わたしのお兄ちゃん。 ~病弱少女の王子様~その1
十字架にマリア像。
いかにも聖が頭文字につきそうな学校。
爽やかな陽ざしの下――私、大魔帝ケトスは今回の黒幕との出会いを果たしていた。
静かなるマリア像が見守る庭――神父姿の私は周囲を見渡す。
気になるのはやはり空。
山で死骸を見つけたカラスが飛び交うように舞う、白き翼の天使たちだ。
それは異形なる天使たち。
ルーベンスが描いたとされる聖母の被昇天の絵に、光景は似ているだろうか。
天使たちはそれぞれ、七重級の魔法陣を纏っている。
私の冒険散歩の影響で世界の平均レベルは飛躍的に上がっている。
けれど、これはその中でも例外。
はっきりといって異常である。
その魔力をたどると生徒や教師たちに行き着き。
そしてそのつながる魔力の先には白い花の似合う乙女が見える。
兄に抱き着く妹が微笑んでいるのだ。
間違いない。
この魔王軍の一部隊とも匹敵するほどの天使を従えるのは、彼女。
天童美香と名乗った黒髪少女である。
兄の胸に顏をうずめ、うっとりと夢見る少女の声が響く。
「初めまして、お兄ちゃんの師匠よね。お話はマリア様から伺っているわ。とっても強い聖人なんですってね」
黒髪ミッション系乙女は、にっこりと微笑みながら再会を喜んでいるのだ。
いや、再会ではないか。
初めて顔を合わせた見知らぬ腹違いの妹に、兄は何を思うのか――。
そんな兄妹の邂逅を前にして。
私は困り顔。
少女の鑑定は可能だった。
レベルは高い。異常なほどに高い。
けれど、身体能力や肉体能力は人並み。
いや……逆か。
あくまでも肉体的な戦闘能力に限った話だが――虚弱。
人間としても非常に低い部類に含まれるだろう。
今も立って兄に抱き着いているのがやっとなのだ。
少女の奥には歩行補助具が――カラカラカラ。
ブレーキをかけていない状態の車いすが回っている。
おそらくかなり病弱な少女なのだ。
様々な思いを抱きながら、私は言う。
『マリアってあの聖母マリアかい。ということは、あの腐れ白山羊がここに来ているのか』
「白山羊さん? なんのこと? マリア様はマリア様でしょう?」
病弱な少女が見せる顔は無垢だった。
ウソを言っている様子はない。
私は思考を加速させる。
あの白山羊。
楽園の住人――魔王様の母上はあくまでもアダムスヴェインや原初としてマリアの力を使っているだけ。
まさか、本物のマリアが顕現しているのか?
いや、本物の神、第一世界の神性の顕現がこの世界で叶うとは、考えにくい。
ただ、絶対に不可能とは言い切れないか……。
実際の例としては七福神たちがいる。
彼らは力を取り戻し、七福神として再臨しているのだ。
まだこの世界には、私も知らない法則があるのだろう。
兄に抱きつき、背伸びするように靴の先を伸ばして――強面の頬に手を当て。
白い肌に花を咲かせる乙女は言う。
「お兄ちゃん、わたしね! とっても会えてうれしいの! ずっと、ずっと直接会いたかったから」
「ふむ、そう言われてもなあ。父さんとももう連絡はとっていないし、妹と言われても――」
あまりにもひっつくのが気になるのか、引き剝がそうと頑張る野ケ崎くん。
対する妹さんは、グイグイグイ。
今度は腕に抱き着いて、嬉しそうに白い頬を押し付けていた。
「いいのいいの! だって兄妹なんだよ? これくらい普通の距離感でしょ!」
「そういうものなのか、いきなり言われても――判断できんのだが?」
本当に細い。
触ったら折れてしまいそうなほどに繊細そうな少女である。
けれど、明らかに異常者だ。
七重の魔法陣を纏う百を超える天使に睨まれる中。
私は言う。
『感動の再会場面に申し訳ないけど、そろそろ事情を説明してもらえないかな? お嬢さん』
「もう、大魔帝っていうのは空気も読めないのね」
私の肩書を知っている。
それも魔帝ではなく大魔帝――。
少女は兄から離れ、髪の毛の先にまで濃い魔力を這わせ始める。
「まあいいわ、お兄ちゃんはあなたを尊敬してるみたいだし。それくらいは大目に見てあげます! ふふふ、わたしっていい妹でしょう?」
言われて兄は照れたのか、顔を真っ赤にして強面を赤く染め。
「ぶぁ、ぶわぁかもの! だ、だれがこんなモフモフを尊敬などしているか!」
「ふふふ、もう! 素直じゃないんだから!」
抗議する野ケ崎君を無視し、私と妹君は目線を合わせる。
敵対者と敵対者の目である。
「えーと、大魔帝さん。とりあえず車いすに戻ってもいい? わたし、あんまり立っていられなくて」
『どこか悪いのかい』
「どこも悪くはないわよ? ただちょっと心臓が弱いだけ」
同じ意味だが、前向きな言葉ではある。
けれど、その少女が今――学校の生徒も教師も、支配しているのだ。
車椅子に座りなおす少女に目線をやり。
その細く白い手首を見ながら――私は大魔帝としての声で、冷徹に問いかける。
『君はどこからどこまで関与していて、どこからどこまで動いていたんだい』
「さっきも言ったでしょう、だいたい全部、わたしのしわざよ」
悪びれもなく答える少女。
その無垢なる顔に確信を得た私は、話を続ける。
『MMO化はまあいい……実害はなかったからね。けれどだ。他はそうもいかない。先ほどの発言、もう一度確認させてもらうよ。君は――見捨てられたゲームのキャラに命と悪意を授け、異能力者を殺させていた。そういう意味であってるかな』
天使たちが翼をばさりと翻し、大きく両翼を広げたせいだろう。
空が夜のように黒く染まる。
天使たちの闇の中、少女は瞳に赤い魔力を浮かべて微笑んだ。
黒の中でぞっとするほどの赤が、蠢いたのだ。
「わたしはただ、悲しそうにデータの渦のなかで沈んで、待ち続けていたあの子たちに可能性を授けただけよ? 彼らがやった復讐も、彼らがやった人間への犯罪も全部、彼らの意思。わたしは邪魔をしなかったし、強制もしなかった。チャンスだけを授けて……けれど、誓って言うわ? 一切、手伝いはしなかった。それって、悪い事かしら?」
その瞳の輝きは間違いない。
『君、魔性化しているね』
「魔性?」
『私たちの世界の言葉さ。感情を暴走させたモノが行き着く一つの終着点。そうか、君はもう普通の人間ではないのだね』
なんの魔性かは分からない。
最近、バーゲンセール状態で増えていた魔性だが本来は希少な存在。
その研究が進んでいるわけではない。
この少女は危険だ。
私の主義には大きく反するし、できるならば手を打ちたくない。
けれど――放置すれば必ず、無辜なる人々を惨殺するだろう。
ここで、消すしかないか。
一瞬浮かんだ殺意を察したのか――。
心を読んだように少女は言う。
「やめた方がいいわよ? この学園にいる生徒たちの命も先生たちの運命も、全部わたしの指先ひとつ――。この天使たちはね、みんなの魂を強化して具現化させて使役しているの。その意味、あなたならわかるのでしょう? わたしを守ってくれるこの天使たちは、結局は人間と同じ。みんなの分身、魂を共通させた分霊体ともいえるわ」
眉をきつく尖らせ、私の口は答えていた。
『なるほど。ずるいね君。つまり君を殺せば――』
「ええ、彼らは死ぬわ」
野ケ崎君の影が揺れる。
乙女は黒髪を風に靡かせ、実験動物の様子を語るような口調で続ける。
「すべての異能力者がそうってわけじゃないけれど、わたしが能力を授けた人間はみんな巻き込んで――消えるわ。もう何人かは出逢っているんでしょう? 昔にあったっていう戦いじゃなくて、ここ十年で異能に目覚めた人々とも――あれはわたしの能力。自由に生きる権利を与えられなかったわたしが、唯一掴んだ自由な力なの」
残酷な言葉を平然と漏らす少女は闇の中。
白い肌と若い唇を輝かせる。
「わたしの能力は他者に異能力の覚醒を促すこと、そしてその分け与えた異能力を自分でも扱えること。五歳ぐらいだったかしら、この力に目覚めたのは――わたしがこの学園に預けられて、いえ捨てられて泣いている時だった。神様が来て、わたしに教えてくれたの」
言葉と共に彼女の中から、影が浮かび上がってきた。
神々しい何かが彼女に憑依しているのだ。
「まともに動けない、運動もできない。友達とも遊べないわたしに……、この人が教えてくれたの。わたしには力があるって。聖女としての力があるって、優しく抱きしめてくれたの」
思い出を語る少女は嬉しそうだった。
それを抱きしめる影の正体は、おそらく聖母。
けれどあの白山羊聖母ではない。
彼女がマリア様と言っていた存在だろう。
おそらく、野ケ崎君のマンションを襲った未来視を使っていた神もこいつ。
まさか少女の祈りに応えて本物の聖母が召喚された――なんて奇跡は考えにくいが……。
悩む私の前で、彼女は淡々と告げる。
「はじめは信じられなかったわ。五歳のわたしでも、夢と現実の区別ぐらいはついたもの。全寮制で介助もしてくれるここに捨てられたんだって、わかるくらいには……分別がついていたの。きっと、かわいそうな少女が夢見た妄想。頭までかわいそうになっちゃったわたしの、くだらない白昼夢。そう思ったの……でも、違った。わたしには本当に力があった」
神々しい聖母が少女を慰めるように、その背後から腕を回す。
憑依し、力を授けている――それはさながらログイン。装備のように、マリアの神性を纏っているのだ。
少女の瞳が赤く染まっていく。
「わたしね。お父さんとお母さんに捨てられてここに来て。いっぱい虐められたの。ここはイイ子であるための神の学校だから、みんなね、表向きは優しくしてくれるの。車いすのわたしを運んでくれたり、ご飯を届けてくれたり。写真を撮るときなんて、わたしが笑うようにいっぱい頑張ってくれるの。でもね、酷い早さで車椅子を引きずったり、ご飯に虫をいれたり、写真に写らないようにわたしのことを抓ったり。だからね、ある日、わたしは力を発動してみた。はじめは信じていなかったのは本当よ? けれど、心の中で思うこともあるじゃない? ほら、こいつムカツくなとか。死ねばいいのになとか。そういうの……」
少女の赤い唇が、動く。
「先生、本当に死んじゃったわ」
きれいな声だった。
病弱な少女が、雨を見ながら微笑むような……。
そんな儚い色がそこにはあった。
「その日から聖母様は、わたしをいっぱい助けてくれたわ。わたしが泣かないように、ずっと傍にいてくれた。本物のお母さんみたいに、わたしのことを要らないって言っていた……血がつながっているだけのお母さんじゃなくて――わたしのために泣いてくれるお母さん。わたしはマリア様を信じたわ。神様も信じたわ。それが力になるんですって……。協力してほしいんですって。そうしたら一つだけ、願いをかなえてくれるっていうから――だからわたしは、お母さんよりもお母さんの聖母様のために動いた。マリア様の言葉に従って――様々な人に能力を授けたの。神様を信じてもらうために。ゲームを通じて能力をあげたり、ゲームを通じて魂のなかったキャラデータに力と人格を与えてあげたり。うん、いろいろな事をして神様を信じてもらったの。信仰が力になる、不思議な存在なのね、神様って――」
多少、支離滅裂だった。
話のつながりが微妙におかしい。
けれど、彼女にとってはそれが現実で、この世の全てなのだろう。
系統としては巫女や聖女といった分類の力か。
キリンの巫女スミレくんも他者に異能力を授けたり、他者の異能力を強化する力を持っていた。
指導者や群れの核となる力と似ているのだと思う。
「わたしは頑張ったわ。願いをかなえるために――頑張ったの。そうしたら本当に、あなたは来た。マリア様の言葉の通り、本当にこうして願いがかなった。家族と会うことができた。わたし、こうしてお兄ちゃんと会うことができたの!」
少女はうっとりと兄を見上げる。
「わたし、ずっと見ていたわ。お兄ちゃんのこと! わたしと一緒で、お父さんとお母さんからも捨てられちゃったお兄ちゃん。可哀そうなお兄ちゃん。可哀そうなわたしと同じくらい可哀そうなお兄ちゃん。わたしね、お兄ちゃんとゲームであってるのよ? プリースト戦記で、ずっとずっと一緒に、冒険していたの。眺めていたの。お話ししていたの。ここの学校のみんなはもうとっくに、わたしに逆らえなくなってるから。だからね、ちゃんとお話しできるお兄ちゃんに、ずっと、ずっと会いたかったの!」
正気度を失っているモノの言葉は、酷く散らかっている。
わかりにくいのだ。
なんとか翻訳して、私は言う。
『すると――つまり、君もプリースト戦記をプレイしていたって事か』
「そうよ。ほら、ここミッション系の学校でしょう? 普通のゲームだと駄目だったけど、聖職者を題材にしているから、十年くらい前のサービス開始時に生徒会が学校に、冗談半分で申請したんですって! それが通っちゃったから、あのゲームだけはふつうに遊ぶことができたの。わたしとお兄ちゃんを出逢わせてくれたゲームなの。だから、それが終わるだなんて、わたし……許せないわ」
なるほど。
学校の図書館に医療漫画だからと闇医者の漫画があったり。
細胞の擬人化の漫画が置いてある、あれと似たような原理か。
しかし、一つ大きな疑問がある。
『単純な疑問なんだけど……なんでお兄さんだって分かったんだい?』
にへっと、狂気じみた笑みを浮かべ。
少女は口元だけを蠢かす。
「だってお兄ちゃん、本名でプレイしてたでしょ? お父さんがまだ動いていた時に送金してた相手先、その名前が野ケ崎だったし、司法書士さんに頼んでマンションの登記変更をしたでしょう? その時の名前と同じだったから、もしかしてって思って――調べてみたらやっぱりお兄ちゃんで。ねえ! それって運命って事じゃないかしら! わたしね、お兄ちゃんのお嫁さんになるのが夢で、ゲームの中でだけれど、ずっと、ずっと一緒に冒険したわ。わたしの家族はもういないけれど、お兄ちゃんだけは生きている。お兄ちゃんだけは、わたしの心を分かってくれる。お兄ちゃんだけは、わたしがしたことを理解してくれる。みんなもう壊れちゃったけど、お兄ちゃんだけはまだ壊してないの! そう、お兄ちゃんだけはわたしのすべてなの! お兄ちゃんさえ生きているのなら、わたしはまだ普通の女の子だから平気なの! だからわたしはプリースト戦記が好き! 壊れてない家族を用意してくれたあそこが好き! あそこはわたしの夢の国。ドリームランド。けして、壊してはいけない世界なの。ねえ、お兄ちゃんもそう思うわよね? だから、わたしからの力を受け取ってくれたのよね?」
そういや――本名でプレイしてるって言って、社長の白狼くんに説教されてたよなあ。
んーみゅ。
ばっちり、個人情報がバレてるでやんの。
「お兄ちゃんは、覚えてる? わたしのこと、覚えてるわよね? わたし、お兄ちゃんとゲームで結婚したマリアよ! お兄ちゃんのお嫁さんよ。ダンジョン攻略の最中だけの結婚だったから、すぐに解消しちゃったけど――わたしね、嬉しかったの。家族ができたみたいで、本当にうれしかったの。わたし、バカだから。あまり友達もできなかったけど、お兄ちゃんだけは違ったでしょ。お兄ちゃんだけはわたしの話を聞いてくれた。お兄ちゃんだけは、わたしがリアルの話をしても、聞いてくれていた。みんなね、ゲームの中でそういう話はよくないよっていうんだけど、お兄ちゃんだけは、聞いてくれたでしょ?」
な、なんか思ってたよりやばいな、この子。
「お兄ちゃんかどうかはわからないが。君のことは覚えている、マリア。たしかに、君とは一緒に冒険をした。攻略のために結婚もした……そうか、あのマリアか」
なにやら二人だけの雰囲気というか。
よくわからん、空気を放っているが……。
んーむ、その辺の事情を知らない私は置いてけぼり状態である。
当然、おもしろくない。
神父モードなので我慢しているが……。
ネコ状態だったらたぶん唸って、激おこだっただろう。
しかも、なんか明らかに病んでるし、この子。
「だからね。わたしはあの世界を終わらせない。終わらせていいわけ――ないわよね?」
車椅子の周りの空気が、変わる。
ズズズッズズウゥゥゥゥ!
天使が列をなし、急降下してくる。
「わたしって欲張りなのかもしれないわ、お兄ちゃん。会えるだけでいいはずだったのに、おかしいの。お兄ちゃんが欲しくて堪らないの。お兄ちゃんとずっと一緒にいたくて、我慢できないの。それだけの力が、わたしにはある。他人に天使を授ければ授けるほど、わたしは強くなる。お兄ちゃんを守れるくらい、強くなれたの! お兄ちゃんとも、会うことができたの! ねえ、お兄ちゃん。私と一緒に、ずっとずっと一緒に居てくれる? ねえ、いいでしょう? この学園はわたしの城。私の領域。わたしの支配するダンジョン。大魔帝ケトスだって、簡単には私を殺せない!」
戦うつもりなのだろう。
彼女の車椅子から、十重の魔法陣が展開される。
計測できる最上位の力。
「私と一緒になろうよ、お兄ちゃん! ずっと、一緒に。二人ならきっと、もう何も怖くないわ!」
それは使役する天使たち――人間たちの魂ともいえる力を重ねた力なのだろう。
人としてはすでに限界を超えている。
兄への思いを暴走させた魔性の力。
天使たちが、少女の願いをかなえるべく――兄を捕獲しようと翼を広げた!
聖なる力が、周囲を包む。
敵による包囲結界を破るべく、私は手を翳す。
『魔力――開放』
「邪魔はさせないわよ――」
だが――少女が告げた、その次の瞬間。
ボン……っ。
シンプルな音を立て、神父モードの私の片腕が弾け飛んでいた。
《次回》
続・わたしのお兄ちゃん。




