【番外編】偽りの男爵令嬢
今回は学園に来た彼女視点です。
よろしくお願いします。
私はサラ。平民として育ったけど、本当は貴族のお嬢様だってことがわかったの。男爵令嬢として学園に入学したけど、慣れないお嬢様生活は思っていたより大変。
困っていたところを、素敵な王子様に助けてもらって仲良くなったの。王子様は優しくて、私に色々なことを教えてくれる。
婚約者のいる殿方に近づくなんてはしたない?
私、そんなことしていないのに……。元平民だからいじめられているの。でも、私負けません!
* * *
これが私の隣国での設定だ。本当の私は帝国の平民で、第二皇子の諜報員として働いている。
ある日のこと、子供の頃から世話になった皇子が、隣国の王太子の婚約者に横恋慕して、二人を別れさせて欲しいと言いだした。
隣国は帝国に比べてかなり小さな国。帝国の皇子が本気になれば愛し合う二人を引き裂くことなど簡単だろう。
皇子の私室に一人呼び出され、そんな情けない指令を受けた私は心底うんざりした。皇子はやたらと太っているせいで、自分に自信がないのだ。
さらに確認すると、相手と直接会ったのは子供の頃に一度きり。その後は夢の中でしか交流がないと言う。
夢の中での約束を本気にして結婚する気になっていたものの、相手は自国の王太子と婚約していたらしい。
――こいつ、大丈夫か? 信頼していたのに裏切られた気分だ。
「せめて正面から婚約を申し込めばよろしいのでは?」
私は、蔑んだ目を隠しもせずに言った。
「今、正面切って動けば彼女を危険に晒すだろう。だが、今動かなければ、彼女はこのままあの女たらしの王太子と結婚してしまう」
皇子の言うことはわかる。第二皇子でありながら帝位を狙う皇子に敵が多いことは、諜報員として働く私もよくわかっている。だからといって、こそこそと影から二人を別れさせようとするなんて次期皇帝のすることじゃない。
「本当にそれだけですか?」
不審そうな私と目が合うと、皇子は気まずそうに目を逸らした。
「つまり、子供の頃に一度あったきりの相手に、粘着質につきまとい行為をしていたものの、相手の前に出る勇気がない臆病者だと。それで私に別れさせ屋まがいのことをさせようと言う訳ですね」
ぐっと詰まった皇子は、私の言葉に小さくそうだと答えた。
あまりおおっぴらには言えないが、私とこの皇子は友人関係にある。
部下として働き始めたときに、皇子からお前の笑顔は信用できないと言われ、ヤケになって地で接したらその方がマシだということで、以降こんな関係が続いている。
――正直、気が乗らない。
と言うのも、実は自分も元は貴族の令嬢だったのだ。傾いた男爵家を立て直すために爺と政略結婚するのが嫌ですべてを捨てて逃げたのに、今度は皇子の結婚相手をむりやり見繕うなんて。
「二人が幸せそうなら私、無理ですからね」
言い捨てた言葉に皇子は何も言わなかった。
* * *
皇子の伝手で男爵令嬢として隣国の学園に入学した私は、そう日が経たないうちに相手の女性と接触できた。
とりあえず、面識が得られたら良いと目の前でわざと転んでみせたのだ。
「大丈夫?」
心配そうに私を覗き込むのは、白金の髪とエメラルドの瞳のお姫様のような女性。そして、無様に転んだ私を見て見ぬふりをする生徒達の中で、一人手を差し出してくれた。
立ち上がった私に優しく微笑んだフェリーチェ様は、私の首元を見て、タイが曲がっていると手ずからタイを直してくれた。
その時から心の中ではこっそり名前で呼んでいる。身分の低い私は名乗られてもいない名前を呼ぶことができないけれど、心の中だけならばれることもない。
しばらく学園で過ごすと、フェリーチェ様と王太子にほとんど関わりがないことがわかった。そして、王太子と比べてもフェリーチェ様はすごく目立つ生徒だった。
「今回の試験も一位はフェリーチェ様よ。男子のみの学科でも特別に試験だけを受けて、それでもすべての科目で一位なんですって」
「見て、あの優雅な身のこなし。今回もダンスのお手本は公爵令嬢よ。なんでもお相手に恥をかかすことがないよう男性のパートまで踊れるんだとか」
「外国語も堪能だとは流石、完璧な令嬢と言われるだけのことはあるな」
いや、つきまとい男にはもったいないんじゃない? 王太子がまともそうならダメでしたーって言って国に帰ろうかな。
そう思って近づいた王太子は周りに他の女を侍らせやりたい放題。令嬢たちに囲まれたお茶会で笑いながら話す一言には殺意すら湧いた。
「いや、あいつがどうしてもって言うから婚約してやってるだけだって。あんな可愛げない女こっちからごめんだし」
うん。これならつきまとい男の方が数段マシだ。よし、殿下。私、誠心誠意任務に当たらせていただきます。
そして王太子……! いつか締めてやる。
* * *
「昔から、一つ下のあいつに抜かされてどうするって尻叩かれてさ。ホント嫌いなんだよ」
王太子はフェリーチェ様への劣等感をこじらせていた。子供の頃からことあるごとにくらべられ、親や家庭教師から家柄以外何も勝てていないと、発破をかけられ続けたらしい。
頑張っても追いつけないと思ってしまった王太子は諦めて楽しく生きる道を選んだようだ。
わかりはするけれど、それは恵まれた子供の発想だ。もし努力し続けていたら自分の立ち位置も変わっただろうに。
知り合ってからすぐに、王太子は頻繁に私を構うようになった。
自分より明らかに出来が悪く、立場の弱い私を守ることは王太子にとって自己肯定感を満たすのにちょうどよかったらしい。
一方の私は、王太子との距離が近づいてからしょっちゅう嫌がらせを受けるようになった。持ち物にいたずらされることは常々だったし、頭から泥水をかけられたこともあった。
ブラウスは簡単に用意できるけれど、学園指定のタイは再購入するのにも時間がかかる。すぐに予備のタイが用意できなくて汚れたタイのまま学園に行ったことがあった。
「汚れたままではよろしくないわ。どうぞこちらをお使いになって?」
ご自分の予備のタイを差し出しながら話すフェリーチェ様は優しく微笑んでいて、なんて綺麗な人だろうと思った。
この綺麗な人を私は陥れる。
私がすることはきっとこの人を傷つけるだろう。
卒業直前になって、王太子は女遊びをやめ、勉強や政務にも精を出すようになった。遅れた分はすぐに取り戻せないから未だ劣等生ではあるみたいだけど、最初を思うとものすごい進歩だ。むしろ今の王太子ならフェリーチェ様とよく国を支えるかもしれない。
ちくりと胸が痛む気がしたのは、きっと国元の陛下――二年の間に皇子は帝位についていた――を裏切ることを考えたせいだ。
ある日、王太子は私を貴人用の談話室に呼び出し、卒業パーティーでフェリーチェ様ではなく私をエスコートしたいと言い出した。
パーティーにはフェリーチェ様も在校生総代として出席するはずだ。それなのに王太子が他の女を伴ってパーティーに出席すればフェリーチェ様の立場はないだろう。
そのタイミングで皇帝陛下からの婚約の話が出れば、王太子との婚約は白紙になる可能性が高い。
「正式な婚約者様がいらっしゃるのに私なんか……」
「私はサラが良い。周りの意見ではなく俺が決めたことだ」
真剣な瞳が私を見つめる。
嬉しいなんて思うのは気のせいだ。散々愚痴を聞かされて少しは情がうつってしまったのかもしれない。この馬鹿な男がそれほど酷い人ではないことを私は知ってしまった。
これで任務はほぼ終わり。
任務が終わったら適当なところで帝国に戻って、また日常に戻るだけ。少し寂しいなんて思うのもきっと気のせい。
複雑な思いが伝わらないように一度目を伏せると、私はうなずいた。
まさか、馬鹿男がみんなの前で断罪劇めいたことをしでかすなんて思っても見なかった。学園内でのこととはいえ、本当は廃嫡でもおかしくないくらいだったけれど、幸か不幸かフェリーチェ様への陛下の婚姻打診で大騒ぎになり、判断は先延ばしになった。
……婚姻って。婚約って話じゃなかったっけ。こっちも聞いていない。
皇帝陛下と馬鹿男のせいで、私は完全に憎まれ役だ。絶対フェリーチェ様に嫌われてしまった。しかも、きっと帝国には帰らせてもらえない。
――もし陛下と私が結託していたことを知ったら、フェリーチェ様は陛下を嫌うかもしれないのだから。
祖国を追われ、憧れの人にも嫌われて本当に割に合わない仕事だった。せめてフェリーチェ様が元気に笑って暮らせているのか知りたくて国元の同僚に出した手紙には国家機密とすげない返事。
私はもう一度手紙を送る。
『王太子をうまいこと調教して更生させたら、妃殿下が里帰りしてくれるかだけでも教えて』
もしあの馬鹿な男にもう一度チャンスがもらえるのなら、私がこの国で生きる意味もあるのかもしれない。