109.美味しいチキン 逃げるチキン
爽やかで高い秋の晴れ空。遠くまでいわし雲がうっすらと続いている。
王立中央公園は、想像以上に緑に恵まれた空間だった。
こんなにだだっ広い公園に今まで来ることがなかったのは、ちょっともったいなかったな。
息を吸いこむと、全身で木や土を感じられるようだ。王都にもこんなに自然に囲まれている場所があるなんて知らなかった。
大食堂で開催されるブロートフェストは関係者しか入れないものの、だだっぴろい公園はブロートフェストにあやかっていろんなイベントが開かれているらしい。
公園そのものがちょっとしたお祭り会場になっていた。
大きな噴水のある広場まで歩いて行くと、ちょうどマーチングバンドが軽快な曲を演奏しながら入ってくるところだった。
白を基調として金色のアクセントが入っている制服を着ているということは、王家直属の楽団なんだろうか。ぴかぴかに磨かれている金管楽器が眩しい。
その後ろに鼓笛隊、さらにはフラッグが続いている。
ばっ! ばさっ!
音楽に合わせて華麗に広がるフラッグ。そこには王家の紋章が堂々と描かれている。
「はー……。すごいなぁ」
マーチングバンド全体で100人くらいだろうか。
なかなかの迫力だ。動作も揃っていて、聴き応えも見応えもある。
見物客も増えてきてどんどん賑やかになっていくので、抜け出ることができなくなる前にそっと離れる。
噴水から少し離れたところには敷物の上に品物を並べたフリーマーケットのエリア。
ここは許可をもらったら誰でも家にある不用品などを販売できるみたいで、店側と客の値段交渉がさかんに行われていた。
わたしもエアトベーレだったら買い物目的で眺めたいものである。
風が心地いい。
散歩日和でお祭り日和、そしてパン日和だなー。
目的の大食堂はさらにその奥まで歩いた先にある。
「ん?」
くんくん。いろんないい香りが漂ってきた。
こんがりと焼けた肉や魚、野菜から、砂糖が焦げてカラメルになったような甘ったるい香りまで、ごちゃごちゃとしているものの食欲を刺激する罪深い香りばかりだ……。
「あー!」
幅の広い道の両脇にはずらりと出店が並んでいた。
前世のお祭り会場によくあるような『屋台』というよりは、『リヤカー』に近い。もしくは『キッチンカー』のイメージ。
二輪のついた大きなかごのなかにそのまま食べられるようなものが入っていたり、かんたんに調理できるような器具が備えつけられている。
あああ、フライドポテトもあるけど、がまんがまん。
邪念を払うためぷるぷると首を横に振る。
これは、そろそろシュバルツが現れそうだな?
「腹ごしらえは大事ですからね!」
「うわっ、やっぱり現れた!」
「やっぱりとは何ですか、やっぱりとは」
シュバルツが頬を膨らませる。
どきっ。
シュバルツの後ろにはハイトさん。
昨日あんな決意をしたばかりだけど、納得いく答えに辿り着くまでわたしの決意は知られてはいけない。
表立って考えなければ、シュバルツに読まれることもないだろう。
平常心、平常心。よし。
「おはようございます、ハイトさん。いいお天気ですね」
ってめっちゃ不審な挨拶になってしまったー!
ハイトさんも怪訝そうに眉を顰めてきた。
これ以上余計なことを言って呆れられる前に歩いてしまおうっ。
こんがりと肉の焼ける香りを辺り一面に振りまいている二輪車を勢いよく指差す。
「腹が減っては戦はできません! さぁ! 骨付きチキンでも食べますか!?」
「遠慮しておく」
はい、瞬殺。
「わたくしは食べますとも! まいりましょうっ」
意気揚々と歩くシュバルツ。
ハイトさんってシュバルツに食欲のすべてを託しているのではと時々考える。そうだとしたらなかなかの振り分けっぷりだし、本来のハイトさんはどれだけ食いしん坊なのかという話にもなるけれど、そもそも魔王って食事を摂らなくてもいいんだもんね?
これも魔王の不思議のひとつにしておこうっと。
魔王七不思議。……7つ以上ありそうだけど。
じゅわ〜。
ふぅ……。肉が焼けるときって、どうして音まで美味しく感じるのだろう。
こんがりとした焼き目、嗅ぐだけで幸せになれるなんともいえない匂い。
二輪車の中に設置された焼き網の上で、たっぷりとソースに漬け込まれた骨付きチキンがきらきらと輝いている。
じゅわわ〜。
「おやと……ひな……?」
シュバルツが呟くと、店主がまだ焼いていない骨付きチキンを壺のソースへどっぷりと漬け込みながら答えてくれる。
「おやの方がこりこりっと噛み応えがあって、ひなはやわらかくってほろほろとほどける食感かな!」
あ、なるほど、そういうことか。
「わたしはおやの方をいただきます。シュバルツはどうしますか?」
「うーん……。ならば、ひなにします」
「はい、毎度あり!」
持ち手部分が銀紙にくるまれる。
受け取った骨付きチキンは、こんがりと程よく焼き目がついている。見た目以上にずっしりと重たい。そしていい匂いとしか形容できないくらいにいい匂い。
「いただきます」
ふーふー。ぱくっ。
もぎゅもぎゅ。
肉汁こそ多くないものの、旨みが肉の隅々までぎっしりと詰まっている。
噛めば噛むほど弾けていくようだ。
ぱりっ。
飴色にこんがりと焼かれた皮もぱりぱりとしていて香ばしい。
「うーん、これは家では絶対に出せない香ばしさですね」
たぶん火力は火魔法だと思うのだけど、すさまじい威力があってこその、この絶妙な焼き加減なんだろう。出店、おそるべし。
「もぐもぐほんとうにやわらかくていくらでも食べられそうですもぐもぐ」
「ゆで卵3個で瀕死になったのに何を言っているんですか」
「あのときはパンだって食べていましたからね! ゆで卵を食べなければ完食していたと思います、えっへん」
それは威張るポイントではない。
と、つっこもうとしたときだった。
視界の隅に、異様に細長い人間のシルエットが入り、思わず釘付けになってしまう。
あの人たちは、もしかして。
「あっ」
向こうもこちらに気づいたようで、勢いよく向かってきた。
ぴしいっ! なんとも形容しがたい謎の決めポーズをして、2人組が大声を上げる。
「シュテルン・アハト・クーヘン! いよいよブロートフェストだ! 正々堂々と戦おう!」
「そう、正々堂々と!」
暑苦しい2人組。パン屋【若草堂】の職人だ。
まだエプロンを身につけていないので、シャツにパンツ姿だとさらに棒のように細く見えてしまう。
「あー、はい、よろしくお願いします」
すると、わたしの隣でハイトさんが口元に手をやって、2人組を見つめた。
「貴様たちの口から正々堂々という単語が出てくるとはな」
「!」
「!!」
えーと、怯えてるからそれくらいにしてあげてくださいね?
あれ?
きょろきょろと2人の周りを見てしまった。
「肝心のリーリエの姿がないけど?」
「リーリエ様は先にお父上と会場入りしておられる」
「そう、先に行かれている」
「それなりにやる気があるようなら安心しました」
すると勢いよく2人組が反論してくる。
「何を言うか! あれ以来、リーリエ様は非常に意欲的である!」
「そう! 並々ならぬ闘志を燃やしておられ……るっ」
る、が小声になったのは、ハイトさんに睨まれたからである。
「我々【若草堂】は【一番星】にも【王の花】にも、その他諸々の店にも完全勝利して、王家御用達となる! 覚悟しておけ〜〜〜〜〜」
「け〜〜〜〜〜」
声が段々遠ざかっていくのは、ハイトさんに睨まれて怯えるように去って行ったからである。
「もう、ハイトさん……」
もはや楽しんでませんか? と言おうとして見上げると、ハイトさんはふっと笑みを浮かべた。なお、瞳はちっとも笑っていない。
質問するだけ無駄だな、これは。
「ぷはっ! 見事なまでに! 美味しかったです!」
そして、完食してご満悦なシュバルツの声が空高く響くのであった。