肉球の道程 ~大魔帝と歩みしモノ~
我が側近、炎帝ジャハル君と心を通わせた空間。
深層心理から作られた世界。
ドリームランドに揺らぎが発生していた。
それは我が君。
大魔帝ケトスたる私の恩人にして、いと慈悲深き方。
魔王陛下の気配。
カタカタカタと思い出のフィルムが回る中。
あの方は顕現していた。
後光を纏う、美しい造形の人型の魂がそこに佇んでいたのだ。
そこにいたのは、神父姿の私とそっくりな聖人。
第一世界で人々を救済していたあのお方。
転生なされた尊き方。
ぱちぱちぱち、拍手の音がした。
称賛するように私を眺める魔王陛下が口を開いた。
「おめでとう、ケトスの中の一柱。魔たる君もまた、こうして伴侶を得られたこと――キミを愛するワタシも、とても嬉しく思っているよ」
私は頭を下げ、ジャハル君も控える形で一歩下がり。
頭を下げる。
『ありがとうございます陛下。それでいったい……何用で』
魔王陛下が何の理由もなく、ここまで入り込んできたとは考えにくい。
「そうだね。なら告げておこう、ワタシの考えを聞いてくれるかい?」
『無論でありますが』
言葉を悩む私はジャハル君と目線を合わせる。
どうやら私達への祝いを述べに来ただけではない。
そんな空気だからだ。
魔王陛下がゆったりと瞳を閉じ。
そして、赤くなくなっている瞳を開いて、私を見た。
絶念の魔性としての力は、既に消えているのだろう。
その代わり、今の陛下は神聖で優しい力で溢れている。
人間だった私が慕っていた、あのお方。
神のオーラを取り戻していたのである。
これもまた一つの分岐点。
陛下は決意した様子で、穏やかに微笑んだ。
「ワタシはね――ケトス。一度第一世界、つまり魔術のない始まりの地へと戻ろうと思っているのさ」
『魔王陛下が、でありますか!?』
「うん、そうだね。驚いてしまうよね」
私は聖母達の考えに従うつもりはなかったが、第一世界については思うところがあった。
あそこを新たな楽園とする黒いマリアの計画は論外としても、純粋に救おうとしていた白いマリアの考えには一定の理解を示していたのだ。
けれど、それは私の手でなんとかするつもりで、陛下の手を煩わせるつもりはなかった。
だが。
陛下はまるで神父モードの時の私のような、憂いある微笑を浮かべ。
「聞いておくれ、ケトス。ワタシはね。転生する前の記憶はもう残っていないが、それでも魂が訴えているのかな? 少し、落ち着かないんだ。きっと、キミはワタシを心配し、ワタシを想い名を封じてくれていたのだろう。けれど、もういいんだよケトス。ワタシは十分に楽しんだ、安らいだ。だから――あの世界に帰り、困っている人を助けたいとそう思っているんだ」
転生前の記憶を取り戻した。
というよりは、聖母に聞いたといったところか。
私は言う。
『お言葉ですが魔王陛下、あなた様は既に多くの人を救いました。もはやあの地は、あなたの加護がなくても自立している領域。あなたさまが再び、心を砕かれることはないのではないか、我は心からそう……思っているのでありますが』
「前のワタシなら、そう思ったのかもしれないね」
『前の陛下……でございますか?』
魔王陛下はゆったりと瞳を閉じ。
魔の王たる魔力の衣を纏い、穏やかに告げる。
「キミは様々な冒険、様々な出会いを果たし成長したね?」
言われて私は――。
いや私達、ネコと人と魔の我らは――。
それぞれに人々の顔を思い浮かべる。
私は隣で仕える炎帝ジャハル。
我が伴侶を眺めていた。
『仰る通りであります、我らは変わり、成長しました、それがどうしたというのでしょうか?』
「キミたちが成長したように、ワタシもまた心を成長させたという事さ」
まあ、力自体は前より弱体化されてるけど。
と、冗談を言うように笑って。
魔王陛下は私の顔をじっと見る。
「転生前のワタシはもっと強かったのかもしれないね。そして、だからこそ理解してしまった。この世界、魔術があるとされるこの多次元世界を作り出したのも、きっとワタシなのだろう」
……。
『確かに、魔王陛下があのお方ならば――それも可能でありましょうな』
「だろうね。きっと、救世主だった過去のワタシは思ってしまったのだろうね。自由気ままに生きる猫でも見てしまったのだろうか、それとも人間に従う犬を見てしまったのか、或いは牧場で暮らすニワトリを見てしまったのだろうか。ほんの一瞬ね、きっと考えてしまったんだ。願ってしまったのさ。たまには休みたい、と」
その願いを叶える力が、魔王陛下本人にはあった。
そこで異世界宇宙が生まれ。
その魔王様を産む聖母が生まれ、魔王様がお生まれになられた。
そして魔術が発生した。
私が思い描いていた仮説とも、差はあまりない。
「魔術のない世界で、唯一そういう力を持っていたワタシが――うっかりと休息を願ってしまったわけだね。こういっては何だが、ワタシは本当に全知全能ともいえる存在だったからね。願いを叶えてしまったのだろう。それこそが楽園、ワタシたちの世界……正確に言うのならワタシという異物をきっかけに魔術式が発生した世界、だったんじゃないかな」
つまり、この世界は魔王様の創造物。
信仰を集め救世主であった陛下が、一瞬思ってしまった。
絵空事。
救世主を休みたいという願い。
それがこの世界の真実だったのだろう。
とはいっても、別に私達の世界が絵本や空想の世界という事ではない。
ちゃんと実在する、物理法則と魔術式に支配された世界に違いはない。
観察するためのアリの巣を作っていたら、うっかり自分もその中のアリになってしまった。
ちょっと違うかもしれないが、そんなニュアンスに近い感覚なのだろう。
全ては魔王陛下の力が、偉大過ぎた影響のせい。
本当に、休みたいと願ったのは一瞬だったのだろう。
けれど。
その一瞬の願いを叶えるほどの力が、転生前の陛下にはあったということだ。
まとめるとこうだろうか。
癒しを得るために楽園が作られ――そして、魔王陛下はうっかり、自らの願いを叶えてしまい。
全てが変わった。
今の魔王陛下へと転生なさった。
そして、転生前の陛下を真似た存在である私もまた。
この世界に導かれていた。
細かい部分は違うだろう、ちゃんと研究すれば齟齬もでるだろう。
けれど、大筋はたぶんあっている。
「理解できたようだね。だから、これはワタシの責任だ。あちらを少しの間、離れてしまっていたわけだからね。もう帰らなくてはならない。君も住んでいた、あの遠き青き星にね」
『不要です、陛下。僭越ながら申し上げます。あの地を救うのは、我が愛しき者達との子。つまり次の世代の強き子達に任せるべきであると、我は具申いたします』
魔王陛下が瞳を細め、低い声を上げる。
「ケトス。キミは、自らの子にそのような責務を負わせるつもりなのかい……?」
『マリアがいったように、もしあの地が今、なんらかの原因で危機となっているのなら――我も我が子と共に参りましょう。我は命を育てます。かの地で、我は子を育てましょう。我が子らの成長を眺め、救世主となるのならば子に任せ、ならぬのなら――我があの地にとどまり世界を平和にする。かつてのあなたがそうなさったように』
勝手に話を進めている私の横で、炎がボゥっと浮かんでいる。
ぎゅっと私のモフ毛を握り。
私の言葉を肯定するように、ジャハル君も瞳で頷いてみせていた。
彼女も決意が固まっているのだろう。
魔帝としての顔で、凛々しい顔……ではなく。
あわわわわっと目をぐるぐるさせて……ん?
「こここ、こどもって、な、何人ぐらい必要なんすかねっ!?」
『お、落ち着くのだ我が側近よ!』
あ、具体的な話になったから。
ジャハルくん、めちゃくちゃ動揺してる!
愉快そうにニヤニヤと私達を見て、魔王陛下が魔術式を提示しながら。
「古き神々。楽園の生き残りであるワタシたちが出した結論は、三人。まずはずっと大魔帝を支え続けた炎帝ジャハル、つまりキミとの子。次に猫たるケトスと共に、野良猫の愛を育んだ焦げパン色の君との子で二人。そして、先代勇者と死した魔王の転生体との娘、勇者ヒナタとの子。遠き青き星を救うならば、それぞれが一人ずつ必要だと計算結果が出ているよ」
私はちょっとジト目になる。
『確かに我らはその者達に心を動かされているでしょう。しかし……いや、陛下、楽園の住人が集まり我らの子について勝手に決めているというのは、んーむ……どうなのですか?』
「だから悪いと思って、ワタシがあの世界に帰るというプランを先に提示しただろう? キミが名を返してくれて、ワタシが帰れば。そう、全ては丸く収まるのさ」
なるほど。
魔王陛下が戻られるか、私と私の子が向かいあの地を救うか。
選択せよ、ということだろう。
まあ前に私が聖母に提案した意見。
既に救世主の手を離れた世界として、見守る。
つまり、現地の者達を信じるという手もある。
『問題がいくつかございます。よろしいでしょうか?』
「ああ、構わないよ」
『まずは、陛下がこの世界からいなくなってしまう場合のリスクでありますな。陛下がいなくなることで魔王軍の戦力は低下、統率力にも大きな低下が見込まれます。もはやそのような者はいないでしょうが、反乱や、人間たちによる魔族への迫害が起きる可能性があります』
ま、まあ……今の我らと人間は共生している。
万が一にもそんな可能性はないだろうが。
「その顔を見る限り、その可能性が低いということは君が一番わかっているようだね」
『まあ……人間たちとの友好関係が崩れるとは……ないなぁ……と。グルメを通じ、そして今やダンジョン領域日本から流入した文化を通じ、平和な世界となっておりますからのう……。なれど、万が一という可能性はあります故。第一世界と今のこの世界。どちらを優先させるかとなれば、我は迷わずこちらを選びたい。そう思っているのですよ、陛下』
真面目な話なのに、魔王様はやはり面白がる顔で。
「それはそうだろうね。何しろ三人のお嫁さんができているんだ、そりゃあこの世界が大事だろう。うん、ワタシのケトスもやっと成人、自立したってことかな?」
こほんと咳ばらいをし、私は続ける。
『次に問題になるのは、おそらく我が寂しくなってしまう事です』
「おや? キミは伴侶を得た。そしておそらくネコのキミも神父のキミも伴侶を確定させるだろう。どう考えてもくっつくだろうというのが、ワレら古き神全員一致の見解となっていたからね。キミはもう一人じゃない。もう、あの日のように寂しくなんてないんだろう?」
私は首を横に振っていた。
『魔王陛下は別枠であります。我は必ず、あなたを追ってそちらの世界に向かってしまうでしょう。おそらく、暴走した状態で。魔王陛下こそが我の一番、それだけはけして変わらぬ偽りのない心なのであります』
「嬉しいが……そこは成長していないんだね……」
『ぐははははははは! 魔王陛下こそがわが命! それは魔猫の我も、神父の我も、そしてこの我の心も変わりませぬからなあ!』
よーし、言い切ってやったのである!
『つまり――です。一時的とはいえ、魔王陛下も我も魔王城から抜けてしまう状態になるでしょう。となると話が色々と変わってしまうのではないか、我はそう思うのであります』
「続けておくれ」
頷く私の咢が動く。
『象徴たる魔王陛下がお隠れになり、魔王軍最高幹部たる我がいなくなったら――必ずや悪事を働く者が現れましょう。悪しき古き神の残党。人の心より生まれし魔竜。心を暴走させた魔性。脅威はさまざまにあると、そう思わずにはいられません。たしかに遠き青き星は心配であります、なれど――我らの世界もまた、心配なのでございます』
語り終えた私に、魔王陛下は頷いた。
「そうだね、君の推測は正しい。おそらく悪しき存在は必ず発生する、心がある限り、考えが分かれる限り必ず争いは発生する。たとえばキノコがどうとか、タケノコがどうとか。結論の出ない、血で血を洗う戦争が起こる可能性は大いにある」
『どちらも自らを正義と信じる、悲しき争いでございますな』
それは、私ですら魔王陛下と意見を交わすべきではないと思っている、グルメ戦争。
説得力の塊である。
私と魔王陛下が、うんうんと頷いていると。
なにやらギャグ空間の空気を察したのか。
ジャハル君がなんかものすっごいジト目を強化して、こちらを呆れた様子で眺めていた。
ともあれ、私は言った。
『故にこそ。魔王陛下がこの地を離れるということが、後の戦争につながる可能性があるという話になります。無論、タケノコとキノコの話はおいておくとして。悪しき神や魔竜が悪さをするリスクが跳ねあがる――とそう思うのであります』
「そうだねキノコとタケノコの話はおいておくとして」
タケノコを強調する私に、陛下がキノコを強調する中。
互いにこれ以上踏み込むことはせず。
「ケトスは心配性だね。もし強大な敵が現れたとしても問題ないと、ワタシは思うよ」
『どういうことですかな?』
「それは、魔帝ジャハル君の、このドリームランドが証明しているじゃないか」
言われた意味が分からず、私は周囲を見渡す。
猫……のことを示しているわけではないだろう。
ならばいったい。
そう思って、さらに周囲を見る私の瞳は映像を捉えていた。
それはコマ送りのジャハル君の記憶映像。
思い出だ。
『これは――ああ、そういうことでありますか』
「そうだね、理解できたようだね」
陛下も、コマ送りの映像に目をやった。
ジャハル君が報告書、全てに目を通している姿だ。
長い冒険。私の冒険散歩の歩みを記した、報告書――記録クリスタル。
報告書をチェックする映像のジャハル君に声をかける者が大勢いた。
冒険の中で出逢ってきた強者たち。
敵だったモノもいる、かつては弱者だったモノもいる。
一度、戦いの末に殺めてしまったモノまでいる。
けれど、皆が皆。
微笑んでいた。
私の冒険散歩の記憶、報告書を、眺めに来ていたのだ。
ジャハル君が言う。
「そうっすね――魔王陛下がいらっしゃらない時も、ケトス様がいない時でも……きっと、これだけの仲間がいるのなら」
『ああ、そうであるな。我はこれまでの旅路で多くの仲間を得た、友を得た。心に触れてきたのであったな』
肉球を伸ばし、私はジャハル君の思い出を眺めていた。
魔王陛下が言う。
「ケトス、我が愛しき魔猫よ。キミは多くの強者を仲間にした、信頼を得た。今度は少し、彼らに頼ってみるのもいいんじゃないだろうか」
そう。
陛下が第一世界に戻られても、追った私が第一世界で暴れても。
いや、暴れるかどうかは分からないが。
とにかく、陛下と私が一時的にこの世界を離れても、彼らがいる。
『そうで――ありますな』
「キミは本当に成長したね。ワタシはとても嬉しく思う……」
魔王陛下が手を差し伸べられる。
「ワタシは先に、第一世界に帰るよ。しばらくしたら……ケトス、キミはこの世界で愛を育み、生まれた愛しき子らと共に――第一世界に遊びに来ておくれ。おそらく第一世界の存在であるキミと、キミの子供という因があればキミも第一世界に戻ることができるだろうからね」
『それが古き神々の会議の結論、でありますかな』
告げる私に、陛下は悪戯そうに笑う。
「いいや、ほとんどワタシひとりの意見だよ? 魔を統べる王たるこのワタシが、他の古き神どものいう事なんて聞くわけないだろう?」
つまり。
自分の意見をごり押ししたのだろう。
「さて、ここでキミに大事なお願いがある」
魔王陛下がなぜか頬に汗を浮かべている。
これは、私がやらかして肉球に汗を浮かべている時に似ている。
私と陛下は、けっこう性格も似ているので、よくわかる。
ズズズズっと眉間にシワを寄せ。
獣の鼻からスピっと息を漏らし、私は咢を蠢かした。
『で? 魔王陛下、一体何をやらかしたのですかな?』
「い、いやあ……それがさ。今の話じゃなくて、もっと前の段階での話なのだけどね? まさかキミが女性に対し……こんなに素直にというか、愛に対して、朴念仁コースじゃなくて真っ向勝負をすると思っていなかったからねえ」
ハッハッハハハっと笑顔たっぷりで。
面白がった顔で、陛下は続ける。
「吊り橋効果を知っているかい?」
『それはまあ。知っておりますが――緊急事態や、恐怖への心拍の鼓動を恋の鼓動と錯覚する現象、でありますな』
たとえば世界を救った勇者と仲間冒険者がくっつきやすかったり。
逆にラスボスと英雄が恋に落ちやすい理由も、これが原因だったりするらしいのだが。
いったい、なんの話なのだろう。
「そう、本当というか、ワタシたち楽園の住人の予想だと、キミも朴念仁。どうせなかなか素直にならないだろうと思ってだね? 実はこの夢世界そのものが、我らの仲人。ケトスとジャハル君! 恋のドキドキ夢世界ツアー! ということで、強敵を色々と用意していたんだよ、うん」
ドリームランドの扉から。
次から次へと暗黒神話の生物が湧いてくる。
『つまり、陛下はここに魔物をしかけていたと?』
「苦労しながら倒しているうちに、愛を自覚するかもしれなかっただろう?」
この私をそこそこ苦戦させる予定の敵を用意していた。
ということだろう。
いや、マジでなにやってるんだろう、陛下を除く楽園の残党ども……。
「はははははは、で、ちょっと困ったことがあってね。計算外だったせいか……ワタシは召喚に力を割いてしまっているからね――あまり本気をだせない、みたいな?」
『はぁ……分かりました。陛下の不始末は我の不始末。我がなんとかいたしましょう』
言って、ざざ、ざぁああああああああああぁぁっぁあ!
力を纏い。
ジャハル君を全盛期モードの瞳で眺め。
『我が伴侶よ! 陛下の安全を頼むぞ!』
「はい、ケトス様。全て滞りなく、あなたの第一の側近、炎帝ジャハルこと妾にお任せください」
ジャハル君が女帝モードになり、恭しく礼をしてみせる。
魔王陛下は愉快そうに微笑みながら。
夢世界に持ち込んだにゃんスマホで撮影を開始している。
これ、絶対にわざとだよね?
第一世界に帰る前に、我が愛しきニャンコの活躍写真が欲しい!
そんな計画で、この襲撃作戦を決行したと思うのだが。
実際はどうなのか――。
ともあれ私は、陛下と伴侶を守るべく。
湧き続ける敵たちを殲滅し続けたのだった!




