聖夜の宴 ~人の速度と、肉球の速度~後編
聖夜の宴での一幕。
魔王軍最高幹部――大魔帝ケトスたる私は黒衣の異装、神父姿でかつての敵と語り合っていた。
司書ウサギが白い獣毛を揺らし言った。
「まあ、あたちとしては――あんたしゃんが勇者様のパートナーとなってくれることを歓迎しまちけどね。最強の後ろ盾が手に入るわけでちから」
『そういう関係にならなくても、既に守っているさ』
ゆったりと赤き瞳を閉じ――。
魔性の輝きを前髪で隠したまま。私の言葉は空気を静かに揺らしていた。
『私は正直ね――愛や恋と呼ばれる感情のことがよく分からないんだよ』
人間だったときも、私は酷く歪だった。
結局――私には感情と呼ばれる概念がいまいち理解できていなかった。
ネコとして転生した時、初めて私は愛を、心を知ったのだ。
感情と呼ばれるモノの在処が、私にはどうしてもわからなかったのだ。
感情とは何なのか。
脳内の化学反応に過ぎないのか、それとも心と呼ばれる器官があるのか。
いつも誰かの真似をして、笑う時も悲しむときも、他者という見本を観察し模倣していた。
司書ウサギが、すぅっと瞳を細め。
真剣な顔で私に告げる。
「あたちはその病を知っていまちよ」
『病……?』
彼女は様々な異界の書を収集している司書。
そういう事例を知っている、ということだろうか。
「中二病……でちね?」
『……たぶん、違うと思う』
この外道ウサギ。
要らん知識をもってやがるな。
ジト目で睨む私に、頬をクチっと緩めウサギは先輩オフィスレディのような貫禄さえみせ。
「守りたいと思う感情があるのなら、それでいいんじゃないでちか?」
『けれどその感情すら、魔王陛下への忠義の延長かもしれないだろう?』
「はぁ……面倒くさい男でちね……」
呆れた様子でケッとうさ耳を跳ねさせ。
トントントンと地面を足で叩き――。
まるで朴念仁を見る顔でウサギは言う。
「そのモヤモヤを直接ヒナタしゃんに話せばいいんでちよ」
「そうじゃのう、先ほどから聞いておれば――ふふ、大魔帝殿も存外に自分自身の心の機微には疎いと見える」
声をかけてきたのは、砂漠の王族カトリーヌさんである。
金の髪と装飾を輝かせ、美女顔を赤く緩めて私をニヤニヤとみているのだ。
たぶん、もう結構酔っているのだろう。
その後ろ――猫ミミ猫しっぽの目立つ武骨戦士君と、護衛女傑さんが私に頭を下げていた。
特に武骨戦士君のしっぽは、緊張で左右に揺れている。
これ、既にいろんなところで絡んできたな……。
『カトリーヌくん、どれだけ飲んでいるんだい……?』
「どれだけ? どれだけとは……はて、どれくらいであったか。ふふ、まあよいではないか。今宵はめでたい宴、統治者たる妾が酔わねば民も安心して酔えぬ――これは重要な仕事じゃぞ?」
それを踏まえたとしても飲みすぎなのだろう。
護衛達はおもいっきし頭を抱えている。
シルクのような白い肌を輝かせ、うっとりと酔ったまま女王は言う。
「大魔帝殿は外なる神の中でも、偉い立場の人間なのであろう?」
『人間といっていいかは分からないが、まあたぶん、ナンバーツーではあるだろうね』
一番は魔王陛下だし。
次に偉いのが猫なんだから、そのネコの神で王の私が二番。
それは間違いない。
「ならば! ぱーんと! 乙女の心に応えるべきであろう! 偉い人物が行き遅れているとっ、家臣どもが先に婚姻できぬとうるさいのでな! そなたが部下のためにも、身を固めることもまた、組織の長の、あれだ、あれじゃ、うっく、なんであったか……まあ、あれなのじゃ!」
完全に酔っ払いである。
私と司書ウサギ君が反応に困る中。
武骨戦士君が、糸目を崩して……大きなため息を漏らす。
「すみません、ケトスさん。どうやらヒナタさんが気持ちを打ち明けたことが嬉しいらしくて、ずっとこの調子なのでありますよ」
『まあ、カトリーヌくんはヒナタ君の恋心から生まれた存在らしいしねえ……』
白い肌にお酒の赤みを浮かべたまま。
女王は薄目で私を視界に入れ。
「とりあえずじゃ! こんなところでウダウダしてるのは男らしくないじゃろうっ。誰か! 大魔帝殿を夢見る乙女の前にっ、連れて行くのじゃ!」
酔った女王の後に、続いて女性陣も咎めるように私を見て。
「そうでちね、どんな結果になるにしても、今ここでウジウジされても面倒ですち」
「では、わたくしが失礼して――即席転移魔術:《邪猫降臨逆流譚》」
ぱちん!
タコ貴婦人のクティーラさんの魔術が、私の身体を闇へと包む。
これはザクロの中か。
おそらく、私をパーティーメンバーと認識することにより、邪神召喚の力を逆流させたのだろう。
視界が一瞬、ブレて――。
ざばぁぁぁぁぁぁぁあ!
弾けたザクロの中から、私は顕現。
別の場所に転移させられていた。
◇
静かなる場所。
穏やかなる空気。
外気のせいか、吸う空気は少し冷たい。
ここは会場のテラスフロアだろう。
夜景を楽しめる聖夜スポットも作ってはいたのだが。
ザクロの実から飛び出た私は、文句の一つでも言おうと振り返るが――。
「いきなしマジックみたいにでてきて、なにやってるのよ……ケトスっち」
『ヒナタくんか、驚かせてすまない――どうやらクティーラくんに変則召喚をされたようだ』
今のヒナタ君は砂漠のお姫様の恰好をしていた。
ヒラヒラ部分もジャレたくなる、プリンセス衣装。
私がこの世界に来た彼女に授けた服である。
聖夜の輝きの中で改めてみると、やはり美少女ではある。
瞳の大きな、愛嬌のある顔立ち。
この世で最も麗しい魔王陛下と、顔の造形は整っている我が宿敵との子どもだけはある。
その性格は、まあ破天荒だが。
「ケトスっちを召喚って、それ絶対にあの二柱か魔王陛下も噛んでるんじゃない?」
『だろうね。私と君を二人っきりにさせたいんだろうさ』
告げて私は、周囲からの干渉を遮断。
盗み見を妨害した――筈だったのだが。
次から次へと、干渉の魔術が飛んでくる。
聖夜に浮かぶ小さなお星さまを想像してみてほしい。
その星が全部、盗撮カメラだとするとどうだろうか。
まさに今、そんな状況なのだが。
魔術の波を感じたのは私だけではない。
ヒナタ君は、うぬぬぬっと額にイカリマークを浮かべ。
くわッ!
「って、ちょっと!? 誰かが見てるわね!?」
『大いなる光に大いなる導き、魔王陛下に三毛猫魔王様。他にも魔性連中や黙示録のケモノ、君のお母さんもいるね……全員が全員、別口で盗撮の魔術を飛ばしてきている。全力で盗み見ようとしているね……まったく、何を考えているんだか』
私とヒナタ君は顔を合わせ、頷く。
二人して全員の魔術に逆干渉。
遠見の魔術を乗っ取り、逆に焼き芋が焼けるシーンを延々と流すように強制変更!
『ふははははははは! 今宵はそのまま、おイモが焼ける映像を見続ける呪いをかけてあげようじゃないか!』
本当にお芋映像を眺めつづける呪いをかける中。
さらに追撃してくる盗撮に、ヒナタ君がくわっと唸る。
「あんたたち! 見世物じゃないんだからねっ!」
告げたヒナタ君が七つの聖剣を空に浮かべ、ぐわんぐわんと回転させる。
初めて見る聖剣もあるのだが。
んーみゅ、こんな場面で彼女の奥の手っぽい聖剣を見てしまうとは。
さしもの盗撮犯たちも二人の反撃には撤退。
今頃、おイモが暖炉っぽい火の中でパチパチ焼かれ続ける映像をガン見。
なぜか見ないと気が済まない状態になっている筈。
私とヒナタ君は勝利の笑みである。
「ったく、趣味が悪い人たちねえ。まあ、気になっちゃうって気持ちは分かるけど」
言って、ヒナタ君は砂漠姫の姿で、えへへへっと微笑み。
すぅっと息を吸う。
夜空を背に少女は少し背伸びをするように、言った。
「あのね、ケトスっち――あたしの気持ちはあの時言った通りよ」
『ああ、けれど私は――』
愛や恋、そういった概念を理解できていない。
ネコである私よりも、ずっとずっと、空っぽな存在なのだ。
そう、伝えようとした口に少女の立てた指がぶつかる。
「はーい、そういったウジウジした話はキャンセルよ。このあたしに好かれたんだから、覚悟を決めなさいって話よ。今は分からなくてもいいわ、けれど、きっと後悔はさせないわよ? だってあたし、かわいいし? 料理だってもっとうまくなるし? お買い得だと思うんだけどな~?」
聖夜の中で、星がキラキラと輝いている。
あの日見た。
希望の光――魔王様の差し伸べてくれた手の様に、瞬いている。
『君は、明るいね――』
「ええ、それだけが取り柄ですもの!」
『それだけじゃないだろう、君は――とても優秀で、自慢の教え子だよ』
けれど私は――。
もはや名を失ってしまった、怪物。
人の形と魂を持ち、けれど人間の中から生まれた――。
バケモノ。
神父姿の私は言った。
『だからこそ、君にはちゃんと聞いてほしい。私はね、たしかにネコに転生する前は人間だった。けれどおそらく、ただの人間じゃないんだ。人々を模倣する者。世界に終末を齎し、憎悪するために生まれた存在。反救世主。本当の意味で、憎悪の魔性なんだと思うんだ』
「あのねえ、ケトスっち。前世のあなたがどんな存在だったのかは知らないけど。それって、大魔帝ケトスより邪悪だったの?」
不意に言われて、私は言葉を詰まらせた。
『それは――まあ、今の私と比べたら全然邪悪じゃないけれど』
「なら、いいじゃない。今のケトスっちの方が邪悪なら、その邪悪なあなたとこうして会話ができている。一緒に笑ったり、食べたり、同じ時を過ごすことができているでしょ? それで十分じゃないかしら?」
なかなかどうして、彼女は強情だった。
『はっきりと言っておくよ。私は君が好きだよ。けれど、それは愛や恋じゃない。君が犬や猫を見て可愛いと思う感情と近いんだ。それに、君は私より先に死ぬだろう。今はいい、けれど――いつかきっと、歩む速度の違いに悩まされる日がくる。その時君はきっと――』
「ふーん、なーんだケトスっち。そんなずっと先の事まで考えてくれているのね」
ニヘヘヘっと微笑み。
くすりと笑って少女は、上目遣いで言う。
「なら勝負をしましょう! あたしは必ず、あなたの心を変えてみせる。いつかあなたに、心から好きって言わせてやるわ。しわくちゃのおばあちゃんになっても、きっとあたしは可愛いから」
聖夜の中で、君が笑う。
私は戸惑っていた。
けれど――胸の奥が少しだけ、そう、少しだけ熱くなっていた。
それは猫の時の私が液状おやつを見た時と同じ。
心からの、親愛。
なのだろうか。
分からない。
分からないが、彼女はまだ若い。
『私は教師で君は教え子だ』
「ええ、そうよ?」
なにをいってるの?
そんな顔のヒナタ君に私は言った。
『君が大人になってから、そうだね、高校を卒業しても――まだ君の中の気持ちが変わっていなかったのなら。その時は、私も真剣に考えるよ』
「それでいいわよ」
これは挑戦状よ!
と、太陽の様に微笑み。
聖夜の中で、君は言った。
「大魔帝ケトス! あなたは必ずあたしを好きになるわ! だって、あたしは、あなたの弟子で勇者! このあたしが本気になって叶えようとしたら、なんだってできるに決まってるんですから!」
清き夜。
星空しかない筈なのに――眩しい。
とても暖かい鼓動が、私の心臓を握っている。
私は思わず腕を伸ばしかけていたが。
まだ早い。
彼女が卒業するのは、後一年ぐらいか。
その時に彼女はまだ私を好きでいるのだろうか。
私は、愛について深く理解できているのだろうか。
もし君がおばあちゃんになり、私の前から去ってしまっても――。
私は君をずっと覚えていられるのだろうか。
私はケトス。
大魔帝ケトス。
猫に転生した私の基本頭脳は、猫のまま。
百年経って、二百年経って。
千年経って、二千年経って。
いつか記憶が薄れて忘れてしまう日が来るのだろうか。
分からない。
分からないが――。
『君の眩しさだけは、きっと――、一生忘れないのだろうね』
ネコの口ではなく、私の唇がそう告げていた。
太陽の輝き。
君の笑顔が――。
いつまでも。
私の心に焼き付いていた。




