表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

127/301

126.記念碑の前で




 目の前に立っているのは、腰まである黒い長髪を束ねてコック帽にしまった、白いエプロン姿の長身痩躯の男性。

 わたしのお師匠さま、【王の花】店主のエェルデさんだ。

 スクエアの銀縁眼鏡の下、パパラチア色をした切れ長の瞳が名残惜しそうにしてくれているように見えた。


「お世話になりました」

「いえ。また、王都へ来るときは必ず立ち寄ってくださいね」

「はい」

「従業員さんたちにも宜しくお伝えください」

「はい。伝えておきます」


 【王の花】の厨房で、深く深く頭を下げる。

 色々とあったツィトローネ滞在も今日が最終日だ。


「せいぜい元気でやれよ」


 奥からにゅっと、緑色の瞳の兄弟子殿も現れる。


「はい。フェンスターさんも、奥さんを大事にするんですよ?」

「当たり前だろ、馬鹿」


 フェンスターさんが笑顔で右手の親指を立てた。

 馬鹿は一言余計だと思う、と視線で返す。だけど兄弟子殿が何ひとつ変わっていなくて安心したというのも事実なので、笑顔に変えた。


「開店前の貴重なお時間をいただきありがとうございました。では、失礼します」


 ぺこ。ふたりにもう一度頭を下げてから、店の外に出た。

 薄い青空を見上げると見事なまでのうろこ雲が広がっている。


「……ふぅ」


 数日前のベルの言葉が脳裏に蘇る。


〈基幹魔法と対になるものなんてないよ。万物神がこの世の隅々まで広げられた力の名称が、基幹魔法、なんだから。すべての魔法と、非魔法の現象は、基幹魔法の上に成り立っている。そうでないものは、……存在しない〉


 嘘をついているようには見えなかった。真実なのか、それとも知らないからなのかまでは判断できていない。

 基幹魔法に関する書物を見つけることはできなかった。

 わたしには何もかものハードルが高い。


 ……だから。

 ツィトローネ最終日は最後の望みをかけて、とある場所へ行こうと決めていた。


 【勇者の偉業記念碑】


 北地区のはずれにあるその場所は魔王ドゥンケルハイトに人間側が勝利したことを記念して設置されたという。


「さぁ、行くぞっ」


 呟いて気合いを入れる。

 わたしの今日の恰好は生成りのカーディガン、紅いワンピースとスニーカー。それからクリスタルのペンダント。

 ハイトさんたちとモーニングをしたときと同じものだ。それでもちょっと冷える。この数日で一気に気温が下がってきた。

 エアトベーレに戻ったら衣替えをしなきゃいけないだろう。


 エアトベーレに戻ったら?

 歩きながら、秋冬のパンの新作について思いを巡らす。

 ハイトさんたちと一緒に買いに行った、珍しい食材を使いたい。

 そろそろシュトーレンの準備もしたい。

 やりたいことがたくさんある。


 そんなことを考えながらしばらく石畳を歩いて行くと、脇道に看板が出ていた。矢印に従って、舗装されていない土がむき出しになった道をさらに歩いて行く。


 ざっ。ざっ。


 ゆるやかな登り坂だ。時々靴底越しに大きな岩の感触も伝わってくる。スニーカーで来て正解だった。

 朝は寒かったはずなのにじんわりと額に汗が滲む。だんだん、土や木々のにおいを強く感じるようになってきた。


 ざっ。くしゃっ。ざっ。


 枯れ葉を踏むせいで足音がやけに大きく響く。

 やがて、大きくて平らな岩を足場にしたような階段状の道に変わる。


 終着地には、予想外の光景が広がっていた。


「……わぁ!」


 そこは、切り立った崖の下。

 崖の断面には、明らかに人為的に抉られた大きな窪みがある。

 見上げると巨大な崖だというのがよく分かる。建物なら10階はゆうに超えるだろう。


 うーん?

 たしかに王都の北側は山だけれど、いったいどこをどうしたらこんな場所に辿り着けるのかさっぱり分からない。


 そして窪みのちょうど下には、銅像らしき何かが並んで数体建っている。


 近づいていくと中央には女性の冒険者をかたどった銅像。

 かたわらに黒曜石でできたいしぶみがある。


 〈勇者リーベ 魔王ドゥンケルハイトを討伐した英雄〉


「この方が……!」


 ということは周りの銅像は勇者リーベのパーティだ。

 ひときわ大きな体格の重装備の男性。戦士、ズィーガー。

 ローブを身に纏った長髪の女性。魔法使い、ユヴェーレン。

 最年長。威厳ある炎の魔導師。大神官、ブレンネン。


 それぞれの説明を読んでいく。

 ブレンネン大神官……。銅像とはいえ目元がランさんと似ているかも。

 くすっと笑みが零れてしまう。だけど、本人に伝えたら嫌がられそうだな。


 〈勇者パーティ結成の地 ゆえにここに偉業記念碑を建てる〉


 説明はそんな文章で締めくくられていた。

 もしかしたら、あの窪みが何か関係しているのだろうか。そう思ったときだった。


「勇者リーベが冒険者だった頃に、他の3人を前にして力試しをした結果があの窪みだそうだ」


 聞き慣れた声に振り向くと、空間の入り口に建っていたのは両腕を組んだハイトさんだった。


「ここ数日いろいろと嗅ぎ回っていたようだが、成果はあったか?」


 ハイトさんがゆっくりとこちらへ向かって歩いてくる。

 見慣れた白シャツと黒いパンツ。ラフなスタイル。まさか彼が魔王だなんて誰が信じるだろうか。


「いえ……全く、何も」


 首を横に振って、苦笑いで答えた。

 やはりハイトさんはすべて見ていて口出ししてこなかったということか。


 わたしの隣に立って勇者リーベの像を見上げたハイトさんが、すっと目を細める。


「随分と脚色された勇者像だな。こんな重装備でもなければ、こんなきりっとした顔でもない」

「そ、そうなんですか?」

「いつも必要最低限の肘膝当てや胸当てしかつけないような輩だった」

「……どんな方だったんですか? 勇者リーベさまは」


 ハイトさんの顔を見上げて問いかける。

 言葉を選ぶように、ゆっくりとハイトさんは口を開いた。


「麦穂のような黄金の髪の毛を風に揺らす、快活な人間だった。瞳はさながら紫水晶のごとき輝きを放っていた。しかし、何よりも内面が変わっていた……」

「変わっていた、とは」

「あの者に常識など通用しない。やめろと言われたことでも己の信条が勝れば平然とやるし、突飛な行動には仲間ですら困っていたな。破天荒という言葉はあの者の為に存在しているようなものだ」

「……それはレイさんやランさんも似たようなことを言っていたような気がしますね……」


 勇者とは、と声を大にして問いたくなる話である。

 ハイトさんによってもわたしは勇者リーベ像を崩されてしまうのか。ああ。


「慣れてくると、振り回されるのも悪くはなかったが」

「!」


 いつも無表情なハイトさんの、わずかな感情の変化を読み取れるようになってきた自負は……あった。

 だけど。

 もしかして。

 これは。


 ハイトさんの勇者リーベ像を見上げる表情は、今まででいちばん魔王らしくない。

 どこか愁いを帯びたような——

 それでいて、慈しむようなもので——


 〈……子、か……〉


 かつてレイさんの話をしたときと真逆で、でもどこか同じ表情。

 どうして?

 あなたは、魔王で。

 相手は勇者だよ?


 新たに問いたいことが生まれてしまった途端、がつんと後頭部を殴られたような気がした。

 ごくり。唾を飲み込む。急激に指先が冷えていく。

 速くなっていく心臓の鼓動を落ち着かせるためにクリスタルをぎゅっと握った。自分とクリスタル、どちらの方が冷たいのかよく分からない。


 肯定してほしいのか、打ち消してほしかったのか。

 わたしの口からは勝手に言葉が飛び出していた。

 ……内側をえぐっていくように、痛みだけを残して。


「ハイトさんは、勇者リーベのことが好きだったんですか?」


 視線が合う。

 ハイトさんの玉虫色の瞳が、何故だか本来の銀色に見えた。


 ——否定も肯定もせず微笑む、それがハイトさんの答えだった。


 わたしたちの間を、風が抜けていく。


 向かい合っているはずなのに。

 ひどく、距離が遠く感じられる。


 わたしにはその秘密へ近づくことさえ許されない。

 そう思い知るには、充分すぎた。



 

挑戦と発展の第五章、完結です。

読んでくださったすべての方に感謝します。

ブックマーク、評価、ファンアート、感想などありがとうございます。

※ファンアートは許可をいただいて活動報告で紹介しております。


明日からも毎日更新してまいりますので、

引き続き宜しくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
✼コミカライズ作品✼
各電子書籍ストアにて単話配信中です。
画像をクリックすると
comicスピラ様の詳細ページに飛びます。
i836473
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ