革命と狂王 ~戦闘開始、懐かしきその顔~その3
地下監獄を抜けた先にある宣託の間。
饐えた香りが目立つ嫌な場所。
空間自体は、中央に泉がある神聖な神殿を想像してもらえばいいだろう。
身を清める巫女が、神の像に祈っているような。
静かで清廉なる空間だ。
けれど――神聖な空気とは別に、この空間には様々な生贄の魔力が漂っている。
そしてなにより。
一番邪悪なのは――アレだろう。
幽霊貴婦人といった印象な女性が、狂える王の前に佇んでいた。
この国をめぐる不自然な流れの元凶。
おそらく黒山羊聖母の力を借りている、母なるモノの使徒。
母である女は言った。
「あら? どうしてそんな顔をしているの、ヨナタン? 母さん、あなたのために頑張ったのよ? どうしてそんなに悲しそうな顔をしているの?」
分からないわ。
分からないわ。
女は繰り返し、唇だけを蠢かし続ける。
息子を遺し先に逝ってしまう迷い、母なる愛から狂気へと落ちた女には――。
本当にわからないのだろう。
ヨナタン皇子は冷静に周囲を見ようとしていた。
だが探す言葉の答えが見つからないようだ。
やがて出た言葉は、心を裂くような叫びだった。
「なにやってんだよ……なにやってんだよ、あんたはっ!」
「どうして怒っているの?」
悲しい再会に会えて水を差すように前に出たのは、当然私。
大魔帝ケトス、神父モードで登場である。
『サウル皇帝。君はまだ生きているのだね、君は君で亡き妻の亡霊に囚われていた――というところか。ダビデ君、頼むよ』
告げて私は指を鳴らし、皇帝を回収。
すかさずダビデ君が味方全員に結界を張る。
「ご無事ですか、兄上!」
「ダビデ……? なぜおまえがここにいる、いや、おまえは死んでしまったはずでは。余は、我は、ワタシは、ワタシは……なんだ、なんだ、なんだ」
皇帝は錯乱状態にある。
頭を抱え、かきむしった自らの頬を何度も何度も撫でていた。
おそらく、精神支配が解けたのだろう。
『騎士団は皇帝を連れて退避を! 我らは敵を討つ』
「あら? 駄目よ、そんなことは――駄目。だってその人がここで死なないと、ヨナタンが皇帝になれないじゃない。ああ、ヨナタンヨナタン! 我が愛する息子。あなただけが心残り、あなただけが心配。あなたが幸せになってくれないと、母さん、心配で心配で、堪らないの」
力ある言葉と共に、母の亡霊は手を翳す。
宣託の間の扉が閉まる。
皇帝を支える歌姫シェイバが叫ぶ。
「ミスター、閉じ込められましたわっ」
『ふむ、どうしてもここで皇帝をヨナタンくんに殺させるつもりなのだろうね』
顎に指をあて、私は魔法陣を展開。
封印された扉をこじ開け――。
……あれ?
『開けられない? この私の干渉力を上回っているのか!?』
「あなた、だれ? 凄い力。黒聖母様の力じゃなかったら、負けていた。だれ? ねえ。だれ? だれだれだれ?」
声が精神汚染攻撃となってこちらを襲う――。
だが!
こちらにはさっきは強すぎて役に立たなかったダビデ君がいる!
《精神防御》が発動!
こちらのメンバー全員に精神防御状態を付与し、既に皆を守る陣形を組んでいた。
おお!
我が弟子が役に立ってる!
狂った皇帝を守るように陣取るヨナタン皇子が、敵を睨んで呟いた。
「黒猫の旦那、これはいったいなんだ……っ」
しばし考え。
私はおそらく答えだろう仮説を唱えた。
『死んだ母親の執念……後悔、心残り。そういった、息子のために遺した感情――親としての愛。そこを聖母に利用されたのだろうね』
「じゃあ、やっぱりコレは母様なのか」
私は小さく首を横に振った。
『いや、違うだろうね。君の母親の純粋な願いから作られた、魔法生物みたいなモノと思ってもらえばいい、想いをわざと捻じ曲げられて解釈され作られた存在さ』
「ならっ、やっぱり母様の心って事じゃねえか!」
声を荒らげながらも、ヨナタン皇子は冷静さを保っている。
『私の世界に猿の手というマジックアイテムの逸話がある。それは願いを叶える道具であるが、ひどく歪んだ叶え方をするという呪われた逸話なんだけれどね――それと同じさ』
「歪んだ形、ですか?」
『ああ、たとえば料理が下手な母親がいたとする。その母親は息子のために料理がうまくなりたいと願った。世界で一番、料理の上手い母親になりたい。これは純粋で温かい願いだろう? おそらく善良な神ならば、直接的に母親の料理スキルが上昇する奇跡を起こしたり、技術を授けたり――あるいは間接的に、料理上手な友達を与えたりと、料理の腕を上げさせるだろう』
言葉をつなぎ。
漆黒の髪の隙間から敵を睨み、私は瞳を細める。
『けれど猿の手は違う。母親が息子のために料理が上手くなりたいという願いを曲解する。猿の手はその邪悪な手で願いを無理やりにかなえようとする――たとえばだ、その母親よりも料理が上手い母親を皆殺しにしてしまったらどうだろうか?』
「ああ、そうかよ。話が読めてきたぜ……っ、胸糞悪い話だな、そりゃ!」
敵を睨みながらヨナタン皇子が、唸る中。
私は話を続ける。
『そうだね。とても胸糞の悪い話だ。結果として――手に願った母は、料理が上手い母親となるだろう。まぎれもなく、世界で一番料理の上手い母親だ。なぜなら他の母親は既にこの世界のどこにもいないのだから。どんなに下手でも料理上手なお母さんのできあがりだ――ほら、願いは叶っただろう? ってね。これはそれの類だ』
「何を言っているのか、よくわからないわ? ねえヨナタン。その人、おかしいわよ?」
息子を取り込もうとするその姿に、私は聖者ケトスの書を翳す。
『かつて母親だったモノの残留思念に過ぎない。だから私は君を消し去るよ』
告げる私の周囲が赤い魔力で包まれる。
ダビデ君が周囲を守っている空間ならば、私も力を発揮できる。
おそらく女の力の源はあの童話。
息子のために、純粋なる願いで生み出された教訓の書。
心苦しいが――。
『破るしかないね――!』
放たれた影の槍が童話の書を襲う。
並以上の相手でも葬り去る強力な闇属性の一撃である。
だが――。
幽霊貴婦人は童話書をなぞりながら、私の魔力を無効化させる。
ゆったりと長い睫を光らせて。
女の唇が虚ろに動く。
「無駄よ。だってわたくしは、母さんは聖母様と契約したモノ。願いを叶えるまでは。ヨナタン。あなたが幸せになるまでは、黒山羊様が力を貸してくれるって。あの方は約束してくれたもの」
幽霊貴婦人の体から赤い魔力が膨らんでいく。
それは魔性の力。
その正体もまた、愛。
『子を思う母の愛、それもまた愛の魔性か――』
今回のこれも、前回の事件と同じく。
愛の魔性。
あの黒山羊は確実に、一定の目的があって動いているとみるべきだ。
もっとも、愛といっても様々な感情だ。
一概に同じ種類の魔性とは限らないが――。
「愛の魔性? あなたも聖母様と同じことを言うのね。ふーん、そう。ならきっと、あなたがそうなのかしら。あなたが聖母様が探している人なのかしら」
『さあどうだろうか――』
宣託の間を闇のフィールドに塗り替えながら、私は恭しく礼をする。
『初めましてレディ。私はケトス、大魔帝ケトス。偉大なる御方に仕える殺戮の魔猫。君の名を伺っても構わないかな?』
「皇帝となる息子、ヨナタンの母。それでいいじゃない?」
答えようとしないので鑑定する。
種族は童話書。
その名は、アヒノアム=ディライト=ナザレブルーノ。
ディライトは歓喜を示す言葉。
アヒノアムは、兄弟は善良であるという意味を示す名。
兄帝サウルと弟帝ダビデ。
兄弟で敵対する状況を作り出した元凶の名がそれである。
今となっては、随分と皮肉な名であるが。
『種族は童話書。やはり君はあくまでも母の残した感情が具現化されたモノに過ぎないのか』
「それでも、この気持ちは本物よ? そこに真実も偽りもない。母さんの愛は終わらない。ヨナタン、ああ、この子が幸せになってくれるためなら、母さん、なんだってするわ。だって、それがあなたを残して逝ってしまう母さんの最後の愛なんですもの」
現世に遺した未練こそが、人を幽霊にするのならば。
これは間違いなく、愛の幽霊といえるのだろう。
『さて、君をどうにかする前に一応聞いておこうか。君の内に入り込んでいる黒山羊と決別する気はないかい? 君は童話書に遺された母の感情を捻じ曲げられた存在。そして捻じ曲げたのは他ならぬ、その黒山羊だ。本来なら、君の敵となる存在だろう』
問われた意味を考えるまでもなく。
幽霊貴婦人は聖母を背後に讃え、母の愛を纏って美しい声を上げる。
讃美歌に耳を傾ける聖母の笑み、そんな宗教画のようだった。
「敵はあなたよ。ヨナタンの邪魔をする悪い人。あなたは、あの子に加護を授けた時点で、もう用済みですもの」
『生憎だが、君が私に用がなくとも、私は君の中にいる黒山羊に用があってね――』
戦いのフィールドに、聖光があふれ始める。
邪神たる私と聖母の戦いは既に始まっている、互いにフィールドの上書きをしているのだ。
領域の支配権を奪ったのは、私の方。
闇を背後に抱きながら、私は暗黒の泉の上で微笑する。
『先手はこちらが取れた、といったところかな』
「そう、歯向かうというの――なら、死んで頂戴!」
あふれる殺気を感じ取ったのだろう。
ヨナタン皇子が風を切るように、声を漏らした。
「黒猫の旦那。頼みがある――」
願いは分かっている。
コレを消し去る手伝いをしてくれ、そう言いたいのだろう。
『言わなくていいさ。これは既に本人の魂とは違う存在だ、けれど――息子の君が口にする言葉ではない。そうだろう、我が弟子よ』
「ここはわたし達がなんとかしましょう。ヨナタン、兄上を頼みます」
母たる女が、膨大な魔性の力を発動させる。
「みんな殺す。みんな消し去る。ヨナタンの邪魔をするものはみんな、消し去る。ええ、そうよ。母さん、頑張るからね。頑張って、あなたが幸せになるために、全てを消し去ってあげる。だって、母さん! あなたをこんなにも愛しているんですもの!」
『我は否定する、汝の邪悪なる願い――母の愛に非ず!』
聖者ケトスの書を開き、バサササササ!
愛の魔性の力と、私の力がぶつかり合う。
衝撃は、互角!?
ダビデ君が崩壊する宣託の間を魔力で支えながら叫ぶ。
「師匠!」
『ああ、分かっている。こちらは周囲を守り、壊さぬように全神経を集中させながらだからね。けれど、コレは違う。全部壊すつもりでぶつけてきている、ちょっと――まずいね』
敵は聖母の力を借りた愛の魔性。
戦い方はど素人でも、関係ないのだ。
狭い場所で、ただ有り余った力を思う存分に振るい続けるだけでいい。
『私は敵の魔力の相殺で手が離せない! 誰でもいい! この宣託の間から脱出する術がある者はいないか! 君たちがこの場を離れればどうにでもできる』
「師匠っ、第二波がきます!」
愛の魔性は息子を皇帝にするため。
幸せにするために愛を解き放ち続ける。
「愛しているわ。ヨナタン。ごめんなさいヨナタン。あなたを残して死んでしまって。あなたをもっと甘えさせてあげられなくて。あなたの頭をもっと撫でてあげたかった。ふんわりと輝く、太陽のようなあなたをもっと見ていたかった。けれど、できなかった。だから、せめてあなたを幸せにしてあげる。あなたの幸せだけを優先する。それが母としての母さんの責任なの。あなたを置いて行ってしまう母さんの罰なのよ! ヨナタン!」
支離滅裂だが、強い感情だった。
意図的に歪められているが、母の愛は本物だったのだろう。
それもそうだ。
愛していなければ、病に伏せる中で。
あれほどの童話を息子に作ってあげることなど、できなかっただろう。
母の愛が透けて見える。
震える指で、細くなっていく腕で、ヨナタン皇子の母は愛を描き続けたのだ。
どうか。
息子が幸せになってくれますように――と。
その愛をゆがめた敵を、私は絶対に許さない。
許すべきではないと、ネコながらも感じていた。
ならばこそ!
こっちは搦め手でいく!
聖者ケトスの書を捲り、それぞれに対応した相殺の魔術を発動しながら私は唸る。
『愛しているのなら、今の彼の顔を見てみるがいい。本当に、それは君が望んだ幸せなのか。考えたまえ!』
「分からないわ。どうしてそんなに泣きそうなの、どうしてそんな顔をしているの。分からない、分からない、母さん、分からないわ!」
あ、もっと力が強くなっちゃった。
逆効果だったか。
結界を張りつつも閉ざされた扉を開けようとしていたダビデ君が、私の補助をし始める。
その目はシリアスな空気とは裏腹に、ジト目である。
「師匠……っ、思い切り逆効果じゃないですか! どうして刺激するんですか!」
『し、仕方ないだろう! 私はその、母の愛とか! そういうのには疎いんだ!』
だいたいだ!
ネコに転生した私は母猫の思い出なんてあんまりないし!
愛とか言われても、基本頭脳がネコだからそんな難しい話、わかるわけないじゃん!
歌姫や騎士団、ヨナタン皇子がなんとかこの空間を抜け出そうと闇の中で奮闘する。
いつもの私の闇空間とダビデ皇子の結界で守られてるから安全だが……。
ふと、賢い私は考えた。
ダビデ君も同じ考えに行き着いたのだろう。
「師匠、わたしたちの結界がある限り、皆が脱出することもできないのでは?」
『う……っ、で、でも、私達の結界がないと、たぶんみんなすぐに蒸発しちゃうだろう?』
しばしの沈黙が走る。
だぁあああああああああぁぁぁ!
面倒すぎる!
周囲の人間を気にしないのなら、このまま力をぶっ放して、幽霊貴婦人の力の核である童話書を焼き払えばいいだけなのだ。
「なあ! 黒猫の旦那、あんたの結界を一瞬だけ解除することはできねえのか!」
『じゃ、じゃあ聞くけどさ! 今ここが深海だったとして、結界の泡の中だから移動も呼吸もできるけど――一瞬だけ結界を解いたらどうなると思う?』
言われて歌姫シェイバが、ふくよかな体を震わせ。
「その一瞬で水圧やら、なにやらで……潰されてしまいますわね」
「そうです師匠! 師匠はたしか他人を転移させることも可能ですよね? 敵の攻撃を相殺しながら全員を同時にはさすがに難しいでしょうが、一人ずつなら可能なんじゃないですか?」
言われて私は考え。
神父モードでにが~く、眉を下げる。
この世界はドリームランド、不安定な夢の中の国。
魔王陛下の魔術式とは力の使い方が異なる。
天才的頭脳は、この世界の魔術に落とし込んだ魔術式をくみ上げるが――。
やはりどこかに破綻が走る。
だんだんと、猫耳と猫しっぽが生えてきてしまう。
やばい、ネコの本能がウズウズしはじめている。
なんとか相手の魔術を解除しながら、私は理性を保ち告げる。
『単体転移による個別脱出か。できることはできるだろうけど……座標がランダムになりそうなんだよね』
「はぁ? どういうことだよ! ランダムだか何だか知らねえが。できるんなら、それでいいじゃねえか!」
ヨナタン皇子が銀髪を揺らして大型犬顔を尖らせるが。
『いや、だから――本当にランダムなんだよ。たとえばだ、ランダムに飛ばした座標が火山の中だったり。海底の更に底だったり。最悪それなら後で蘇生すればいいけど、壁の中とか、石の中に入り込んじゃうと……! 分かるだろう!?』
「ああ、探すのも面倒になりますし、元の形に戻せるかが問題になるわけですね」
しばし考えダビデ君が言う。
「まあ十年ぐらい、石の中で待ってもらう可能性もありますが。それでいきますか」
『そだね。このまま延々と敵の攻撃を相殺しつづけるわけにもいかないしね』
ダビデ君は伊達に十五年死んでいたわけじゃない。
十年ぐらいなら、石の中で待ってもらうことをまったく気にしていない。
そして私は! だんだん面倒になってきていた!
『んじゃ! 全員、並んで並んで!』
「最終的に全員が生きていれば、それで問題ない。師匠の教え、わたしはちゃんと理解しているつもりです」
言って私とダビデ君は、それぞれが片手で結界を維持しつつ。
杖を顕現させる。
ダビデ君が曇りのないまっすぐな瞳で、皆に目をやった。
「それでは、もし死亡しても必ず蘇生いたしますので。まずは訓練のために、男性の方から――」
「待て待て待て! 死ぬ可能性があって、蘇生できるっつーなら、まだここで、てめえらが俺達ごとぶっ飛ばしちまった方が楽なんじゃねえか!」
あれ?
なんか、敵より私たちの方が皆に恐れられてない?
しかも、敵さん……愛の魔性で暴走してるくせに、ドン引きしてるし。
幽霊貴婦人が、力を放ちながらも頬を掻き。
「あなた、あのすぐ気絶するダビデよね? ヨナタンを可愛がってくれていた……なんでそんな面白おかしい危険人物になっているの?」
「いえ、童話書から具現化して暴走しているあなたに面白おかしい危険人物といわれるのは……さすがに、ちょっと反応に困るのですが……」
ダビデ君にとってはお兄さんの奥さんなわけだから、義理の姉になるのか。
正面では魔性同士の魔力のぶつかり合い。
大規模な魔力戦が続いているのだが。
あぁあぁあぁぁぁぁぁ!
もう駄目だ!
集中力が続かない!
情けないとは言うなかれ!
まず針穴に糸を通す場面を想像していただきたい。その糸を、針にちょっとでも触れたら大爆発する地雷に変換して想像してみてほしい。
それがどれほど神経を使うか、少しは理解してもらえると思う。
プスプスと知恵熱が発生する! 神父モードの私の皮が剥がれ。
ざざざ、ざぁあぁああぁぁぁぁぁ!
ブニャっとカワイイ、いつもの黒猫もふもふな私に戻ってしまった。
『ぶにゃにゃにゃ!』
愛の魔性は瞳を輝かせ。
ヨナタン君と同じ、銀の髪を妖しく魔力で靡かせる。
銀の糸が、五月雨のように周囲を裂いていた。
「どうやら、好機のようね! さあ、邪魔なあなたを先に、外の世界に追い出してあげるわ! そして、二度とこの世界に入場できないように、立ち入り禁止にすれば、誰もヨナタンを邪魔できなくなるの!」
『しまった……っ!』
まずい……!
相手は私をドリームランドから追放するつもりだ。
勝てないなら一時的に追い払い、そして出入り口を塞いでしまう。
単純だが悪くない手である。
ここでこの世界から追放されたら戻れなくなる。
そう思った、その瞬間。
光が、走った。
ザァァァァァァァン!
虹色の輝きである。
これは聖剣だ!
幽霊貴婦人の狼狽の叫びが響く。
「きゃぁぁ! そんな……っ、術が、制御できない!」
この世界で聖剣の使い手は一人しかいない。
それはこの世界を夢見るモノ。
追放の魔術を破ってくれた助っ人に私は声をかける。
『助かったよ、ヒナタ君!』
大勢を守りながら、力を制御していたせいで後れを取ったが。
今のは本当に助けられた。
私は、後ろに浮かんだ神聖な気配に振り返り――。
ヒナタくんに……。
礼を……。
『って!? 誰だい、君!』
そこには、二足歩行の雪兎が剣を構えて――ふふん!
ヒナタ君の様に、勇者の覇気を放ちながら、ウッサァァァァァァ!
めちゃくちゃ白いモフ毛を輝かせていた。
ダビデ君が言う。
「さすが師匠! 兎にも味方がいたのですね!」
『いやいやいや! さすがに知らないよ! 兎の知り合いなんていないし!』
否定した私を責めるように、兎が私をビシっと睨み。
でちちちちっと、いつかどこかで聞いたような声を出す。
「さすがは血も涙もない、大魔帝。酷いでちねえ、あたちを忘れてしまったのでちか?」
『その声は、もしかして司書ウサギくんか!』
勇者の恰好をした白兎は、私も使用できる童話魔術を発動する。
トランプの兵隊たちが、わっせわっせ♪
ここにいる人間たちを、次元の狭間へと運び出す。
「ようやく思いだしたのでちね。ふん! 勘違いするでないでちよ! これは勇者様のご息女を助けるために、なんとか夢に入り込んだのであって、大魔帝! あんたを助けるために、大急ぎできたわけじゃないんでち!」
と、司書ウサギを憑依させる勇者兎が頬を赤くし二足歩行。
「お知り合いなのですね!」
と――もふもふ兎が気に入ったのか。
一人で愛の魔性の攻撃を打ち払いながら、ダビデ君が瞳を輝かせる。
『ああ、昔にちょっとね。簡単に言うとだ――かつての我が宿敵、勇者の仲間のひとりさ。君も見た童話魔術は本来なら彼女の魔術だったんだよ』
「そうでち、あたちの得意魔術だったのに、この男はあたちの許可なく、魔術を盗んだんでちよ!」
魔術に著作権などないし。
私、悪くないし~!
でも、使用料を払えとか言われても面倒なので、私は話題をすり替える。
『しかし、どうやって入り込んだんだい? 私はとある冥界神から夢に入り込む術を習得していたのだが。普通、こうやって夢の奥深くまで入り込めないだろう』
「魔王……あの男から頼まれたんでちよ。入り込めたのは、ヤツのアイディアでち」
司書ウサギにとっては魔王陛下は敵。
思うところは色々とあるようだ。
「あの男は悔しいでちけど、天才でち。ヒナタしゃんの夢世界、ここで童話書が悪さをしていると暴いていたんでちね。そこで童話と親和性のあるあたちに、白羽の矢が立ったんでち。それでも、中に入り込むのに苦労していたんでちが――どっかの暴走大魔帝が、童話書が眠る山で大魔術をぶっぱなちて、雪山にしたようでちたからね」
ああ、大森林雪山事件か。
「あたちは童話書を渡り歩く能力がありまちからね――ヒナタしゃんの上に広げた童話――傘地蔵を経由して、雪山にたどり着いて。そこからもう一度、童話渡りを発動ちて。カチカチ山を経由して、現地のこの勇者兎に意識を接続して交渉して、ほんとうに! ここにくるまで大変だったんでちよ!」
童話属性をうまく使いこなして、ここまでやってきたのか。
魔王様のアイディアらしいので。
さすまおうさま! である!
『なるほど。君が干渉していたからあの雪山はいつまでも雪山状態になっていたのか』
「傘地蔵をベースにしてあたちは侵入していまちからね」
しかしだ。
『つまり、今ってヒナタくんの上には傘地蔵の絵本を広げたでっかい白兎と、私が乗って眠っているってことかい? なんか、すごいね』
「いえ――ヒナタしゃんはいま、現実世界に戻っていまちよ」
現実世界に戻っている?
目覚めている、ということか。
なにかトラブルがあったという事だろう、私は顔を引き締める。
たしかに、夢世界での彼女の反応が消えている。
私はハッとしそうになる心と顔をおさえ、静かに問いかける。
『ヒナタ君になにが? 彼女は無事なのかい』
「無事でちよ。いまはもう一度眠るための準備をしてるでち」
無事と聞いた私の心は想像以上にほっとしていた。
いつのまにか膨らみ、逆立っていたモフ毛を鎮め私は再度問う。
『いったい、なにがあったんだい? 彼女が私に連絡なしにこの世界から離脱するとは考えられない。よほどのことがあった、そういう事だね』
「じゅ、重要な用事でち」
なぜか司書ウサギは顔をそらす。
間違いない。
これは知っているが言えない、そういう空気だ。
私は気を引き締めて、真摯に問う。
『もう一度同じことがあった時に対処できなくなる。私は何を聞いても驚かない、事情を聞かせてくれないかい』
「……本人から口止めされているんでちが……。言うまで引かない顔でちねえ……仕方ないでち」
こほんと司書ウサギはわざとらしい咳ばらいをし。
そして、言った。
「トイレに行きたくなったそうでちよ……」
……。
ああ。そういや、ずっと眠ってるもんね。
まあ、時間の流れが違うからあっちではまだ半日ぐらいしか経っていないだろうが。
『あー、そっか。十二時間なら、トイレに行きたくも……』
「デリカシーがないでちね! あんたちゃんはレディの気持ちをもう少し考えるべきだと、あたちはそう思うでちよ!」
そりゃあ、言えないか。
トイレに行きたくなったから、一旦、夢世界から出るからって。
あの年代の女の子なら……。
どうしよ、この空気。
てか。
私と司書ウサギが話している間。ダビデ君、ずっと一人で普通に愛の魔性と互角に相殺しあってるって。
けっこう凄いな。




