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117.初めて目にする表情




 ほかほか。

 ほかほか。ほか。


 テーブルに並ぶのは、3つの艶々と張りのある真っ黄色のオムライス。どろっとしたトマトケチャップが中央にぼってりとかかっている。

 半熟のゆるふわとろとろオムライスも好きだけど、こういうシンプルなものも好きだ。オムライスって卵の焼き方にも色んな種類があるけれど全部美味しいから選べなくて困る。幸いにもこの店には1種類しかないので命拾いした。


「ひゃああ〜!」


 斜め向かいに座るシュバルツは瞳をらんらんと輝かせていて、真正面のハイトさんはいつも通り無表情。


「まずは1日目、お疲れさまでしたっ! かんぱーい!」


 宿の近くにある定食屋さんの片隅で、わたしたちは飲み物を掲げて乾杯した。

 明日もあるので全員がソフトドリンク。わたしとシュバルツはオレンジジュースで、ハイトさんは炭酸水だ。


「いただきます!」


 はむ。


 大きなスプーンで大きな一口。


 もぐもぐ。


 薄いようでしっかりと厚みのある卵のなかに、たっぷりと詰まっているチキンライスは濃いめのケチャップ味。具材は角切りながらもぷりっとした鶏もも肉と、しゃきしゃきっとした粗みじん切りの玉ねぎ。

 噛み応えがあって噛めば噛むほど旨みが強くなる。


 もぐもぐ。


 これは黙って咀嚼するのがいちばんいい。

 上にかかっているトマトケチャップもすくって一緒に食べる。

 あぁー。このトマトケチャップ、少しざらっとした舌触りがある。自家製なんだろうか。売ってたら買いたい。そして、フライドポテトにべっとりとつけて食べたい。むしろ飲みたい。


「?」


 視線に気づいて顔を上げると、斜め向かいのシュバルツが気持ち悪いものを見るような視線を送ってきていた。


「トマトケチャップは飲み物ではありません」

「そこを読まれていたとは」

「ちなみにオムライスも飲み物ではありませんよ?」

「えー」

「えーはこちらの台詞です」


 というか、自分好みになるようにトマトケチャップもつくればいいのか。家で食べるピザ用のトマトソースだって自家製だしね。

 トマトとすりおろした玉ねぎと、いろんなスパイスを煮詰めればいいのかな? そろそろシュトーレンの仕込み時期だし、エアトベーレに戻ったらスパイスショップに行こうっと。


「それにしても王弟さまはすごかったですね。すべてのお店のデニッシュをきちんと召し上がって感想をおっしゃるなんて。わたしだったらあんなに大量のデニッシュを食べたらお腹がはち切れそうですし、胃もたれと胸焼けに苦しみそうです」


 わたしの父よりも遙かに歳上の王弟さま。

 父ですら脂っこい物は食べ過ぎると翌日に響くと嘆いていることを考えたら、王弟さまは、かなり強靱な胃袋の持ち主なんだろうと思う。


「わたくしだってあれくらいなら余裕です」

「はいはい」

「むきー! 生返事をやめなさい!」


 そしてまた無言でオムライスを食べ始めるわたしたち。


 薄暗い照明の店内は賑わっていてわたしたちが入店したときには満席になっていた。

 歴史のある定食屋なんだろう。てきぱきと動く店員さん。軽口で応酬する常連客らしき人たち。


 オムライスを飲み込んで、オレンジジュースも一気に吸う。

 酸味が強めで香りの強いオレンジジュースだ。生のオレンジを搾ってすぐに提供してくれているらしい。

 口のなかをさっぱりさせたら、またこってりとしたオムライスに戻る。その繰り返し。


「お待たせしましたっ、ボイルソーセージですっ」


 店員さんが大皿を運んでくる。

 ぱんぱんに詰まった山盛りのウインナーソーセージが、これもほかほかと湯気を立てていた。シンプルなもの、バジル風味、それからクミン風味の3種類だ。隅っこにはキャベツの酢漬けことザワークラウトが載っている。

 別皿に添えられたたっぷりのトマトケチャップと、粒マスタードがうれしい。

 これはツィトローネの大衆食堂ならどこにでもある定番のサイドメニューだ。


 ハイトさんとシュバルツにはオムライスだけじゃ足りないと思って頼んでいたけれど、茹でたてのソーセージを見ていたら食べたくなってきた。


 ぱきっ! ぷりっ!


 シュバルツが軽快な音を立ててソーセージをかじった。


「ふぉお……! こんなに弾力のあるソーセージは初めて食べました……! 果物の果汁がごとく溢れる肉汁、甘み、旨み、そして奥にほのかに香るスパイス……! 茹でただけなのにこんなに堂々とした一品になっているだなんて……!」


 うっ。そんなこと言われたらがまんできない。


 ぱりっ。


 ひゃー! フォークを刺しただけでこの音!


 ぱきっ! じゅわー。


 かじった途端、ソーセージとは思えない音がした。肉のかたまりに負けない噛み応えがある。これも黙って咀嚼しつづけたい……。

 さらにはケチャップをつけてもソーセージの濃厚さは負けていないし、粒マスタードの辛いだけじゃない爽やかなビネガーの香りもまた、ソーセージのよさを引き立ててくれる。


 そして、空っぽになった皿を前に、両手を合わせる。


「ごちそうさまでした! はー、お腹いっぱいですね!」

「大満足です……」

「うむ。いい味だった」


 それぞれが残っている飲み物を口にしながらひと息。


「今日は地味だけど変わったパン屋というイメージがついたかもしれませんが、明日もそうなりそうですね」

「いいではないですか。あなたらしいですよ」

「くっ。否定できないところが悔しい」

「それでも、美味いと言われていたな。期待が持てるとも」

「はいっ」


 その期待に応えてさしあげましょう! と言いたいところなのだけれど。


〈たかがパンの為にそこまでするなんて、王弟様は寛大を通り越して酔狂な御方です〉


 いらっ。

 昼間のことが不意に蘇って、口がへの字になってしまう。

 顔も名前も覚えていないけれど、レモン色の瞳だけは脳裏に焼きついている。なんとも不愉快な初対面だった。


 だめだぞシュテルン。

 ネガティブな気持ちを引きずったまま作ったパンは美味しくない。忘れろ、忘れるんだ。


 ぷるぷる。首を横に振って、言葉を打ち消そうと試みる。


「食べたし、もう出ましょうか。明日も早いですからね」


 会計を済ませて外に出ると、藍色の空に星がちかちかと瞬いている。

 ご飯を食べ終えたばかりだからかすかな夜風が心地いい。

 ハイトさんたちと向き合って、ぺこりと頭を下げた。


「では、また明日もお願いしますね」

「はい。地味なパンの良さを見せつけてやりましょう」

「シュバルツ……? それはけなしているのか、応援しているのかどちらです……?」

「応援に決まっていますとも」


 ふふん、とシュバルツが鼻で笑う。

 うーん。そういうことにして受け取っておきます。


 ハイトさんを見上げると、視線が合った。


「ハイトさんも、よろしくお願いします」

「うむ」


 すっ。

 すると自然な流れで、ハイトさんの右腕が伸びてきて、わたしの頭の上で止まった。


 ぽん、ぽん。


「へ?」


 へ?


 ハイトさん。視線が合ったままの瞳が、とんでもなく優しい色を帯びている……。

 今まで、こんな表情かお、することあったっけというくらいには。


 じゃ、なくて。

 いや、それもそう、だけど。


 今?


 頭を、撫で、た?


 えっ? 突然、何を?

 びっくりして固まってしまって、尋ねようとしたときにはもうふたりの姿はなかった。


「……もしかして」


 昼間のことを分かっていて。

 励ましてくれようとしたのかな、ハイトさん。


 頭のてっぺんに両手を載せてみる。なんだか、にやけてきてしまう。


「……へへへ」


 ありがたい、なぁ。

 講評のときも震えるわたしの両手に掌を置いてくれた。

 全然、魔王っぽくないよ。どうしちゃったの。


 それでも、魔王っぽくない方が、なんだかハイトさんらしくって……いいな。


「よし!」


 気合い十分!


 さぁ、歩いて宿に戻ろう。

 着く頃には、ご飯を食べて火照った体も落ち着くだろう。


 ポジティブ、全開ー!

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