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133.再会




 パン屋【一番星】は、本日も盛況である。


「ハニーナッツと、湯だね食パンをひとつずつください」

「はいっ。ありがとうございます!」


「あんぱんを5個お願いします。シュバルツちゃんがこの前おすすめしてくれてからハマっちゃって」

「かしこまりました。実に光栄です」


「ハイトさん、今日もかっこいいわね。うちの娘婿にならない?」

「断る」


 ん? 最後のはさておき。


 ブロートフェストが終わってから、ほんのちょっとお客さんが増えたと思う。

 ほんとうにありがたいことである。


「ハイトさん、シュバルツ。少し休憩してきていいですよ。今日は閉店作業をお任せしますし、その分休んできてください」

「うむ」


 少し客足が引いてきたところでハイトさんに声をかけた。


 ——ついに今日は、勇者リーベが我が家に来る日なのだ。


 閉店作業をハイトさんたちにやってもらっている間に食事の仕込みをする算段なのである。

 ただ、リーベさまに会えるという実感は全然湧いていない。

 しかも我が家に来て、ご飯を食べるだって?


 ずーっと憧れてきた、勇者リーベが?


 わたしの憧れは、子どもの頃から、魔王ドゥンケルハイトを倒した勇者リーベだった。

 子ども向けの童話は一通り読んでそらんじられるくらいまでになった。

 魔法科への進学が叶わなかったところで一旦熱は落ち着いたものの、憧れは消えていない。


 あぁ! だというのに、今のわたしといったら!


 魔王ドゥンケルハイトをパン屋の従業員にしたり、勇者リーベが行き倒れかけたところを助けたおかげで我が家で晩ご飯を食べることになるなんて、なんだか色々とおかしい気がしなくもない。

 いや、おかしい。


「いらっしゃいませ! ……!」


 ベルが鳴って反射的に顔を上げて、悲鳴をあげそうになって右手で口元を抑えた。

 いや、やっぱりおかしいって。おかしすぎるって。

 心の準備が!


「あなたがシュテルンさんだったのね。この前はありがとう!」


 前触れもなく、ランさんもいない。

 なのに現れたのは、今まさに考えていた人——勇者リーベ!


 背丈はそこまで高くない。というか、わたしと同じくらい。

 金髪のショートカットは、ベリーショートのレイさんよりは長いものの、色や質はよく似ている。

 そしてこの前は分からなかったけれど、おそろしいくらい澄んだ菫色の瞳……。きらきらと輝いていて、まるで宝石みたいだ。

 第一印象で母親と同い年くらいと思った。だけど、背筋はぴんと伸びていて、どことなく母親よりもはつらつとした雰囲気がある。

 グレージュのジャケットにパンツスタイルというコーディネート。


「あらためて、リーベといいます。今日はお世話になります」


 ぺこり、と頭を下げられてしまう。


「あ、あああ頭を上げてください。こちらこそ勇者さまとは知らず無礼なふるまいを失礼しましたっ……」


 踏んづけてしまったことについては不問でお願いします。いや、罪を問われたらどんな罰でもお受けします。


「無礼? 助けてもらったのに? シュテルンさんって面白い子」


 えぇ……?

 心底面白いと思っているように聞こえるけれど、そんなノリでいいのだろうか。


「レイからいろいろと聞いた話のままね! ほんとは夕方にランくんと合流してから訪ねる予定だったんだけど、どうしてもお店の営業時間内に来てみたくって」


 リーベさまが店内をぐるりと見渡す。

 なんとなくランさんが慌てる姿を想像した、というか察した。


「すてきなお店。【王の花】で修業してたって聞いたわ」

「は、はい」

「おんなじ香りがする。パンの、いい香り。買ってもいいかしら?」

「いやいや、リーベさまからお代をいただくわけには……。あとでいくらでもお包みしますので……」

「だーめっ」


 ずいっと近づいてきたリーベさまがショーケース越しに左人差し指を突き出してきた。


「特別扱いしないで? わたしはただの人間なんだから」

「た、ただの人間……?」


 一体何を言っているのか。

 魔王ドゥンケルハイトを討伐した勇者が、ただの人間であるもんか。

 なんだか、今目の前に立っているのは生きる伝説なのに、いまいち現実味がない。


 あっ。そういえばハイトさんが休憩から戻ってこない。なにか察したのだろうか。


「そうだ、リーベさま。ハイトさんを呼んできますね」

「ううん。きっと出てこないと思うから、呼ばなくていいよ。それに」


 気のせいか、リーベさまのだんだんと口調がフランクになっていっている。


「わたしは魔王殿じゃなくてあなたに会いにきたんだから」

「えっ、でも」

「魔王殿のこと、そうやって呼んでるんだね。なんだか、いいな」


 仇敵ではなく。

 旧友を懐かしむような言い方に、どきっとした。


「とにかく、わたしは【一番星】のパンが食べたいので、あんぱんとクリームパンをひとつずつください」

「は、はい」


 動揺したのも束の間。断ることができず、慌ててパンをふたつ紙袋に詰める。

 そしてお金を受け取り、紙袋を渡した。


「うれしい。ランくんから聞いてたんだ、やわらかくて甘いパン」


 綻ぶ顔はまるで少女のよう。

 あまりにも自然体。強引だけど、いい人だ。実際に話してみて、わたしのリーベさまへの印象はそんな風に変化しつつある。


「ありがとう、シュテルンさん。じゃあ、また後でお邪魔しますね」


 満足そうにリーベさまは出て行った。


「……はぁ……」


 心の準備をする前に本番を迎えてしまった今、一気に脱力した。


「行ったか」

「ハイトさん。気づいてたんですね? リーベさまがいらしてたこと」


 というか、来ているのが分かってて出てこなかったんですね?


「疲れただろう。あれは喋るだけで気力を持っていく輩だ」

「そんな言い方は……」


 分からなくもないけれど。

 なんとなくランさんがげんなりしていたのも理解できたけど。

 でも、根本は常識人だし、いい人だと思うぞ。


「今日はもう引っ込んでいろ。そのまま支度をするといい」


 ふたりで同時に壁にかかった時計に視線を遣る。

 たしかに忙しさのピークは過ぎている。


「お言葉に甘えてそうさせていただきます」


 そう、閉店作業はハイトさんたちに任せてわたしは食事の支度をしないといけないのだ。


「あとは任せました」

「うむ」


 ……魔王は、勇者リーベと再会することについてどう思っているんだろうか?


〈ううん。きっと出てこないと思うから、呼ばなくていいよ〉


 リーベさまの口調は現れないのを分かっていたようだった。


「……? まだ何か用か?」

「いえ。行ってきます」


 うーん。さすがに訊けないな、これは。

 食事のときはさすがにハイトさんも現れるだろうし、まぁいっか。


 2階に上がって、早朝に焼き上げておいた大きな大きなパンの粗熱がしっかり取れていることを確認する。

 わたしの顔よりも大きく、高さもしっかりとあるパン。表面には三つ編みにしたパン生地でぐるりと飾りをつけてみた。

 これが本日のディナーのメインである。


「よし! やりますかー!」


 なんとなく大声を出してみた。


 すっ。まずは上の部分を蓋にできるように、スライスしていく。

 それからブレッドナイフを縦にして、本体から中身をくり抜いた。

 これでパンの蓋と入れ物ができた。


 くり抜いた中身はさらにスライスしてサンドイッチをつくっておく。

 そして……。


 事前調査によるとリーベさまは面白いものが好きだということなので、きっと喜んでもらえると思う。


 不意にリーベさまの言葉が脳裏に蘇り、手が止まった。


〈魔王殿のこと、そうやって呼んでるんだね。なんだか、いいな〉


 そんなことはないです、リーベさま。


〈特別に、余を名前で呼ぶことを許そう〉


 たしかにハイトさんはそう言ってくれたけれど。

 わたしは、ハイトさんのことを何も知らない。


 だから、わたしはリーベさまのことを羨ましいなって、ほんのちょっとだけ思いましたよ?

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