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女王の覚悟 ~気まぐれニャンコな大魔帝~後編



「お聞きなさい、カリュストーンの血で封じられていた異界より招かれし死霊よ。わたくしと、共に参りましょう」


 言葉は魔力持つ嘆きの悲鳴となって、無貌の黒人魚の群れに襲い掛かる。


 ぎぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいん!

 割れるような悲鳴。

 呻く黒マナティの叫びと共に、空が軋んでいく。


「効いている!?」


 人間の誰かが声を上げた。

 嘆きの悲鳴こそがバンシーの魔力攻撃。

 なるほど、たしかに悲鳴……音という物理現象を通しての攻撃ならば、魔術耐性の高い異界の魔物にも直接影響を与えることも可能だろう。

 魔力音に乗せた心が強ければ強いほど、その出力は増す。


 そのせいだろうか。

 声が聞こえた。


「ケトス様。わたくし――あなたに出会えて、本当に嬉しかったのですよ」


 声から、彼女の心が透けて見える。

 嘆き死霊としてうねる髪が、紅い色を纏って踊る。


「けれど、同時に悲しいのです」


 黒マナティはバンシーの嘆きの悲鳴をカウンターで返すことができないのか、困惑したように列を乱して暴れ始める。


「わたくし、気付いてしまいましたの。ケトスさま、あなたとまだお話していたい。同じ境遇を持つあなたと、もっと語らいたかった。そんな恥知らずなわたくしを――どうか許してくださいませ」


 独白の嘆き。

 その心の強さが異界の魔物の表面を溶かして、焦がす。


「わたくしは……!」


 彼女の赤い瞳が、濡れる。

 粒となって、細い雨が降り注ぐ。

 嘆きの声が天候に干渉したのだろう。


 本当にか細い。

 けれど温かい。

 嘆きの雨。

 涙。

 古来より魔女の秘薬にも使われるその雫には力がある。流した者の心を溜め込む魔術アイテムにもなる。


 嘆きの涙が渦を巻いて、逃げ惑う異界の魔獣を包み込む。

 黒マナティを襲う嘆きの魔力が、破裂しそうなほどの密度で膨らんでいく。

 嘆きだ。

 嘆きに黒マナティたちも共感しているのか、その体から涙がこぼれ始めた。


 あの異形の魔物も……泣いている?

 どういうことだ。

 やはり明確な意思が……あるのだろうか。

 いや、それよりも今はナタリーの方が心配だ。


「わたくし! あなたに逢えて、本当に……っ」


 彼女はこちらを振り返り。

 笑った。

 目を奪われてしまう程に、綺麗な微笑だった。

 その口紅が上下する。

 か細い手が、指が――私に向かい伸びた。

 私も思わず、指を伸ばしていた。


『ナタリーくん……っ!』


 届かないと分かっているのに、伸びていたのだ。

 猫の手が見える、猫の爪が伸びる。

 これは――私の視界だ。

 一瞬、違和感があった。

 そうだ――私は……猫なのだ。

 伸びる私の獣の手。その肉球を目にして、彼女は嬉しそうにほほ笑んだ。


「ケトスさま……わたくし――次に生まれ変わる時はあな……た、の隣、にぃ……――」


 唇は最後まで動くことはなく。

 声が途絶える。

 指の先が消えていく。

 彼女という存在が、消えていく……。

 初めから存在しなかったように、霧状の嘆きの魔力へと……溶けていく。


 魔力そのものに存在が書き換えられそうになっているのだ。


 私のネコ耳が、


(ありがとう……ございます、さよう……な……ら)


 揺れた。


 魔力に敏感な私の獣毛が、最後の言葉を聞き取ったのだ。

 後は、このままあの敵と共にこの世界から消える。

 異界魔獣の魔力と彼女の嘆きの魔力がぶつかりあって。対消滅する。


 大陸を壊すことなく、この場を解決する。

 それは彼女が望んだことだ。

 百年の想いを消し去り、バンシーとしての生を終えるための晴れ舞台だ。


 どうせ消えてしまうのなら。

 それが一番合理的なはずだ。

 だから私も見送った。

 なのに。


 ニャァァァァァァアアアアン!


 声が、空に響く。

 大魔帝の声だ。

 つまり私。

 消滅する筈の彼女の身体はそこになかった。


 嘆きの魔力となっていた彼女の身体が、現世へと再臨する。

 ナタリーは自らの瞳の涙を拭いながら、唇を震わせた。


「あら……っ、わたくし、どうして――……」


『まあ――女性を泣かせたまま消えさせたって魔王様に知られたら、怒られそうだから。仕方ないよね』

「え……っ?」


 今、敵の目の前にいたのは。

 そして、嘆きの女王の目の前にいたのは。

 そう。

 私である!


 手を伸ばしてしまったのだ。

 だったら、助けたくなってしまう。それが心なのだろう。


 ジキィィッィイイイイィイイン――!


 異界よりの闖入者の攻撃を魔力障壁で受け止めて。

 弾き返し。

 魔性を意識した私はギシリと口角をつりあげる。


『気が変わったよ、やはり私はどうやら自分の手で魔王様の残したアレを退治したいみたいだ……悪いね』


 消滅の寸前。

 思わず私は、ナタリーと自分の座標を交換転移させていたのだ。

 嘆きの魔力へとなっていた彼女を無理やり再構築し、この世に留めた。


 これは彼女の決意に対する冒涜だ。けれど、何かが私を突き動かしていたのである。

 まあ、私、ネコだし。

 気まぐれなのは仕方ないし?

 きっと、魔王様も同じことをしただろう。


 そう感じたのだから仕方がない。

 私は魔王様の事はなによりも優先するのだから。


 つまりは。

 私はぜーんぜん悪くないのである!


「いったい、どうやって……それに、どうして! わたくしは――!」

『ネコは気まぐれで嘘つきなんだ、まあ、気が変わるってこともあるのさ! ごめんねナタリーくん!』


 肉球を翳し。

 魔力を辿り、バンシーの影を吸う。

 ニヤリと猫の笑みを浮かべて、私は彼女の魔力を奪い取ったのだ。


「え、あ……ケトスさま!? それ、わたくしが溜めた嘆きの魔力!」

『悪いけれど、これは貰うよ! 消えるなんてもったいない事を考えずに、君はそこで見ていたまえ。魔王様に愛されし猫魔獣の本気ってやつをさ!』


 これで自爆特攻のような真似はできないだろう。

 まあ。

 仕方ないよね。


 嘆き死霊ナタリーは、心綺麗な人間だ。

 どうせ消えるのならば、せめて明るい場所で消えて欲しい。

 ギルドのみんなに見送られて、笑顔の中で消えるべきだと思ったのだ。


 黒マナティが闊歩する空。

 商業都市エルミガルドの上空に虚無の端末が滲みだす。

 私は、十重の魔法陣に厚みを持たせ、更に二重に交差させ。


『我はケトス。異界より招かれし憎悪の魂。怨嗟と憤怒より魔性と化した異界の魔獣。大魔帝ケトス也』


 名乗り上げと共に魔術を展開させる。

 私もまた異界よりの闖入者。

 その属性を利用すればおそらく、効率よくダメージを与えることができるはずだ。


 ザアアアァアァアアアアアアアアアアアァァ!


 魔性の霧がエルミガルドを包み込む。

 メキリ、メキリ……っ。

 次元が歪み、私の身体は変貌していく。

 百年前、魔王様を守った大魔帝としての全盛期の姿へとその身を戻したのだ。


 天に、虚ろなる鳴き声が響く。

 嘆きの泣き声ではなく、麗しくも気高き魔王様の愛猫の鳴き声だ。


 くははははははははは!


 世界に、大魔帝降臨の声が響く。

 世界も闇に包まれる。

 荒れ狂う虚無の魔力が雷鳴となって鳴り響く。


『我こそが大魔帝ケトス。我こそが異界より招かれしとこしえの闇。人と魔獣、魔族の狭間に揺蕩う混沌。くくく、ぐははははは! 喜ぶがいい愚かで哀れな異界よりの闖入者よ。汝らを滅するために我は再びこの世界に降臨してやった。意思なく暴走する破壊の種よ、我は嬉々として汝らを滅ぼそう』


 ぎろりと人間の群れを目にし。

 私は咢を蠢かす。


『人間よ。我は極力世界を破壊せぬようにアレを消す。漏れる力、揺蕩う憎悪の破壊。汝らの力で世界を守って見せよ』


 ようするに。

 加減するから逸れた攻撃は人間の方でなんとか守ってね!

 という宣言である。

 マーガレットが、叫んだ。


「やっちゃってください、ケトス様! ほら、みんなもちゃんとケトス様を応援しないと駄目っすよ!」


 彼女の言葉に、周囲の人間がビクっと身体を震わせ全力で私を応援し始めた。


 頼む、ケトスさま、この子なんとかして!

 そんな悲鳴が私の魔性の耳を揺らす。


 ん……? 世界をなんとかしてじゃなくて、この子を?

 ……。

 私よりも人間の彼女の方に怯えるって。

 ねえ、本当になにやらかしたの、この子……。


 憎悪と魔性の全盛期大魔帝フォルムのまま、ちょっとジト目で見てしまうが。

 ともあれ。

 人間のため。

 嘆きを謡う一人の弱き魂のために、私はこの地に顕現した。


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