決着、空中戦の果てに ~魔猫と黒マナティ~前編
黒マナティの群れが集合していく。
渦の中心にいるのが本体か。
童話魔術のトランプ兵を押し退け、次々と集まっているのだ。
黒と黒が重なっていき……それは大きな人の形を作り始めた。
男か女かは分からない。
中性的なフォルムをもつ巨人が商業都市エルミガルドの上空に顕現する。
ぅぅおぉぉぉぉっぅぅぅん!
悲鳴にならない叫びが、空中を漂い嘆く。
嘆きに反応したのか、ナタリーが叫ぶ。
「いけない! ケトスさま、それは黒人魚の攻撃ですわ! ……きゃああぁあぁああ! わ、わたくしの魔力にも干渉を……っ」
これだけで精神攻撃になっているのだろう。
人間たちがプレッシャーに負けて潰されそうだ。
特にナタリーは嘆きで存在を維持している魔性。この攻撃は、きつい。
まずい!
ええーい、魔竜もそうだったが、なんでどいつもこいつも人間を先に狙うんだ。
反射的に跳んだ身体。
空を駆ける肉球。
守らなくては!
そう思った私の視界に、マーガレットの叫びと指示が届く。
後ろを、みろ?
ふと私は――弱点を思い出し。
ズジャジャジャジャアジャジャジャ!
『ぃ……! くそ、またこのパターンであるか!』
間一髪、咄嗟に身をかわす。
今のは、あぶなかった。
黒マナティが人間を囮に、私を取り込もうとその手を伸ばしていたのだ。
あっぶねえ……魔竜の時に一回弱点をつかれていなかったら、今の瘴気に取り込まれていたかもしれない。
ウサギ司書は……きっちり自分だけを完璧にガードしている。
いや、まあ……無力なのに人間を無駄に守ろうとするよりも効率的だが。結構、合理的なヤツである。
『ウサギよ、我はヤツと対峙する。貴様は人間をガードしろ』
「いえ――人間を守るよりも、アレをなんとかちましょう。いまここでアレを逃してしまっては、世界のためになりまちぇん」
『人を見捨てるというのか!?』
「見捨ててなどいまちぇんよ? 人間のために、世界を守る。そのために地上にいる人間よりもアレの殲滅を優先する。それだけでち」
ウサギは口をチクチクさせながら言い切った。
世界の維持は全てに優先される。
この発想はやはり、こいつは勇者の関係者だ。
いざとなったら仲間も合理的に見捨てる。考えの根本が獣か、または戦時中のソレなのだろう。
まあそれもある意味正しい考え方だが。
こいつ、私よりも魔族よりの発想できるでやんの。
合体巨人と化した黒マナティは、私が人間たちを守ろうと動くタイミングをうかがっている。
人間への精神攻撃は続いている、不味い……どうしたもんかと頭を悩ませるが。
マーガレットが自慢の魔槍を振るい、地に柄を叩きつけ。
「ケトスさま……なんだかんだで、甘々っすからねえ。そこが、いいところなんっすけど……っく……ギルドのみなさん、あたしの後ろに……! 結界を張るんで!」
七重の魔法陣が展開され。
「力よ顕現せよ。我――大魔帝ケトス様の力を借りし者。怠惰なりしも、いと慈悲深き魔猫の君! 我らを守り給え、鉄壁なりし猫の塔!」
『ほう。これは――我の力を用いた魔術か』
マーガレットを中心に、巨大な塔の形の迷宮が顕現する。
嘆きの精神波を魔術的防御で防ぐ結界のようだが、これ……キャットタワーか……。
御猫様が上に乗ったり、爪とぎをして遊んだり、グーグー寝たりする遊具である。
大魔帝である私を介した魔術なのに、まるでネタ枠のような魔術だ。
しかも詠唱に怠惰とか含んでるし……。
いつかの魔女といい。
今回のマーガレットといい、今の人間って、私をどんな目でみてるんだろ。昔はこれでも、血も涙もない魔帝って畏れられてたのに……。
キャットタワーができたことで、変化が生まれた。
図書館ダンジョンにいた魔猫が、わらわらと目を輝かせて群がってきたのだ。
女神の双丘に派遣したはずなのに……図書館の迷宮化が進んでいるせいで、またポップしていたのだろう。
混沌たる猫獣の暗殺者の群れである。
彼らは私の呼び出した幻影黒猫と話をすると。
……どうやら、人間を守ったら人間たちから美味しいごはんを御馳走して貰えると聞いたらしい。
目を輝かせて、尻尾を立ててぷるぷると震わせている。
ぶにゃん!
四重の魔法陣が、幾重にも展開されていく。
魔法陣を組み合わせて効果を増幅させているのだろう。
「精神防御結界? この子たち、わたくしたちを守ってくれるのかしら」
「どうやら、そうみたいっすね。なんか、あとでかなりの量のグルメを要求されそうっすけど。まあ、命には代えられないっすから!」
ダンジョン猫の結界にあわせるように、マーガレットがキャットタワー結界の性質を変化させ、更に強固な結界へと再構築していく。
もはやこれは英雄級以上の腕前だ。
やはり人間は凄い。
だれかを守るためならば、限界以上の力を引き出すことができるのだろう。
が。
「ちょ、ちょっと猫ちゃん! そこに入っちゃダメだって!」
なんか、魔術波動でヒラヒラした軽鎧の中に入られて困っている。
ま、ジャレたくなるよね。アレ。
「こ、こらー! 下着を、ひっぱるなああぁああ!」
「マ、マーガレットさん! お気持ちは分かりますが、今は耐えて結界に集中を! いざとなればわたくしが手で隠しますからご安心ください」
「マ、マスター! そういう問題じゃないっすよ!」
ヒラヒラ下着を抜き取ろうとしているダンジョン猫たち、その攻防を細い手で守りながらナタリーが大慌てで叫ぶ。
横の男どもが顔を赤くしているのがまあ、笑える。
そういやダンジョンに棲む猫って盗みスキル高いし、悪戯好きだしなあ……まあ、私も分類するとダンジョン猫だから気持ちも分からないでもないが。
ともあれ。
これで向こうは安全だ。
一瞬のギャグ空間が生まれたことにより、彼女たちは冷静さを完全に取り戻している。
私は――目の前の敵を見た。
ぅぅおぉぉぉぉっぅぅぅん!
ナタリーが言ったように、これは嘆いていた。
嘆きの吐息を漏らし腕を伸ばして、もがいているのだ。恨みがましく、この世界を呪い憎悪するように、その爪がギシリギシリと無を掻き続けている。
よほどこの世界を恨んでいるのだろう。
その恨みこそが、人間への精神攻撃の元なのだ。
まあ、私は同じ性質なのでほとんど効かないどころか、逆に体力と魔力がメリメリ回復しているが。
ウサギ司書がふよふよと漂いこちらによってくる。
私は百年前の全盛期の姿から今の黒猫モードに躰を戻していた。
一つの考えが浮かんだのだ。
「たぶん、これを倒せば他の黒マナティはおとなしくなりまちね――しかち……何なんでしょうかね、これ。ちょっと異常でちよ」
『まあ……ここまで接近したから、だいたい予想はついたけれどね』
「ほんとでちか!?」
彼女の問いには答えず、私は静かに瞳を伏した。
カウンターを封じられ人間への特攻も封じられた。
そして精神攻撃はもはや完璧に防がれている。コレに、逆転の手はないだろう。
私がコレに近づきその存在を認識したように、コレもまた私の大魔帝としての魔性を認識したようだ。
黒人魚は消される覚悟を決めたのだろう。ただ顔のない貌を震わせ、恨みがましく震えていた。
嘆いて、嘆いて、嘆き抜いているのだ。
その嘆きがあまりにも切なくて――。
思わず私は手を伸ばしかけ。
そしてようやく、気が付いた。
そうか――やはり、これは……。
やってみる、価値はあるか。
肉球を翳し、
『良い手を思いついたよ。君の嘆きも、私が――終わらせてあげよう』
私は十重の魔法陣を展開する。
異界より招かれし異形が漂う空。
荒れ狂う戦場となった天に、今、無数ともいえる大魔帝の魔法陣が生み出された。
人間が、息を呑んだ。
ウサギ司書も――言葉を失っている。
それほどの規模の魔法陣なのだ。
これから私は――勝負をかける。
魔王様に愛されし大魔帝。
ケトスの名に懸けて、その最大の得意技で――この戦いを終わらせてみせよう。




