38.幼なじみ来たりて
「どうぞ、あんぱん5個です」
「シュバルツちゃん、ありがとうございます。テルーさん、また次の営業日にはよろしくね」
「こちらこそお待ちしています。ありがとうございました!」
シュバルツから紙袋を受け取った今日最後のお客さんを見送って、深呼吸を1回。
「はー……。終わった……」
すっからかんになったパンのガラスケース。
あっという間に3営業日が終了してしまった。今回もありがたいことにお客さんがひっきりなしに買いに来てくれたので、無事に完売である。
奥で掃除をしてくれているハイトさんに声をかける。
「外のプレートを変えてきますね」
「うむ」
店の外に出て、『営業中』のプレートをひっくり返そうとしたときだった。
「テルー!」
耳に懐かしい声がわたしを呼ぶ。
声の方向へ勢いよく顔を向けると、同い年の女性が立っていた。
ストレートの黒いロングヘアー。瞳の色は常磐色で、それより少し淡い色の縁の眼鏡をかけている。
着ているものはピンクベージュのパンツスーツ。
左手には同じ色のキャリーケース。
「えっ? トゥルペ? なんで? えっ?」
「3日前に手紙を送りましたよ。教育実習でエアトベーレに上がるんだけど、前日入りしたいから泊めてもらえませんかという旨を」
「て、手紙?」
「これのことですか? ガラスケースの隙間に落ちていましたよ」
シュバルツが扉を開けて未開封の白い封筒を掲げた。
なんてこと。
ランさんとの一件で頭がいっぱいになっていて気づかなかったんだろうか……。
「あっ、それです。……ところでお嬢さんはどちらさま?」
「わたくしはシュバルツ。こちらの従業員です。あなたこそ何者ですか? 何者か尋ねる前に自らが名乗るべきです」
「ああっ、ほんとだ、書いてある!」
「そうですね、失礼しました。あたしはトゥルペ・ヒュンフ・ブラットといいます。テルーの幼なじみです。いつもテルーがお世話になっております」
「いえいえ。お世話させていただいてます」
「ごめんトゥルペ、ぜんっぜん気づかなかった」
会話が錯綜してカオスである。
というか最近のわたしは抜けすぎでは。ちょっと反省しなければ。
「抜けているのは最近なのですか?」
「そこをつっこまないでください、シュバルツ」
わたしはトゥルペのキャリーケースを預かる。
「トゥルペ、船旅疲れたよね。なかに入ってちょうだい」
店内に入ると、ハイトさんが仁王立ちでわたしたちを待ち構えていた。
「えっ? 男のひと? テルーの彼氏?」
「それはない断じてない決してない。こちらはハイトさんです。ちょっと前からシュバルツと一緒に働いてもらってるの」
「実に心外です。我が君とこんなパン馬鹿を」
「シュバルツはちょっと黙ってて」
「へぇ、あの男性嫌いのテルーが、男性従業員……」
ぼそっとトゥルペが呟く。
そこに関してはほんとうに色々あったんだってば!
というのをここでいちいち説明する訳にもいかないし……。頭が痛い……。
「はじめまして。トゥルペ・ヒュンフ・ブラットと申します」
なにか落としどころを見つけたらしいトゥルペが、ハイトさんに向かって深々と頭を下げた。
「今回エアトベーレに上がったのは、2週間の教育実習のためです」
ちなみに、上がる、というのは島用語。島から大陸に行くことを指す。
「テルーは義務教育修了後、パン屋さんで修業して自分のお店をかまえましたが、あたしはそのあと教育科に進学して教師となるための勉強をしていました。そして教育科のカリキュラムのひとつに、自らの故郷以外での教育実習があるので、テルーの暮らしているエアトベーレを選んだという訳です」
よく通る声ではきはきと説明してくれる。
流石、教師志望だけある。
わたしとは違って子どもの頃からしっかり者だった。ひさしぶりに会ったけど全然変わってない。
「テルーは去年も島に帰ってこなかったので、あたしが会いに行くのが手っ取り早いと思いまして」
「思った以上に忙しくて余裕がなかったの。両親は遊びに来てくれたし、まぁいっかなって。今年の夏は帰ろうと思ってるよ」
「言いましたね? 待ってますからね。それにしても思ったよりちゃんとしたお店でびっくりしました」
「というのは?」
シュバルツが尋ねる。
「ご存知かは分かりませんが、テルーって、子どもの頃はずっと冒険者になりたいって言っていましたが、パン屋になりたいとは一言も聞いたことがなかったんです」
「わー! ちょっと!」
「冒険者? テルーが?」
魔王の第一従者が小馬鹿にしたような顔でわたしを見てくる。
……というか鼻で笑っている。
めちゃくちゃ恥ずかしい。穴があったら入りたい。
「はい。だから、王都のパン屋へ修業に行くって言われたときはほんとうに驚いたものです。今日ようやく安心できました」
「トゥルペ……」
そんな心配をされていたとは初めて知った。
「ならば積もる話もあるだろう。余は去るとしよう」
「あっ、すみません。今日もありがとうございました」
「打ち上げがないのは残念ですがしかたありませんね。試作、期待していますよ」
「がんばります。ふたりともお疲れさまでした」
相変わらずの無表情でハイトさんが外に出て行く。
シュバルツも後に続いて行った。
「気を遣われてしまったようですが、大丈夫ですか?」
「あのふたりはいつもあんな感じだから問題ないよ。それよりも、久しぶり。会いに来てくれてありがとう」
トゥルペがにっこりと微笑む。
「はい。久しぶりですね、テルー」
「とりあえず上に荷物をあげようか。お腹も空いてるよね?」
「助かります。ところであの銀髪のハイトさんとは、ほんとうに何もないんですか?」
「ぶっ」
階段を登る。
あのやり取りで納得してくれてないとは、なかなか手強い。
「だって男性を自分のテリトリーに入れたがらなかったあのテルーが、従業員としてでも男性と関わろうとするなんて。島じゅうのニュースになりますよ」
「それはほんとうにやめてほしい。トゥルペの胸の内にだけ秘めておいてほしい」
ふぅ。がまんしたくても溜息が出てしまう。
「……最初は断ったんだけど、熱意に押されたの」
「熱意があまり見えなさそうな方でしたが……。それにあのお嬢さんは何者ですか? ハイトさんのお子さんにしては似ていないようにも思えます」
「ある意味子どもなんじゃないかな」
「とは?」
「うーん、わたしにもよくわからない事情があるみたい」
とでも言っておけば大丈夫だろう。
なんてたって、ハイトさんは魔王ドゥンケルハイト。
シュバルツはその第一従者なのだ。
わたしなんかと違って敬虔なリヒト教の信者であり、教師を目指しているトゥルペにとっては、悪として扱われる教材にほかならない。
客間の明かりをつけて、スーツケースを入れる。
「はい。今日はここに泊まって」
「ありがとうございます」
「こちらこそ手紙に気づかなくてごめん。シャワーを先に浴びてきて。その間に晩ご飯の用意をするよ」
「お願いします。それにしても、テルーの料理を食べるなんて、調理実習以来ではないでしょうか」
「えーと、かつて砂糖と塩を間違えた話はハイトさんたちの前でしないでくれるとうれしいな?」
エプロンをつけて、石鹸で手をよーく洗う。
冷蔵庫に作り置きしていた自家製ミートソースがあるからパスタにしよう。
麺を茹でている間にソースを煮詰めればいいから楽ちんだ。
それから、昨日の残りのじゃがいものフォカッチャも温めよう。
ふつふつ。
パスタを茹でるには、水の量に対して1%の塩。
お湯を沸かしながら考える。
やっぱりハイトさんを雇っているのって、昔からわたしを知っている人間からするとびっくりすることなんだろうな。
ふたりの関係性は? ってなるのは必然。
でも、なにもかも恋愛関係に結びついていくのもどうかと思う……。
どうしたってわたしは恋愛なんて考えられない。
今のこの生活が、ちょうどいい。
たぶん、これは前世の記憶が影響しているんだろうなー。
「いやいや。考えない、考えない!」
首を横に思いっきり振る。
ぐつぐつ。
お湯が煮えたってきたので、パスタを広げて一気に投入した。




