177.春のお誘い
忙しなく働き続けていると、ランさんと視線が合った。
テーブルの上の皿は空になっている。
かしこまりました、と頷き、会計のためにランさんとレイさんのテーブルへ向かう。
「ごちそうさま。美味しかったよ」
満足そうにレイさんが微笑んでくれた。
「ありがとうございます……!」
「僕としては魔王殿の働きっぷりも見られて楽しかった」
「ふふ。そうだな」
ちらっとキッチンを見遣るとハイトさんが睨んでいた。ばっちりと聞こえているらしい。
思わず乾いた笑いが出てしまう。
「ははは……」
ランさん、わざと言ってますね……?
「この後もがんばっておくれ」
「はい。ランさんもお仕事頑張ってください」
ふたりを見送って、テーブルを片付ける。
あぁ。優雅で華やかなふたりだった……。
「お待たせしました。1名様ですね。こちらへどうぞ」
次に案内したのは黒いスーツ姿の男性だ。
うーん? どこかで見たことがあるような気がする……?
「こちらがメニューでございます。お決まりの頃にお伺いいたしますね」
すると今まで店内にいた五代目が店から出てきて、男性のテーブルに向かって歩いて行った。
何回も頭を下げている。そのあと、お客さんの向かいに座った。
「あの方は……?」
「テルー。あなたは馬鹿なの? 王宮のパン部門責任者、ザルツ様よ。ブロートフェストでお話ししたでしょうが」
リーリエが心底呆れたような表情を向けてきた。
「予め席を用意しておいたのに、自分も待つと仰ったから待っていただいていたの。失礼のないようにね」
あああああ!
そうだ! コックコート姿じゃないから分からなかった!!
「注文を伺いに行くとき、一緒に挨拶しますわよ。失礼のないようにしてちょうだいね」
「は、はい」
なんて話していたらザルツ様がこちらへ視線を送ってきた。
リーリエとふたりで席へ向かい、頭を下げる。
「あらためて、【若草堂】青空カフェ店長の、リーリエ・ツヴァイ・ドンナーと申します。本日はお越しいただきありがとうございます」
「【一番星】店主のシュテルン・アハト・クーヘンです。ようこそいらっしゃいました」
「実に盛況ですね」
「はい、おかげさまで」
ザルツ様の向かいに座る五代目が穏やかに微笑む。
「リーリエ。シュテルンさん。【一番星】とのコラボ商品をお出ししてください。飲み物はホットコーヒーをふたつ」
「「はいっ」」
五代目とザルツ様はパンについて色々と話をし始めた。
わたしたちは早足でキッチンへ戻る。
「ハイトさん、コーヒーをふたつお願いします」
「うむ」
「チーフ、コラボ商品を用意してちょうだい。ひとりはホールに出てくださるかしら」
「「かしこまりました!!」」
「あっ、シュバルツもホールにお願いします」
「承知いたしました」
こんなかたちでブロートフェストのごとく王宮料理人にパンを食べていただくとは思わなかったので、にわかに緊張してしまう。
いや、でも。
どんなお客さんに対しても美味しいって言ってもらえるように全力で作っているから怯むことはないか。
たまたま今から提供するのがその道を究めた者、というだけで。
リーリエがパンを、わたしがコーヒーを運ぶ。
「お待たせしました。【一番星】とのコラボ商品、野菜の蒸しパンと姫りんごのパンです」
「ほう。これが」
ザルツ様が瞳を大きくする。
ぱか、と両手でせいろの蓋を開けた。もわもわと美味しい湯気が立ち昇る。
大きく開かれた瞳が、今度は細められた。
ザルツ様は両手でにんじんの蒸しパンを持って、ほわ、と割る。
そして、恭しく香りを嗅いでから口に入れた。
「うん。美味しいですね」
「ありがとうございます……!」
「ブロートフェストから腕を上げましたね。実にいいです。これは王宮でも作ってみたいです」
おおお、恐れ多い話だ。
ゆっくりとザルツ氏は蒸しパンを咀嚼してから飲み込んだ。
「今日はドンナー氏と、クーヘンさん。あなた方に話があってまいりました」
「……え?」
「私は先にお受けしました。ふたりとも、座ってください」
五代目がまたもや促してくる。
リーリエと顔を合わせて、首を傾げつつも席に座った。
「どうぞこちらをお受け取りください」
すっ、と差し出されたのは、黒い封筒。
銀色の封蠟がされている、ということは——
王家からの書面。
金色は国王のみ、銀色は王族が使うことが許されている。
噂には聞いていたけれど初めて目にした。
五代目を見ると小さく頷いてくる。
両手でおそるおそる受け取って、おっかなびっくり封を開けた。
「し、失礼、します」
〈春のブロートフェスト招待通知〉
「春の……!?」
弾かれたように顔を上げてザルツ様を見た。
「詳しくはここに書いてあります。今までブロートフェストは秋に行ってきたのはご存知だと思います」
「はい」
「ここ数年我が国でパンの需要が高まってきたことを受けて、王弟ルーイッヒ様によって新しい催しが企画されることになりました。それが、春のブロートフェストです」
まとめると、秋のブロートフェストはどんなパン屋でも参加表明ができる。
春のブロートフェストは、王弟ルーイッヒ様が選んだパン屋のみ参加することが許される。
真っ先に、前世の『高校野球』を思い出してしまったのはきっと気のせいではない。
内容は、国民参加型。
王都で最も大きな広場に簡易パン屋を設置して、3日間の売上を競う。
つまり、パンの大型マーケット。
えええー!
そんなの、楽しいに決まってる!!
「是非とも参加させてください!」
「クーヘンさんならそう言ってくださると思っていました。素材賞受賞店として、王弟さまは期待を寄せていらっしゃいます。宜しくお願いしますね」
「……はいっ!」
なんてことだろう。
わくわくすることがまた増えたー!