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105.踏んづけたのは




 わたしは今、ほくほくしている。


「ふふふ♪ ふふふ♪」


 夕焼けに染まる石畳の街をスキップしながら歩く。なんなら前進と見せかけてくるりと一回転までしてしまう。

 周りから白い目で見られたって、気にしなーい!


 なぜならば。

 今日は【王の花】で朝からあんこを炊き、さらにはお師匠さまやフェンスターさんに湯だね食パンを食べてもらったのである。


〈悪くないな〉


 むすっとしながらも兄弟子殿はそう言ってくれた。これは及第点だということに他ならない。

 お師匠さまも、水分量や焼成時間について指摘してくださった一方で、これなら安心だね、とほころんでくれた。


 【王の花】から帰るときには、お師匠さまが明日食べるようにとパンの詰め合わせまで持たせてくれた。いろんなカットの詰め合わせがみっちり詰まった袋からは、懐かしくて最高な香りが漂ってくる。


 そんな、とてもとても充実した1日だったのだ!


「ふっふっふー」


 いよいよ明後日からがブロートフェストだ。

 明日は念のために準備の予備日にしてあるので、特に予定がない。久しぶり王都を散策しようかなと考えている。

 お店を巡って、青い天然色素も手に入れてみたい。


 ……なんて、楽しい妄想をめぐらせていたら。


 むぎゅ。


「えっ?」


 な、なにか踏んだ? 慌てて振り返り、さーっと血の気が引く。


「ぎゃー! だだだ、大丈夫ですかっ!?」


 なにかじゃないよ! 人間だよ!

 急いで駆け寄りしゃがみ込む。うつぶせで倒れている大人の女性の背中に、くっきりとわたしの足跡。


「ど、ど、どうしよう。もしもーし! 起きてくださいー!」


 ゆさゆさと胴を揺らすと、ショートカットの金髪がさらさらと揺れた。


「……ん……」


 口元がむずむずと動いた。

 あっ、よかった。意識はあるみたいだ……。


 ばっ!


 突然、女性が上半身を起こして地面に座る。

 その顔をおそるおそる覗きこんだ。


「申し訳ありません! 大丈夫ですか……?!」


 年齢はわたしよりも遙かに上。母親と同じくらいだろうか。

 辺りがだいぶ朱色に染まってきているから色ははっきりと分からないけれど、見たことのない、きれいな瞳の持ち主だ。

 ぼけーっとどこか一点を見つめている。


「あの……? きゃっ!」


 すると女性はわたしに抱きついてきて、うめくように声を出した。


「おぉ……」

「お?」

「お、お腹、空いた……」


 ふにゃふにゃ〜。女性の体から力が抜けていく。

 ちょっと待って!?

 これは俗に言う行き倒れってやつですか!?


「あ、あの、起きてくださいっ。パンならありますが、食べますか?」


 踏んづけてしまったせめてもの罪滅ぼしだ。


 がさごそ。


 わたしは【王の花】のパン詰め合わせをかばんから取り出した。


 ぐー、きゅるるるる。


 お腹の音がして、女性がゆっくりと顔を上げる。その瞳は潤んで、口からはよだれが垂れそうになっていた。


「いいの……?」

「はっ、はい。好きなだけ召し上がってください」


 女性はおそるおそる袋を受け取ってくれると、くるみとレーズン入りカンパーニュのカットを取り出した。瞳がきらきらと輝き、口と手はわなわなと震えている。


「あああ……ありがとう」

「ど、どうぞ」


 がぶっ。もぐ、もぐ。もぐもぐ。


 それはもう見事な食べっぷりで女性がパンを胃の中に収めていく。


 よく見ると女性は胸と肘、膝に防具をつけている。冒険者のようだ。

 こんなに簡素な装備なのにどこにも傷がないところを見ると、今から仲間と合流してどこかへ向かう途中だったんだろうか?


 もぐもぐもぐもぐ。


 見事な食べっぷりで次から次へと女性はパンを食べていく。

 うーん。わたしの分はなくなってしまいそうだけど、これで罪滅ぼしかつ人助けになるならいいか……。


 がつがつ。もぐもぐ。


 あ。完食されてしまった。


 ごくんっ。


 やがて、ぷはっ、と女性が息を吐き出した。


「生き返ったー! ありがとう!」

「いえ、安心しました……」


 あやうく殺人犯になるところだったけれど、かえって人助けになったということでいいだろうか。

 すると女性が瞳を輝かせて迫ってくる。きょ、距離が近い。


「このパン、【王の花】のだよね? ここのパンが大好きでずっと通っているんだ!」


 年齢はかなり上のはずなのに、若者並にテンションの高い人だ。

 ずっと、ということは王都に住んでいるんだろうか?

 何はともあれ、自分にとって大事な店が褒められるのは気分がいい。

 ほんの少し距離を取りつつ、笑顔で返した。


「よかったです。わたしも【王の花】は大好きです」

「はぁ……。こういうとき、美味しい物が世界を救うってしみじみ思うの。今、わたしはあなたに救ってもらったということね。ありがとう、心から感謝するわ!」


 美味しい物は世界を救う。

 なんと。それはわたしの持論ではないか。

 そう考える人は、いい人に決まっている。


 突然迫られたことで芽生えた警戒心が少し緩む。


「いえ、そんな大それたことは何も」


 というか踏んづけている時点で、アウトであるというのは置いといて。

 怒られて当然なのにここまで感謝されてしまうとほんとうに申し訳ない気分になってきたぞ……?


 今度は、女性がなにかに気づいたように目を丸くした。

 ゆっくりと視線を袋に移してから、小さく悲鳴を上げる。


「……しまった! たくさん食べちゃってごめんなさい。お詫びと助けてくれたお礼をしたいんだけど……」

「気になさらないでください。パンは貰い物ですし、わたしこそ足元を見ていなくて踏んづけてしまったお詫びのつもりなので、それを水に流していただければ十分です」


 この雰囲気だとどんなお礼をされてしまうのか分からないし、今から冒険に行くのであれば予定を狂わせてしまう。

 冒険、大事。わたしのような一般人は、引き止められないように立ちあがるのである。


「冒険、がんばってくださいねっ」

「あっ。じゃあ、次会ったときにでも……」


 引き止められても困るので、次の言葉を待たずにさっと女性から離れた。

 【王の花】のパンはまた買いに行けばいいや。


 それにしても、変わった人だったなー。

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