エピローグ(夢世界)
あの後、私達はのんびりと露店巡りを楽しんだ。
ゴミを漁っていたあの時と違い、お金をだして人間とも笑ってご飯を食べ。
たくさん笑って、食べて。
食べて。食べて、食べて!
食べて、食べ、食べたのである!
お昼の陽射しが心地良い時間だしね!
大魔帝ケトスこと私、貫禄のドヤ顔を浮かべ。
ビシ! ズバ!
モフモフネコ毛を太陽で艶めかせ――!
『くは、くははははははははは! 全露店制覇なのニャ!』
「あなた、本当によくそこまで食べられるわねえ……」
小食なラヴィッシュ君が、タコ足の串焼きを齧りながら言うが。
なんだかんだで彼女もそれなりの量を食べている筈。
おそらく、ネコ化した事で封印されていた食欲、ネコ魔獣の性質が解放されているのだろう。
「まあいいけれどね。それで偉い大魔帝様は次にランチタイムにしよう。そういうんでしょう?」
『ご明察! さすがは私と共に暗黒時代を生きた君なのである!』
暗黒時代とは、まだ魔王様のモフモフ強化パワーが届いていなかった時代。
私が魔帝ケトスとして覚醒し、全ての猫達の王となって種族強化がされる前の時代。
人間如きに虐げられていた、昏い時代の事だ。
全ては遠い日の悲劇。
私、大魔帝ケトスも時代も変わったという事だろう。
もっとも、ここは陛下の夢の中なんだけどね。
私は平和になった街並みを見渡す。
人間の設計士が、猫魔物……いや、ネコ魔獣ショゴスキャットに設計図を見せ。
ショゴスキャットはグルメと引きかえに工事を承諾。
スフィンクスとサーベルタイガーが荷物を運び、魚人が海底から錬金資源を引き上げる。
魔王様の夢、ということもあるのだろうが。
既に彼らは共存――新しい種族の友好を結び始めているのだ。
港と海岸線から、潮騒の音が聞こえている。
ざざざぁあぁぁぁ。
ズビズビズゥゥゥゥゥゥゥ!
……。
なんか、あっちの方に白い毛玉と羽毛があるねえ?
トッテトッテトッテ。
肉球ステップで私はその物陰まで歩み、ジト目で言う。
『で、ホワイトハウル……君はなんでそんなに号泣しながら後をついて来ているんだい?』
『良かったのう、ケトスよ……んぐ、ズビズビ』
号泣モードで目をマンガみたいにバッテンにし、鼻の頭を光らせ。
ずびずびずぅぅぅぅぅぅぅぅう。
こいつ、ずっと見てたな。
冷静なままのロックウェル卿が、トサカをコケっと倒し。
ツバサを竦めてみせる。
『見ての通りだ、魔狼め……どうしても心配だからと騒ぎだしてな。すまぬ、ケトスよ』
『突撃してこないように君が止めていた、ってわけか』
ホワイトハウルが心配になっている理由は分かっている。
全てを捨て。
現実世界も投げ出して――私がこの世界に残ってしまうのではないか、それが気掛かりなのだろう。
そして、きっと。
私が彼女と再会できたことにも、喜んでいて。
ワンコの頭は大混乱なのだろう。
その頭を肉球で撫でてやり。
私は大人ネコの声で言う。
『心配いらないよ、ホワイトハウル。私はちゃんと、陛下の元に帰る。君達と共にね』
『なれど! 良いのか!?』
クワっと口を開き、ホワイトハウルが吠える。
『せっかく再会できたのだろう!? おまえが世界を憎悪する事となったきっかけ、愛しき焦げパン色の君にようやく会えたのだろう!? もう二度と会えぬというのに、それでも、それでもおまえは! おまえは見捨てて帰って、大丈夫なのであるか!』
シリアスな叫びだった。
真剣な叫びだった。
けれど。
私とロックウェル卿は、頬をぽりぽりして。
『魔狼よ、なーにを勘違いしておるのだ?』
『えーと、ホワイトハウル。泣いてくれるところも、心配してくれている事も嬉しいけど……なんで二度と会えないと思っているんだい?』
しばらくたって。
ワンコは、頭上にハテナを浮かべて。
こてんと首を横に倒す。
『ん? どういうことであるか!?』
シベリアンハスキーって凛々しい顔立ちだけど。
なんつーか、こう……。
間抜け顔を作るとなんか急に可愛くなるよね。
混乱しているホワイトハウルに、私は言う。
『いや、だって魔王様の上で眠れば、またこの世界に入ってこられるんだから。お別れって言っても、すぐにまた会えるんだよ? ていうか、明日の夜も魔王様の上でぐでーんって眠って、あっちのグルメを抱えてここに来る予定なんだけど?』
『それに、ケトスはドリームランドの能力者であるぞ? たとえ陛下の上で眠らずとも、自らの影を経由して、この世界に来ることはわりと容易い筈であるぞ?』
あー、こいつ。
ケトスが可哀そう、って部分で……うん。
ワンコ頭脳がパンクしたな、これ。
不意に主神の顔となったホワイトハウルが、スゥ。
瞳を細め、後光を纏いペカー!
メチャクチャ早口で、呟いたのである。
『そういうことははやく言わんか……っ、我、めちゃくちゃ恥ずかしいではないかっ』
『君は優しいね、ホワイトハウル』
『ふん! 心配して損したのだ! おーおー、我、腹が減ってしまったのであるなあ!』
その不貞腐れた顔を眺め、私はふっと頬を緩める。
『まだまだこの世界の食べ物を制覇したわけじゃない。今度来た時に、一緒にグルメ巡りをすればいいだろう?』
『ぐはははははは! 良かろう! まあそなたがそういうのなら。我も付き合ってやるとするか!』
こちらのやり取りを眺めて、ラヴィッシュ君がくすりと微笑む。
姿をボサボサ髪の人間モードに戻し。
路地裏ではなく、太陽の下で微笑んでいる。
「本当に、仲良しなのね。あなたたち」
『ああ。君がいない世界はとても寂しかったけれど、時と共に……だんだんね、君を奪った世界が嫌いじゃなくなってきているよ』
呟きが、私の猫口からしんみりと漏れていた。
本当に、色々とあったからね。
少女は私の言葉に年月を感じたのか、眉を下げてみせる。
「憎悪の魔性……か。あたしを失って世界を憎悪した故に、強大となった魔猫。あの残念野良猫のあなたが今や、猫の王であり、猫の神なんだから。ふふふ。人もネコも変われるって事ね」
残念野良猫。
その単語に反応したのだろう。
ロックウェル卿とホワイトハウルが悪友の顔で、ニヤリ。
『のう娘よ。余はケトスの昔の話を聞きたいのであるが?』
『奇遇であるな、卿よ! 我も知りたいぞ! 知りたいぞ!』
問われた少女は、やはり太陽の下で笑い。
思い出を抱くように、優しく胸に手を当てる。
「ダーメ! 内緒よ。教えてあげないんだから! だってあの日々は、あたしとこの人の思い出なんですから」
少女は太陽の下で微笑む。
本当に美しい笑みだった。
だからだろう。
揶揄おうとしていた二柱は、仕方あるまいと肩を竦める。
私も太陽を見上げた――その時だった。
空が僅かに揺れた。
ホワイトハウルが揺れる天を眺め、犬の口を蠢かす。
『ぬぅ……魔王陛下が、そろそろ起きられるようだな』
『そのようだな、魔狼よ。ケトス、そろそろ――別れを済ませておけ』
心配そうにこちらを見る二柱は気を遣ったのか。
ラヴィッシュ君を見て。
穏やかな笑みを作ってみせる。
『余は先に戻っておる。朝を告げる歌を奏でる必要もあるでな』
『我も全ての職務を放棄してきておるから、先に戻るとしよう』
……。
いや、ワンコ。主神候補のおまえが放棄しちゃダメだろ。
まあ、それほど私を心配していたのだろうが。
二柱は、光の柱を作り出し。
ニヤリとアニマルな笑みを浮かべる。
『それではさらばだ、ケトスの思い出の中にいたモノよ』
『我等もまた、そなたがこちらの世界に来ることを待っている。共に、グルメを味わおうではないか』
言って、シュシュン!
魔狼と魔鶏が空の彼方へと、転移。
一瞬にしてその姿を消していた。
「行っちゃったわね、あの二人。もう、お礼を言いそびれたじゃない」
『彼らも遊びに来るだろうから、その時でいいじゃないか』
なにしろここは海産物が美味しい。
絶対に、また来るだろうからね。
そんな内心を隠し、私は言う。
『さて――大事な話だ。君の影にはまだ護衛をつけてある。交代制だが、常に何匹かの魔猫が守っている。私の配下の猫魔獣だ、頼りにしてくれていいよ。一応頭に入れておくといい』
「感謝しておくわ。えーと、彼らにあたしからお礼のグルメを提供しても大丈夫かしら?」
私は頷き、更に周囲を見渡し言う。
『この世界に滞在する魔猫達にも、君を守るように指示をしてある。後は陛下、あのコラジンくんもここに滞在するから――彼を頼ってくれて構わないよ。夢世界の彼は、それなりに強いからね。それにだ……その、君に何かあったら、いや何かある前にだ――すぐに私も駆けつけるさ』
なんとなく気恥ずかしいのである。
ムズムズムズ。
尻尾の先が揺れてしまう。
そんな私の様子を見て、少女は苦笑し眉を下げた。
「助けて貰う! なんて事件は起こらないと思うけど、その時は期待しているわ。ついでに、異世界の魔導書を持ってきてね、興味もあるし」
『そうだね。君と魔導について語り合える、それもとても幸せな事なのだろうと――私は思うよ』
しばらく談笑して。
私達は、最後の時間を楽しんだ。
世界がまた揺れる。
現実世界の朝が近づいている。
終わりの空気を察したのだろう。
少女は言った。
「あたしは何度生まれ変わっても、あなたを思い出す。あなたの世界に、帰るわ。だから、待っていてね」
『ああ、私は待つのは得意なんだ。昔と違ってね』
魔王様のお目覚めを待った百年。
あの日々の中でも、私は大人しく待っていた。
……。
いや、大人しくはなかったか。
ともあれ!
待つことができたのだから。
「なんか一瞬、ぶにゃ! って顔をしたけど、どうしたの?」
『その辺りはまた明日語るとしよう。どうやら、本当にタイムリミット。魔王様がもうお目覚めになるみたいだ。私の身体はあちらで眠っているからね。一度、帰還しなくてはならない』
別れの時間。
私の身体が現実世界の影響を受けて、溶け始める。
光の粒となり、海の空へと消えていく私を見て。
君が言った。
「ねえ、神父。少しだけ人間モードになって貰ってもいいかしら」
『構わないけれど、どうしたんだい』
言って、私は神父の姿へとその身を変える。
その時だった。
少女は足をぐっとのばし、私の頬に手を寄せて。
……。
私は静かに瞳を閉じた。
離れていく唇から、君の声がした。
「あの時、言えなかったから言っておくわ。あたしはあなたが……っ」
途中まで言って。
伸ばしていた細い指を止めて――。
少女は、穏やかな笑みを浮かべる。
「ふふふふ! なーんてね。やっぱり、やめておくわ!」
『おや、どうしてだい?』
消えかける私に向かい。
少女は焦げパン色の君に戻ってこう言った。
「続きは思い出した未来のあたしに言って貰うから。覚悟しておく事ね! これは、あたしからの宣戦布告よ!」
ビシっと、私の真似をして少女だった猫は笑う。
君が笑っている。
それだけで――私の鼻孔はツンと仄かに赤くなる。
『ああ、今すぐ聞けないのは残念だが――分かったよ』
私はこの身をネコに戻し。
あの日の君から聞けなかった言葉。
今の君から聞けなかった言葉を想像する。
私の猫の口が、ニャハっと言葉を漏らす。
『でも、またすぐに来るから、その続きを聞き出そうかな』
「そんなに簡単に喋らないし。まあ、そっちの世界からのお土産、楽しみにしているわ!」
ここでタイムリミット。
私の身体は現実世界へと引き戻される。
『それじゃあ、またくるよ』
「ええ、待ってるわ」
タイミングを見計らったように。
世界が切り替わる。
再会の地、ウルタール。新しい思い出となる世界の記憶の残滓だろう。
海の音がした。
磯の香りと静かな波の音。
潮騒の音がするのだ。
今度は悲しい別れではないからだろう。
私は泣かなかった。
けれど、どうしてだろうか。
私の猫の思考はしばらく、少女の顔を思い出していた。
記憶の中の君から。
目が離せないでいた。
路地裏の思い出。
君と私の物語が再び、歩き出し始めた。
▽▽▽
▽▽
▽
◇
目覚めると魔王様の寝室にいた。
まだ夜は明けていない。
魔王様は少し熱っぽい顔で、ワンコとニワトリと、そして私に乗られて少し寝苦しそうだった。
気を遣っているのか、二柱はまだ狸寝入りをしている。
そんな気遣いの空間の中。
上体を起こした魔王様が言う。
「帰ってきたみたいだね、ケトス。おかえり」
魔王様の上から降り、くわぁぁぁっと身体を伸ばし。
ムニャムニャ。
……。
しゃきーん! ちゃんと目覚めて、私は恭しく礼をする。
『ただいま戻りました、魔王様……その様子、風邪を引かれたのですか?』
「ああ、クトゥルー神達がワタシの夢の中で暴れただろう? その影響さ」
やはり……。
あの夢世界は、魔王様の体内でもあったのだろうか。
普通ならばあり得ない話だが、まあ魔王様だからね。
私達、三獣神も同時に夢の中で暴れていたのだ。
きっと、熱もでてしまっていたのだろう。
そしてなにより、海魔皇達も暴れていたしね。
私は大魔帝の顔で頭を下げ、幹部としての声を漏らす。
『ご存知だとは思いますが、海魔皇とその娘達。そして眷族の皆――全てが契約済み。彼らは私の配下となりました。どうか――寛大なご判断を』
「キミに任せるよケトス。コラジンとはね、昔にちょっと……面識があるんだよ」
楽園の住人同士の関係か。
私も知らない物語である。
『そう、なのですか?』
「ああ、いつかその日々の事をキミに語る日が来るかもしれないが――それよりもだ」
魔王様がシリアスに顔を引き締める。
『聖母の件ですね』
「ああ、そうだね。アレは新たな脅威と言えるだろう。確かに、ワタシと兄さんは……今回、母と接触をした。ラヴィッシュと呼ばれたあの子の転生を母に頼んだんだ。ワタシの夢世界に寄生していた事は知っていたからね。しかし――また姿を消してしまった」
それが気がかりなのだと、陛下は眉を顰める。
「母としての義理を果たしたと判断したのか、或いは、また別件で動いているのか――ともあれ、ケトス。彼女にはあまり気を許さないでおくれ」
『と、仰いますと』
「母はね――ありとあらゆる神話の聖母、母としての力を原初とする存在。彼女もまた、不安定な存在なのさ。母は母自身でも、自分の行動を制御できない可能性は高い。ようするに、厄介な身内なんだよ」
魔王様でも厄介と感じる存在か。
……。
まあ、魔王様の家族だもんね。
白山羊だし。
ともあれ、私はシリアスな声で言う。
『強すぎる力の反動……かもしれませんね』
「あまりこういう言い方もどうかとは思うのだが――正直、味方だとは思わないで行動をするようにして欲しいんだよ」
その言葉が苦笑と共に告げられた言葉であったのなら。
私も冗談と受け取ったのだが。
そうではないらしい。
『分かりました、頭に入れておきます。けれど、経緯はどうあれ彼女は私の大切な者を取り戻してくれました。少なくともその事に関しては、感謝しております。そして陛下、あなたにも本当に感謝と敬愛を捧げております』
礼を言われるのが照れ臭いのだろう。
魔王様がこほんと咳ばらいをし、話題を変える。
「それで――憎悪の魔性としての力は今、どうなっているんだい」
『変わりはありませんね。彼女を取り戻した事で、私の憎悪は和らいだと言えるでしょう。しかし……それと同時に、こうも思うのです』
世界を憎悪する紅き瞳を滾らせ。
ぎしりと歪んだ私の声が、世界を呪う程の憎悪を漏らしていた。
『あれほどに美しく、尊いあの子をゴミのように殺した人間達、そして世界を――再び憎悪せずにはいられませんから』
「愛しいモノを取り戻したからこそ、新たな憎悪が生まれる――か」
魔王様は少し、悲しそうな顔をなさっていた。
きっと。
私に同情してくださっているのだろう。
『私は猫ですからね、執念深いのですよ』
「辛くはないかい? キミはいまだに……全てのモノを憎悪し続けている。グルメで感情を誤魔化し、心を慰めている。おそらく、これからもキミは、全ての世界を憎悪し続けるのだろう。それはとても悲しい事ではないのか、ワタシはそう思ってしまう時があるんだよ」
主の優しさに感謝をしつつ。
私の猫の口は淡々と言葉を漏らす。
『悪い事ばかりではありませんよ? 私は憎悪の魔性としての力を利用して、あなたを守る力を得ているのですから』
「参ったね。今ではすっかり、ワタシが守られる側か」
しばらく、瞳を閉じて。
陛下は髪を掻き上げ、魔を統べる王の声と顔で告げた。
「ケトス。真面目な話がある」
お優しい魔王様の考えは理解している。
私は忠臣の顔で、ニヤリ。
『もしかして――夢の中に残り続けてもいい、そういうお話ですか?』
「キミは本当に賢いね、ワタシの考えなどお見通しなのだから」
『あのですねえ、御言葉ですが――魔王陛下、そのお心遣いには感謝しております。けれど、私にはますます現実世界にいる意味も、理由もできたのです。夢の世界で、ずっと……幸せな夢を見続ける事はできません』
魔王様が言う。
「その心は?」
魔王陛下に恭しく礼をして。
大魔帝ケトスたる私は言う。
『あなたの中には、彼女もいる。これからも私は――貴方を守り続けるでしょう』
そう。
夢の世界のアザトースである陛下を守る事こそが、愛しい君を守る事にも繋がるのだから。
愛しい魔王様とあの子を同時に守れる、まさに一石二鳥なのである!
私にとってはどちらも大事な存在なのだから。
私の言いたい事。
真意を悟ったのか。
魔王様は眉を下げ、口の端に濃い微笑を刻んだ。
「そうだね――さあ、ならば朝のモフモフだ! ケトス成分を補充しないとね!」
魔王城に朝の陽ざしが入り込んでくる。
魔王様に抱っこされて、ドヤる私のモフ毛を照らす。
とても温かい、太陽だ。
陛下の夢の中の世界。
ウルタールでもおそらく――。
あの子が太陽を見上げているだろう。
隠しステージ1 夢世界ウルタール編。
《了》




