183.ベーグルを茹でましょう
さて、いろんなことが一段落したからには、わたしだって新作を世に放ちたいのである。
「ということで今日はベーグルをつくります!」
ハイトさんもシュバルツもいないけれど、なんとなく声に出してみた。
本日、定休日。
たまにはのんびりとひとりで試作をしよう、ということでまずは小麦粉を取り出す。
最近甘いパンが続いていたから、たまにはシンプルなものに原点回帰したい。
シンプル。
小麦粉、酵母、塩、水。
パンの主材料だけでつくれそうで、ハード系じゃないパンって何があるだろう? と考えに考えた結果、ベーグルを思い出した。
ドーナツのように真ん中に穴が空いているシンプルなパン。
表面はつやつやぴかぴか。
そして、中はむっちむちに詰まっているという独特の食感。
茹でてから焼くことで、ふつうのパン生地が、むちむちになるのだ。
プレーンにすればいろんなベーグルサンドが楽しめる。
中に具材を包んでもいいし、茹でた後にトッピングをしてから焼いてもいい。
可能性が無限大に広がっているのが、ベーグルである。
バゲットとは真逆かというくらい少ない水の量で、生地を仕込む。
こね、こね。
「か、かったー!」
変に力を入れると手首が痛くなりそうだ。
なんとか表面がなめらかになるまで捏ね上げて、短めではあるものの発酵させる。
おぉっと? 閃いてしまったぞ。
「……もしかしてこの要領で、うどんや餃子の皮もつくれるのでは……」
酵母が入らなければ、うどん生地になるのでは?
袋に入れて足で踏むんだっけ。そのうち試してみよう。
あぁ……つるつるでコシのあるうどん、食べたくなってきた……。
硬い生地も発酵させればほんの少しだけ柔らかさが出てくる。
すぱ。すぱ。
カードで生地を切り分けて、丸め直してしっかりと寝かせる。
バターも入っていないかったい生地なので、ちゃんと寝かせないと生地が緩まず成形しづらいのだ。
この辺りの扱い方は、同じ見た目のドーナツと違いすぎるので要注意。
同時進行で鍋に湯を沸かし始める。
「初回だし、プレーンでいいかなっと」
緩んできた生地をひっくり返して、麺棒で楕円形に伸ばしていく。
手前から巻いていき、棒状にしたら、片側の端を右手の親指と腹を使って広げる。反対側の端を、その広げた部分で包みこんでしまえば、見た目はもうベーグルだ。
さて、すべて成形し終わった。
発酵させている間に魔法制御窯に予熱を入れつつ、湯の状態を確認、確認っと。
ふつふつ……。
ちょっとずつ温まってきている。
ここに、どろりとしたモラセスシロップを大さじで投入。
何かというと、糖蜜だ。さらに詳しく説明すると、白砂糖を作るときに現れる副産物で、廃糖蜜とも呼ぶらしい。
砂糖やはちみつでもいいんだけど、艶が一番きれいに出るのがモラセスなのである。
ぐらぐら。
「おぉっと」
一度沸騰させたら湯の温度を少し下げて保っておく。
見た目としては、水面が波打っていなくて、鍋底から小さな気泡がふつふつと昇ってきているくらいがちょうどいい。
熱すぎても生地がやけどしちゃうし、低すぎるとベーグル特有の艶が出ない。
大事なのは温度管理なのだ。
生地の状態も良好。
魔法制御窯の予熱も完了。
湯の温度も、完璧。
ささっ。取り出したのは、網じゃくし。
自分自身もやけどしないように、ベーグル生地をそっと鍋に入れていく。
「いーち、にーい、さーん、……」
ぷかぷか。
茹で時間も、長すぎてもいけないし短すぎてもいけない。
30数えたら網じゃくしで静かにひっくり返して、上面も茹でる。
ぷかぷか。
沈むことなく半分だけ浮いているベーグル生地は浮き輪のようでなんだかかわいい。
「さんじゅう!」
両面共に30カウントで、すばやくベーグル生地をすくいあげる。
軽く水気を切ったら天板の上に丁寧に置いて、いざ、魔法制御窯の中へ!
モラセスだろうか、ほのかに甘い香りが立ち昇ってくる。
そこにだんだんとパンの焼けるいつもの香りが加わってきてなんとも心地いい。
人と会って話すのも嫌いじゃないけれど、こうやってひとりで黙々と作業をしていると、自分のペースを取り戻していけるような気がする。
風邪のときは心細くなって皆が心配してくれるのがほんとに嬉しかったけれど、健康なときはこういう時間も必要なのだ。
それに、きっともうすぐ大声がどこからともなく聞こえてくる。
ベーグルが焼き上がって、窯から取り出す。
うんうん!
ぴっかぴかに仕上がった。見た目だけで、もう大満足。
ひとりでにまにましていると、大声が響いてきた。
「いい香りがしますよ、テルー!!」
ほらー。ほら来たー。現れたー。
「ベーグルです。食べますか?」
「当然でしょう! 美味しいもののあるところ、このシュバルツ、食べないという選択肢は取りません!!」
うん? ちょっと何を言っているのか分からない。
ひょこっと顔を覗かせたシュバルツ。その後ろには、ハイトさん。
いつも通りのふたりを見て、それはそれでほっとするのもまた事実。
「ハイトさん。コーヒーを淹れてもらってもいいですか」
「うむ」
「我が君! それならばわたくしめが最高の湯を沸かしましょう!!」
最高の湯ってなんだろう。まぁいいや。
こぽこぽ……。
焼きたてパンとコーヒーの香りに包まれた厨房で、試食タイムのはじまりだ。
「ドーナツと似ているのに、見た目も手で触った感じも違いますね」
「配合も真逆といっていいくらいですから。さらに、卵を塗らなくても艶のある見た目なのは、茹でてから焼いたからです」
「ラウゲンみたいなものでしょうか」
「そうです。ラウゲンはこの前だと重曹を入れましたよね。今回はモラセスという糖蜜を入れました」
「なるほど。ということでもういただいてもよろしいでしょうか?」
「はい、どうぞ」
「いただきます」
まずは手で真ん中から割ってみる。
ほわ。
蒸気が鼻をくすぐる。外側のハードさからは想像つかないくらい、柔らかな見た目のクラム。一口囓れば、他のどのパンにもないむちむちともちもちさを味わえる。
しっかりと噛めば噛むほど、粉の風味が鼻を抜けていく。
「これは……湯だね食パンに近いものの、初めての食感ですね……くせになりそうです……むちむち」
「そうですね。食感の生まれる原理は同じですから。あ! 湯だね食パンみたいにバターとはちみつを塗ってみます? 違いが分かりやすいかもしれません」
「ひいいいい」
シュバルツが感嘆なのか悲鳴なのか判断つかない声を上げる。
今日はテンションが高いなー。久々の新作だからかな?
ベーグルを水平方向にスライスして、たっぷりとバターを塗り、神殿の花のはちみつをたらーりと。
「あああ……。ねっとりとしたはちみつ、どんどん溶けていく濃厚なバター。それらを受け止めて一切揺るがないこのベーグルの食感! この包容力、さながら我が君のようです!!」
「お気に召していただいたことは分かりました」
相変わらず静かなハイトさんに顔を向ける。
「コーヒーも、美味しいですよ」
「ふん」
ハイトさんはコーヒーカップを作業台に置くと、わたしを見返してきた。
「また、新作ができたら、食え」
「……」
ほんの少しだけ、ハイトさんの口角が上がっているような気がした。
「はいっ! 楽しみにしてますね」




