるのが美味しい。

 シンプルなのに具材の味を何倍にも引き立ててくれるすばらしいパンなのだ。


「よし、開店!」


 雲一つない、清々しい朝。吸いこむ空気は爽やかで心地いい。

 今日もパンがよく売れそうだ。

 玄関のプレートを【営業中】にひっくり返す。


 そして大きく背伸びをして店内に戻ると——残念な現実に引き戻された。


 はい、そうでした。

 今日からちゃんとした試用期間に入るんでした。


 ガラスケースの向こう。

 無表情で立っている銀髪で細身の青年と、猫目でにやにやと笑みを浮かべている、黒髪ツインテールの少女。

 封印済みの魔王・ドゥンケルハイトとその従者・シュバルツだ。

 制服として、わたしとお揃いの紺色のエプロンをつけてもらっている。そんなふたりの見た目を確認して、ふと気づく。


「そうだ。ハイトさん、今こうやってお客さん側から見てあらためて思ったんですが、その角、どうにかなりませんか?」


 ハイトさんの耳のある場所には羊のような角が生えているのだ。

 どこからどう見てもふつうの人間ではない。お客さんが見たらびっくりして帰ってしまうかもしれない。


「雇用主が言うならしかたあるまい」


 ぱちん。


 おぉー。一瞬にして羊の角が人間の耳になった。


「人間の意見を聞くなど、さすが我が君。懐が広い」

「あーはいそうですね懐が広い。ありがとうございます。さぁ、開店しましたからがんばって働いてくださいね?」


 ちりん。


「いらっしゃいませ! あ、おはようございます」


 なじみのお客さんが入ってくる。

 上品なワンピースを着た上品なマダムはガラスケースの向こうを見て、口元に手を当てた。


「あら。シュテルンさんったら、ついに従業員に男性を?」

「まだ試用期間なんですけどね」

「そうなの。ずいぶんきれいな方を雇ったのね。あらあら、小さな女の子まで。ここのパンは美味しくて人気だから、がんばってシュテルンさんを助けてあげてね」


 なお、シュバルツの見た目は12歳くらいだけど、中身は小さな女の子ではない。


「ははは。助けてもらえるといいんですけど。ところで今日は何になさいますか?」

「そうね。クッペを10個と、ハニーナッツを5個で」

「かしこまりました」


 応えると、シュバルツがパンをてきぱきと袋に詰めてくれる。模擬練習はしたものの流石である。

 一方でハイトさんは能面のまま立っているだけだ。うん、これも想定の範囲内である。


 ただ、ひとつ小さな誤算があった。

 マダムの視線がハイトさんに注がれているのだ。

 おっと? 瞳がきらきら輝いているぞ?


「……追加で、チーズも5個、お願いできるかしら」

「えーと、ハイトさん。チーズを袋に詰めてください。そしてお渡ししてください」

「承知した」


 これはハイトさんが詰めるというのが重要な気がしてきた。

 ちょっとくらいもたもたしてもいいのでがんばってください、魔王。マダムは上得意さまなんです。

 考えは的中して、マダムは満足そうに店を出て行った。


 ——そしてそれはマダムに限ったことではなかったと、すぐにわたしは思い知るのである。


「完売! 閉店!」


 わたしの号令で空っぽになったガラスケースの上に突っ伏したのはシュバルツだ。


「な、な、なんと忙しいことでしょう……」

「ありがとう、お疲れさま、シュバルツ……」


 シュバルツはほんとうによく働いてくれた。感謝しかない。

 プレートを【本日閉店】に変えようと店の外に出ると、数人のお客さんが店に向かって歩いてくるところだった。


「すみません! 今日は完売しました!」

「えー!」

「きれいな殿方がいらっしゃると聞いたから見に来たのに」

「……えーと、ガラス越しでよかったらいくらでもご鑑賞ください」

「きゃあ! 美しい!」

「隣にいる女の子もかわいい!」


 つまり主にハイトさんの顔面だけで、ただでさえ忙しいのにさらに忙しくなってしまったということである。

 これでは本末転倒じゃないか。

 だけど、この雰囲気、へたに雇い止めしてはいけない感じになってしまうのでは……?

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