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嘆き死霊の想い人 ~裏切りのギルハルト~


 嘆き死霊、バンシー。

 この世界でのバンシーは人間から転化する、いわゆる派生種族の一種だ。愛しい者を亡くした女性がその妄執からまっとうな人の心と生活を失い……死に至り、永遠に嘆き悲しみ叫び続ける存在――すなわち不死者アンデッドへと転化してしまった者。

 その総称。

 モンスターと人間の中間に位置する存在となっている。


 女王ともなると、不死者の王とよばれるリッチキングなどと同ランクの魔性になるだろう。

 まあ人間としての側面が強いので、こうして人間社会で生活している者が多い。人間たちにとっても珍しくはあるが、忌諱される存在ではないようだ。


 私はバンシー女王であるナタリーに目をやりビスケットをがじり。

 モグモグしながら、猫ヒゲを蠢かせた。


『へえ、バンシーの存在は知っていたけれど。まさか女王種と出逢えるとは思っていなかったよ。君、結構強いみたいだね』

「少なくとも、人間であった頃よりは……強いのでしょうね」


 人間から転化した魔物という点には、どこか親近感を覚えてしまう。


『それで百年前に戦死した魔剣士ギルハルトくんだっけ。どこの戦場で亡くなったのかは分かるかい?』

「女神の双丘と呼ばれる穏やかな平野をご存知でしょうか?」


 先日、私が肩入れをして帝国軍と魔竜の介入により暴走した教会軍と戦った、あの場所である。


『……よく知っているよ。まあ残念ながら、百年前の当時のことは知らないけれど』


 私は少しだけ安堵していた。

 もしかしたら彼女の想い人を私が殺していた可能性もあったのだから。しかし百年前といえば、多少の誤差はあれど、私は魔王城で勇者と長い戦いを繰り広げていた最中だ。

 あんな僻地に出現している暇はなかった。


「あ……もし、ケトス様がギルハルト様を手に掛けていたとしても、そのことに関しては気にしないつもりでしたので、どうぞご安心ください」


『心を読んだわけでもないだろうに。君、けっこう勘が鋭いね』

「長く……生きておりますから。他人の心の動きがなんとなくですが……分かってしまうのです。といっても、不死者なのですから生きているというのも変な話ですけれどね」


 優しい微笑であったが、同時に少し寂しさを含んだ笑みだった。

 きっと彼女も寂しいのだろうと思う。

 バンシーであると同時に彼女は人間としての理性を保っているからだ。


 自分一人が老いず、死なず。

 友や仲間との時の流れの中から外れ傍観者として生き続ける状況は、人の心にとって、あまり良い環境とは言えないだろう。

 私の様に人の心を失っていると認識しているのなら、また少し話も変わるのだが。


『百年前の女神の双丘か、ちょっと見てみよう』


「見てみると仰いますと?」

『先見の魔術と遠見の魔術の応用だよ。過去の映像を投影する過去視の魔術があるのさ』


 ここ、重要なドヤポイントである。

 さて、どうなるか。

 案の定、ナタリーは身を乗り出し驚愕の色を浮かべていた。


「そんな……! 大魔帝ケトス様は、そのようなことまで可能なのですか! 魔術を用いての過去視の成功例など、わたくしも長く生きておりますが初めて耳にいたしましたわ」

『まあ、大したことじゃないけれどね』


 言って、私は取り出した魔杖に過去の映像を生み出す魔法陣を構築し始める。

 それを覗き込んだナタリーは、はっと息を呑んだ。


 ドヤァ!

 ドドドドド、ドヤァァァアアアアアア!


「大したことないなんてレベルじゃないですわ……! この魔術は、並の人間、いえ魔族やわたくしたちのような不死者とて早々にできるものではありませんのに。さすがは大魔帝と呼ばれるだけある……大魔族様、でいらっしゃいますのね」


 魔術に対しての知識には惹かれるものがあるのか。

 口元に細い指をかけたナタリーが、ぶつぶつと呟き始めた。


「時間逆行、と先見の魔術の組み合わせ……いえ、魔術の方向性そのものを誤魔化して……。理論上は可能なのでしょうが……しかし――どう考えても、魔力置換の保存場所が……一度虚無に魔力を圧縮して……すごい、こんな膨大な魔術構築理論……はじめて」


 などなど、そんな魔術理論の言葉の波に、私のネコ耳モフ毛が、もっふぁーと膨らんでいく。

 にょほほほほ、もっと褒めるがいい!

 力ある魔術師の同業者から驚愕されることは、まあ結構キモチイイものなのだ。


 ま、まあ人間の魔女と出逢わなかったら私もこの魔術を編み出せなかったのだが、とりあえず自慢できる所はちゃんとしておかないとね、うん。


「もし……本当に当時の光景を確認できるのなら……あの人の死因も分かる。遺体の場所も……魂のありかのヒントも……あるのかもしれない、わけですよね」


 彼女の赤い瞳に、うっすらと涙が浮かぶ。


「ずっと、ずっと……っ、探し求めていたあの方の居場所が」


 んーむ、ドヤポイントが終わってしまったが。まあ仕方ないか。


 しかし、彼女は分かっているのだろうか。

 もしも過去を見てしまい、その結果……蘇生できないことが確定してしまったら。どうするつもりなのだろうか。

 ふと、私は思っていた。

 この魔術は――危険だ。

 不死者の女王になってまで彷徨い続けているこの女性の希望を、簡単に断ってしまう悲しい魔術になってしまうのではないか。

 そんな懸念も浮かび始めていたのだ。


 私の生み出したこの魔術は、便利ではあるが――変な言い方だが便利過ぎるのだ。本来届かない場所に手が届いてしまう魔術になってしまうのである。

 もしかしたら、魔王様ならこの魔術を禁術に指定したのではないだろうか。


 私はドヤタイムを終了させ、肉球についたお菓子の食べかすをペペペと払い。

 シリアスな貌を作る。


『あとは詠唱し、私の魔力を送れば術は完成する。けれど、その前に確認だ』


「なんでございましょうか?」

『後悔、しないかい』


 彼女の夢を終わらせてしまうかもしれない。

 想い人との関係はどこまでのものなのか、私は知らない。恋人かもしれないし、ただの一方通行なのかもしれない。

 けれど、嘆き死霊としての生を得てしまうほどに執着しているのは確かだ。


 私はまっすぐに彼女を見た。


「する、かもしれません。それでもわたくしは、真実を知りたいのです。そしてあの方の蘇生のヒントを得たい。もし……その可能性が絶たれてしまっても……見なければ後悔してしまうのではないかと、そう思っておりますわ」

『分かった。じゃあ、やってみよう』


 ここまでの決意なのだ。

 どんな過去が待っていたとしても、私も覚悟を決めるしかないか。


 もしかしたら、この娘は魔族の敵になるかもしれない。状況によっては人間の敵になるかもしれない。

 不死者は不安定な存在だ。心のコントロールができなくなり、暴走する可能性もゼロではない。もし、そうなった場合は、私が責任をもって消すしかないだろう。

 私は魔術を起動した。



 ◇



 魔杖から広がるビジョン。

 百年前の戦争の記録。

 私たちは、その過去の映像に声を失っていた。


 それはあまりにも残酷な事実だったからだ。

 マーガレットも声を失い、どう取り繕っていいか悩んでいる。明朗快活な彼女のこの曇りはかなり珍しいが……。

 私もまた、耳と尾を後ろに下げ言葉を探ってしまう。


 何も言えなかったのだ。

 そして、嘆き死霊の女王とまでなったナタリーは……。


「ギルハルトさま……」


 ただ茫然と、目を開いたまま涙をこぼしながらその映像を眺めていた。

 指を静かに伸ばし、ただただ、涙をこぼしているのだ。

 それは、まあ無理もない。

 私もまた、たぶん酷く切ない顔をしていたのだと思う。猫鼻の先が、少しだけ湿っていた。

 魔杖の先に広がるビジョンに、私は複雑な思いを馳せていた。


 魔剣士ギルハルト。

 この男は――。

 女神の双丘にて、一体の強大な魔、人型のゲル状スライム魔族と闘っていた。


 長い、戦いだった。

 魔剣士は氷の魔力を剣に這わせて周囲を凍てつかせ、切りかかる。

 魔族はそれを硬化させた触手で受け止め、二人は貌を近づけ睨み合う。

 何度も何度も攻防を続ける。

 どちらが勝ってもおかしくない僅差の戦い。

 もはや彼ら以外は皆、戦死するか敗走するかのどちらかしか道は残されていない。完全に、二人だけの世界が出来上がっていたのだ。


 それは戦士として、最高の舞台でもあったのだろう。

 何度も、互いの顔色が分かる程に接近しての鍔迫つまぜり合いが続き。


 そして――。

 戦場で相まみえた魔族との本気の戦いの末。

 両方、頬を赤く染めて。

 武器を捨てる。

 どうやら。

 真実の愛。

 恋が……芽生えちゃったみたいなのだ。


 ようするに。人間の身でありながら、魔族と駆け落ちして、戦争など放棄して除隊、そのまま姿をくらませてやがったのである。

 ……。

 そう、彼は戦死などしていなかったのだ。


 私の編み出した過去視の魔術は、完璧すぎたせいか、ご丁寧にも彼と魔族の生涯を映し出した。

 本当に幸せそうな一生だった。

 魔族も男も始めは遊び、辛い戦場からにげるための言い訳の感情だったのかもしれない。けれど魔族は男を本当に愛し始め……男もまた、魔族の愛を喜びはじめた。


 しかし所詮は魔族と人間。

 その寿命にも生き方にも壁がある。

 老いた男が、もはや見えぬ瞳を潤わせ魔族に最後の言葉を漏らした。

 ありがとう、と。

 そんな一言を言い残し、生涯を終えた。

 老いた男の魂を見送った魔族は静かに肩を震わせ――その形状を保てなくなり。

 彼もまた、この世を去った。

 ゲル状の泥がこの魔族の正体だったのだろう。

 愛を知り、その愛を失い――魔族としての生を捨て男と共に在ろうとしたのだろう。

 これが魔族の死だ。


 まあ、なんというか。

 ようするに。

 彼らは本当に幸せな一生を終えたのだ。

 魂は既に消えていた。

 魔族との静かな暮らしの中で完全に満足して、成仏していたのだ。


 こりゃ。

 神も魂を追跡できんわな。

 追跡できていたとしても、口を噤んでなかったことにしていたのだろう。


 言わない方が、知らないままの方が幸せな事も世の中には、けっこういっぱいある。

 この魔族、性別がないのがまあ……救いだが。これで相手が男だったら、もうそりゃもっとヤバイ空気になっていただろう。

 いや、でもゲル状のスライムみたいな魔族だしなあ……これはこれでどうなんだろ。


 辛い過去は想像していた……。

 それほどに百年前の戦争は壮絶だった。

 それを見てしまうのだ。

 結果として彼女が暴走したとしても、責任をとって眠らせてやる覚悟もできていた。

 この私が。

 かなり本気のシリアスを、当時の戦争の関係者として、大魔帝としてのやる気を覚悟していたのだ。

 それなのに……。

 本人は幸せに暮らし成仏していた。

 いや、このパターンはさすがに想定してないぞ……マジで。


 どうしよ、これ。


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