191.お手軽パン
朝の晴れ空も束の間、あっという間に窓ガラスの向こうは白い世界に変わっていた。
そうなると予想通り来店人数は多くない訳で。
うずうず。うずうず。
「ちょっと外を見てきますね」
「またか。物好きな奴め」
「同感です、我が君。我らはぬくぬくしていましょう」
ハイトさんたちに若干呆れられつつ、店の外に出てみる。
空は薄いグレー。
はらはらと、雨よりもゆっくり降りてくる雪。
空気は朝よりも冷たく頬を撫でる。
踏めばすぐに融けてしまうくらいの儚い降り積もり方だ。
それでも人が通らないところでは少しずつ厚みができている。このまま降り続けたら、道路全体がうっすらと雪で埋まるだろう。
商店街に人通りはなく閑散としている。
もう、今日はお客さんも来ないかもしれない。
「このままだと積もりそうですね」
両手を擦り合わせつつ、息を吹きかけつつ店に戻る。
うー。やっぱり店内の暖かさが染みる。
「な、なんということでしょう」
「そんな絶望的な表情になります? たかが雪で?」
シュバルツに苦笑を返しつつ、ハイトさんをちらっと見ると平然としている。
「何だ」
「いえ、何でもありません。シュバルツのためにあたたかいものでも作ってきますね」
「わーい! ありがとうございます!」
一段と暖かな厨房に入り、石鹸で両手をしっかりと洗う。
「ひぃ、つめたー」
いくら室内が暖かくても、水は冷たくて痺れそうだ。
さて、何を作ってあげようかな?
すぐに食べられるものがいいから、花酵母ではなくてベーキングパウダーを使おう。
朝はホットケーキだったから、ソーダブレッドはどうだろう。
用意する材料は、粉、砂糖、塩、そしてベーキングパウダー。
ヨーグルトと牛乳、ちょろりと油も入れてみよう。
ぐるぐる。まぜまぜ。ぐるぐる。
すべての材料を混ぜ合わせて、なんとか丸くまとめたら十字にクープを入れるだけ。
見た目は、ごつごつしたカンパーニュ。ベーキングパウダー使用なので発酵も要らないお手軽なパンだ。
ただ、発酵させない分、焼きたてをすぐに食べる方がいいパンでもある。
ソーダブレッドを窯に入れたら、温かなスープづくりに取りかかる。
ぱこっ。どろーり。
コーンクリームの缶詰を片手鍋に流し入れる。
そして空いた缶に牛乳をひたひたになるまで注いだら、ゆすぐようにして片手鍋に合わせた。濃すぎたら水で調整すればいいだろう。
火にかけながら、コンソメや塩、黒こしょうで味を整えたら、かんたんコーンポタージュの完成だ。
ふつふつ。
パンの焼ける香りに混じって、コーンの甘い香りが漂ってくる。
店内からは音が聞こえてこない。
思った通り、もうこのまま閉店になりそうだ。
ほかほか。
焼き上がってこんがりと茶色くなったソーダブレットを、ブレッドナイフでスライスする。
ふわぁっと、ほのかに牛乳の甘い香りが立ち昇った。
ほかほかほかほか。
店頭に戻って、ふたりに声をかける。
「ハイトさん、シュバルツ。今日はもう上がってください。厨房でソーダブレッドとコーンポタージュをどうぞ」
やはりお客さんはひとりもいないし、なんなら雪も強くなっている。
もうこのまま様子を見ながら閉店作業に移ってしまおう。
「さっきからコーンの香りにうずうずしておりました」
「ソーダブレッドというパンを焼きました。花酵母のパンとは味が違うので、コーンポタージュに浸しながら食べるのをおすすめします」
「浸しパン!!」
「スコーンと一緒で、酵母を使わないから早く焼けるっていうのが利点なんです。パンだからって必ず酵母が入っているとも限らないんですよ。発酵させないといえば、チーズとタピオカ粉を使ったポン・デ・ケージョっていうのもありますね」
ソーダブレッドやスコーンは、早くできあがるからクイックブレッドともいう。
世の中にはいろんなパンがあるのだ。
「パンの世界は奥が深いな」
「そうですね。知れば知るほど、どんどん分からなくなっていきます。ということであったかいうちに召し上がってください」
「承知した」
雪の日ってなんだか、世界が静か。
もっと雪が降る地域だと違うかもしれないけれど、これはこれで特別な感じがして悪くないものだ。
「知れば知るほど……か」
自分で言葉にしてみたものの、知れば知るほどパンというのは奥が深いことが分かる。
掌を開いて、視線を落とす。
ぎゅっと握りしめる。
〈人間にも寒さ耐性がないということはどういうものか確認したかった〉
知れば知るほど、どうしてあんなことをしてきたのか分からない。
まるで、ハイトさんみたいだなと思うのだった。




