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エルミガルド上空戦 ~幻影黒猫と童話魔術~


 広がる闇の瘴気。その中は私の領域。

 魔力法則も物理法則も私の支配する縄張りの法則で上書きされる筈だ。


 獣の脚と肉球で空を駆け、接近してみる――。

 じぃぃぃぃぃ。

 この黒マナティ、近くに寄ると結構でかいな。

 貌のない頭部には、苦悶を浮かべる赤子のような不気味な模様が透けて見える。


 んーむ。

 魔王様が五百年前に世界に招き入れてしまった異界魔獣だが……やっぱしこれ、なんかとんでもなくヤバイ死霊なんじゃないだろうか。

 試しに時間を停止させようとするも、時間への干渉をキャンセルされてしまうし。異界の魔王の眷属だったりするのだろうか。

 それか憎悪のエネルギーが沈殿して魔獣化した存在か?


 分からないが……。

 とんでもない量の憎悪を抱え込んでいるのは確かだ。

 いっそのこと眷族や召喚獣として使役できるようになれば、その正体が分かるのだが――それはさすがに無理か。

 ともあれ。

 これならどうだ。


『滅びよ、脆弱なる黒き人魚よ』


 宣言が魔力効果となって発動した。

 敵の中心に顕現する虚無が、その体内を抉じ開け生まれる。相手の体内座標を虚無と入れ替える、必殺の一撃である。


 ィィィィィイン!


 異界の魔物の巨身が軋んで――弾けた!

 よし、効いてるな!

 しかし。


『ふむ……』


 大陸を壊さないように力を抑え過ぎたせいか、ダメージが浅い。

 手加減すれば破壊のエネルギーは漏れないだろうし……。

 色々と試してみるか。

 体勢を崩すその身に向かい、口から放つ魔力閃光を撃ち込む。


『くわぁぁぁぁぁ!』


 続いて、強大な肉球でデコピンするように空を弾き。


『ニャニャニャニャニャ!』


 断続的な魔弾の射手を放出する。

 ズズズズドドドドドドオ!

 断続的に貫く魔力の弾丸が、黒マナティの身を崩していく。

 声にならない悲鳴が、世界を軋ませる。


 おっし、こっちも効いてる!

 ナタリーの嘆きの魔力を盗んだおかげか、攻撃はカウンターされることなく貫通しているのだろう。

 借り物の力なのであんまりドヤれないのがちょっぴり悲しい。


 しかし、やはり大陸を守りながらだと力の加減が難しい。

 べちょりと朽ちた肉塊が地上に降り注ぐ。

 アレが地上に触れればおそらくこの地は憎悪に汚染され、呪われ使い物にならなくなる。


 が、私には頼れる人間の仲間がいる。


『騎士の娘!』

「はいっす、ケトスさま! カバーは任せてくださいっすよ!」


 メイド騎士マーガレットの振るう魔槍の一閃がその塊を打ち払う。

 そう、本当に頼れる仲間が……って!

 え、なにこれ。

 なんか槍からビームみたいなの放ってるんですけど、この子。

 いつの間に覚えたんだ、こんなの。


 そもそもどういう原理だこれ……。

 前に魔剣を授けた騎士君も剣からビームだしてたけど、人間ってそういうの好きなのかな……。

 まあ物理攻撃のようで、この黒人魚にも通用しているが。


 姉のメイド騎士もそうだったが、実戦になると戦闘能力たっか! これ、油断すると勇者とかになるんじゃないだろうな。魔族的には困るんですけど。

 マーガレットは続けざまに、手のひらに浮かべた六重の魔法陣から周囲の人間を守る防御壁を展開している。

 力の制御はもう、ほぼできているのだろう。

 ……。

 いや、後ろの方で人間が何人か魔力波動に押されてすっ飛んでるな。


 ま、いいか。

 後で治してやればいいし。


「こっちは任せてください! ケトスさまはその黒マナティを、どばっとバシっとやっちゃってくださいっすよ!」

「ケトスさま……! わたくしも援護を!」


 ナタリーが空を見上げ嘆きの声を上げる。

 二人に続き、ウサギ司書が人間に向かい宣言する。


「あの黒猫に大陸が壊されないうちに、わたち達もいきまちよ!」


 耳をピョンピョンさせながら、ウサギ司書は自らの手をパンと強く叩く。

 ウサギの周囲の空間が歪む。

 どうやら周囲の次元を上書きしているようであるが。


 これは――相当に強力な術か。

 現れたのは魔力で編み込まれた異次元図書館。

 その本棚から無数の本が浮かび上がる。

 ページは勝手に開きだし、


「我、勇者に愛されし白兎の血族。開け、魔導書庫。我が導くは、異界の書。我が望むはその勇猛なる騎士達の降臨。さあ、戦え、集え! 汝らの物語はいまこの世に刻まれん」


 ウサギ司書の魔術で顕現したのはトランプ状の魔導兵。

 童話魔術アリスマジック

 物語に描かれた出来事を魔術効果として発動させる、汎用性に優れた最高位の魔術である。


 実際、百年前に私もこの魔術を目にしたことがある。

 ――このウサギ司書、あの勇者の関係者だったのか。

 ぎしりと、私の瞳がウサギを捉えるが――今は、それを気にしている暇はない。


 異界の書物。

 童話から呼び出されたトランプの兵には異界属性が含まれている筈。

 隊列を組み空を駆けるトランプ兵が、黒マナティの身を捕える。ウサギ司書もまた、飛行魔術で空をふよふよと飛んでいる。


「いまでち、黒猫さん!」

『滅びよ!』


 再び、黒マナティの中心に虚無を顕現させ。

 その身の防御を完全に無視し、存在を消し去る。


 これでだいぶ量は減らした。

 私もまだ理性を保っている。

 破壊衝動に支配されてはいない。

 トランプ兵の薄いヒラヒラの身体がちょっぴり猫的ジャレたい願望を擽っているが、ぐっと我慢する。

 偉い、さすが大魔帝!


 百年前の全盛期。荒れ狂う異形な獣の姿なのに、なぜかマーガレットが勘鋭くジト目を送ってくるが、気にしない。


 敗北濃厚とみたのか、敵が動きを変え始めた。


「な……っ、黒猫さん! こいちら、わたち達を無視ちて地上を攻撃するつもりでち! あんなのが世界に落ちたら、この地のバランスが崩れまち!」


 人間の群れに向かい黒マナティが突進する。


 死霊の身には憎悪と呪いを伝染させる性質がある。特攻をかける気か。

 私は瞳を紅く光らせ、魔力で世界に干渉する。


『我、大魔帝とし世界の法則を乱すもの。影よ、汝らの主を守り給え。出でよ我が眷族!』


 宣言と共に、私の後ろ足の肉球が世界を叩く。

 一時的に法則を作り変えられた環境で、人間達の足元の影がうねり出す。


 もこもこもこ。

 影が太々しい黒猫の姿を取り始める。

 キシャアアアアァァアアアアアアア! ギニャヤヤアアアアアアアア!

 まあ。

 影を利用したいつもの幻影召喚魔術である。


 ポポポポポンと、黒猫の群れが影からどんどん召喚されていく。

 召喚されたのはお馴染みの幻影の黒猫。


 衛兵たちが声を上げた。


「な、なんだ俺達の影から変な黒猫が……!」

「すごい魔力……っ、これは大魔帝の幻影魔術?」

「なんか――すっげぇドヤ顔してるけど、この子たち、もしかして……大魔帝ケトスの分身体なのか」


 人間たちの驚愕の声でモフ耳を靡かせる幻影黒猫。

 彼らはその麗しいフォルムをにゃふんと誇らしく揺らすと、ビシっと変なポーズをとってドヤ顔。


「あた……っ!」


 それぞれが人間の頭を踏んづけて、空に跳ねて黒マナティを押し返す。

 猫キックの連打である。


「この子たち、ギャグみたいな見た目のくせにとんでもなく高レベルだぞ! これなら、勝てる!」


 やはり物理攻撃によるダメージはカウンターできないのだろう。その漆黒の身体が次々と吹き飛ばされていく。

 しかし。

 人間の誰かが、ふと言葉を漏らす。


「た、助けてくれるのか。このデブ猫たち」


 あ。

 大丈夫かな、こいつら……意思も知性もあるんだけど。

 案の定。

 幻影の黒猫が、ぎししと首を傾げて発言主を振り返る。

 しかし。


「まあ素敵! かわいらしいケトス様がいっぱい! ふふふ、どれか持ち帰っても問題ありませんよね」


 ナタリーが漏らした声に、黒猫たちはニャゴニャゴニャゴと相談をはじめ。

 突進してくる黒マナティを軽くいなしながら密集。

 にゃごにゃごにゃご。

 ぶにゃん、ぶにゃん。

 守るか見捨てるかの相談をしているのだろう。


 そんな猫相談中の黒い塊に、防御結界を維持するマーガレットが苦笑しながら言う。


「あー……そこの麗しい素敵で頼もしいネコさま方、たぶんこの失礼な発言をした人間にもちゃんと感謝の心はあるでしょうし。きっと、事件が解決したら美味しいご飯でも奢ってくれるんじゃないっすかねえ」


 ぶにゃ!

 幻影黒猫たちが猫目をくわぁぁぁっと広げて、ビンと立てた尾を揺らす。

 ふん、と失礼な発言をした人間に軽いキックを当てるだけで許しを与えたようである。


 人間たちは何故か私の分身体と勘違いしているようだが。

 これはあくまでも影猫なんだけど……。

 あんまり似てないんだけどなあ。

 私はもっとスマートでビシっとしてて、理知的だし。

 うん。

 なんか黒猫の一匹がこっそり財布をっていた気もするが、まあ命よりは安いだろうし、いいか――しかもデブ猫発言したの、私を追い出したあのギルドの受付おっさんみたいだし。


 ついつい、見てしまう。

 じとぉぉぉぉおおおお。

 魔王様からかわいいと言ってもらえる我が獣毛を穢しおって!


 そんな私の心に影響を受けたのか。

 幻影黒猫が黒マナティから守るフリをして、おっさんに後ろ足で土煙をぶっかける。

 あ、今度は別方向から黒マナティを蹴り上げた黒猫が、その衝撃で浮かべた砂利をおっさんの方向に流している。

 今度は頭上から砂の粒が。


「いててていてて、ててて! な、なんだこの砂利と砂は!」


 黒猫たちはニャホホホホとドヤ笑いをしながら、黒マナティ退治とおっさんへの嫌がらせを繰り返す。

 あれ、ぜったいわざとだよね。

 ギニャハハハハハハ!

 これぞ因果応報じゃ!

 我をギルドから追い出し、土埃塗れにした報いを受けたのじゃあああああ!

 バーカ! バーカ!

 ざまあみろぉぉおお! ぶにゃははははは!

 ……。

 と、こんなことをして遊んでいる場合じゃない。


 オッサンへの嫌がらせ以外は完璧に人間を守り、守護獣として動いているのでなんかめっちゃ感謝されてるみたいだし、問題なし!

 まあ真面目な話になるが。

 こういうギャグを挟まないと憎悪と破壊欲求に精神を支配されて、うっかり大陸をやっちゃいそうで怖いんだよね。

 うん。

 シリアスが続かないのは、私のせいじゃない。


 私はいまだ空に漂う黒マナティに目をやる。

 そろそろこの戦いも大詰め。

 私も本気を出して、対処しなくてはならない。

 が。

 やっぱり、手加減しながら戦うってのは、どうも苦手なんだよね。


 どうにかして大陸を壊さない様にコレを倒す方法を考えないと。

 私は気を引き締めて――敵を睨んだ。

 たぶん、この黒マナティ。

 最初、私たちが想像していた以上に……ヤバイ存在だ。



 案の定、人間への奇襲を失敗したコレは――次の動きを見せ始めていた。


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