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女王の覚悟 ~気まぐれニャンコな大魔帝~前編


 魔術攻撃をカウンターしてくる異界の魔獣。

 黒人魚の群れが商業都市エルミガルドの上空を闊歩する中。

 大陸を壊さない様に穏便に対処するべく、私たちは頭を捻らせていた。


 私はナタリーに猫目を向けた。


『なんとかといっても、アレはこちらの攻撃を受け止め反撃してくるタイプの厄介な相手だ。そう簡単には』


 彼女はすぐには答えずに、ただ静かにおっとりと微笑んだ。

 自らの胸元に細い指をあて、言った。


「アレは魔王……様が招き入れてしまった世界の狭間に漂う死霊。その正体は残念ながらわかりませんが――私達の世界の魔術法則から一つズレた場所に存在する、だから魔術による攻撃が通じにくい。それは確かですわよね?」


『ああ、だから倒そうとするなら物理法則での攻撃しかないんだが……上空に漂っているから物理による攻撃が届きにくい。飛べる私が本気でアレを滅ぼそうとすれば、少なからずこの大陸に傷をつけてしまう可能性がある――ちょっと大陸が壊れてもいいなら話は早いんだけど』


 ま、ちょっと前の私ならたぶんそうしたんだろうな。

 ともあれ。

 かといって人間たちを浮遊させて戦わせるとなると――たぶん、あの黒マナティも反撃してくるだろうしなあ……。

 袋叩きにされるのがオチなのと。

 それに。

 私は上空の黒人魚の群れを見る。


 たぶん、アレ。

 精神力の低い人間がちょっとでも触れると、精神を汚染されそうな気がするんだよね。

 視界に感知するだけで猫毛がぞわぞわするのだ。


 例えるなら。

 仄暗い水の底を覗くような、ホラーな感覚が脳裏を震わせるのだ。

 この私ほどの魔性が、コレを危険と判断しているのである。

 大魔帝でこれなのだ、精神防御の未熟な人間が接近してしまうとどうなるかは、うん。下手をすればアレの眷属として存在を上書きされてしまう可能性も高い。


 ようするに、あの黒マナティのように存在そのものが切り替わり完全に仲間にされてしまうのだ。

 魔王様が封印を選んだほどの異形な闇なのである。

 油断はしない方が良いだろう。


 ここは一旦、魔王城に戻って援軍でも呼ぶべきか……。


「つまり暴走しないで、膨大な物理エネルギーを空に飛ばせる者ならばアレをどうにかできる、というわけですわね」

『その通りだけど。人間じゃ無理だよ。アレに近づくだけで精神を乗っ取られる可能性もある』


 ナタリーは細い指を口元にあて。

 深く考え込む。


「あれは――嘆いています。理由は分かりませんが……嘆き死霊である、わたくしと性質が微かに似ている気がするのです」


『似ている? 私にはそうは見えないけれど……』

「おそらく、嘆きという属性に共通点があるのは確かだと思いますわ。だって死霊なのでしょう? アレは。嘆かずに死霊になれるとは思えませんもの」


 ふむ。

 私は憎悪の魔性だが。ナタリーは嘆きの魔性。

 空に浮かぶアレに関しては私よりも詳しく感知できるのかもしれない。


 彼女は紅い嘆きの魔力を放ったまま空を見上げる。

 ナタリーが、声を上げた。


「あなたたちも、悲しいのでしょう!」


 返事などあるはずがない。

 そう思っていたのに。

 ぅぉぉぉぉぉぉぉぉん……。

 黒マナティが、嘆きの声に唸りを返してきた。


『君の嘆きに共鳴を示している? アレには意思か……または本能のようなモノがあるのか』

「ええ、この世界をとても恨んでいます。だから――きっとなんとかなりますわ」


 意思があるとすれば、取れる手段は増える。

 ダメ元で挑発をしてみるか。

 それとも魅了や傀儡の魔術を試してみるのも……。

 しかし接近するとなると、ここの守りがおろそかになるが……。


 ぶにゃああああああ! やっぱり加減をして敵を倒すのって面倒すぎる!

 昔は、ババっと滅ぼして、ドカーンとぶっつぶして終わり!

 で、済んでたのに!

 悩む私の頭を、誰かの手が撫でる。


 嘆き死霊の女王(バンシー・クイーン)、ナタリーだった。


「わたくし、あの子たちがかわいそうに思えるのです」

『いやいやいや、それは優し過ぎるというか……まあ、君は確かにおっとりで誰にも優しそうなところはあるけど』


「だって五百年も……眠っていたのでしょう? 死霊としてこの世界に留まるほどの何かがあったのに、その目的を果たせずに彷徨っているだなんて……わたくしなら、切ないですわ」


 眠っていたのは、可哀そう。

 か……。

 まあ、そういう考え方もできるか。


「抱っこさせていただいても?」

『いや、そりゃ愛らしく麗しい私をモフモフ抱っこしたくなる気持ちはよぉぉぉおおおっく分かるけど、突然どうしたんだい』


「あら、かわいらしい猫様を抱っこしたいことに理由など要りますでしょうか?」

『なるほど、実になるほど』


 まあしょうがないにゃ~、と。

 猫毛を歓喜に膨らませた私はジャンプしてその腕の中に入り込む。

 モフモフな私の身体をぎゅっと抱きしめて、彼女は小さな吐息に声を乗せた。


「わたくしのやることを、容認してくださいますか?」

『改まった言い方をして、なにをするつもりなんだい』


「わたくしは――どちらにしても間もなく消えてしまいます。でしたら、最後ぐらいはお世話になった殿方のためにこの命を燃やしてみたい。そう思ったのです。だから、その前に……」


 囁きが私の耳を揺らした。

 聴覚に鋭い私ですら聞き取れない、か細い声だった。


『今、なんて言ったんだい?』

「うふふ、内緒です」


 言って。

 彼女は私をゆっくりと下ろすと、歩き出す。

 その足跡は紅い魔力の痕跡を残していた。


 次の瞬間。

 ――……!

 大魔帝である私ですら、一瞬驚愕してしまうほどの強大な魔力が生まれ始めた。

 バンシークイーンとしての赤き魔力を本気で解き放ち始めたようだ。

 魔性としてのキングクラス。この世界での最高格の証、女王種としての本来の力なのだろう。


 たしかにこれほどの尋常ならざるエネルギーなら、アレですら押し返せるだろうが。

 これは――。


『ナタリーくん、君……このまま魂を燃やし尽くして消えるつもりなのかい?』


「さすが大魔帝ケトスさま。なんでもお見通しですのね」

『いや、これはさすがに誰でも気付くさ……』


 そうか――……だから、最後に抱っこしたかった……というわけか。


 おそらく、本当の意味で。

 これは人間の持つ最後の灯火。

 燃え尽きる最後の一瞬。その燃え上がる魂を、力へと転化させているのだ。


「嘆きの属性が同じならば、わたくしの声は届く――声が届けば……わたくしはバンシーですもの、嘆きも悲しみも知っています――だから、きっとアレを道連れにだってできますわ」


 それは確かにそうだ。

 けれど。

 彼女をいかせて、いいのだろうか?


 ふと彼女は私を振り返り。

 ぽっと顔を赤く染める。


「ケトス様……あのぅ……その。あの時のお約束、どうか忘れないでくださいね」

『約束?』


 ああ、と答えて格好よく送り出したい所だったか。

 私のネコ頭はぶにゃんと首を傾げ、問い返していた。


「まあ、もう忘れてしまったのですか! わたくしのことをどうか……忘れないでください! そう約束したじゃありませんか!」


 ぷんとちょっと怒った仕草をしてみせる。


「わたくしを覚えてくれているのなら、喜んで、アレを倒せますのに。もう、ケトスさまったら意地悪なんですから!」


 もはや、決意は固いのだろう。

 これを見送ってやるのも、優しさか。

 人生の最後になにかおおきなモノを残したい。

 そう願うのなら、これは絶好の機会なのだ。

 彼女にとって、百年以上も彷徨ったこの街には思い入れもあるだろう。

 それを私が止めていいとは……思えなかった。


 少しだけ、胸の辺りが変だ。

 止めるべきではないと分かっているから、こう答えるのに。

 私は苦笑を猫の吐息に乗せて答えた。


『あの時も言っただろ。私の自慢のネコ毛を穢した冒険者ギルドの長を、忘れるはずないさ。君の雄姿を、絶対に私は忘れないよ』

「ありがとうございますわ。わたくしの最後の仕事。どうか見ていてくださいね」


 なぜだろうか。

 私の胸がズキリズキリと痛んでいた。

 掻きむしりたくなるぐらい、モヤモヤするのだ。


『あの、ナタリーくん……っ』

「それ以上は、仰らないでください。わたくし、そのお気持ちだけで嬉しいのですから」


 彼女はまた微笑み。

 小さく、しとやかな会釈をして見せた。

 両の手を開いた彼女の身体が宙に浮かぶ。


 指先からは紅い魔力が、燃えるように赤い瞳からも魔性の魔力が並々ならぬ出力でうねっている。

 彼女は嘆き死霊の女王としての力を発動し始めたのだ。

 周囲の嘆きを力としているのである。

 世界に漂う嘆きをバンシーの性質を利用し、人としての器の限界を超えた魔力へと転化しているのだろう。



 この魔力なら、たしかに――いけるかもしれない。

 けれど。

 本当に、いいのだろうか?

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