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泥棒猫の恩返し ~焼きベーコンはカリカリぐらいが丁度いい~後編


 夢のような。

 いや、夢の中のお菓子の家。

 願い事はないかと問う不思議な黒猫。


 少女サリアは――唇を動かした。


「わたしのおかあさんね。病気なの」


 寂しそうに呟く少女の瞳には闇が見えていた。

 お菓子の家の中はこんなにも明るく楽しいのに、外に出てしまえば暗い現実が待っている。

 そう、夢からさめてしまえば全てが消えてしまうのだ。


 黒猫はそんな少女の後ろ姿を眺めてヒゲを揺らす。


『なるほどね。だったら治すように頼むとか、薬を頼むとかあるだろう?』


 なんだって叶えてみせるよ!

 と、ぶにゃぶにゃ猫の声を上げている。


 けれど。

 やはり少女は首を横に振る。


「だって、夢だもの……」

『そうさ、夢さ。だから私にお願いしてごらんよ。私は偉大なるご主人様に飼われている素敵ニャンコだからね、人間の病気を治すぐらい、朝に食べるカリカリベーコンよりも軽いさ』


 本当に自信があるのだろう。

 黒猫は言葉を待っていた。

 母の病気を治して欲しいと願えば本当に直してくれるだろう。

 でも。

 それは夢の中だけの話。


 少女は少女であったが、考え方は既に大人になりかけていたのだ。

 叶わない甘い夢など、とっくに捨てていたのだ。


「夢の中でおかあさんが元気になっても……起きたらいつもどおりだもの……。目が覚めたら、きっと――いつもみたいに苦しそうな顔を必死に隠して、わたしに笑いかけるもの……。夢の中でだけおかあさんが元気になっても……それって、とっても悲しい事じゃないかしら?」


 少女は自らの胸を抱いた。

 ぎゅっと小さな胸を抱く腕に、力が入る。


 少女は泣きそうだったのだ。

 そのまつ毛にうっすらと雫が伝う。


 慌てた黒猫は、少女の前に次々とごちそうを出していく。


『そうか。ならせめてここでいっぱい美味しいものを食べていきなよ。誕生日なんだから、それくらいはいいじゃないか! ね!』

「ええ、そうね……! どうせ食べたら消えてしまうのだから、夢も現実も一緒だものね」


 少女は黒猫が自分を慰めようとしていることに気が付いて。

 嬉しそうに笑った。



 その日。

 少女は夢を見た。

 ちょっと生意気で太々しい黒猫にお菓子の家に招待され、いっぱいごちそうを食べた夢だ。



 ◇



 初めて迎える十一歳の朝。

 少女サリアは身体を伸ばして息を吐いた。


 少しは大人になっただろうか。

 胸を触ってみても、あまり変化はない。ちょっとだけ、がっかりする。

 そして、気が付いた。なぜかお腹がいっぱいになっている。


 ただの幸せな夢だったのに。

 夢で満腹になれるなんて便利な身体ね、と少女は自分の身を呆れてしまう。


「さて、おかあさんが無理して起きる前にあさごはんを用意しなきゃ。わたしはもう、十一歳なんだから」


 ベッドから起きて、台所へ向かう。

 音がする。

 ベーコンを焼く音だ。

 ちょっと脂が強いけど、パンに挟んで食べるととっても美味しいお母さんの朝ごはん。


「あー、おかあさん。まだ寝てないとダメじゃない!」


 少女の母は、娘を見てうふふと微笑む。


「大丈夫よ、お母さんね。今日、すっごく調子いいのよ」

「そんなこといって、この間だって無理して倒れちゃったじゃない」


 少女はあっと顔を落とした。

 母が気にするといけないから、そういう話はしないようにしていたのに。


「ごめん、おかあさん」


「いいのよ、お母さんこそごめんねサリア。でも、どうしてかしら。今日は本当に調子が良いのよ――まるで病気が完全に治っちゃったみたいに」

「もう、またそんなこといって!」


 心配性なサリア。

 そんな優しい娘を見て母はやはり微笑みながら、言った。


「あの猫ちゃんのおかげかしらねえ」

「猫ちゃん?」


 ベーコンをパンの上に乗せて、脂が逃げない様にバターを少し。

 サリアの母は、娘に自慢の朝食を出しながら。


「ええ、昨日ね。お母さん変な夢を見たのよ。あのちょっとぷっくりした黒猫ちゃんが夢の中にでてきてね、お母さんに言ったの」


 母は猫の口調の真似をして。


「にゃほほほほ、お菓子の家でおまえの娘は預かっている。返して欲しければ我の完全回復病気治療で超絶すんごい治癒魔術を受けるのじゃ! って、ふふ。変な夢でしょう。その猫ちゃん、サリアが良い子だからご褒美なんだって、ドヤ顔していたわよ」

「え……!?」


 少女は思わず声を上げていた。

 お菓子の家の話など、母にはしていない。


 十一歳にもなって、そんな夢をみたなんて口にできるはずがない。

 なのに、母はそんなことを言っている。


 そもそも、あの猫は鍵のかかっていた倉庫にどうやって侵入していたのだろう。

 まるで、魔法使いの様に……。


 少女は慌てて家を飛び出した。


「黒猫ちゃん! どこにいるの! いたら返事をしてちょうだい!」


 よんでみるが、反応はない。

 もしも。

 もしもあれが夢ではなく、本当のことだったとしたら。

 ……。

 いや。

 もしもなんてありえない。


 何を期待していたのだろう、と少女サリアは立ち止まる。


 父が行方不明になった時だって、期待しても戻ってこなかった。

 母が病気になった時も、治ると期待していたのに治らなかった。

 今回だって、どうせ。

 少女サリアは少しだけ、唇を噛んだ。


 しかし。

 その時だった。

 朝の陽ざしが、泣きそうになっていた少女の顔を照らす。


 そして。

 声が届いた。


「サリア、どうしたの? もうごはんできるわよ?」


 家から出られない筈の母が、自分を追いかけてここに居る。

 その顔色も、健康的だ。

 少女は、唇を震わせた。


「おかあさん、なんで――ねえ、なんで普通に歩けてるの?」


 あまりにも自然に歩いていたから、気が付かなかったのだろう。

 母は自分の姿を確認して、まぁと驚き声を上げる。


「あら、ほんとう。どうしてかしら……」


 ああ、やっぱり。

 少女は思った。

 森の中に向かって、頭を下げて――。


「ありがとう、猫ちゃん! ほんとうに、ありがとう!」


 思わず。

 そう、叫んでいた。



 ◇



 家に戻ると、母が首を傾げて呟いた。


「あら、ベーコンが一枚無くなっているわ」


 少女サリアもテーブルを見て。

 くすくすと笑いだす。

 きっと、これは――あの猫の悪戯。


 治療費の代わりなのだろう。


 ベーコンの皿に、『言い訳をさせておくれ。それが私への報酬だ、病なぞ我の大魔術で完全治療したから誕生日ケーキ程度では足りんのじゃ! 偉大で素晴らしい大魔導士より』と、猫が書いたような丸っこい文字のメモが挟まっている。


 少女は思った。

 やはりあれは夢じゃなかった。


 大魔導士だと言っていたあの猫は――あのケーキの詫びに恩返しをしてくれたのではないだろうか。

 と、いうことは……母の病気は。


 本当に……。

 サリアは胸いっぱいに広がっていく温かい気持ちと驚きをぐっとこらえて。

 言った。


「あ、ごめん! へへー、おかあさん。それ、わたしが待ちきれずに食べちゃったの」

「まあ、いたずらなんて久しぶりじゃない」


 言われてみればそうである。

 少女の母としては、それも寂しかったのだろう。

 悪戯をしたら、本当はおこったりおこられたり、大変なのに。


 二人は笑った。

 いっぱい、笑っていたのだ。



 森の中でも――妙に偉そうな猫の笑い声が響いていた。




 泥棒猫の恩返し ~焼きベーコンはカリカリぐらいが丁度いい~ ―おわり―

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