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135.雇用主命令




「リーベさん!?」


 驚いて声をあげたのはランさんだ。


〈ところで、パンって……わたしにもつくれるのかな?〉


 ところでもところですぎる。一度、リーベさまの思考回路を覗いてみたい。


「料理は人並みにするけど、パンは作ったことがないんだよね。どうだろう?」


 ランさんの叫びとわたしの困惑なんて気にしていないようで、リーベさまは真剣な表情で首を傾げた。


「できると思いますけれど……ハイトさんたちなんてパンを食べたこともないのにつくれましたから……」

「何その面白い話!?」


 リーベさまが食いついてきたので、ハイトさんとの出会いをかいつまんで説明する。


 春。黄昏時。

 くたくたになって閉店作業をしていたわたし。

 突然現れた、長い銀髪と羊の角を持つ人ならざる者と、その従者。


〈あのっ、今日はもう閉店しまし——〉

〈ここで従業員を募集しているという貼り紙を見て来たのだが〉


 魔王の外見でいきなりそんなことを言われたのは、今思い出してもとんでもない話だ。


「労働……労働、ねぇ。あの魔王殿が」


 ひとしきり話を聞き終えたリーベさまはなんだか楽しそう。


「うんうん。いい出会いをしたみたいだね」

「そ、そうですかね? 面白いことはたくさん経験させてもらっているとは思いますが」

「いや。魔王殿はテルーを危険な目に遭わせすぎだと思う」

「ランさん?!」


 本気で怒っているような言い方だ。うぅ。ごめんなさい。


「ランさんにはいつも危ないところを助けてもらって、その、なんだかすみません」

「どうしてテルーが謝るんだい? 諸悪の根源は文字通り魔王殿だよ」

「へぇ、ランくんがいつも助けてくれてるんだ。たとえば?」

「リーベさん。人をからかって遊ぼうとしないでください?」

「なにかっこつけてるの。君がこーんなに小さかった頃からの仲じゃない」


 リーベさまが親指と人差し指でサイズ感を説明してくる。


「どんな頃ですか? 確実に生まれる前のサイズですよそれは?」


 ランさんのわざとらしい溜息は見事にスルーされた。


「えっと、話を戻すね。昼間にあんぱんとクリームパンを食べて思ったんだ。シュテルンさんには遠く及ばないだろうけれど、わたしもパンを作れたら楽しそうだなって。作れるようになったら、自分の家でも焼いてみたいんだけど」

「楽しそう……」


 リーベさまの言葉を反芻する。

 楽しそう、って思ってくれたんだ。焼いてみたい、って。


 どきん。


 心臓の音が耳に大きく響いた。

 どうしてだろう? 急に、わくわくしてきた……。


「無茶を言ってテルーを困らせないでください」


 がたっ。

 立ちあがって、わたしはテーブルに手をついた。


「やりましょう! リーベさま! 明日の予定はいかがですか?!」

「テルー!?」

「ランさんもよかったら一緒にいかがですか!?」


 がたっ。

 リーベさまが立ちあがってわたしの両手を取る。


「ありがとう、シュテルンさん! すっごく楽しみ!」

「こちらこそよろしくお願いします。パン作りは、楽しいですよ!」


 わたしたちのテンションに追いついていないランさんが、座ったまま、右手で顔を押さえた。


「……どうしてこんなことに……」



「ほんとうに美味しかった。ありがとう、シュテルンさん。明日もよろしくね」

「はい。お待ちしてます。おやすみなさい。ランさんも」


 リーベさまとランさんを見送って、ふぅと息を吐き出してから夜空を見上げた。ちかちかと瞬く星。

 体がふるっと震えた。外に出てまだ時間が経っていないのに指先は冷えてきている。

 部屋に戻ったらホットココアでも飲もうかな。


「……ハイトさんたち、現れなかったなぁ」


 ほんとうならばハイトさんとシュバルツと一緒に祝賀会を開きたかったのに。

 まぁいっか。

 あのふたりとはまた改めて、ご飯会でも開こう。


「帰ったか」


 不意に声が降ってきて顔を上げると、横にハイトさんが立っていた。


「もう、ハイトさん。断固としてリーベさまに会わないつもりですか?」


 とっさにわたしの口から出てきたのは文句だった。


「会う理由がない」

「でも、会わない理由もないですよね? それともまた勇者に倒されるとでも思っているんですか?」

「……それは、ない」


 軽い調子で言ってみたら、重たく返されてしまう。

 うーん、どうしたものか。

 どう言えばハイトさんがリーベさまに会ってくれるんだろう?


「……貴様が望むなら勇者と面会しよう」

「え」


 ハイトさんがゆっくりとわたしに顔を向けた。


「雇用主命令なら、会わねばならないだろう?」


 えぇと、それは。

 一体どういうつもりで言っているんですか、ハイトさん。


 ぎゅっと拳を握りしめる。指先の冷たさが手のなかでやけに際立つ。


 雇用主、命令……。


 声ってどうやって出すんだっけと、一瞬分からなくなる。

 話そうとするのにこんなに緊張したことなんて今まで一度もない。


「こ」


 声が、掠れる。


「雇用主、命令です」

「そうか。ならばやむを得ない」


 やむを得ない、ってそんな。


 ……あれ?


 ここ最近のわたしの傾向からしてみれば、なぜだか落ち込むところなのに。

 なんだか腹が立ってきたぞ?


 会うことから逃げて、人間ごときに命じさせるって、ずるくない?


 ……?


 ハイトさんに向き直って、ぐっと見上げた。


「なんだ?」


 無表情のハイトさんなんてこわくないもんね!

 こわくないんだから!!

 すぅ、と息を吸いこんで、一気に吐き出す。


「明日はリーベさまと一緒にパンを作りましょう!」


 ハイトさんの眉間の皺がぐっと寄った。


「は?」

「雇用主、命令です!!」

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